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ジゼルの婚約  作者: Chanma
野営訓練
105/134

78.言葉が無くても

「きっと、とても喜ばれると思いますよ!うちの店は、季節に合わせて、種類も豊富なんです。また買いに来て下さいね!こっちの色も珍しいでしょう?暖かくなったら、こういった品種のものも───」


 店を出るまで、店員は愛想良く説明を続けていた。少々騒がしいと思ったが…見繕(みつくろ)われたものは、確かに喜ばれそうだ。


「待たせたな、フレデリック。」


 店の前で、フレデリックは大人しく待っていた。既に日は落ち、アイゼン家(いえ)では夕食が始まっているだろう。

 軍から続く市場を抜け、閑静な街の石畳の上をフレデリックに乗ってアイゼン家(いえ)まで向かう。もう、さほど遠くない。オレンジ色の街灯が、ぽつぽつと灯り出した。


「連日すまないな、フレデリック。」

『気にするな。別に、そう遠くない。』

「何だ?返事をしてくれるのか。珍しいな。」

『………ノア、』


 街灯が灯り出した街は、夕方から店を開ける食堂や酒場で、昼間とは違った賑わいを見せ始めている。仕事を終え、食堂に入る人々の、笑い声が聞こえ出し、店からは、何か肉を焼いた様な、良い匂いが漂って来る。


 ジゼルは…こういった店も、好むのだろうか。


『お前は最近、やたらジゼルという女の話をしていたな。正直俺は……ついにお前は気がおかしくなったと、そう思っていた。子どもの頃から戦争に明け暮れ、社会に絶望したお前が無意識に作り出した、存在しない理想の女なのだと…多少、お前に同情もしていた。哀れな奴だ、と………』

「フレデリック、腹が減ったのか?良い匂いがするからな。ジゼルは今頃…兄上達と夕食を食べているのだろうな。」

『だが、話が変わった。本当に、存在する女だったのだな。その、ジゼルという人間は、ベーコンチャンの主人だろう?』

「俺も…ジゼルと一緒に夕食を食べたいと思うのだが…彼女は、どう思うだろうか。」

 いつもあまり鳴く事の無いフレデリックだが、昨日から、何故かよく鳴いている。


『俺は、今度ベーコンチャンと会ったら、彼女の恋人になる。お前もさっさと、その女を抱いてしまえ。そして、その女と共に暮らすなら、俺も連れて行け。俺は軍の厩舎ではなく、ベーコンチャンと暮らしたい。』

「謝罪したとはいえ、彼女が許してくれているのか、分からない。俺が夕食に同席したら、不快に思うのではないだろうか……」

『………そんな事は知らん。馬に聞くなよ。とにかく、お前が軍人である以上、俺は軍馬であり続けてやる。だから、俺をベーコンチャンと共に居させてくれ。これからの時間を、彼女の側で、俺は生きたい。』

「やはり…今日はまだ、同席しない方が良いのだろうな…」

『よく分からないが…人間というのは、どうしてそう複雑に考えるのだ?さっさと抱いてしまえば良いだけの話だろう?もたもたしていると、他の奴に取られるぞ。早い者勝ちだからな。』

「フレデリック…お前は、何だか楽しそうで良いな。」

『あぁ⁈ノア、てめぇ振り落とすぞ⁈』

「おい、どうしたフレデリック⁈ちゃんと歩いてくれ!揺れてるぞ⁈」

『ベーコンチャンとは、あれ以来会う事も叶わない。そうしている間にも…他の馬に取られでもしたら…いや、他のロバかもしれないっ……!そんな事があってたまるかっ!だが、俺一人の力では、どうにも出来ない……俺が今、どんな思いで毎日過ごしていると思っているんだっ!!』

「フレデリック…!落ち着けっ!うわぁっ!!」

 フレデリックは、唐突に両の前脚を高くあげ、声高らかにいなないた。興奮しているのは、側から見ても明らかだ。

 黒い体に、そのたてがみも、闇夜に劣らぬ様に暗く輝いている。

 軍服のノアが乗っている事も重なって、街の通りの目を一気に引く事となった。

 そして、通りかかる人々は、暴れるフレデリックを止めようと駆け寄って来た。



「おいおい軍人さん、こいつはあんたの馬かい⁈これまた(ひど)い暴れ様じゃないか!」

「いやー!立派な馬だね!羨ましいよ。どうどう──」

「本当にねぇ。うちにもいたら仕事が助かるのに。しかし、どうしてこんなに興奮しちまったんだい⁈」

「ヒヒーンッ!」

「すまない、普段大人しい馬なのだが………」

 ノアは懸命に手綱を引くが、フレデリックは、ノアを乗せたまま、前脚を上げ暴れ続ける。通行人も抑えようとするが、フレデリックの力は強く、なかなか抑えが効かない。


「おやおや、立派な軍馬があばれてるよぉ。俺も手伝おう!」

「ブルル……」

「…………!」

 そこへ、ロバに荷車を引かせた商人が通り掛かり、手伝おうと寄って来ると、フレデリックはそのロバを見て、動きを止めた。


「あら、大人しくなったねぇ。」

「大勢に囲まれて、我に返ったのかね。」

「わはは!まぁ、どちらにせよ、良かった良かった!」

「申し訳ない、心配をお掛けした……」

 ノアはフレデリックから降り、通行人達も一安心だと笑い合った。


「ヒヒン………」

「ブルル、ブルルル……」


「おや、軍人さんの馬、荷車引きのロバと話してるみたいだね。」

「本当だねぇ。やっぱり動物同士がいいんだろうかね。」

「珍しいな、フレデリック……」

 荷車引きのロバに近寄り、静かに鳴き声をあげるフレデリックを、通行人達は優しく見ると、またノアに視線を移した。


「軍人さん、その手に持ってるものを見ると、これからデートかい⁈」

「いいねぇ、若いって!あんたもてるんだろ〜?」

「バカ、お前、この軍人さんは貴族だよ!だったら婚約者に会いに行くのさ。なぁ⁈そうだよな!」

「まぁ……そんな所だ。」

「あらあら、照れちゃって。」


「ヒヒン!」

「ブルルル。」


「婚約者は可愛いのかい?」

「ああ。」

「あー、やだやだ、即答しちゃって!」

「あはは!軍人さん、あんた意外と尽くすタイプみたいだねぇ!」

「わははは!」

 ノアは通行人達に、背中をバシバシと叩かれた。


「迷惑を掛けたお詫びに、良かったら貰って欲しい。」

 ノアは、フレデリックに積んでいた革の荷物袋から、数種類の酒瓶を取り出し、通行人達に配った。

「軍人さん良いのかい?なかなか良い酒だよ⁈」

 通行人達は、渡された酒瓶を皆一様にしげしげと眺めた。

「構わない。また買えば良い事だ。それに……」

「それに……?」

 通行人達は、もらった酒瓶を大事そうに握りしめたまま、言い淀んだノアを覗き込んだ。


「彼女の為に買ったのだが……好みの物かどうか、分からないんだ。」


 通行人達は、目を丸くした後、一斉に笑い出した。

「わははは!そうかいそうかい!そうなのかい!」

「貴族様も、悩んだりするものなんだねぇ!知らなかったよ!」

「あんた見掛けによらず、純粋なんだねぇ!」

 そしてひとしきり笑った後、その中の一人が、ノアにチラシを差し出した。


「軍人さん、あんたの婚約者は酒が好きなのかい?俺は酒屋なんだ。今度店に来な!若い子に今一番人気の酒を、教えてやるよ!」

 ノアは、差し出されたチラシを大事そうに受け取った。

「近く、必ず店に行かせてもらう。」

「ああ、待ってるよ。」

「軍人さん、だったら俺の店にも来な!俺はパン屋だ。俺の店も、若者に結構人気なんだぞ?」

「うちは菓子屋だ。」

「俺は仕立て屋だ。装飾品も扱ってる。」

「ありがとう。」

「うちは…精肉店だ。あまり関係ないかもしれねぇが、珍しい肉もあるんだよ。軍人さん、良かったらうちにも──」

「必ず買いに来る。家のコックに、明日にでも来てもらう。」

 ノアは精肉店のチラシを、ガシッと掴んだ。

 そして、両手いっぱいにチラシを抱え、それをフレデリックの荷物袋に丁寧に入れた。

「ヒヒン。」

「ブルル。」


 そして、通行人達にまた礼を言うと、ノアはフレデリックに跨った。

「それにしても、本当に惚れ惚れする様な馬だねえ。羨ましいよ。」

「本当、仔馬が生まれたら分けて欲しいね。何に使っても優秀そうだ。」

「…ヒヒンッ」

「ブルルッ」

 フレデリックは、まだ荷車引きのロバと、何やら鳴きあっている。ノアは、羨望の眼差しを受ける愛馬を、手綱を引きながら見た。


「確かにこの馬は優秀な軍馬で、軍から繁殖を望まれているのだが…上手くいかないんだ。仔馬は難しいだろう。」

「そうなのかい、もったいないねぇ。」

「動物にも、いろいろあるんだろ。」


 酒瓶を手にし、嬉しそうに手を振る通行人達と別れ、ノアは帰路についた。

「おやおや、立派な軍馬があばれてるよぉ。俺も手伝おう!」

『軍馬の旦那、どうしたんだい?そんなに暴れて。』

『…………!』


『こいつ…全然言葉が通じなくて…いい加減怒りが湧いてくるんだよ!』

『あはは!そりゃあ人間は馬鹿だからね。言葉は通じませんよ、軍馬さん。』

『そうなのか⁈』

『なかには、察しの良い人間もいますがね。狩人連中なんか、そうでさぁ。けど、普通は通じやしないよ。』

『そうか……ノアだけが馬鹿なんじゃなくて、安心したよ。』

 荷車を引いている奴は、愛想良く笑った。


『お前、ロバだよな。』

『見ての通りさね。軍馬さん。』

『……俺は、いつも軍にいて、街の馬やロバ達に知り合いが居ない。』

『そうでしょうねぇ。』

『お前、ベーコンチャンという、ロバを知っているか?』

『ベーコンチャン?ああ、ガルシア家の娘ですかね?』

『そ、そうだっ!知っているのか⁈』

『ちょ…軍馬の旦那、近いよ…あんた、大柄なんだから、離れてくださいな。落ち着いて…』

『す、すまない…嬉しくて…』

『私は荷車引きですからね。ベーコンチャンは、よく、朝に市場で会いますよ。ガルシア家の執事と、朝市に買い物に来てるんでさ。』

『そうだったのか…俺は…フレデリックという者だが。俺が会いたがっていたと、彼女に伝えて欲しい。』

『それはお安い御用だよ。旦那、ベーコンチャンと知り合いだったのかい?』

『彼女は恋人だ。』

『なんだって……!こりゃあ驚いた……あんたみたいな恋人がいたなんて。ベーコンチャンも隅に置けないねぇ。だけど、あんた馬だろう?ベーコンチャンはロバだよ?』

『そんな事は、瑣末な事だ。』

『はぁ〜!軍馬ともなると、先進的な考えだね。』

『ついでに、街の馬やロバ達に、ベーコンチャンには手を出すなとふれ回ってくれ。』

『分かったよ。旦那みたいな軍馬が相手じゃ、手出し出来ないさね。』

『ありがとう、おかげで安心出来た。』



「それにしても、本当に惚れ惚れする様な馬だねえ。羨ましいよ。」

「本当、仔馬が生まれたら分けて欲しいね。何に使っても優秀そうだ。」

『おや、そろそろ行くみたいだね、軍馬の旦那。あんたの主人も、あんたに似て、もてそうな人間だね。』

『いや、そうでもない。確かにノアは優秀な軍人で、繁殖を望まれているようだが、愛想が無くて、女に一切相手にされない。最近になって、やっと婚約者が出来たのだが、上手く機嫌を取れない様だな。』

『そうなのかい。愛想がないんじゃ、俺らは商売あがったりでさあ。大変だね、あんた達も。』

『ああ。だが…言葉は通じないが、俺はノアを最後まで面倒みるつもりだ。俺がいなきゃ、心配だからな。』

『幸せもんだね、あんたの主人は。ベーコンチャンの事は、任せな。』

『恩にきるよ。』


 この日、久しぶりに、フレデリックは足取り軽く、ノアを乗せて帰路についた。

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