73.懇願
リアムと入れ替わり、ティーセットを無言で持って来た少佐は、無言で向かいの椅子に座り、不機嫌そうに目を伏せている。
「あの………」
「……………」
何とか声を掛けようと、顔を上げ、少佐を見ても、スッと視線を逸らされる。
私はまたテーブルの上に視線を戻した。
テーブルの上には、少佐が手際良く、無言で淹れてくれた紅茶が、2人分、温かな湯気を立てている。ティーカップの横には、木の実のケーキがちょこんと、気まずそうにお皿の上に乗っている。
どうしよう……
やっぱり…怒っているみたいだ。
それに、よく考えたら、私……体を見られて───
でも、仲人の件と、リー中尉の件を承諾してもらったから……私は何も意見なんか…するつもりはない…
だけど…なんで───
頭の中が、ぐるぐるしてきて、だんだん息苦しくなって来た。
まただ。心臓が、ギュッて……痛くなる。
私は、さっき心臓の古傷に貼ってもらったガーゼを、服の上から押さえた。
「身体が痛むか?」
「えっ……」
急に尋ねられて、びっくりしてしまった。少佐は、少し顔をしかめた様な表情で、服の上からガーゼを押さえている、私の左手を見ている。
「だ……大丈夫であります……少佐。」
答えると、少佐は不機嫌そうに、ため息をつきながら右手で額を覆う様にして俯いた。
もしかして……
もしかして、私が、傷が痛むって我儘言って、アイゼン家に居座っていると思われているのかな……
だとしたら、それは誤解だ。
「あの……お世話になって…申し訳ありません。明朝には軍に戻り───」
「急いで戻る必要は無い。」
少佐は私の言葉を遮った。
「ですが………」
私が、言い淀むと、少佐は何か考える様な表情をした。でも、やっぱり視線が合う事は無い。
「………好きにしたら良い。」
そして腕組みして、俯いたままそう言った。
「……あの……」
「何だ。」
「………………」
広い客室に、耐えがたい沈黙が流れた。少佐は、腕組みして、私から目を逸らしたままだ。パチパチと暖炉が、緩やかに熱を伝える音がする。
その音を聞きながら、私もそっと視線を膝に落とした。
リアム……今頃どうしてるかな。泣いてなければ良いけど…
料理長に手を繋がれて、ウキウキしながら厨房へ向かった、可愛いリアムが思い起こされた。
お話の続きを聞かせてあげたかったけど、どうしよう。明日まで、薬湯に入る様に言われていたけど…ルーカス兄さんに話して、明朝には軍に戻るべきか──
「ジゼル、」
考え込んでると、少佐は、こちらに向き直り、意を決した様に、紅茶をぐいっと飲んだ。
「欲しいものはあるか?」
「え……?」
「欲しいものはあるのかと聞いている。金で買える物に限るが…何でも構わない。」
そして、また私から目を逸らし、不機嫌そうな表情になった。
「早く言いなさい。」
本当に、どうして……
──ジル、君はさ、どうしてノアがこんな事したのか……疑問に思わないの?──
「ありません、少佐。」
そう答えると少佐は、紺色の目を見開いて、私をじっと見た。
少佐の瞳の中に、私が映っている。
傷だらけで、汚い顔だ。服に隠れて見えない体も。
見た目だけじゃ無い。
毎日毎日、軍務をこなして────
どうしてだろう……
少佐に会うまでは、もっと自分に自信があったはずなのに。
いや…そうでも無かったかな……
どうして……私…どうしてばっかりだな…
「無いのか?」
「………はい。」
「何か…………一つ位あるだろう?何でも構わないと言っている。」
「ありません、少佐。」
私の答えを聞いて、更に不機嫌そうに顔をしかめた少佐は、目を伏せてため息を付いた。
時間の無駄だと、そう言われた気がした。
「………食べないのか?」
私の分の、木の実のケーキを見ながら、少佐が言い放った。そう言う少佐も、一口も食べていない。
「い………頂きます。」
──カラン──
「あ……」
食べようとしたが、手が思う様に動かない。私は床にフォークを落としてしまった。拾おうとすると、私より先に少佐が拾ってくれた。
「俺のを使え。」
そして少佐は、拾ったフォークを自分の手元に置くと、まだ使っていない自分のフォークを、視線を逸らしたまま、私に差し出した。
少佐は、もう、優しい夜の様な瞳を、向けてはくれない。
私は…また…駄目にしてしまったのだろうか。
でも、アルバート兄さんの時とは違う、よく分からない気持ちだ。
──ジゼル、でも……いつか共に、東方の国でこの茶を飲んでみたいものだな──
──君と、現地でこれを飲んだなら、どんな味がするのだろうな──
──ジル、大丈夫だよ。今の所、悪手では無いと思う──
間違ってはいない。だけど、きっと間違ったんだ。
私には、これ以上どうにも出来ない。
──ジゼル──
「ジゼル……!」
少佐の声で我に返った。
「ジゼル、そんな……俺はまた………君を泣かせるつもりは────」
少佐は、前髪を掻き上げ、悲痛な声でそう言うと立ち上がった。
「……少──」
私の横に来ると、右手を私の膝裏に、左手を背中に回して私を横抱きに抱え上げた。そして部屋の奥へ歩いて行く。
「っ!嫌だっ!いや……離せっ!」
「ジゼル………何もしない…暴れるな、傷が悪化してしまう…」
少佐は、私をベッドの端にそっと下ろして座らせた。
「う………」
少佐の顔を見上げると、大きな手のひらで、濡れた頬を拭われた。
「痛………」
「すまない、加減が良く分からなくて…痛かったか……?」
紺色の髪の毛が、視界の下の方にある。少佐は、私を座らせた後、目の前で跪いていた。
なんだっけ……これ……見た事ある……
「本当なら、君を二度と泣かせない事を誓うべきなのだろうが……俺は…無知だから……今もまた、泣かせてしまって───」
そうだ、確か、国の式典や出軍の時───
「だからせめて、君に対しては…生涯、誠実でありたい。」
やや伏せられていた紺色の瞳が上げられ、私を見た。
「君に、誓う。」
そう告げると、少佐は私の右手を取った。
「良かった。今回は、頭の上に行かなくて。」
そして、右の手のひらに、そっと口付けた。
「少佐───」
「……傷付けてすまなかった、ジゼル。許して欲しい。」
「あ………」
少佐は立ち上がり、しっかりと私に視線を合わせた。
「リアムが、君と過ごしたいと言っていた。良かったら…今日は…リアムと……一緒に寝てやって欲しい。」
少佐の瞳は、優しい色になっている。私の好きな、優しい夜の色だ。
「それと…決して無理強いはしないが…君は、明日も薬湯に入った方が良いと聞いている。明日はまだ、軍には戻らない方が良いのではないか?」
「えっと………」
「しばらく、ここで療養したら良い。いや、無理にとは言わないが……」
「…………」
「何か、希望があれば、遠慮無く家の者に言いなさい。俺でも構わない。」
左頬に、触れられるかと思ったが、少佐は伸ばしかけた右手を、ためらう様に下ろした。
「おやすみ、ジゼル。」
「ノアはひどいよー!」
客室のテーブルに向かい合いながら、リアムは素直に文句を言っている。
ティーセットを取られて、沢山泣いちゃったのかな。目が赤くなっちゃってる。
「僕が用意したティーセットなのにねっ!勝手に持って行ったんだよ⁈取ったら駄目だよねぇ⁈」
「ふふ。そうだね、リアム。人の物を取るのはいけないね。」
素直なリアムが可愛くて、私は微笑んだ。
素直になるって…大事な事かもしれないな…
「でも、良かった!ノアに食べられなくて。ケーキ美味しいねー、ジゼル!」
「そうだね。すごく美味しい。」
「紅茶はノアに注がれちゃったから…明日は僕が注いであげるね。」
「ありがとう、リアム。」
冷めた紅茶も、なんだか美味しかった。リアムはごくごく飲んでいる。
「リアム、お話の続きは、明日聞かせてあげるね。」
「うん、あのねあのね!ジェイミーも、ジゼルのお話聞きたいって!」
「ジェイミー?」
「僕の弟だよ!」
あぁ、確か、夕食に呼ばれた時に、見た子だな。リアムと一緒にいた……
「もちろん、良いよ!楽しみにしててね。」
可愛いお茶会は、2人の笑い声と一緒に、楽しく過ぎていった。
お読み頂き、ありがとうございます。
不慣れな点が多く、時折改稿をしながらの投稿をさせて頂いています。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
続きが気になる!と思って頂けましたら、
「★★★★★」をつけて応援して頂けると、励みになります!
どうぞよろしくお願いいたします。