75.素直になれなくて
──シモフリニク男爵子息──
確かに彼女はそう言った。霜降り肉…なのか?いや、何にせよ意味が分からない。まだ酒に酔っているのか…
ジゼルは、向かいの椅子に座り俯いている。大人しく座っている所を見ると、泥酔はしていなさそうだ。会話は可能だろう。向かいに座る彼女を、そっと見た。
紺色の服を着ているな。初めて見る……
兄上が用意したのか…もしかすると、義姉上かもしれない。
凄く、似合っていると思う。可愛い……
だが…謝罪の前に、あまりじろじろ見ては、不快に思われる可能性がある。
俺は、彼女から視線を逸らした。
料理長の話では、彼女はリアムとの茶会を、楽しみにしていたらしい。確かに…そうだろう。部屋に入って来た俺の顔を見ると、一気に表情が暗くなった。
「あの………」
急に発せられた彼女の声に、何故だか鼓動が跳ね上がった。
いつもより、少し高めの声だった。この声色も、可愛らしいな──いや、今はそんな事を考えている場合ではないだろう⁈
早く……早く、謝罪しなければ。だが、何と言えば良い?考えるより先に、部屋に来てしまった…
考えが横道に逸れた時、彼女が、左胸…心臓の付近を押さえた。よく見れば、苦しげな表情をしている。確か心臓の付近には、大きい古傷があった。
俺が…無理をさせたから───
「身体が痛むか?」
「えっ……」
俺のせいだ。俺は……
自分の事しか───
「だ……大丈夫であります……少佐。」
彼女の返事に言葉を失った。それは、悲しい程に、よそよそしいものだった。
もはや彼女に取って、俺と茶を飲む行為は、軍務に等しいのだろう。
そう考えただけで、視界が、色褪せてゆく。
「あの……お世話になって…申し訳ありません。明朝には軍に戻り───」
「急いで戻る必要は無い。」
更に、彼女はたたみ掛ける様に、ここを去りたいと言って来た。傷を治してもらう為にも、それだけは思い直してもらいたい。
「ですが………」
だが……無理強いは、良く無いのだろう…
「………好きにしたら良い。」
「……あの……」
「何だ。」
「………………」
彼女は、また俯いてしまった。
あぁ…どうすれば…何と言えば…
謝罪するタイミングを、完全に見失ってしまった。口の中が渇き切って、声が出ない。
このままでは、駄目だ───
「ジゼル、」
意を決して、味の分からない紅茶を飲んだ。
「欲しいものはあるか?」
「え……?」
「欲しいものはあるのかと聞いている。金で買える物に限るが…何でも構わない。」
彼女は…どうすれば、喜んでくれるのだろう。
「早く言いなさい。」
「ありません、少佐。」
だが、彼女の答えは手掛かりさえ、与えてくれないものだった。いや……答えは、分かっていた。
彼女を真っ直ぐに見た。
可愛いジゼル。
強くて、綺麗な瞳だ。全てが、愛おしいと思える。
彼女に…軍人としてでは無く、一人の人間として、その瞳に映して欲しい。
「無いのか?」
「………はい。」
聞くまでも無いだろう?
彼女が本当に欲しい物は、
金じゃ買えない事くらい──分かっていたはずだ。
だが…せめて、何か一つくらいは…
「何か…………一つ位あるだろう?何でも構わないと言っている。」
「ありません、少佐。」
俺だって…叶うならすぐにでも、ガルシア家に掛けられている王命を、撤廃してやりたい。だが、今は…無理だ。
あとは……耳か。彼女が確実に喜びそうな物は。
だが、代わりに俺が取ってやるのは……
軍規違反だからな。
「………食べないのか?」
気を取り直して…手付かずの木の実のケーキを、食べる様勧めた。今日はもう、無理に聞かない方が良さそうだ。食べ終えたら、謝罪を───
「い………頂きます。」
──カラン──
「あ……」
彼女は、フォークを床に落とした。普段、とても綺麗な所作で食べるが、今日はぎこちない。
身体が……まだ辛いのだろう。
「俺のを使え。」
とにかく…身体を傷つけた事を、謝らなければ。床に落ちたフォークを拾い、まだ綺麗なフォークを差し出しながら考えた。
だが一向に、彼女はフォークを受け取ろうとしない。
「ジゼル………っ……!」
不思議に思い彼女を見て、青ざめた。
彼女の綺麗な双眸から、ぼろぼろと溢れる様に、涙が頬を伝っては落ちていく。
その姿を目の当たりにして、全身の力が、抜け落ちた。
「ジゼル、そんな……俺はまた………君を泣かせるつもりは────」
俺は───
一体何をやっているんだ……
どうすれば良いのか分からないまま、怯えた様に頰に涙を伝わせる彼女を見ていた。
退室すべき…だよな…
このまま部屋に居ても、彼女を怯えさせるだけだ。
俺は、遅すぎる決心をした。
「……少──」
席を立ち、ジゼルをそっと横抱きに抱え上げた。
「っ!嫌だっ!いや……離せっ!」
彼女は手足をバタバタさせている。また…驚かせてしまった。
「ジゼル………何もしない…暴れるな、傷が悪化してしまう…」
「う………」
ベッドの端にそっと下ろすと、大人しくなり、目を丸くしてこちらを見上げている。頬には、まだ涙が伝っている。
「痛………」
手のひらで拭うと、腫れた口元に当たってしまったのか、彼女は顔をすくめた。
「すまない、加減が良く分からなくて…痛かったか……?」
そう言いながら、ジゼルの前に跪いた。
国や、家や、軍ではない。
誰かに対して跪くのは、初めてだった。
そして、心の底から誓いたいと、そう、思えた事も。
伏せていた顔を上げ、ジゼルを見た。
どんなに崇高な神がいたとして、
彼女の、水色の両目に見下ろされる程の高揚を、
俺に与えてはくれないだろう。
もう、ジゼルの涙は止まっている。
「君に、誓う。」
彼女の右手は、大人しく待っていてくれた。
小さな手のひらに、顔を埋める様にして、そっと口付けた。
「少佐───」
「……傷付けてすまなかった、ジゼル。許して欲しい。」
「あ………」
俺は立ち上がり…悩んだ挙句、リアムを呼ぶ事に決めた。
「リアムが、君と過ごしたいと言っていた。良かったら…今日は…リアムと……一緒に寝てやって欲しい。」
俺といるより、その方が良いはずだ。
自分でも…良く言えたと思う。
二度は、言える気がしない。
最後に、しっかりアイゼン家で、傷を治していく様にだけ告げて、退室しようとした。
もし、許されるなら───
今すぐこの手で抱きしめたい。
危うく、彼女の左頬に触れてしまいそうになった右手を、何とか下ろす事が出来た。
「おやすみ、ジゼル。」
どうして彼女の事になると、自分に都合の良い様にしか、考えられなくなるのだろう。
客室を出るまで…
彼女が引き止めようと、こちらを見てくれている、
そんな気がしていた。
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