88.人類じゃねぇな
「えーっとね……髪は紺色──じゃなくって……髪は赤くて、瞳は金色で──」
今日、家に帰って来た愛するお姉様は、頬を染めながら、「接し方に迷う人がいる」と告白してきた。私が通う学校でも、友達からこの手の相談をされた事はある。恐らくお姉様は、恋をしているのだ。
今までお姉様は、私が知る限り、誰かに恋をした事は無い。非道な王命のせいで、それどころでは無く、生き抜く事に必死な子ども時代を余儀無くされたお姉様は、そういった感情が欠落してしまったまま、大人になってしまった様に思われていた。
そんなお姉様に、今、愛する相手がいる────
それは、嬉しい事だけど……
「背は高くて……というか、3メートルはあるかな?筋肉も凄くて、全身が体毛で覆われていて……この辺りの人じゃないというか……だから、余計な心配は不要なんだけどね、」
なるほど、人類じゃねぇな。そうきたか……
「その人に対して……心臓がぎゅう…って…苦しくなるというか…ドキドキ?する…というか……」
毛髪は赤く、目は金色。全長3メートルで全身は毛深く筋量も凄い、か───
「お姉様、そういった相手と対峙した場合、私も緊張します。」
「そ、そう⁈これは普通の事なの⁈」
「一般的にはそうですね。勝てるか分かりませんから……ドキドキするかと。」
「勝ち負けとかでは無いと思うんだけど……そうなのかな?」
お姉様が見つけてくれた私の結婚相手が、オーウェン様だったのは、運が良かったのか。人類だし。
まぁでも、お姉様が私の為に見つけてくれた相手なら、私は何者でも受け入れるけど───
お父様から聞いた話では、お姉様は王命を撤廃出来る可能性が有るなら、人で無くても良いと言っていたそうだからな……だけどまさか、こんな方向に行ってしまうなんて……
「お姉様、ちなみに、そいつ──いえ、そのお相手は、言葉は通じるのですか?」
「もちろん!あ、えっと…そうだな…この国の言葉は難しいかも……」
なるほど。二足歩行で、知能は高いのか……
だとすると、獣、というより、魔獣の類か?
「今、その方に、私もお会いする事は出来ますか?」
「それは……無理……かも。遠くにいる…かな……」
「そうですか……」
お姉様は目を逸らし、何だか後ろめたい事がある様な、顔をした。
今は会えない、となると……
軍に捕獲していたが、逃げられたのか。
お母様と共に、傭兵として、仕事で行った他国の城に、研究対象として捕らえられている魔獣を、何度か見た事はある。
魔獣自体、定義は曖昧だが、獣と一線を画すのは、その知能の高さだ。私が見た物は、全て二足歩行で、こちらの言語を理解していた。応答する個体もあれば、しない物もあり、こちらを揶揄ってくる物もいる。
そして、戦闘能力も凄まじく高く、その生態系は謎に包まれており、遭遇する事は稀らしい。
高位貴族と婚姻を結び、彼等が持つ権力で、王命を撤廃する──高位貴族との婚姻の可能性を諦めたお姉様は、魔獣の持つ、底知れぬ力に魅入られてしまったのか……その武力で、王命を撤廃出来ないかと、考えているのかもしれない。
「他国に行ってしまった、という事ですか?」
「……そう……だね。」
「会う約束などは?」
「任務じゃなければ、私的に他国に行く事は難しいから……」
先日、リソー国領の森で、迷い込んでしまった一般市民の貴族が、リソー軍の兵に無事助けられ生還したと、ニュースになっていた。
「お姉様、先日森に迷い込んだ一般市民の貴族が、リソー軍の兵士に助けられたと報道されましたが……」
「え?ああ、そうだね。無事で良かった。」
「森は、お姉様達が野営訓練をしている森ですよね?お姉様も助けに向かったのですか?」
「……私が直接助けた訳じゃないけど、そうだね。皆で助けに向かったんだよ。」
やっぱりそうか────
表向きは、一般市民が迷い込んだとされているけど、実際には、軍に捕らえていた魔獣に、森から他国へと逃げられたのだ。
愛する魔獣を失ったお姉様は、今、失意の底に──
「お姉様は、その方に、他の人間とは違う何かを、感じているのですね。」
「えっ。いや、何か重々しいなぁ。本当にね、心配はしないで欲しいんだ。」
「心配はしていません。お姉様、その方の、どの様な所に、惹かれているのです?」
「惹かれてる?うーん……よく分からないけど……境遇が……似ているというか────」
お姉様は、窓の外を見つめた。
似た境遇……軍に囚われている、という事か。
捕らえられた魔獣に、幼い頃から軍にいる自分自身を、重ねてしまったのだろう。
私の愛するお姉様……何て……痛ましい────
「ねぇ、メイジー。その人と、上手く接するには、どうしたらいいと思う?」
魔獣と想い合える可能性を、信じて疑わないお姉様の、その無邪気さに私は少し涙が出そうになってしまった。
「上手く接する方法は……武力です。」
「武力……!やっぱりそうなのね……同じ位に、強くなくては、という事か────」
私の答えを聞いたお姉様は、一瞬目を見張り、納得した様に何か呟いている。
「そうです。相手を凌駕する圧倒的な武力を持って、服従させ、そして、使役する。」
「し、使役⁈」
「そうです。」
「それは、何だかちょっと違うような────」
お姉様は、驚いて何やら口をパクパクさせているが、それが現実だ。魔獣と対等になるには、武力を持って制すしか、今の科学では他に道は無いだろう。対話等は無理だ。
「お姉様、辛いかも知れませんが、これが現実です。」
「そんな……私はただ……ちゃんと接する事が出来たら……今よりも少し……淑女に近づけるかなって───」
お姉様の水色の瞳が、私を見つめながら、水面の様に揺れた。
あぁ…まさか…魔獣を義兄と呼ぶ可能性が出てくる日が来るなんて……
私のお姉様を魔獣に……
いやでも……それがお姉様の望みなら───
「お姉様、分かりました。この件は、私に任せて下さい。」
「メイジー……いや、そんな改まる必要は───」
「ただ、すぐにどうにか出来るレベルの問題ではありません。そもそも、他国でも、魔獣については対応が定まっておらず、いわば国を跨いだ国際問題なんです。」
「ええっ⁈国際問題⁈」
「そうです。ですが、お姉様のお悩みは……私がいつか、この人生に掛けても解決してみせます。」
「いや、メイジーには、人生を掛けてオーウェンと幸せな家庭を築いてほしいんだけど……」
「私は、お母様から授かったこの武力で、お姉様の役に立ちたい……お任せ下さい。」─ぎゅっ─
お姉様の手を固く握りしめると、お姉様は困った様な顔をした。いつもそうだ。遠慮ばかりで、自分の事は後回しにして……
でも……
でも、お姉様のこの恋だけは!私が必ず叶えてみせる。逃げた魔獣を必ず見つけ出す……
───トントン───
「ジルベール様、メイジー様。お待たせしました!入りますよー!」
その時、部屋のドアがノックされ、エイダンの軽やかな声がした。お姉様が返事をすると、ドアが開き、エイダンと仲人さんが談笑しながら入って来た。
「お茶会のお邪魔をして、申し訳ございませんね。必要な手続きは済みましたから、お2人もリビングへどうぞ!」
「楽しそうなお茶会だね!それにしても、ガルシア家は、どのお部屋もインテリアがかわいいですね。」
「ルーカス様、そうなんですよ!特にソファーやクッションのカバーはパッチワークで、奥様とメイジー様が一つ一つ、全て手作りを───」
───プルルルルルーッ!プルルルルルーッ!───
エイダンが、部屋に置いているクッションを手に取った時、庭の方からベーコンちゃんのけたたましい鳴き声が聞こえ、4人は窓の外を見た。
窓からは、小花の咲き乱れる庭の端に、ベーコンちゃんの小さな馬小屋が見える。その馬小屋に、何やら体格の良い黒馬が、体を突っ込んでいた。
「あれは……まさか、フレデリックか⁈あいつ、今朝ノアと軍に戻ったはずじゃ……馬車の馬と間違われてこっちに来てしまったのか?」
「確か、軍で会ったベーコンちゃんのお友達の馬……?」
───プルルルプルルル!ヒヒン……───
──プルルルーッ!……ヒヒンッ!バキグシャ──
「あぁっ!馬小屋の柵がっ!」
黒い馬は、小さな馬小屋に無理矢理体を突っ込み、木製の柵を踏み付けて壊してしまい、エイダンがそれを見て悲鳴を上げた。
───プルルルーッ!プルルル…ヒヒン!プルルルルーッ!───
「エイダン、私ちょっと見てくるね!メイジーと先にリビングに行ってて!」
「すみません、ジルベール様。あぁ…柵が……」
「ジル、ごめんね。うちの馬が……知らない所に来て興奮してるのだと思う。」
「大丈夫です、ルーカス兄さん。ベーコンちゃんも、大きな馬を見て驚いているだけだと思いますので。」
馬小屋から、ベーコンちゃんの助けを呼ぶ様な鳴き声が聞こえ、お姉様は庭へ飛び出し、馬小屋へ掛けて行った。
「じゃあ、私達は行きましょうか。ジキル殿もお待ちですし。メイジー、結婚おめでとう。」
仲人さんは、そう言って私に微笑んだ。その言葉で、オーウェン様との結婚を、現実だと初めて実感した気がした。
オーウェン様……暫くお会いしてないけど、元気かな……
───おいこらクソ馬がーーーっ!───
馬小屋へと走っているお姉様の、とんでもない言葉が聞こえた気がして、思い出しかけたオーウェン様の顔と声は、遠くに掻き消えてしまった。
お読み頂き、ありがとうございます。
不慣れな点が多く、時折改稿をしながらの投稿をさせて頂いています。
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