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ジゼルの婚約  作者: Chanma
野営訓練
116/128

89.つまみ食い

 アイゼン家の客室、ベッドの上でシーツに(くる)まりながら、ジルベールは本を読んでいた。

 もう、外はすっかり月が昇っている。やや分厚い活字の本を半分程読み進めた所で、少し眠気もやってきて、ジルベールは本から手を離し、仰向けで背伸びをした。天蓋の向こうのサイドテーブルには、夕食後に料理長がくれたポテトチップスが乗っている。


「ふわぁ………さすがに眠くなってきたなぁ……」

 今日は久しぶりにガルシア家(いえ)に帰った。メイジーとオーウェンの、婚姻の手続きのためだ。

 そして、完成した書類をアイゼン家が早馬(はやうま)───フレデリックという、ベーコンちゃんのお家を壊したクソ馬───を出してガルシア家(いえ)からミラー子爵家に送ってくれ、私達がアイゼン家に戻り、夕食を食べている頃に、その早馬も帰って来て、無事に書類は役所に受理されたと報告を受けた。今日、アイゼン家の夕食の席には少佐は居らず、軍務が忙しいのだと、アイゼン中将が笑いながらルーカス兄さんと話していた。

 そして、アイゼン家の人皆が、メイジーの結婚を祝福してくれた。

 


 ジルベールは、両手を伸ばしてベッドの上で仰向けになり、豪奢なレースの天蓋をぼんやりと見上げた。アイゼン家の厳かな雰囲気に反して、この客室だけは、何だか煌びやかだ。



 メイジーは………メイジー・ミラーになった。

 これで、メイジーは王命の及ぶ範囲外の人間だ。

 王命を文面通りに受け取れば、の話だが────



 軍に戻ったら、アデル部長と話をしたい。きっと、広報部から、「軍人令嬢ジルベールの、妹の結婚」として、イベントを企画してくれるだろう。多少なりとも公にした方が、こちらとしても都合が良い。市民に認識される事が、何より重要なのだ。



    ──────ガチャ…──────


「ジゼル、」

 ぼんやり天蓋を見上げていると、客室のドアが開き、低い声が響いた。アイゼン少佐だ。


 ベッドの上で身体を起こすと、天蓋の向こうにゆっくりと大きな影が映った。


     ──────パリッ──────


 影は、私のポテトチップスを一つ、つまみ食いした後、そっと天蓋を開けた。


「すまない、起こしたか?」

 少佐は、黒い軍服姿のままだ。紺色の髪は軽く後ろに撫で付けられている。左腕を、私の太腿の横に付き、こちらを見下ろしながら尋ねてきた。

「いえ、少佐に頂いた本を読んでいましたので。まだ起きていました。」

 読んでいた本は、先日少佐から贈られた、大量のプレゼントの中の一つだ。過去の大きな戦を中心とした歴史書で、今まで、この手のジャンルは堅苦しくて敬遠していたけど、意外と読み易くて一気に読み進めてしまった。

 私の答えを聞いた少佐は、ベッドの上に置かれた本をちらりと見た後、私の隣に座った。


「そうか。この手の本にも、興味を持ってくれたのなら良かった。いつか、得た知識が身を守ってくれる事も、あるかもしれない。」

 少佐の言葉は、頭の上からそっと降って来た。

「少佐───」

「そういえば、今日は兄上達とガルシア家に帰ったのだろう?ゆっくり出来たか?」

「はい、久しぶりに妹にも会えましたし、無事に、妹とオーウェンの婚姻も済みました。こんなに何事も無く、円滑に終える事が出来て……少佐のご厚意のおかげです。私は……どう感謝すれば良いのか……」

「気にする事は無い。多少なりとも、ガルシア家の力になれたなら、良かった。それにしても…羨ましい限りだよ。俺も、早く済ませたい……いや、全て自分が招いた事なのだが……」

 少佐は、何故か頭を抱えた。

「少佐、どうかしました?」

「いや、何でも無い。気にしないで欲しい。」

「はい………」

 少佐は、何か考える様に俯いた後、私に向き直った。


「ジゼル、」

「はい、少佐。」

「その………ふ……ふ………」

 少佐は、私を見下ろしながら、困った様な──私には、そう見える──顔をして、言い淀んだ。


「ふ?」

「ふ………触れても構わないだろうか。」

 私に向かってはっきりとそう告げる、急な言葉にびっくりして、多分、目を見開いた。


「割と……限界だと思う。」

 少佐は、何かを訴える様にこちらを見ている。



────じゃあ、こちらからの要求としてはね。今後、ノアが君に何をしても、不問に付してくれるかな────



 どうして……今更許可を取ろうとするのだろう……


 じっと、少佐の顔を見返すと、少佐は私の右手を取り、手のひらに顔を埋めた。私の手のひらに隠れきれない少佐の頬が、少し赤くなっているのは、どうしてだろう。


「触れたい。少しだけで良いから────」

「えっと………その………」

 視線を天蓋の方に彷徨わせると、少佐は手のひらから、ちらっと視線を向けて来た。黒い軍服姿の少佐の前髪は、後に撫で付けられているため、瞳がはっきりと見える。

「酷い事はしない。絶対に。」

「う…………はい……」



      ────ポスッ────



 返事をするとすぐさま、ベッドに倒された。

 この前とは違って、そっと。


「ジゼル、」

 すぐ目の前の距離にある、私を見下ろす少佐の顔は、凄く嬉しそうに見えた。少佐の紺色の両目が近付いて来て、お互いの(ひたい)がくっ付いた。既にガーゼが取れて、いつの間にか元の肌色に戻った私のおでこに、少佐はそっと頬擦りをする様に額を寄せている。


「えっ………触れるってそういう────」

 そして、少佐の大きな右手で、左頬を包まれた。

「あ………」

 ぎゅっと目を(つぶ)ると、少佐は私の首すじに顔を埋めて口を寄せた。右の首すじに、人の口内の温度がする。


「少佐……や……ちょっと待って下さ───」

 私の言葉を遮って、背中に腕を回されて強く抱きしめられた。いつの間にか、着ていたはずのカーディガンが、視界の端、ベッドの上に映っている。強く抱きしめられて、軍服のごつごつとした金具の感触を、紺色の薄手のナイトドレスの上から、ひんやりと感じた。


 リソー国軍の軍服。


 嫌いだったはずだけどな……

 自分の軍服も。もちろん、上官の軍服も。

 大嫌いなのに……


 黒い佐官の軍服の、詰襟の留め具が外されるのを、ぼーっと見ていた。

「ジゼル、服脱ごうか───」

 目の前の視界は、黒から肌色に変わっている。

「………くしゅんっ!」

 くしゃみをして、自分が下着姿になっている事に思考が及んだ。

「寒いか?」

 及んだが、及ぶに留まった。


 暖を取る様に、そっと肌色を抱き寄せると、人の温度に包まれた。

 たぶん、頬や、身体に、口を寄せられている。そして少佐が、私の身体に口を寄せながら何か言っている気がしたけど、頭がぼーっとして、良く理解出来なかった。


 心臓が、血液を送り出す音が、とても大きく聞こえる。


 人間や、獣と対峙する時以外にも、この音は聞こえるんだな……知らなかった、最近まで……


 視界の端に映る紺色のカーディガンの上に、紺色のナイトドレス、紺色のキャミソールが積まれている。少し小高くなった紺色の山の横には、黒い山が出来ている。

 

 お腹の上に、紺色の髪の毛が見える。胸の下辺りに、歯を立てられた痛みが走った。

「……ル……ジゼル。」

「……え?……」

「聞いていたか?」

 お腹の上から、上目遣いに少佐がこちらを見ながら何か聞いている。

「………はい。」


 私はいつもの癖で、返事をした。軍の会議でも考え事をして、話を聞いていなかった時、とりあえず肯定するのだ。そうすれば、とりあえずは何とかその場を切り抜けられる。そして、あとからリー中尉に怒られながら、会議の中身を教えて貰う事になる。


 私の返事を聞いて、少佐は照れた様に微笑んだ。とりあえずは、肯定して正解だった様だ。

「ジゼル、俺は───」



「ちょっとノアッ!何やってるのっ⁈」



 少佐が何か言いかけた時、ベッドの下から、何かが勢い良く飛び出して来た。


「きゃあっ!!」

 我に返って驚いて叫ぶと、ベッドの下から出て来たものは、仁王立ちでこちらを睨んできた。


「リアム……お前……!勝手に部屋にいたのかっ!いつからいたんだっ!それはマナー違反だろう⁈」

 ベッドの下から飛び出したのは、まさかのリアムだった。いつから隠れていたんだろう。少佐は、隠れていたリアムに怒鳴ったが、何となく、こちら側が、分が悪い気がした。リアムは子どもとは思えない形相で、少佐を睨み続けている。


「おじいさまーっ!!ノアがジゼルの部屋に居るーっ!!」

 そして大声で扉に向かって叫び出した。

「いや、別に良いだろう⁈それは!」

「ノア、僕知ってるんだからね!ジゼルは、まだノアのお嫁さんじゃないんでしょ!それなのにジゼルの部屋に来ないでよっ!」

「勝手に忍び込んでいたのはお前だろう⁈」

 お嫁さん…そういえば、そういう設定だったな。


「おじいさまーっ!ノアが、ジゼルに無理矢理酷い事しようとしてるーっ!!」

「リアムお前っ……嘘を付くなっ!!どこで覚えたんだそんな事っ!!」



   ────ドドドドド……バンッ────



「ノアーーーッ!!お前何を……っ!お…お前達は何だその格好はっ!!」

 リアムに呼ばれて客室に飛び込んで来たアイゼン中将は、ベッドの上の私達を見て、目を見開いた。


 確かに。私は一体何してたんだ……


「チッ……」

 少佐は、私の身体にシーツを掛けると、凄い速さで軍服を着直した。

「ジゼルッ!明朝には軍に戻るぞっ!」

 そして、そう言うと、客室の奥へ走って行き、窓から外へ飛び降りた。

「ノアーーッ!!」

 アイゼン中将が窓に駆け寄ったが、既に少佐は逃げ切った様だ。


「ジゼル……大丈夫?」

 シーツに包まった私の横にリアムが来て、心配そうにそう言いながら、ぴたっとくっついて来た。

「ガルシア軍曹、」

 そして、ゆっくりとベッドの前にアイゼン中将が来て、私は何故だか悪い事をした気持ちになり、恐る恐る顔を上げた。

「合意の上だった……と言う事で、違い無いかな……?」

 数秒考えて、ゆっくり頷くと、アイゼン中将は安心した様に、ため息を付いた。

「それなら、何も言わないが……今夜はリアムと一緒に寝てくれるかね?」

「はい。」

「やったー!でも、帰っちゃうの?ジゼル……」

 リアムがうるうるしながら、可愛いお顔で私を見ている。

「リアム、我儘を言っては駄目だ。ガルシア軍曹、明日はノア(あの子)も一緒に、リビングで朝食を食べて戻りなさい。」

「はい、閣下。」

「……軍の外で、敬称は要らないよ。私もそうしよう。寝坊しない様に、もう寝なさい。」

「お休みなさい、おじい様!」

「お休み、リアム、ジル。」

 そう言うと、アイゼン中将はそっと客室の扉を閉めて、去って行った。



「ジゼルー!早く寝ようよー!」

 私は服を着て、少佐が降りた窓の外を見た。ここはアイゼン侯爵家の二階だ。

「ここから、あんなに簡単に……私も、降りれない事は無いけど……ロープも無しに降りれるかな……」

「ジゼルーー!」─ぐいっ─

 痺れを切らしたリアムに、窓から引き剥がされ、私はリアムとベッドに寝転んだ。

「寝る前にお話してっ!」

「リアム……くすっ…何のお話がいいの?」

「えっとね!じゃあ───」

 リアムにお話をしながら、いつの間にか、私は眠ってしまった。



────────────


翌朝、アイゼン侯爵家の玄関にて──


「やっと帰ったか………疲れたよ。」

「何だかんだ、丸く収まって安心しましたね、父上。私も、若者2人には振り回されましたよ。」

 仲良くフレデリックに乗って、軍へ戻って行くノアとジルベールを見送りながら、ジョセフとルーカスは疲れた様に微笑んだ。


「ですが……軍に戻ったら戻ったで、心配では無いですか?父上。」

「それはそうだが…もう、どうしようも無い。一応同意の上だと、確認はしたからな。」

「確認?」

「ああ。昨晩も客室でな……下手したら、ベンの言う様な、変な噂になりかねんぞ。お前が、軍内の有力貴族家に対して、先手を打ったのは正解だったな。」

「万が一があっても、醜聞は避けられますからね。」

 ジョセフは、ため息と共に、右手で顔を覆った。


「そういえば…リアムは、彼女が帰って泣いていなかったか?」

「いえ。私も意外でしたが…全くです。朝食後、以前の様に、ジェイミーと2人で訓練場に行きましたよ。ジルが家に居た時は、一日中客室に入り浸っていたというのに。」

「そうか……」

「父上も、今日はノア達の軍事基地に行くのでしょう?一緒に行けば宜しかったのでは?」

「もちろん、馬車で行こうと申し出たが、ノアが露骨に嫌がったのでな。聞かなくても分かるだろう?」

「分かっていて、聞いたのですよ。ノアは、今日ジルと一緒に…ほら、今、街で祭典をやっているでしょう?肉の祭典でしたか。それに行くのだと、浮かれていましたから。」

 ジョセフは深くため息を付いた。

「彼女の隊は、野営訓練中だろう?つい最近までは、信じられなかったが…あのノアが、訓練中の、仮にも自分の管轄下の兵に、訓練の離脱を許すとは。」

「あはは!広報部の軍務だと、言い訳する様ですよ。」


 フレデリックに乗った2人が見えなくなるまで、ジョセフとルーカスは玄関に並び、見送っていた。

更新が遅くなり、申し訳ありません。


直近で、更新頻度が遅くなりますが、順次更新していきます。少しでも楽しんで頂ければ幸いです。

どうぞよろしくお願いいたします。

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