87.軽快な馬車と鈍重なジルベール
「本当に……ご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんでした。ルーカス兄さん………」
「良いよ、ジル。君の飲みっぷりが良くて、ノアが飲ませ過ぎちゃったせいなんだから。もう気にしないで。」
「久しぶりで、つい───」
「あはは!若者は、皆そうだよ。だけどね、ジルはガルシア家の、大事な令嬢でもあるんだ。家族が心配しちゃうから、お酒はほどほどにね。」
「はい………」
ガルシア家へ向かう馬車の中で、ルーカスと向かい合って座りながら、ジルベールは項垂れた。
今朝、アイゼン家の客室で目を覚ますと、まさかの下着姿であった。
同じベッドで寝ていた少佐は、上半身に何も身に付けておらず、ルーカス兄さん曰く、大丈夫との事だったが……私自身の記憶が無い為、一体何がどう大丈夫だったのか、怖くてそれ以上聞けなかった。
飲み過ぎちゃったんだな、私。だけど、あんなに良いお酒ばっかり、沢山用意されたら、飲まずにはいられないと思う……
私は、若干二日酔いの残る頭を抱えて、とても小さくため息を付いた。
どうやら、私が少佐の部屋で盛大に吐いてしまい、お互いに汚れてしまったから、少佐が、客室のシャワーで洗い流してくれたらしい。
その後着替えさせてくれたのだろう。なぜ下着だけだったのかは分からないけれど、私はあれから気恥ずかしくて、少佐の顔をまともに見れなかった。
だけど…少佐は、身支度を終えると、何事も無かったかの様に、さっさと軍へ向かってしまった。
いつもより、遅い時間ではあったけど。
何でも無い事なんだろうな。少佐に取っては。
私は………
どうしたら良いか、分からなかったのに。
───カラカラカラ……───
私とルーカス兄さんを乗せた、アイゼン家の馬車は、軽快な音を立てて、私の家へと進んで行く。後ろに続く荷馬車には、少佐から貰ったプレゼントの山の一部が積まれていた。ある程度、軍の私室に置く様にルーカス兄さんに言われたけど──野営訓練中しか私室を使わないのに、置いて良いのか疑問だが、有無を言わさぬ感じだった──置けない分は、ガルシア家に持って帰る事にしたのだ。
「ノアからのプレゼント、ガルシア家の皆を驚かせちゃうかな?」
「驚くと……思います。」
「そうだよね、ごめんね。だけど……弟が、自ら街で贈り物を買うなんて、初めてなんだ。母なんか、真人間になった、なんて言って、感動して泣いちゃって───だからさ。大事にしてもらえたら、嬉しいな。」
「真人間……?……はい、大切にします。」
私の答えを聞くと、ルーカス兄さんは微笑んだ。
少佐からのプレゼントは、お菓子を中心に、食べ物が一番多くて、アイゼン家の人達と、美味しく頂いた。その次には、服や装飾品が多く、本も沢山あった。
私には、もったい無いと思ったけれど、少佐が選んでくれたと思ったら、何だか凄く、嬉しい気がした。
恐らく、先日の謝罪なのだろうけど────
でも、少佐が自分で選んでくれたのなら…やっぱり私は嬉しいのだと思う。上手く表現出来ないけど…どうしたら良いんだろうか。
───カラカラカラ……───
馬車の走る音に合わせて、私は思考した。窓の外は閑静な住宅街を抜けて、だんだんと、見慣れた田舎町の景色になっていく。
そもそも……少佐に対してたまに思う、言い表せないこの気持ちは、一体何なのだろう。
もし、それが分かったなら………
少佐の事を、名前で呼べるかもしれない。
そうしたら、私は淑女に近付けるのでは無いだろうか。
家に着いたら……エイダンに相談してみようかな。でも───
そもそも、何て聞けば良いのか分からないし、まだ、少佐の事を名前で呼べていない事を知られたら、絶っっっっ対、怒られる。それは駄目だ。
モニカは………少佐に対して、良い印象を持たないだろうから、意見はくれなさそう。
あと、他に私が相談できる淑女といえば───
家の事もあるし……相談したら、心配掛けるかな?相手が誰なのか、分からない様にして聞けば、大丈夫か……
───カラカラカラ……───
馬車は、川沿いの道に差し掛かかった。お昼前の陽の光に照らされて、のどかな川はキラキラと輝いている。そういえば、野営訓練に行く途中に会ったリソー警察の筋肉さんは、元気だろうか。今日も鍛練してるのかなあ。
───カラカラカラ……───
何だか、今の私は、リアムとジェイミーにお話した昔話、「霜降り肉男爵子息」の最後の場面に似ているな。最後は、復活した3人の仲間達と一緒に、沢山の宝物を馬車に積んで、家に帰るのだ。
ちょうど、この馬車みたいに───
「ねぇ、ジル。ノアと肉の祭典に行くのでしょう?」
窓の外を見ながらぼーっとしていると、ルーカス兄さんがにこにこしながら聞いてきた。
「えっ……あ、はい。先日誘って頂いて───」
「ジルは、こういうイベントは行った事あるの?」
「そうですね……任務で他国へ行った時、似たような催しがあっていた事はありますね。どこの国でも、手練れの狩人達が狩った新鮮な肉は、人気ですから。珍しい獣だと、集客も多いですし。」
「そっか。ジルは楽しみ?」
「はい!もちろんです!」
想像しただけで、お腹が空いてきちゃった。
「それなら良かった。ノアは……あの子は、プライベートでこういったイベントに行くのは、初めてだと思うんだ。子どもの頃から、ずっと、軍務に明け暮れていたからね。お祭りなんかに、行きたいと言い出す事も無かったし。」
「そうなんですね。きっと、少佐も楽しいと思います!私が新鮮で、珍しくて、美味しい肉を選びますから!お任せ下さいっ!」
私は胸を張った。
「あはは!それは頼もしいな。ジル、それなら、ついでにお願いがあるんだけどさ。イベントに行ったらね───」
────────────
「ただ今帰りました。」
玄関の、木製の扉を開けると、扉の右上に付けられた外国製のベルが、チリンチリンとかわいい音を立てて揺れた。
ひと月も経ってないとはいえ、久しぶりの家だ。 やっぱり落ち着くな。
お母様と、エイダンと一緒に手入れをしているお庭には、一面にカラフルな小花が咲き乱れている。着替えて、一息ついたら、ベーコンちゃんにお花の冠を作ってあげようかな。
「お帰り。無事で良かった。」
「お父様も、お元気そうで良かったです。」
玄関で、お父様とエイダンが出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、メイジー様。いやあ、その格好だと、ますます奥様にそっくりになられましたね!」
「そうだな。違うのは身長位なものだな。」
呑気に、しげしげと私を見るお父様には答えずに、背負っていた、自分の背丈とあまり変わらない長さの剣を下ろして、ベルト毎エイダンに渡した。両手の甲に巻いていた巻布も解くと、エイダンはそれも受け取って、洗濯室へ置きに向かった。
私は、持っていた麻袋をソファーの横に置くと、ううん…と背伸びをして、ソファーに座った。麻袋には、今回の報酬が入っている。
「フレイヤは、まだ別の仕事があるのか?」
「はい。一緒に帰ってくるつもりだったのですが、帰りに寄った斡旋所で、かなり払いの良い仕事があったのです。私には、まだ難しいからと、お母様だけでその依頼を受けましたので。私は一足先に帰って来ました。ですが、そんなにかからない仕事みたいでしたよ。恐らく明日か明後日位には、帰って来ると思います。」
「そうか、分かった。メイジー、お前もゆっくり休みなさい。それと、大事な話がある。」
「メイジーさまー、紅茶をどうぞー!アイスティーにしましたよ!」
お父様が、真面目な顔で私に向き直った時、エイダンが紅茶を淹れてきてくれた。
「ジルが、お前の結婚相手を見つけてくれた。早々に、籍を入れる。先方も、ガルシア家の事情を理解してくれていてな……了承済だ。」
リビングのテーブルに3人で座り、エイダンが淹れてくれた冷たい紅茶を飲みながら、お父様が口を開いた。お父様の隣の席で、エイダンも紅茶を飲みながら、嬉しそうにしている。と、いう事は、エイダンからみても良縁なのだろう。
「お姉様……本当に、見つけて下さったのですね。」
ジゼルお姉様は、いつもいつも、私の事を心配してくれている。そして、私を軍に取られない様にと考えたお姉様は、私をガルシア姓で無くす事を思い付き、まだ子どもの私と籍を入れ、私が成人するまで待ってくれる……そんなガルシア家にとって都合の良い、貴族家の嫡男をずっと探してくれていたのだ。
「ああ。相手だが、お前も良く知っているだろう?オーウェンだ。」
お父様の言葉を聞いて、私はパッと顔を上げた。
「オーウェン……まさか、あのオーウェン様なのですかっ⁈」
「そうですよ、メイジー様。そんなに驚くお相手ですか?」
「メイジー……まさか不満があるのか?悪いが、もう仲人も決まって───」
お父様とエイダンは、私の反応を見て、少しうろたえた。もう仲人まで決まっているのか……
「いえ、不満等はありません。まさか…国内の方だとは思わなかったものですから…ガルシア家の事情を知った上で、特に何のメリットも無い私との結婚を承諾する相手となると、一体どんな方なのかと───」
「確かに…メイジー様が、その心配をされるのも、理解出来ます。ですが、お相手はオーウェン・ミラー子爵子息様です。私も安心ですよ。」
エイダンは私と自分に、紅茶のおかわりを注いだ。
「オーウェン様は……私も面識がありますし、泥酔したお姉様を、何度も無事に、家まで送り届けて下さっていますので、私は全幅の信頼を置いております。そして何より、お姉様の同窓です。お父様、エイダン。私は、オーウェン様の家に嫁ぎ、必ず、ミラー家に報いる様、努力します。」
「必ず、そうしなさい。ミラー子爵家の領地は、ガルシア家程ではないが大型の虫の被害が多い。近く、フレイヤと一緒に、駆除に行ってあげなさい。」
「はい、お父様。」
「メイジー様。ミラー伯爵家は、入籍を済ませた後、メイジー様が成人するまで、挙式等もお待ちになって下さいます。メイジー様は、それまで、変わらずにガルシア家でお過ごしになりますが、既に淑女として、礼儀作法も完璧です。私が、保証します。いつ嫁がれても問題ございませんよ。」
「ありがとう、エイダン。」
「その部分について、ジルベール様も……ほんの少しでも、メイジー様の様にお出来になれば安心なのですが……」
エイダンは、いつもの小言をいいながら、眉尻を下げた。
「エイダン……私は、軍人にもならずに、国内の良く知った方と、結婚も決まった。だけど……だけど、お姉様は?どうなるの?ジゼルお姉様は、このまま───」
「メイジー様………」
お姉様は……このまま、ずっと軍に───
「メイジー、」
お父様が、何か深く考える様に、口を開いた。
「ジルは、お前が思っているよりも、強い人間だ。あの子なら、必ず、自らの力でガルシア家を救う事が出来る。」
「お父様は、いっつもそう言うけど、ガルシア家ガルシア家って、家は関係ないのよっ!私は、お姉様自身の事を───」─バンッ─
───カラカラカラ……ヒヒーンッ───
私が分からず屋のお父様に向かって、テーブルを両手で叩き、身を乗り出した時、庭の向こうから馬のいななきと、馬車の音が聞こえた。窓の外に、何やら立派な馬車が、数台停まっているのが見える。
「あれは、ジョセフの所の馬車だな……」
「アイゼン家──旦那様、もしかして、メイジー様の仲人の件では⁈ジルベール様から届いた追伸のお手紙だと、アイゼン家が仲人を申し出てくれたのでしたよね⁈本日お約束していらっしゃいました⁈」
「いや、約束をした記憶はないが……」
「お父様っ、エイダン!あの、紺色のドレスの人は、ジゼルお姉様じゃない⁈銀色の髪よっ!」
「えぇ?あのジルベール様が軍服じゃなくてドレスを……?そんなはずは───」
「いや、ジルだな。信じられん。あの子が……」
「と、とにかく!メイジー様!いそいでワンピースに着替えて来て下さいっ!傭兵稼業の服装をジルベール様に見られたら、大騒ぎになりますよっ!お着替えが終わったら、髪を結いますからね!」
「そうだったっ!急いで着替えて来るねっ!」─ドタドタドタ…─
「旦那様、何やら凄い量の荷物を荷馬車から下ろしていますよ⁈仲人って、花嫁側に、あんなにプレゼントを持ってくる慣習でしたっけ⁈」
「知らんっ!とにかく急いで支度を……ああっ!メイジー!こんな床の上に麻袋を置きっぱなしにして……エイダン片付けてくれっ!」
「承知しましたっ!これで領地の獣と虫の駆除は、暫く大丈夫そうですね。道路の補修も出来そうです。あぁ……急いでお茶を入れなくては……!」
「あと廊下の奥に、メイジーの剣がチラッと見えてるぞっ!私は玄関先に出て、足留めをしておく。準備が整ったら言ってくれ!」
「助かります旦那様っ!」
急な来客により大慌てとなったガルシア家は、見事な連携プレーにより取り繕った。
「ジキル殿、ご無沙汰しております。申し訳ありません、お約束も無く、急に押しかけまして───」
「構わないよ。久しぶりだね、ルーカス。ジョセフから家督を継いだそうじゃないか。立派になったなぁ。」
「お待たせしました、ルーカス様!さぁ、リビングへどうぞ!御者の皆様も、宜しければあちらのお部屋でお寛ぎ頂いて構いませんので。」
「エイダン殿、お気遣い感謝いたします。今日お伺いした件ですが、この度御息女のご結婚おめでとうございます。婚姻に際して仲人を───」
「メイジー、」
大人達がにこやかに話しながらリビングに入ると、御者の人達と一緒に、玄関に荷物を運び込んでいたお姉様が寄って来た。
「お姉様っ!」
私が抱き付くと、お姉様は笑顔で私を抱え上げ、くるりと体を一回転させた。私のワンピースと、お姉様の紺色のドレスの裾が、ふわりと広がった。
「ただいま、メイジー。」
お姉様の髪は、左右を綺麗に編み込まれ、紺色の花の髪飾りで留められている。気のせいか、お姉様はいつもより柔らかい表情に見えた。普段は目の下にくまがあるけど、それも無い。
「お姉様、そのドレス、とっても素敵!紺色は初めて見るけど似合ってるよ!」
「ありがとう、メイジー。ここ数日、アイゼン家でお世話になっててね。アイゼン家の人が用意してくれたんだ。メイジーが褒めてくれるなら……ちょっと自信持てたかも!」
「誰が見ても、褒めてくれるよ!」
「メイジー…ふふ。あのね、父上から聞いていると思うけど、オーウェンがね、メイジーと───」
「結婚してくれるのでしょう?聞いたよ!」
「うん。そうなの。メイジーは、まだ子どもだから、戸惑っているかもしれないけど…オーウェンはね…悪い人じゃないし…きっと上手くいく。王命からも、逃れられると思う。」
「お姉様……」
「きっと大丈夫。父上達に呼ばれるまで、あっちの部屋で、お茶でも飲みながら2人で話そう。私、淑女のメイジーにね、相談したい事もあるんだ!」
「お姉様が私に……?もちろん!どんな相談でもお任せ下さいっ!」
私が胸をドンッと叩くと、お姉様は笑って、キッチンにお茶を取りに行った。きっと、私が注がないとあふれさせちゃうんだからな。お姉様は。
だけど、飲みづらい程、カップいっぱいに注がれた紅茶も、私は大好きだな。
───ノアさま……───
「ジゼル………」
リソー国軍の軍事基地、自身の執務室で机に座りながら、ノアは深くため息を付いた。
気を抜くと、ジゼルの白く柔らかな身体が、自分の名を呼ぶ愛らしい声とともに脳内で再生され、仕事にならない。
ベッドで抱きしめた、酒くさい彼女の身体は温かく、柔らかな肌にそっと口を寄せると、くすぐったがる様に身を捩り、微笑みながら抱きしめ返してくれる。そして、若干呂律の回らない声で、名前を呼んでくれるのだ。
そうされる度に、自分が何か、価値の有る生き物の様に思えた。
ずっと、ずっと……あのままで居れたなら──
今朝、兄上に起こされてから家を出るまで、客室の外では何だか気恥ずかしく、彼女の顔を直視出来なかった。
数時間前までは、間違い無く天国にいたのに。
今朝、彼女を残し家を出てから、俺は一体何故、こんな所に来ているのだろう……一刻も早く、家に戻りたい。
「早く帰って続きを───いやしかし、しらふに戻ってしまった今、果たして抱かせてくれるのか………」
「……佐、アイゼン少佐!」
顔を上げると、補佐官がこちらを見下ろしながら立っていた。
「………俺は……どうして…………」
「アイゼン少佐……激務で狂われてしまったのですね。お労しい限りです。ですが、最近軍務のペースが落ちてしまっていますので、午前中に机上の書類だけでも、処理して下さい。」
「……帰りたい………」
「通常、お一人でこなす仕事量で無いと、存じます。特科連隊長も兼任されていますから…ですが、やってもらわないと、こちらも───」
「あ、補佐官殿。申し訳無いが、明日は休暇を取る。」
「ちょっとあんたっ!人の話聞いてた⁈」
「彼女がイメージモデルを務める、このイベントに赴く予定なのだ。」─チラシをスッ─
「えっ……あぁ、ジルベール軍曹の…広報部の仕事ですか?そちらも兼任されていらっしゃるので?承知しました……お忙しいですね。広報部の仕事は、貴重な財源ですからね。」
「こういったイベントは、経験が無く……後学の為にも見ておきたい。」
「そうですね。多少息抜きにもなるかもしれません。ご不在の日の、スケジュール調整はしておきますので、ごゆっくり見学なされて下さい。」
「ありがとう、補佐官殿。」
「しかし……それにしても、今回のポスターは過激ですね。」
「同感です、補佐官殿。多少広報部に意見しようかと──」
「それが宜しいです。是非、露出を控える様にご意見お願いします。」
「ああ。」
ノアは、ジルベールとイベントに行くため、雑念を振り払い、再び机に向かった。




