5.だめであります。
私の入軍が決まった時、普段穏和な父は怒り狂い、普段そこまで温和でない義母も怒り狂っていた。
せめてどちらかには泣いてほしいなーと、子どもながらに思った気もするが、息子の戦死報告と同時に告げられた、非情とも思える王命に、涙も枯れてしまったのだろう。
背けば家は取り潰される。断る事など出来ない。それでも義母は、最後まで入軍に反対してくれていたのを覚えている。
入軍する時に、正式な名前をジルベールに変えた。特に変えなくても規律上何の問題もないのだが、そちらの方が早く馴染める気がしたし、早く諦めも付くと思った。
今では前の名前は、家族以外では、私の境遇を知る親しい友人が使う、愛称の様なものだ。ただ、改まって前の名前を呼ばれると、優しくその名を呼んでくれた兄の事を思い出す。
傷も治り、今日からまた出勤だが、軍の入口まで来ると、当然の様に取巻きの女性達がいる。元気そうで良かっただの、相手を呪ってやるだの聞こえる気がするが、いつも通り笑顔を向けると、弾ける様に喜ぶ彼女達に元気をもらえる。お願いだから、呪うだの物騒な事だけはしないで頂きたいものだ。女性の恨みは時に恐ろしい。
守衛の男が出てきて、ご無理はなさらないで下さいね、と労われた。同時に門がガラガラと上がっていき、私は中に入った。
今日は、病み上がりという事で、特に必須の仕事はないのだが、偵察班の上官から、執務室に呼ばれている。おそらく私が倒れた件で、穏便に対応する様に、とでも言われるのだろう。こちらも特に、事を荒立てる気など無い。疑いが晴れれば、それで十分だ。
考えをめぐらせ、門を潜ってすぐに、後ろから呼び止められた。
「ジル!」
「モナ、来てたの!」
薄黄色のドレスを着たモニカが、こちらへパタパタと笑顔で走ってくる。
「元気そうで良かった!今日出勤するって聞いたから来たのよ!」
私はモニカの右手を取り、手の甲へ軽く挨拶のキスをした。
門の外で見ていた取巻きの女性達から、キャー!という歓声…なのかな?…が上がる。
「もう、堅苦しい挨拶はいいのよ!」
「一応軍の中だからね。それでなくても、挨拶位はちゃんとさせてよ。それに、来るなら家に来てくれれば良かったのに。」
「そうしようかとも思ったのだけど、あなた、アイゼン大尉のお父様に呼ばれてるでしょう?私も同席したいと思って。」
モニカが声を潜めて話してくる。
「えぇっ!」
「聞いてないの⁈全くもう、来てよかったわ!私があなたの件をお父様に言いつけたから、アイツの父親の耳にも入ったのでしょ。アイツの父親、確か軍の中将なんでしょう?」
「モニカ、さらっととんでもない事を…なんだか出勤したく無くなってきたな…」
「何言ってんのよ!ジルは一つも悪くないんだから、ビシッと謝らせるのよ!私も一緒にいてあげるからっ!!」
モニカは拳を握り、気合を入れている。
「いやいや……一緒にいてもらいたいのはやまやまだけど、そうなると、一般市民のモナが同席するのはまずいんじゃ…」
「まずくはないわよ!私は淑女代表として同席するんだから!」
モナが独自の見解を説き出した時、軍の建物の方から、聞き覚えのある声がした。
「ジルベール・ガルシア軍曹」
「!!?」
私とモニカは固まった。
建物の方から、いかにも軍人、という歩き方をして近づいてくるのは、アイゼン大尉だ。
門の外からは、野次の様な声が聞こえる気がする。呪いの言葉でない事を祈るばかりだ。
そして、大尉が手に持っている、白いものは何だろう…何かの容器の様に見えるが…良く義母が、余った食材なんかを保存するために使っている、あの容器に似ている気がする。
「これはモニカ・ベネット公爵令嬢、ご機嫌麗しく存じます。」
全く感情の感じられない声色で、アイゼン大尉がモニカの右手を取ろうとした。
「私はここでは部外者ですから、堅苦しい挨拶は不要ですわ」
モニカはそう言って、右手をさっとアイゼン大尉から離してしまった。
モナ、さっきまで淑女代表だと言ってなかったか?いつから部外者になったんだ。
私はアイゼン大尉とモニカのやり取りを、呆気に取られて見てしまい、敬礼が遅れた事に気づいた。慌てて正面を向き、敬礼する。
「失礼しました。大尉。」
「いや…ガルシア軍曹。楽にしてくれて良い。」
「はっ。」
私は正面を向いたまま素早く両足を肩幅に開き、両腕を後ろ手に組む姿勢を取った。
「……そういう事では無いのだが……」
じゃあ一体どういう事なんだ。あぐらでもかいて良いと言うのか。
「アイゼン大尉、ジルに何のご用ですの…?」
モナが、やや不審者を見る様な目で大尉を見る。
アイゼン大尉の、深い紺色の髪と、深い紺色の瞳は、光の加減で深い黒に見える。
吊り目がちだが、長いまつ毛に縁取られた紺色の大きな両目は、くっきりとした二重のせいで、余計に眼光が鋭い。
短く整え、後ろに撫でつけられた髪、細身だが、しっかり鍛え抜かれた身体、身長は190cm位か。
敵兵として出会したなら、私は速攻で逃げるな。
アイゼン大尉は、世間的には整った容姿なのだろうが、いかにも軍人、という出立ちが、私はかなり苦手だ。まあ、ここは軍事基地なのだから、こんなのばかりではあるが…
私が姿勢良く正面を向いたまま黙っていると、アイゼン大尉が口を開いた。
「ジルベール・ガルシア軍曹、先日は要らぬ疑いをかけた。」
「問題ありません、大尉。」
軍隊式に、アイゼン大尉に視線を合わせず、正面を向いたまま直立不動ですぐさま答える。
「……怪我はもう良いのか?」
「自分の落ち度であります、大尉。」
「……そうか。」
紺色の瞳が、何か聞きたげに揺れた気がしたが、それよりもモナのイライラをひしひしと感じる…今にも爆発しそうなのだが、この人は恐らく、それを全く感じ取っていない様だ。
もう何だか分からないが、言いたい事があるなら言ってくれ!私はもう気にしていないし、問題無いと答えただろう!
「ガルシア軍曹。」
「はっ。」
「その……ジゼルと呼んでも構わないか?」
その申し出に私は石の様に固まり、モニカは一瞬ポカンとしたが、すぐに激昂して叫んだ。
「いっ、良いわけないでしょー!!あんたどういう思考回路なのよっ!恐いわ!!」
「いや、もちろんプライベートでの話だ。」
「当たり前でしょ!いや、当たり前でも無いけどっ!何なのよあんたっ!もう散れっ!シッシッ!!」
モニカが、野良犬でも追い払う様な仕草をする。
モナ、それは人間だぞ。
私は、とても軍人とは思えない小さな声で、
「だめであります。」
と答えるのが精一杯だった。