82.刃渡り20センチ
リソー国、ジルベール達が配属される軍事基地で、応接室へ続く廊下を、1人の軍人が歩いていた。軍の総務課に属する彼は、今から武器商と商談の予定があり、応接室へ向かっている所だ。
足早に向かう途中、廊下の奥に、知り合いの影が見えた。
「おーい!リー!」
呼び掛けながら手を振ると、声を掛けられた知り合いは、振り向き立ち止まった。そして、右手をこちらに上げた。
ウィリアム・リー中尉。偵察班出身の彼は、特科連隊情報中隊を持つ中隊長で、諜報部からの依頼も、良く受けている軍人だ。仕事柄多忙で、彼への来客も多い為、応接室付近で、たまに顔を合わせる。将校だが、気さくで話し易く、部下の素行に頭を抱える苦労人だ。
「リー、お疲れ様!来客と打ち合わせか?」
「あぁ、お疲れ様。」
リーは、柔らかく微笑んだが、やはり多忙なためか、疲れている様だ。
「疲れてるみたいだな、リー。どうだ?暇なら今日飲みに行かないか?一杯奢るよ。」
「ありがとう、だけどな、今俺の中隊が、野営訓練期間なんだよ。いろいろと忙しくてな……」
「そう言えばそうだったな!それで疲れてんのか。仕方ないなぁ、それは───」
「隊の野営訓練が明けたら、また誘ってくれ。お前が奢ってくれるって言った事、忘れねぇからな!」
「あはは、お前は───」
応接室棟へ並んで歩きながら、俺はリーの肩を叩いた。
「そういえば、リー。俺は今から武器商と商談なんだが…」
「武器商───って事は、ベネット家が来るのか?」
「もちろん。今日は、アルバート殿と商談だ。それでさ、今回、結構新型を紹介してもらう予定なんだよ。ここ暫く、更新が無かった武器も、新型を持って来てくれるらしい。お前の中隊と、偵察班で使ってる武器類、優先的に仕入れてやるよ!」
「本当か⁈助かるよ。今、新兵が中々育たなくて、苦労してるんだ。武器が全てとは言わないが、扱い易いものに越した事は無いからな。」
リーは、安堵の表情を見せた。
「確か小型の軍刀も、商談のリストに入っていたよ。偵察班で、利用者多かったよな?お前は忙しそうだから……今日ジルベールが来てるなら、試しに使ってもらって意見を聞きたいが、どうだ?弓類もあるんだよ。」
「悪いな、ジルはあと数日不在なんだ。」
「え?野営訓練中なんだろ?まさか……また、何かあったのか?」
リーの部下で、恐らくは将来的にリーの後任になると思われる、ジルベール・ガルシア軍曹は───リー曰く、素行が実力に合っていないため何年後になるか分からない、らしいが───最近、事故で医務室送りになったばかりだ。
何でも、普通科連隊長のアイゼン少佐に、軍務の話で執務室に呼び出された際、滑って転んで、鋭利な机の角で頭を打ち、打ち所が悪く、肋にひびも入ってしまったとの事だ。
この件に関しては…アイゼン少佐が故意にやったのでは、という見方が圧倒的に多く、特にジルベールの境遇に同情している者達は、揃ってアイゼン少佐を、親の仇の様な目で見ている。しかし、ジルベールの素行を知る俺達みたいな軍人からすると、故意だったとしても、素行の悪さを正されたのでは…と思わずにはいられない。一部では、前にジルベールがオーウェンと組んで、紫煙草を使ってしでかした件を、またやろうとして粛正されたと噂されているのだ。
あんな事を、平気でやる奴だからなぁ。ジルベールの奴は、独房の見張りを買収し癒着しており、独房送り程度ならなんとも思っていない。ここ数年は、「耳が無いなら ジルベールに金を積め」とまで言われている。全く、なんて言い様だ。標語じゃあるまいし。まぁ、それ位ぶっ飛んだ思考じゃなけりゃ、こんな仕事、やってられないのかもしれないが……正直、軍人令嬢として市民に持てはやされているのが、素性を知っている者からすると笑えてくる。応援はしているが……
アイゼン少佐が、あの後すぐ、特科連隊長も兼任になったのは、広報部と共に軍人令嬢として活動するジルベールの素行の悪さが、市民に知れ渡らないよう監視する為なのだと、俺は見ている。広報部の収入は、貴重な財源だからな。
連隊長のアイゼン少佐は、仕事ばかりで高位貴族のくせに婚約者もいない。ジルベールと、監視ついでに仕事の延長で結婚でもするんじゃないかと、最近揶揄されている。何でも、軍の正門でキスしていたり──何がどうしてそういう状況になるのか、疑問だが──食堂で仲良さそうに食事をしているのだと、噂になっているのだ。あくまでも、噂は噂だが。
「いや、今回は何もねぇよ。それどころか、ジルにとって、嬉しい話なんだ。」
しかし、俺の予想に反して、リーは嬉しそうに微笑んだ。
「そうなのか⁈どんな話なんだよ。」
「実は…ほら、ジルの妹と、オーウェンが結婚する事になっただろ?まぁ、まだ籍を入れるだけだが。」
「ああ、それは知ってる。」
「アイゼン家に…仲人をしてもらえる事になったんだよ。それで、手続きや、いろいろと話をしたいからって、ジルはここ数日、アイゼン家に呼ばれているんだ。アイゼン少佐のお兄さんのさ、ルーカス殿からそう言われたんだよ。」
「何だって……!それは驚いたが……けど、良かったじゃねぇか!高位貴族家に、仲人をしてもらえるのとそうじゃ無いのでは、全く違うからな。」
「ああ。本当その通りだよ。アイゼン少佐が、厚意で申し出てくれたらしい。」
「そうなのか。あの人、意外と人情があったんだな……リー、お前も安心したろ?」
「ああ。これで、ガルシア家の王命が無くなった訳じゃねぇけどさ……自分の事の様に、嬉しいよ。」
リーは、真っ直ぐに廊下の方を見ながら、瞳を潤ませた。
「リー……俺も、嬉しいよ。」
リーは俺を見て笑った。なんだかんだ、苦労しているからなぁ。リーも、ジルベールも。
商談予定の部屋の前まで来て、飲みに行く約束をしてから、リーと別れた。
「あぁっ!申し訳ありません!お待たせいたしました。」
応接室には、すでに武器商のベネット公爵子息、アルバート殿がソファーに座って待っていた。
「お疲れ様。いいよいいよ、気にしないで!予定より、ちょっと早目に着いてしまっただけだからさ!」
「すみません、早速お願いいたします、アルバート殿。」
武器商のアルバート殿は、相変わらず愛想の良い、フランクな笑みを浮かべて、笑っている。いつ会っても、本当に人当たりの良い人なんだよなぁ。公爵だってのに、全然高圧的じゃないし。
「じゃあ、まず、この辺から見てもらおうかな。」
部屋には、事前にアルバート殿から軍に送られて来た、商談用の武器を並べていた。それを一つ手に取って、アルバート殿は、新商品の解説を始めた。
「いやぁ、毎回そうですが……素晴らしいですね、アルバート殿。技術の進歩という物は……」
総務課の軍人は、目を輝かせ、手にしていた新型の弓をテーブルの上に置いた。
「貴方にそう言って頂けて、光栄ですよ。」
アルバートは微笑んだ。
「あと、この軍刀なんだけど───」
アルバート殿は、そう言いながら、小型の軍刀を差し出した。下士官以下の希望者に支給している、短剣の新型だな。偵察班に、愛用者が多い。出来れば、リーか、ジルベールに直接見てもらいたかった。
「このタイプの軍刀は、あまり本数が出ないからね。新型に更新出来ていなかったんだけど、今回対象に入れたんだ。」
「ありがとうございます、アルバート殿。少し、長くなっていますか?」
「そう!刃渡りを18センチから20センチにして、全体の重量は、以前の重さを維持してる。扱い易くなってると思うよ。単価は……これだね。」
アルバートはテーブルの上の書類、単価表の金額の欄を指差した。
「えっ……アルバート殿、私が言うのもなんですが、安過ぎませんかね?この小型の軍刀は、量産が出来ないタイプでしたよね?」
提示された金額は、あまりに安かった。さすがに不安になり、アルバート殿に聞き返したが、彼はニコニコと笑っている。
「そうだったんだけどね、同じサイズの材質違いを、一般用にも販路を見つけて販売する事にしたんだ。同じラインで量産出来るから、前より安くなってるんだよ。」
「そうなのですね……ありがとうございます。このタイプの軍刀は、下士官以下の特定の部署が、主な使用者で……私としても、更新したかったのですが、利用者が少ないと予算を取るのが難しかったのです。この金額なら、助かります……!」
「良かったよ、お役に立てて。じゃあ、後日、各商品の購入数をここに記入して、連絡を───」
───バンッ───
「!!」
注文書について、アルバート殿が説明し出した時、いきなり応接室の扉が開いて、誰かが入って来た。
「君───」
アルバート殿も、驚いて目を丸くしている。
「アイゼン少佐………」
ノックも無く部屋に入って来たのは、先程リーとの話題に出たばかりの、アイゼン少佐だった。黒い佐官の軍服、軽く後ろに撫で付けられた紺色の髪、一言の挨拶も無く、無愛想にツカツカと、アルバート殿の横に来ると、顔をしかめて腕組みをし、彼を見下ろした。
さすがに、アルバート殿に失礼だ。リソー軍は、いつも良心的な値段で、武器を卸してもらっているのに───
「ちょっと……アイゼン少佐!いきなり何の御用ですか⁈今は商談中ですよ⁈」
声を掛けたが、アイゼン少佐はそれを無視してアルバート殿を睨み続ける。アルバート殿も、立ち上がり、同じ様に腕組みをして、アイゼン少佐を睨み上げた。上を向いた時に、彼の線の細い、綺麗な金髪がサラリと揺れた。
「御二方とも、いったい……す、座って下さいっ!」
顔を近づけ、目と鼻の先の距離で、アイゼン少佐とアルバート殿は睨み合っている。
「………食事は、済ませたからな。」
「はぁ?」
暫く間が合って、アイゼン少佐が先に口を開いた。しかし、内容はよく分からない。アルバート殿は分かるのだろうか。そもそもこの2人は知り合いか?アイゼン少佐の発言を聞いて、アルバート殿は眉間に深いしわを寄せた。
「ジゼルと、家で食事をした。俺の両親と共にな。彼女は…それはそれは喜んでおり、もはやこのままここに住みたいと言う程であったという。」
「急に現れたと思ったら……何なんだ君は──」
「ジゼルは、俺の家……いや、俺の部屋で、ここ数日は過ごしている。」
「だったら何だ。」
「羨ましいか?」
顔を近づけ合ったまま、アルバート殿は、普段からは想像も出来ない形相になった。
「ジゼルには……紺色がよく似合う。全身な。」
「チッ……クソが。取り潰すぞ、侯爵家がよぉ…」
「アイゼン少佐っ!何だかよく分かりませんが、お引き取り下さいっ!何度も申し上げますが、商談中なのですよ⁈」
さすがに我慢出来ず声を張り上げると、アイゼン少佐は、テーブルの上に置かれていた、新型の小型の軍刀をガシッと掴んだ。
「えっ、アイゼン少佐、あの───」
「じゃあな、既婚者。ジゼルには会うなよ。」
「おいっ!それをどうするんだっ!」
「アイゼン少佐っ!それはまだ購入前で……ちょっと!待ちなさいよっ!少佐っ!少佐ーっ!」
───バンッ……スタタタ───
事もあろうに、アイゼン少佐は、購入前の小型の軍刀を、持ち去ってしまった。
「くっ……何て奴だ……あんな奴がジルと───」
頭を掻きむしりながら、アルバート殿は目を見開いている。
「アルバート殿、この度は、誠に申し訳ございません。大変な失礼を………」
「あの……小汚い侯爵家の泥棒猫がぁっ!!」
「泥棒……そ、そうですよね…まだ代金をお支払いしていないと言うのに…先程持って行かれてしまった、軍刀の代金は、今すぐに支払いますので…ど、どうかお許し下さいっ!」
「あの野郎ーーーっ!」
「申し訳ございません、申し訳ございませんーっ!」
─────────
一方その頃、アイゼン家
「どれも、美味しいわねぇ〜!」
「普段、お菓子なんて、あまり買いませんからね。たまには流行りの物を沢山買って、家の皆で食べるのも良いかもしれませんね、母上。」
昼前のアイゼン家のリビングには、ノアがジルベールに買って来た、大量のお菓子や、パン、ケーキ類が並べられていた。ジルベールは、アイゼン侯爵夫人と、ルーカス夫妻、リアムとジェイミー、そしてアイゼン家で働く使用人達と一緒に、お茶を片手にわいわいと、それらを食べていた。
「ジル、悪いね。僕らまでもらっちゃって!」
ルーカスは、ケーキを頬張りながら、ジルに話し掛けた。
「いえ、そんな。一人では、食べきれませんから。それに少佐も、皆で食べて欲しいと言っていました。きっと、元々その為に、沢山買って下さったのではないでしょうか。」
沢山のお菓子にはしゃぐリアムとジェイミーを見ながら、ジルベールは微笑んだ。
「ノアが……あの子が、誰かの為に街で買い物をするなんて。信じられないわ。そんなの、まるで、真人間みたいじゃない……うぅ……」
「母上、言い過ぎですよ。泣かないで下さい。」
ルーカスは、感動して涙を流す母親の背中をさすって、ため息をついた。
「ジゼル、それは何?クッキー?」
ジルベールが、ぽりぽりと食べているお菓子を、リアムとジェイミーは興味深そうに見た。
「ふふ。これはね、ノードレド地方のお菓子だよ!稲科の種子で、もちもちした品種を原料に作るもので、確か名前は…オ…オカキ?だったかなぁ?」
ジルベールの口の中で、サクッと音がした。リアムとジェイミーも、続けて頬張った。
「美味しいっ!塩気があって、止まらないねぇ!」
「東方のお茶にも合うよねぇ。」
「あはは!2人とも…大人みたいな感想だなぁ。」
ジルベールは吹き出し、双子は一口サイズのそれを、ぽりぽりと食べ続ける。
「え?なになに?オカーキー?ジル、僕にもちょうだい!」
「こっちに沢山ありますよ。色んな味の種類があります!」
「あら本当、美味しいわね。オカーキー。ソフィアさんも食べてみて!」
「オカーキー、街で密かに人気だと聞いた事があります!美味しいですね!」
「オカーキー……発音、どうだったかな?忘れちゃったけど……美味しいな、ノードレド地方のお菓子も…他のお菓子も、全部……」
まだ客室に、山積みになっているプレゼントの事を考えながら、ジルベールは口の中で、サクッと軽い音を立てた。
まさか、自分が原因で、軍で泥棒騒ぎが起こった事は、これから先知る由もない。
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不慣れな点が多く、時折改稿をしながらの投稿をさせて頂いています。
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