1.耳で払ったから!
………
……………
………………
「……ル……ジゼル!」
な…に………お兄様……………
お兄様の、声がする。
「ジゼル!早く起きた方が良いと思うよ!」
どうして………私………
「おい、起きろ。誰が気絶して良いと言った。」
聞き慣れない声と共に、みぞおちに衝撃が走った。
「……ッ…カッハッ───」
ジルベールは目を見開き、意識を取り戻した。
そして、自分の襟元を掴み、片手で易々と持ち上げる上官を見下ろす。
「ぐ………」
そうだ。私、この人に投げ飛ばされて…
肋骨が…折れては無さそうだけど…
この感じだと、ひびは入ったな…
「お前の言い分を聞くつもりは無い。」
上官はそう言い放つと、そのまま左手で首を締め付けてきた。
まずい……こいつ…人間の力か、これ……
首を締め付ける手を解こうとするも、びくともしない。
軍刀を───
ジルベールは、腰に差している軍刀に手を伸ばそうとしたが、上官はそれに気付き、軍刀を右手で取り上げると、床に落とした。
床に落とされた2本の軍刀が立てる、ガシャンという乾いた音が、やけに大きく聞こえた。
「ぐ…………」
いや…これもう、無理だな…意識が………
苦し……
………
……………
………………
「ジゼル!」
また、お兄様の声がした。
「ジゼル、緑鱗鳥を打ち落とせる様になったんだって⁈すごいじゃない!」
お兄様…夢で良いから会いたいと思っていたけど、結局声だけで、会えないのか。
……走馬灯?いや、違うな。こんな会話、した事ないし。お兄様が言いそうな事ではあるけど。
「ジゼル、もう立派な狩人だね!」
いや、お兄様、私軍人……
これ、お兄様だけが、一方的に語りかけてくる感じなの?
「緑鱗鳥は、仕留めたら1時間以内に捌いてる?そうじゃなきゃ、味が全然変わっちゃうよ?」
もちろん。当たり前だよ、お兄様。今年も沢山飛来してくると良いなあ。
「ああ!ジゼル、ごめんね!長々と話しちゃって!そろそろ気絶してないで、頑張って起きなきゃ!」
気絶……私……どうしたんだっけ……
「ジゼル!いつか、カナリオに会いに行くのでしょう?起きなきゃだめだよ!ほら!」
カナリオ…どうして、お兄様がその名前を知ってるの?
お兄様………待って………
………
……………
………………
その日の朝。ガルシア男爵家にて。
「ジルベール様ぁ〜、軍より呼び出しでぇ〜す」
朝の7時、若い男の落ち着き払った声が、1階から響いた。執事頭であるこの若者は、呼びかける相手の部屋に行く事もない。若者の声だけが、まるで母親が子どもに用事を言いつける時の様に階段を駆け上がった。
「何時に何の件だってー⁈」
呼びかけられた女も、子どもが親に面倒事をいいつけられた時のようである。部屋から出てくる様子はない。
「本日朝9時、アイゼン大尉よりのお呼び出しです〜。詳細は聞かされておりませーん。」
「…アイゼン大尉?」
ジルベールはベッドの上で半身を起こし、やや寝癖の付いた、若々しい銀色の長い髪を、眠い目を瞬かせながら額から掻き上げた。柔らかな水色の目を細めて、足元の白いシーツを見る。
「………誰だっけな………」
アイゼン家…お偉いさんにそんな家名があった気もするが、定かではない。自分の部署からの呼び出しでない事だけは確かだ。
ジルベールは、サイドテーブルに置いている、昨晩妹のメイジーが持ってきてくれたカフェラテの残りに手を伸ばした。───ガシャッ───
手元が滑り、ハート柄のカップはサイドテーブルから落ち、粉々に砕け散った。
「不吉な………」
「何が不吉ですかっ!朝から仕事を増やさないで下さいよ!」
バンッ!とドアが空き、執事頭の若者が箒とちりとりを持って、断る事なく入って来た。小言を言いながらちゃっちゃとカップの破片を片付ける。
「メイジーが、誕生日にくれたお気に入りのカップだったのに…」
ジルベールがカップを壊した事を悔やんでいると、片づけを終えた執事頭が、ドンッ!とサイドテーブルにコーヒーを置いた。
コーヒーの入っているそれは、先程壊れたハート柄のカップと全く一緒である。
「えっ!同じもの…?」
「そうです。メイジー様は、お姉さまは必ず、か、な、ら、ず!割ってしまうからと、同じものを10個発注されているのです。」
「メイジー…何てしっかりものなんだ!」
「そうですよ。それに比べてあなたは、もう18にもなられるというのに、紅茶一つ上手く注げないでいらっしゃる。」
「それは小さい時からずっと軍にいるから。淑女教育を受けていないからだよ。」
口を尖らせるジルベールに、執事頭の若者はため息を付く。
「紅茶を注ぐときにカップから溢れさせるなんて、淑女教育とは関係のない低次元ですよ。」
それから生活態度についてひとしきり小言を言った後、早く支度をして朝食を食べに来るように!と言いながら、彼は部屋を出て行った。
ジルベールが軍服に着替え、ようやく部屋を降りて来た時、リビングには執事頭の若者が用意した朝食が並べられていた。
「ジルベール様、馬車の用意は出来ておりますよ。本日はせっかくお休みでしたのに…残念ですねぇ…」
執事頭の若者は、朝食の並べられたテーブルに寛いで座り、用意した自分の分の紅茶を、ゆったりと飲みながら言った。
軽く後ろに撫でつけられた、清潔感に溢れる彼の黒髪と背の高い整った容姿は、彼の切長で藍色の瞳にとても良く似合っているが、距離感を感じさせないその喋り方は、執事頭という肩書きには全くもって似つかわしく無い。
彼の存在は、神様がセンスが無い事を証明する確固たる証拠だとジルベールは考えている。きっと神様は上下柄物をセンス無く着こなしているに違いない。そしてそれを天使達にも強要しているのだ。
「しょうがないよ。気は進まないけど…あぁ、エイダン、今日はモニカ嬢とお茶の約束をしていたんだ。行けなくなったと伝えてくれる?」
「承知しました。急なお断りでさぞ落胆される事でしょう。差し支えなければ、私がジルベール様の代わりにモニカ様のお相手をさせて頂いても?」
「…モニカ嬢が嫌がらなければね…まぁ──」
「むしろお喜びになるかと!」
「自分で言うなよ。」
執事頭の若者、エイダンの家系は、代々この家、ガルシア男爵家の執事を務めている。
そしてエイダンは、今は亡きガルシア男爵家嫡男であった、ジルベールの兄と乳兄弟だった。
幼い頃より兄同然の存在だったエイダンとの掛け合いは、兄が亡くなった翌日からも全く変わらない。そしてそれは、エイダンの執事という職務に対する、プロ意識のためである事をジルベールは知っている。それを知っているから、柄物の神様も、柄物の天使も、信じる事が出来るのだ。
「あっ!ジルベール様!そう言えば、この前出勤なされた時、お財布をお忘れになられて、飲み代をオーウェン様にお借りしたと、仰っていましたよね?」
ジルベールが朝食の並べられたテーブルに座ろうとした時、エイダンがハッとした様に聞いてきた。
「ああ、そうだね。」
「そうだね、じゃないですよ!おいくらだったのですか⁈全く….忘れ物が多すぎますっ!オーウェン様に、あまり迷惑を掛けないで下さいっ!」
エイダンはテーブルを、ダンダンと叩いて怒りをあらわにした。
「ごめんごめん…でも、大丈夫だよ!耳で払ったから!」
「耳………」
エイダンは、一瞬きょとん、とした表情になり、すぐに顔を引きつらせた。
「耳って…まさか、野盗狩りの耳ですか⁈」
「うん。オーウェンも、ノルマが面倒くさいから、そっちの方が良いって言うからさ!」
エイダンはテーブルから立ち上がった。
「ジルベール様っ!その様な事は、二度とおやめ下さいっ!当然の様に仰らないで!」
「えぇ……でも……オーウェンは良いって…何が駄目なの?」
理解しないジルベールに、エイダンは掌で目を覆い、ため息を付いた。
「とにかく…駄目なものは駄目です!良いですねっ⁈ほら、さっさと席に着いて、朝食を食べて下さい!」
納得のいかないまま、ジルベールは席に着き、温かい朝食をのろのろと食べ出した。
お読み頂き、ありがとうございます。
不慣れな点が多く、時折改稿をしながらの投稿をさせて頂いています。
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