拝啓 私の婚約者殿
婚約者、アルス視点です。
無駄に長くなって無理に終わらせた感があります。
「アルス、これはお前に」
父が無造作に差し出してきたのは、一通の手紙だった。
「……私にですか」
ルマーヌ辺境伯嫡子アルスラント。十三歳。まだまだ若い――というより幼いに部類されそうな年頃だが、彼は生まれた時から戦争と隣り合わせだった。
ダリア王国の隣国であり同盟国であるゼラニウム王国が戦争中のため、辺境伯として国境を守る一族に生まれた彼は、己の立場や役目を実地で叩き込まれながら育った。
本来なら王都に出て挨拶をしたり、同世代の子息令嬢と交流する機会を持つべきなのだろうが、彼の場合、そんな時間はなかった。なにしろルマーヌ領から王都までは遠すぎる。往復すれば一ヶ月はかかる。国境警備の指揮官である辺境伯と、その息子が城を空けるには長すぎる期間だ。辺境伯はアルスの出生の時に詫び状を出しており、王もそれを受け入れている。
よってアルスはルマーヌ領から出た以外では、ゼラニウムにしか行ったことがない。それも物資の補給や、敵軍との小競り合いで。
そんな風に生きてきたアルスには個人的な知り合いというものがいない。手紙を受け取る宛が全くないのだ。
「私の友人の、御令嬢からだ」
アルスは小さく首を傾げた。差出人を聞いても、自分に手紙が届く理由がわからない。
「応援のお手紙だそうだ。とりあえず読みなさい。返事はいいから」
父にそう言われて、アルスは素直に手紙を受け取った。その場で開いて目を通す。
「……ご令嬢はおいくつですか」
「六つか七つだったと思うが」
なるほど。
アルスが開いた手紙は、非常に読みにくかった。おそらく、字を習ったばかりなのだろう。それでもどうにか読み進める。
『騎士様へ
いつもみんなのためにがんばってくれてありがとうございます。わたしはきしさまがかっこよくてすきなので、すごいとおもいます。おしごとたいへんでも、がんばらないでやすんでください。
エリーゼ』
手紙なのか感想なのかよく分からないところもあったが、アルスは少し驚いた。
辺境伯が、有事の際に率先して働くのは当たり前のこと。それに王都に住むものたちは、戦争が間近で起きている、という実感もないはずだ。何も変わらない日常を送っている。それこそが辺境伯としての仕事の成果なのだから、誰に伝わらなくてもいい。それを五つも下の令嬢に労われた。それに。
「がんばらないでやすんでください」
頑張るな、と言われたのは本当に初めてだった。
(頑張ってください、ではないのか……)
文字を覚えたばかりの子供が、何も考えないで書いた手紙、というわけではないのかもしれない。
(エリーゼ嬢……)
どんな子なのだろう。
アルスの完結していた人間関係に新しく現れた少女は、強烈な印象を残した。
アルスがふとした時にエリーゼのことを考えてしまうことに気付いたのか、それとも最初からそのつもりだったのか。手紙をもらってからしばらくして、父が唐突にアルスに言った。
「アルス。この前、お手紙をもらったエリーゼ嬢と婚約する気はないか?」
「婚約、ですか」
年齢で考えれば、婚約者がいてもおかしくない。しかし出会いはないし、それどころではなかったので、これまで父から話が出たことはなかった。
「彼女と私は、五つ離れていますが」
「今は大きな差と感じるだろうが、大したことはない」
「ゼラニウムの戦争が落ち着くまで、結婚どころか婚約式もできませんが」
「それは先方も承知の上だ」
歳の差は問題なく、時期についても了承済み。ならば。
「ではお受けします。よろしくお願いします」
ほとんど二つ返事で、アルスとエリーゼの婚約は決まった。
婚約が決まったからと言って、何かが変わったわけではない。そう思っていたのは、一月だけだった。
再び、アルスに宛てた手紙が届いたのである。差出人を疑うことなく、アルスは手紙を開けた。
『アルス様へ
こんやくありがとうございます。これからよろしくおねがいします。おあいできるひをたのしみにしています。アルスさまは騎士さまだからよろいをきますか?わたしはぎんいろのよろいがかっこいいとおもいます。
エリーゼ』
婚約者への挨拶として出すように言われたのだろう。彼女が婚約とは何なのかを理解しているのかは分からないが。
婚約者からの手紙は返事を書くのが普通らしい。しかしアルスは手紙を書いたことがない。歳の近い従者であり友であるベネリックに相談すると
「その日あったこととか、考えたこととかを書けばいいと思うよ」
というアドバイスを得たので、アルスはその通りに書いた。その日一日の自分の行動を書いて送った。
『拝啓 エリーゼ殿
本日は明朝から訓練あり。朝食後、城塞の巡回。終了後部屋に戻り、自分の報告と他の部隊の報告をまとめて昼食。午後の訓練とゼラニウムの動向を確認後、夕食。本日の報告と明日の予定を辺境伯と確認し、この手紙を書いた後に就寝予定。明日は早い。
アルス』
普段書いている報告書よりかなり簡単にまとめて、アルスは封をした。彼女はまだ文章を読むのが難しいかもしれないから、代読する者がいるかもしれない。誰に見られてもいいように機密などには一切触れずに書き上げた。
翌日、アルスは従者に手紙を託した。返事は来るだろうか、と思いながら。
手紙を出してから一月を過ぎた頃、エリーゼから返事が来た。王都との距離を考えれば、かなり早い。
『アルス様へ
おへんじありがとうございます。うれしいです。ごはんおいしくたべてください。わたしはおかしがすきです。さいきんはマドレーヌがすきです。
エリーゼ』
返事を読んで、すぐに書いてくれたのだろう。甘い物が好きらしい。アルスは食へのこだわりを持たない。甘いものも特別好きというわけではないが、次のおやつはマドレーヌにしようと決めた。
『拝啓 エリーゼ殿
本日は早朝訓練なし。代わりに自己鍛錬の時間を設ける。朝食後、ゼラニウムへの支援物資を用意。午前中の巡回班の報告を受け取り、まとめる。昼食後、会議。会議後に訓練。その後城塞の巡回。報告書を提出後、夕食。本日の報告の明日の予定を辺境伯と確認し、この手紙を書いた後に就寝予定。
アルス』
前回と同じように手紙を書くと、早々に従者に託した。
こんな手紙のやり取りが少し続いた頃、アルスはたまたま書きかけの手紙を見た従者のベネリックに怒られた。
「こんなの手紙じゃありません!行動記録じゃないですか!年下のご令嬢にも分かるように書いてあげてください!」
「お前がその日あったことを書けばいいと言ったんだろう」
「その日あったことを箇条書きのように全て書き出せなんて言ってません!」
ものすごいダメ出しをされたので、アルスは考え直した。
その日あったことを全て書けばいいというわけではない。
ベネリックからのアドバイスを思い出す。
「その日あったこととか、考えたこととかを書けばいいと思うよ」
……その日あったことが駄目なら考えたことを書くことにしよう。
アルスはペンをとった。
『拝啓 エリーゼ殿
今日はよく晴れていた。庭の花壇に花が咲いていた。
明日は朝から訓練なので今日は早めに休もうと思う。
アルス』
「……」
これまでの手紙と比べて随分と短い文章になってしまった。だが婚約者はアルスよりも五つも年下、今までが逆に読みにくかったのかもしれない。
アルスは手紙に封すると、王都への定期連絡の際に届けてくれるよう頼んだ。
エリーゼからの手紙は、アルスの殺伐とした日常の中で、数少ない楽しみだった。
彼女の手紙には、自分が好きなこと、一日をどのように過ごしたか、その中でどんな発見があったかといったことが書いてあった。おかげでアルスは、会ったことがない婚約者についてそれなりに詳しくなった。と、思う。
読みにくい字で書かれていた頃に比べて、成長してからの手紙は少しよそよそしくなった。
ある時、無理に手紙を返してくれなくていいと書かれた手紙を受け取った。忙しいだろうから、とこちらを気遣った文章だったが、そんなつもりが全くなかったアルスは困ってしまった。困ったのでベネリックに相談した。
ベネリックはやや呆れながらも答えてくれた。
「面倒だと思われている誤解を解くような書き方?いや、普通思いませんよ。……そうですね、相手のことも考えていますか?自分のことばかりでは、こちらに構う余裕がないと思われてしまうかもしれないですね」
なるほど、自分が書かれて嬉しいことは真似すればいいのか。
納得したアルスは、手紙の最後にエリーゼへの想いを書き添えるようにした。試みが功を奏したのか、それ以降、手紙を遠慮する一文が添えられることはなく、文通は続いた。
エリーゼからの手紙には、ルマーヌ領の者達に感謝する一文が必ず添えられた。もちろん、アルスへの労いも。
アルスは領民たちを労う立場であり、労いをかけられるものではない。
そう思っていたが、エリーゼはアルスが一番頑張っている、と言ってくれる。
可愛いな、と思う。
顔も見たことがない婚約者だが、いつからかアルスはエリーゼについて、そう思うようになっていた。手紙から伝わってくる一生懸命さ、優しさ。
もともとアルスは、人とのかかわりにおいて見目は気にしない。それに生涯を共にするなら、内面の方を重視したい。その点、顔を知らなくても可愛いと思えるエリーゼなら、一緒に暮らして生きていけるのではと考えることが増えた。
そしてそこまで考えると、エリーゼに何かしてあげたいと思ってしまうのだ。
彼女は王都住まいで、アルスより五つも年下。ゼラニウムが落ち着いたら結婚することになるだろうが、そうしたらつい最近まで戦争をしていた隣国と隣り合わせの辺境で暮らすことになる。アルスにとっては生まれた時からの環境だが、エリーゼにとっては知らない環境に放り込まれ、そこで生涯を過ごさなければならないのだ。戸惑うことばかりだろうし、不便に感じることもあるだろう。それを思うと、自分にできることはしてあげたいと思う。
残念ながら、今のアルスがエリーゼにしてあげられることはほぼない。本来、婚約者とは実際に会ったり、プレゼントを贈ったりして仲を深めていくものらしい。しかし、現状でこちらから物を送るのは難しいし会いに行くこともできない。来てもらうなんて以ての外。
今は手紙を送りあう以外できることはない。会えるようになったら、何だってしてあげたい。
幸いと言っていいのか、エリーゼは手紙に自分のことをたくさん書いてくれているから、アルスが頭を悩ませることはあまりなかった。手紙に書かれた小さな羨望や憧れを、アルスはよく覚えている。それらをすべて実現してあげるのだ。いつか、戦争が終わったら。
――それから月日が流れ、ゼラニウムとガーベラの戦争が終結した。
停戦条約が締結されたときの歓声は、ゼラニウムからも、ルマーヌからも上がった。
(終わった……)
生まれた時から戦争中であったことが、当たり前だった。それが終わった。当たり前が、変わる。
(エリーゼ……)
顔も知らない婚約者の名前が、アルスの心に浮かぶ。ダリアが直接戦争をしていたわけではないから、あまり死ぬかもしれないような巻き込まれ方はしなかった。だがゼロではなかった。
生きて戦争の終わりを見届けた。それをエリーゼに直接伝えたいと思った。
それから、王都での夜会の出席やエリーゼへの顔見世のために、アルスは父に先んじて王都を目指すことになった。自ら荷造りをして馬車に乗り込んだアルスに、同席することになっているベネリックは変な顔をした。
「アルス様……なぜ鎧をお持ちなのですか?しばらくは必要ないはずですが」
王都へ向かう荷造りの中に、なぜか鎧が入っていた。王城の夜会で着るはずがないし、修繕もルマーヌで済ませている。持ち出す必要が全く分からない。
「エリーゼに会う時に着る」
「はい?」
エリーゼに会う時に着る?
「エリーゼ……様というのは、婚約者のエリーゼ様ですよね?」
「他に誰がいる」
「なぜ武装してお会いする必要があるのですか?」
「エリーゼは銀色の鎧を着た騎士をかっこいいと思っているらしい」
「はぁ……え?だから着てきてほしいとお願いされたのですか?」
「されてはいないが」
されていないのにかっこいいと思っているらしいから着ていく。
(かっこいいと思ってほしいということか……?)
従者としての贔屓目を抜きにしても、アルスは十分に整った容姿をしている。それでも、婚約者にかっこいいと思われたいから着ていくということか。
いじらしいというか何というか。
「あ、もしかして髪を伸ばし始めたのもエリーゼ様のためですか?」
「ああ。エリーゼが、三つ編みの騎士は素敵だというから」
「……」
アルスが髪を伸ばし始めたのはかなり昔だ。今では腰まで届くほど長くなっている。身なりの中で一番気にしているのが髪なので、アルスの金髪はルマーヌ領でおそらく一番美しい。なぜか時々「練習」と言って髪に花を編み込んでいたりするので、その様子を見たルマーヌの人間は男女問わずあまりの美しさにため息を漏らすとかなんとか。
それもこれもすべて、まだ見ぬ婚約者、エリーゼのためであると。
(アルス様は何事にも関心が薄いと思っていたが……そうでもなかったようだ)
ベネリックが内心で微笑ましく思っている正面で、窓の外を眺めながら、アルスは頭の中でシミュレートしていた。
――エリーゼは騎士が好き。
アルスは騎士である。クリア。
――エリーゼは銀色の鎧がかっこいいと思っている。
銀色の鎧は持参した。クリア。
――エリーゼは髪を三つ編みにした騎士に興味がある。
手紙を読んだ日から髪を伸ばしている。クリア。
――エリーゼは髪に花を編み込んでいると素敵だと思う。
マルセイン家へ着く直前に花を調達して、編み込んでおく。クリア。
――エリーゼは花を貰えることが羨ましいと思う。
編み込んだ花をあげよう。クリア。
――何も問題ない。
エリーゼの将来は既にアルスと約束されている。つまりエリーゼの騎士はアルスということなので、エリーゼの願望はアルスが叶えないと、永遠に叶うことがない。
だからアルスが、すべて叶えるのだ。
「あ、そうだアルス様。婚約者とはいえ初対面のご令嬢ですから、エリーゼ様のことを呼び捨てにしてはいけませんよ。きちんと許可を取ってからです」
「……」
エリーゼ殿、と心の中で何度か呼ぶ練習をして、すぐにやめた。
どうせすぐ、エリーゼと呼ぶようになるのだ。
アルスは信じて疑わぬまま、まだ見ぬ婚約者へ思いを馳せた。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
手紙のやり取りをメインにしたかったのに、長くなりすぎておまけみたいになってしまいました。