78.言葉が無くても
「きっと、とても喜ばれると思いますよ!うちの店は、季節に合わせて、種類も豊富なんです。また買いに来て下さいね!こっちの色も珍しいでしょう?暖かくなったら、こういった品種のものも───」
店を出るまで、店員は愛想良く説明を続けていた。少々騒がしいと思ったが…見繕われたものは、確かに喜ばれそうだ。
「待たせたな、フレデリック。」
店の前で、フレデリックは大人しく待っていた。既に日は落ち、アイゼン家では夕食が始まっているだろう。
軍から続く市場を抜け、閑静な街の石畳の上をフレデリックに乗ってアイゼン家まで向かう。もう、さほど遠くない。オレンジ色の街灯が、ぽつぽつと灯り出した。
「連日すまないな、フレデリック。」
『気にするな。別に、そう遠くない。』
「何だ?返事をしてくれるのか。珍しいな。」
『………ノア、』
街灯が灯り出した街は、夕方から店を開ける食堂や酒場で、昼間とは違った賑わいを見せ始めている。仕事を終え、食堂に入る人々の、笑い声が聞こえ出し、店からは、何か肉を焼いた様な、良い匂いが漂って来る。
ジゼルは…こういった店も、好むのだろうか。
『お前は最近、やたらジゼルという女の話をしていたな。正直俺は……ついにお前は気がおかしくなったと、そう思っていた。子どもの頃から戦争に明け暮れ、社会に絶望したお前が無意識に作り出した、存在しない理想の女なのだと…多少、お前に同情もしていた。哀れな奴だ、と………』
「フレデリック、腹が減ったのか?良い匂いがするからな。ジゼルは今頃…兄上達と夕食を食べているのだろうな。」
『だが、話が変わった。本当に、存在する女だったのだな。その、ジゼルという人間は、ベーコンチャンの主人だろう?』
「俺も…ジゼルと一緒に夕食を食べたいと思うのだが…彼女は、どう思うだろうか。」
いつもあまり鳴く事の無いフレデリックだが、昨日から、何故かよく鳴いている。
『俺は、今度ベーコンチャンと会ったら、彼女の恋人になる。お前もさっさと、その女を抱いてしまえ。そして、その女と共に暮らすなら、俺も連れて行け。俺は軍の厩舎ではなく、ベーコンチャンと暮らしたい。』
「謝罪したとはいえ、彼女が許してくれているのか、分からない。俺が夕食に同席したら、不快に思うのではないだろうか……」
『………そんな事は知らん。馬に聞くなよ。とにかく、お前が軍人である以上、俺は軍馬であり続けてやる。だから、俺をベーコンチャンと共に居させてくれ。これからの時間を、彼女の側で、俺は生きたい。』
「やはり…今日はまだ、同席しない方が良いのだろうな…」
『よく分からないが…人間というのは、どうしてそう複雑に考えるのだ?さっさと抱いてしまえば良いだけの話だろう?もたもたしていると、他の奴に取られるぞ。早い者勝ちだからな。』
「フレデリック…お前は、何だか楽しそうで良いな。」
『あぁ⁈ノア、てめぇ振り落とすぞ⁈』
「おい、どうしたフレデリック⁈ちゃんと歩いてくれ!揺れてるぞ⁈」
『ベーコンチャンとは、あれ以来会う事も叶わない。そうしている間にも…他の馬に取られでもしたら…いや、他のロバかもしれないっ……!そんな事があってたまるかっ!だが、俺一人の力では、どうにも出来ない……俺が今、どんな思いで毎日過ごしていると思っているんだっ!!』
「フレデリック…!落ち着けっ!うわぁっ!!」
フレデリックは、唐突に両の前脚を高くあげ、声高らかにいなないた。興奮しているのは、側から見ても明らかだ。
黒い体に、そのたてがみも、闇夜に劣らぬ様に暗く輝いている。
軍服のノアが乗っている事も重なって、街の通りの目を一気に引く事となった。
そして、通りかかる人々は、暴れるフレデリックを止めようと駆け寄って来た。
「おいおい軍人さん、こいつはあんたの馬かい⁈これまた酷い暴れ様じゃないか!」
「いやー!立派な馬だね!羨ましいよ。どうどう──」
「本当にねぇ。うちにもいたら仕事が助かるのに。しかし、どうしてこんなに興奮しちまったんだい⁈」
「ヒヒーンッ!」
「すまない、普段大人しい馬なのだが………」
ノアは懸命に手綱を引くが、フレデリックは、ノアを乗せたまま、前脚を上げ暴れ続ける。通行人も抑えようとするが、フレデリックの力は強く、なかなか抑えが効かない。
「おやおや、立派な軍馬があばれてるよぉ。俺も手伝おう!」
「ブルル……」
「…………!」
そこへ、ロバに荷車を引かせた商人が通り掛かり、手伝おうと寄って来ると、フレデリックはそのロバを見て、動きを止めた。
「あら、大人しくなったねぇ。」
「大勢に囲まれて、我に返ったのかね。」
「わはは!まぁ、どちらにせよ、良かった良かった!」
「申し訳ない、心配をお掛けした……」
ノアはフレデリックから降り、通行人達も一安心だと笑い合った。
「ヒヒン………」
「ブルル、ブルルル……」
「おや、軍人さんの馬、荷車引きのロバと話してるみたいだね。」
「本当だねぇ。やっぱり動物同士がいいんだろうかね。」
「珍しいな、フレデリック……」
荷車引きのロバに近寄り、静かに鳴き声をあげるフレデリックを、通行人達は優しく見ると、またノアに視線を移した。
「軍人さん、その手に持ってるものを見ると、これからデートかい⁈」
「いいねぇ、若いって!あんたもてるんだろ〜?」
「バカ、お前、この軍人さんは貴族だよ!だったら婚約者に会いに行くのさ。なぁ⁈そうだよな!」
「まぁ……そんな所だ。」
「あらあら、照れちゃって。」
「ヒヒン!」
「ブルルル。」
「婚約者は可愛いのかい?」
「ああ。」
「あー、やだやだ、即答しちゃって!」
「あはは!軍人さん、あんた意外と尽くすタイプみたいだねぇ!」
「わははは!」
ノアは通行人達に、背中をバシバシと叩かれた。
「迷惑を掛けたお詫びに、良かったら貰って欲しい。」
ノアは、フレデリックに積んでいた革の荷物袋から、数種類の酒瓶を取り出し、通行人達に配った。
「軍人さん良いのかい?なかなか良い酒だよ⁈」
通行人達は、渡された酒瓶を皆一様にしげしげと眺めた。
「構わない。また買えば良い事だ。それに……」
「それに……?」
通行人達は、もらった酒瓶を大事そうに握りしめたまま、言い淀んだノアを覗き込んだ。
「彼女の為に買ったのだが……好みの物かどうか、分からないんだ。」
通行人達は、目を丸くした後、一斉に笑い出した。
「わははは!そうかいそうかい!そうなのかい!」
「貴族様も、悩んだりするものなんだねぇ!知らなかったよ!」
「あんた見掛けによらず、純粋なんだねぇ!」
そしてひとしきり笑った後、その中の一人が、ノアにチラシを差し出した。
「軍人さん、あんたの婚約者は酒が好きなのかい?俺は酒屋なんだ。今度店に来な!若い子に今一番人気の酒を、教えてやるよ!」
ノアは、差し出されたチラシを大事そうに受け取った。
「近く、必ず店に行かせてもらう。」
「ああ、待ってるよ。」
「軍人さん、だったら俺の店にも来な!俺はパン屋だ。俺の店も、若者に結構人気なんだぞ?」
「うちは菓子屋だ。」
「俺は仕立て屋だ。装飾品も扱ってる。」
「ありがとう。」
「うちは…精肉店だ。あまり関係ないかもしれねぇが、珍しい肉もあるんだよ。軍人さん、良かったらうちにも──」
「必ず買いに来る。家のコックに、明日にでも来てもらう。」
ノアは精肉店のチラシを、ガシッと掴んだ。
そして、両手いっぱいにチラシを抱え、それをフレデリックの荷物袋に丁寧に入れた。
「ヒヒン。」
「ブルル。」
そして、通行人達にまた礼を言うと、ノアはフレデリックに跨った。
「それにしても、本当に惚れ惚れする様な馬だねえ。羨ましいよ。」
「本当、仔馬が生まれたら分けて欲しいね。何に使っても優秀そうだ。」
「…ヒヒンッ」
「ブルルッ」
フレデリックは、まだ荷車引きのロバと、何やら鳴きあっている。ノアは、羨望の眼差しを受ける愛馬を、手綱を引きながら見た。
「確かにこの馬は優秀な軍馬で、軍から繁殖を望まれているのだが…上手くいかないんだ。仔馬は難しいだろう。」
「そうなのかい、もったいないねぇ。」
「動物にも、いろいろあるんだろ。」
酒瓶を手にし、嬉しそうに手を振る通行人達と別れ、ノアは帰路についた。
「おやおや、立派な軍馬があばれてるよぉ。俺も手伝おう!」
『軍馬の旦那、どうしたんだい?そんなに暴れて。』
『…………!』
『こいつ…全然言葉が通じなくて…いい加減怒りが湧いてくるんだよ!』
『あはは!そりゃあ人間は馬鹿だからね。言葉は通じませんよ、軍馬さん。』
『そうなのか⁈』
『なかには、察しの良い人間もいますがね。狩人連中なんか、そうでさぁ。けど、普通は通じやしないよ。』
『そうか……ノアだけが馬鹿なんじゃなくて、安心したよ。』
荷車を引いている奴は、愛想良く笑った。
『お前、ロバだよな。』
『見ての通りさね。軍馬さん。』
『……俺は、いつも軍にいて、街の馬やロバ達に知り合いが居ない。』
『そうでしょうねぇ。』
『お前、ベーコンチャンという、ロバを知っているか?』
『ベーコンチャン?ああ、ガルシア家の娘ですかね?』
『そ、そうだっ!知っているのか⁈』
『ちょ…軍馬の旦那、近いよ…あんた、大柄なんだから、離れてくださいな。落ち着いて…』
『す、すまない…嬉しくて…』
『私は荷車引きですからね。ベーコンチャンは、よく、朝に市場で会いますよ。ガルシア家の執事と、朝市に買い物に来てるんでさ。』
『そうだったのか…俺は…フレデリックという者だが。俺が会いたがっていたと、彼女に伝えて欲しい。』
『それはお安い御用だよ。旦那、ベーコンチャンと知り合いだったのかい?』
『彼女は恋人だ。』
『なんだって……!こりゃあ驚いた……あんたみたいな恋人がいたなんて。ベーコンチャンも隅に置けないねぇ。だけど、あんた馬だろう?ベーコンチャンはロバだよ?』
『そんな事は、瑣末な事だ。』
『はぁ〜!軍馬ともなると、先進的な考えだね。』
『ついでに、街の馬やロバ達に、ベーコンチャンには手を出すなとふれ回ってくれ。』
『分かったよ。旦那みたいな軍馬が相手じゃ、手出し出来ないさね。』
『ありがとう、おかげで安心出来た。』
「それにしても、本当に惚れ惚れする様な馬だねえ。羨ましいよ。」
「本当、仔馬が生まれたら分けて欲しいね。何に使っても優秀そうだ。」
『おや、そろそろ行くみたいだね、軍馬の旦那。あんたの主人も、あんたに似て、もてそうな人間だね。』
『いや、そうでもない。確かにノアは優秀な軍人で、繁殖を望まれているようだが、愛想が無くて、女に一切相手にされない。最近になって、やっと婚約者が出来たのだが、上手く機嫌を取れない様だな。』
『そうなのかい。愛想がないんじゃ、俺らは商売あがったりでさあ。大変だね、あんた達も。』
『ああ。だが…言葉は通じないが、俺はノアを最後まで面倒みるつもりだ。俺がいなきゃ、心配だからな。』
『幸せもんだね、あんたの主人は。ベーコンチャンの事は、任せな。』
『恩にきるよ。』
この日、久しぶりに、フレデリックは足取り軽く、ノアを乗せて帰路についた。




