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風の少女と呪いの絆4  作者: たき
4/7

(4)

 朝早くに目が覚めたリリーは、隣で休むセピアとフォルマを起こさないよう、そっと天幕を出た。

「リリー、おはよう」

 火の番をしていたオルトがふり向き、笑顔で迎える。

「おはよう、オルト。火の番、大変じゃなかった?」

 寝不足になっていないかと聞きながら隣に座るリリーに、オルトは「これくらい、どうってことない」と言って、温かい茶を差し出した。

 そこへ茂みの奥から、布を首にかけたソールが現れた。

「おはよう、ソール。もう起きてるの?」

「……ああ、顔を洗ってきた。お前も早いな」

 気のせいか、ソールの表情が何となくかたいように見える。

「ご飯作るなら手伝うよ。あまり役には立たないかもしれないけど」

 腰を浮かすリリーに「いや、いい」と一度断ったソールは、オルトをちらりと見てから言い直した。

「じゃあ、鍋に水を張っておいてくれるか。重いから、オルトに手伝ってもらうといい」

「よし、行くか、リリー」

 オルトが立ち上がり、水を汲む容器を二つ取る。オルトは二つとも持とうとしたが、何もしないのは申し訳ないので、リリーは小さいほうの容器を手に、二人で川へ向かった。

「足元、滑りやすいから気をつけろよ」

「昨日も来たから大丈夫」と答えたそばから、ずるりと滑る。尻もちをつきそうになったリリーを、オルトが片手で捕まえた。

「だから言っただろう」

 抱きしめながら苦笑するオルトに「ごめん」とあやまったリリーは、オルトがいつまでも手を離さないことをいぶかしんだ。

「オルト?」

「うん……」

「あの、早く水を汲まないと」

「……そうだな」

 赤い瞳を揺らしながらゆっくりと離れたオルトは、リリーの持つ容器を取り上げた。

「危ないから、そこで待ってろ」

 一人で川へ下りて二つの容器を水で満たしたオルトが戻ってくる。オルトはやはりリリーに容器を返そうとしなかったが、手ぶらで帰るのは嫌だと言い張ったリリーに、渋々といったさまで小さい容器を預けた。

「今朝のご飯は何かな? 楽しみだね」

「リリーって見かけによらず、よく食べるよな」

「だって、ソールの作るものはおいしいんだもん……オルトまで体重がどうとか言わないよね?」

 口をとがらせてじろりと見るリリーに、オルトは笑った。

「言うわけないだろ。俺からしたらお前はすごく細いんだし」

「武闘学科生と比べられても嬉しくないよ」

 頬をふくらませたリリーは、たき火のそばにセピアがいることに気づいた。

「セピア、おはよう」

 じっとたき火を見ていたセピアが顔を上げる。目をみはり、けわしい顔つきになったセピアに、リリーは困惑した。

「セピア……?」

「……あ、おは……よう」

 すっとセピアが視線をそらす。そこへフォルマとレオンとルテウスも起きてきた。

 オルトが汲んできたばかりの水を鍋にためて、たき火の上につるす間、リリーは周囲を見回した。

「クルスはどこに行ったのかな」

「ソールのいるほうに飛んでいったよ」

 目をあわせないままセピアが答える。

「また? 連れ戻さないと、朝ごはんを全部クルスに取られちゃう」

「それは一大事だね」とレオンが発笑した。

 ソールのもとへ向かうリリーをオルトが見送る。そのオルトの横顔を、セピアもまた唇をかみしめて見つめた。

 


 ソールは朝食作りのついでに昼食のおかずも用意していたので、食後にリリーたちはそれを弁当箱に詰めた。その間、クルスがどさくさにまぎれてついばもうとしたため、ちょっとした攻防戦になった。

「クルスの食い意地がはってるのって、キルじゃなくてお前の影響じゃないのか?」

 何とか死守した弁当を袋に入れながら、ルテウスがあきれ顔をリリーに向ける。

「言えてる。いったいどこに入るのかっていうくらい、リリーも食べるよね」

 レオンにも笑われ、リリーは赤面した。やはり食べすぎだろうかとそっとソールを横目に見ると、ソールが瞳をやわらげた。

「食べた分だけ動けば問題ないし、動いた分だけ腹も減る。俺としては残されるより、たりないと文句が出るくらいのほうが嬉しい」

 だから遠慮せずに食べればいいと言われ、リリーはほっとした。ただし、はちきれそうなほどに膨らんだクルスのお腹のようにだけはならないよう注意しようと思った。

 準備が整うと、オルトを先頭に七人と一羽は出発した。今日は森の奥にまで入る。一見自然の中の穏やかな世界に感じるが、サルムの森は意外と危険なものが多いため、みんないつでも武器や法術を使えるよう神経を使って進んだ。

 クルスは時折空を飛んだり、リリーの肩に降りたりしていたが、武闘学科生のそばには近寄らなかった。クルスなりに邪魔をしないようにしているのかもしれない。

 と、不意に不快な羽音が聞こえてきた。鳥ではない、この音は――大型の昆虫だとリリーが察したとき、前方から五匹の大きなハチが飛来してきた。

「オオハチトリバチだ」

 サルムの森で一番よく見かける肉食の虫に、オルトが舌打ちした。

 同じ巣の仲間に獲物の発見を知らせようと、五匹がいっせいに羽音を高く響かせる。まずフォルマが弓を引いた。続けてレオンが炎のつぶてで一匹を焼く。残り三匹はオルトが続けざまに切り捨てた。

 しかし合図を受けて右からも左からもうるさい音が近づいてくる。やがて合計十匹のオオハチトリバチが現れた。

「左は任せて」

 リリーが詠唱を始めると、ソールが右側へ目をやった。オオハチトリバチは大地属性のため、ルテウスの防御は使えない。できるだけ早くこの包囲網を抜けていかなければならない。

 敵は大きい分、狙いをはずことはほぼない。リリーの『嵐の法』が左側の五匹を粉々に散らすのと、ソールとオルトが右側の五匹をしとめるのが同時だった。 

 幸いなことに、増援を呼ぶ前に封じることができた。しかしもたもたしていてはまた見つかってしまう。七人は息つく間もなく奥へと急いだ。 

 それからも、いきなり足元の土を突き破って食いつこうとした巨大ミミズがいたり、歩く植物に付け回されたり、頭上から吸血蜘蛛が落ちてきたりと、驚きの連続の中、リリーたちは何とかその場その場を乗り切り、やがて空を覆う木々のない広場に出た。

「このへんで昼食にするか」

 周囲に警戒のまなざしを投げてから、オルトが言う。上空を旋回していたクルスもここなら安全だといったさまで、ソールの肩に降りてきた。

 リリーが敷物を敷いて荷物を置こうとした瞬間、風にあおられて敷物が飛んだ。追いかけようとしたリリーより先にオルトが動こうとしたのを見て、セピアがとめた。

「放っておきなさいよ、オルト。リリーだってもう小さな子供じゃないんだし」

 世話を焼きすぎだよ、とみんなの座る中心にパンを出しながら言うセピアに、リリーはびくりとした。セピアの口調のきつさに、他の者たちも目を丸くしている。

「あ、大丈夫だから、オルトは先に座ってて」

 リリーはそう告げて敷物を取りに行った。木の幹にへばりついている敷物をつかもうとしたとたん、また風が吹いて飛んでいく。その後も、追いつくたびに敷物は逃げていき、繰り返される状況にリリーは違和感を覚えた。

 何かおかしい。みんなからだんだん遠ざかる中、ふとリリーは気づいた。

(……風、後ろから吹いてない)

 少なくとも、自分の背中を押すような風を感じない。むしろ逆だ。前方から吸い込まれているような――。

 リリーは目を見開いた。眼前の大木の幹に、ぽっかりと大きなうろができている。

 小枝には、古びてちぎれかけたいくつもの衣類が刺さっていた。周りの木々とあきらかに違う種類の木のうろに、敷物が引っ張られて入ったとき、うろが閉じた。

「あ……」

 リリーは後ずさった。木を刺激しないよう、そろそろと。しかし敷物を吐き出した木が怒ったようにまたうろを出現させるのを見て、余裕など吹き飛んだ。

 身をひるがえしたリリーは、見えない腕に捕まえられたかのようにぐいっと後ろに引き寄せられた。すさまじい吸引力に悲鳴をあげる。

 まず一番にクルスが飛行してきた。爪を振るうクルスを追い払おうとせんばかりに、木が枝を振り乱す。

「リリー!!」

 次いで走ってきたオルトが、うろに飲み込まれかけていたリリーを捕まえた。オルトがリリーを外へ引っ張り出そうとする間に、一緒に駆けてきたソールがうろに槍を突き刺す。樹液があたりに散り、大木がおぞましい叫び声をあげた。

「レオン!」

 何とかリリーを救出したオルトの叫びに、レオンも血相を変えて来た。レオンが『剣の法』を唱えるすきに、リリーを抱きかかえたオルトが逃げる。代わりにレオンを食らおうとした大木に対し、クルスとソールが連続攻撃を加えた。

 レオンの放った炎が大木を包む。耳をつんざく醜い悲鳴とともに、木はめらめらと燃え尽きていった。

 


 息切れしながらリリーを連れ帰ったオルトが、自分の敷物の上にリリーを下ろす。他に同じような木がないか確かめながら、ソールとレオンも戻ってきた。

「大丈夫か、リリー? けがはないか?」

 ひざまずいてリリーの肩をつかみ、オルトが顔をのぞき込む。リリーは無言でうなずいた。

 クルスが飛んできてオルトの肩にとまる。心配そうに鳴くクルスの声に、ようやくリリーはゆっくりと顔をあげた。

「何があったの?」

 フォルマの問いかけに、レオンが息をついた。

「『人食いの木』が森の中にまぎれてた。リリーの敷物は風に飛ばされたんじゃなくて、『人食いの木』に吸い寄せられていたんだ」

 もう少しでリリーが食べられるところだったよ、と言うレオンに、フォルマとルテウスも顔色をなくした。

 セピアも蒼白したまま震えている。それでもいつものようにリリーを気づかう言葉は、セピアの口からは出なかった。

 リリーが落ち着くのを待ってから七人は昼食に入ったが、オルトはリリーの隣に座り、ソールは二人の前に腰を下ろした。この配置なら、どちらから敵が来てもオルトかソールが対応できる。一方セピアはフォルマの横でうつむきがちに食べていたが、結局半分以上弁当を残した。

「ソール、悪いがここからは先頭を行ってくれ。俺はリリーにつく」

 片付けて全員が荷物を背負ったところで、オルトがソールに声をかけた。ソールはまだおびえた表情の消えないリリーを一瞥してから、承知した。

「喧嘩したわけじゃないよね? 心当たりは?」

 オルトとソールが方向の確認をしている間にそっと寄ってきたフォルマが、セピアをちらりと見てからリリーに小声で尋ねる。リリーがかぶりを振ったところでオルトがそばに来たので、フォルマはすっと離れていった。

「まだ顔が青いな。本当に平気か?」

 オルトがリリーの頬に触れたとき、セピアが言った。

「オルト、もうソールが動きだしたよ。進んで」

「……セピア、お前、今日おかしいぞ」

 オルトが眉をひそめる。よそを向いているセピアの横顔が涙をこらえているように見え、リリーはオルトをうながした。

 オルトもフォルマも気づいている。たぶん、ソールとレオンとルテウスも。

(セピア……どうしたんだろう)

 少なくとも、昨日寝るまでは普通だった。むしろ久しぶりに一緒に寝ることが嬉しくて、フォルマと三人で遅くまでひそひそ話をしていたのだ。

 なのに今朝からセピアはずっとよそよそしい。自分と目をあわせようとしないし、近づいてもこない。明らかに避けているのだ。

「リリー、ぼんやりしてると転ぶぞ」

 隣にぴったりとくっついて歩くオルトに注意され、リリーは無理やり笑みを作った。

「大丈夫だよ、オルトは心配しすぎ」

「お前の大丈夫はあてにならないって、さっきわかったばかりだろうが」

 絶対に俺のそばを離れるなよ、と言って、オルトがリリーの肩を引き寄せたとき、羽を散らしてクルスが間に割り込んできた。

「お前、また邪魔をするつもりか?」

 リリーの肩に乗ってオルトを威嚇するクルスに、オルトが渋面する。

「クルスが守ってくれるみたいだよ」

 今回は居眠りしないで頑張ってるねと、リリーはクルスの頭をなでた。

「まあ、確かに一番乗りはこいつだったけどな」

 オルトの視線を受けて、クルスが胸を膨らませた。

「威張ってやがる」

 苦々しげに舌打ちするオルトに、ふふっと笑ったリリーは、後ろから届いた小さな悲鳴にふり返った。

「セピア!」

 前のめりに倒れているセピアに駆け寄る。オルトがすぐについてきた。上体を起こしたセピアはリリーではなく、後ろにいたフォルマの手を借りて立ち上がろうとしたが、顔をしかめて足首を触った。

「ソール、ちょっと待って!」

 リリーがかえりみると、ソールはすでに止まってこちらを見ていた。

 セピアの杖がない。周囲を見回したリリーは、草むらに転がっている杖を目にした。

「だめだ、何かいたらどうするんだ。お前はここにいろ」

 取りに行こうとしたリリーの肩を押さえ、オルトが草むらへ入っていく。拾ってきた杖を渡すオルトの顔を一度見てから、セピアはうつむいた。

 自分で『治癒の法』をかけて回復したセピアが腰を浮かす。そのままセピアはリリーの横を過ぎて先に行った。

 目があったフォルマがかぶりを振って後に続く。立ちつくしていたリリーの背中にオルトが軽く触れた。

「何なんだ、あいつ……行こう、リリー」

 お礼すら言わず歩いていったセピアに、オルトは腹を立てているらしい。でもリリーは怒る気になれなかった。

 ただ、理由が知りたかった。



 その後の道のりは比較的平和だった。たまに襲ってくる危険な生き物は、ソールが早めに察知して対処していったため、ソールの真後ろにいたレオンが口笛を吹いた。

「ソールが先頭だと、安定感があるね」

「悪かったな」

 最後尾でむっとするオルトに、ソールが肩越しに言った。

「オルトは勘がいいから、急ぐときはオルトに従ったほうがいいぞ」

「つまり、オルトは野生の本能が発達していると」

「レオン、お前、俺に喧嘩を売ってるのか?」

「ほめてるんだよ。そういうのって天性のものじゃないか」

「……その嘘くさい顔をどう信じろって言うんだ」

 にっこり微笑むレオンを半目でにらむオルトに、フォルマとルテウスがぷっと吹き出した。

「俺たちが討ち漏らしても、後ろにオルトがいるなら安心だろう」

 言いながら、樹上から降ってきた小さな吸血蜘蛛を、狙い外さず槍先でしとめるソールに、レオンが「お見事」とつぶやいた。

「ソールって、本当に気配りの人だよね。よくそんなあちこちに配慮できるなって感心するけど、たまには本音を出さないと、そのうち欲求不満でつぶれるよ」

「お前がその的になってくれるなら、これからいくらでも吐き出すが」

 ソールが口の端を上げてレオンを見ると、レオンは大げさに身震いしてみせた。

「うわ、やっぱり肉食獣だ。リリー、餌付けされないように気をつけなよ」

「私、そこまで意地汚くないよ」

「そう? クルスと君が一番、味見と称して張りついてるじゃない」

「……そんなに味見に行ってる?」

 リリーがソールに確認のまなざしを送ると、ソールが苦笑した。

「来てるな」

 全然自覚がなかったため、リリーは真っ赤になった。

「誰かがお菓子をくれると言っても、ほいほいついていかないようにね」

 からかうレオンに、そんなことしないよと反論したかったが、もしくれるのがソールだったら間違いなく行ってしまうだろう。返事ができずにリリーが視線をさまよわせると、オルトと目があった。

 オルトの瞳に複雑な色が渦巻いている。リリーが首をかしげると、オルトは顔をそらした。さらにリリーはセピアにも見られていることに気づいたが、セピアもやはりぷいとよそを向いてしまった。結局洞穴に着くまで、セピアは一度もリリーをふり返ることはしなかった。

 


「……ここだな」

 先頭のソールの声に、全員が洞穴の前で足を止めた。

 山肌にぽっかりと口を開いた洞穴は、オルトやソールがぎりぎり立って歩ける程度の高さがあった。横幅も二人が並べるくらいだ。思ったより広く、やや下り坂に感じる洞穴を、七人はゆっくりと進んだ。

「レオン、大丈夫?」

 奥へ入るほどじんわり暑さがしみてきている。フォルマの声かけに、ソールの後ろにいたレオンはふり返り、平気だと答えた。

「フォルマも心配が過ぎるよ」

 調子が悪いときはそう言うからとレオンが笑う。それでもレオンの不調を見逃さないよう、フォルマの目がレオンの背中にずっとそそがれているのを見て、隣にいたセピアは口を開いた。

「いいよ、フォルマ。レオンのそばにいてあげて」

 フォルマはちらりとセピアを見やったが、かすかに微笑んだだけで動かなかった。きっと自分に気を使っているのだ。

 オルトも、フォルマのように優しかったらよかったのに。様子が変だとわかっているなら、せめてその間だけでも一緒にいてくれればいいのに。 

 みんなが、今日の自分はおかしいと思っているはずだ。自分だって、いつもどおりでいようとしたのだ。それでも、どうしても平静ではいられなかった。リリーを、オルトを見るのがつらかった。

 リリーが『人喰いの木』に襲われたと知ったとき、怖くなった。自分の願望がもう少しで現実になるところだったのだ。もしそんなことになれば絶対に後悔するのに、ほんのちょっとでも期待してしまった自分に、おびえた。

 もし、リリーがいなければ、と――。

 頼まれたわけでもないのに、長い間かまってきたのは自分とオルトだ。リリーがかわいくて、放っておけなくて、勝手に世話を焼いてきたのは自分たちなのに。

 三人でいても、オルトの意識はいつもリリーのほうにあった。転んでもいないリリーのことは心配するのに、転んだ自分に駆け寄ったりはしない。暗い表情のリリーのそばにはいようとするのに、自分のもとには来てくれない。

(私だって、オルトに気にかけてほしいよ……)

 でも、オルトはリリーが好きだとはっきり口にした。ずっと耳をふさいで聞かないようにしていたことを、聞いてしまった。

 オルトは自分がいなくてもかまわない。そしてリリーも。

 ついに最奥に到着した。眼前に広がる大きなくぼみには、水が張られている。

「粘土、あるか?」

 オルトがリリーを連れて脇を過ぎた。びくりとこわばるセピアをかえりみることもなく、水をのぞき込んでいるソールのそばに寄る。

「あのあたりの土の色が違うように見えるな」

 ソールが指さした先を見ようと、レオンとフォルマも首をのばしている。

 リリーがふり返った。その唇が自分の名を呼ぶ形になりかけて閉じる。揺らいだ薄緑色の瞳があきらめたかのようにすっとそれるのを目の当たりにしたとき、セピアの心がきしんだ。

 何もかも振り捨てて泣き叫びたくなったセピアは、いきなり頭にバサリとかけられた布に驚いた。  

「汗はちゃんと拭いておけ」

 布越しにセピアの頭のてっぺんをごしっとこすり、ルテウスがオルトたちのほうへ歩いていく。セピアは汗を拭くには大きすぎる布を貸してくれたルテウスを見つめ、一人嗚咽を飲み込んで顔を隠した。



 粘土はオルトとソールが取りに入ることになった。靴と靴下を脱ぎ、ズボンの裾を膝下あたりまでめくり上げた二人は、水の中に危険がないか慎重に確認しながら進んだ。

 オルトが粘土を掘り上げ、ソールは辺りに視線を配っている。行動をともにする時間が長くなるごとに、二人の連携はかみあってきているように見える。

 レオンとフォルマがオルトたちの行動を注視している間、リリーとルテウスは水の外側を警戒して見回している。何もしていないのは自分だけだ。

 やがてオルトとソールが水から上がった。粘土を箱に入れ、その箱をさらに袋に入れたところで、ようやくみんなが安堵の表情になった。

「よし、これで材料は全部そろったな」

 オルトの笑顔に、レオンがこぶしをあごに添えて言った。

「『食卓の布』が完成したら、ソールのご飯とどっちがおいしいか一度食べ比べてみないとね。まあ、ソールの負担がぐっと軽くなるのは確かだけど」

「『食卓の布』は永久に使えるわけじゃないから、あくまでも非常食として置いておくほうがいいんじゃない?」

 フォルマの言葉にリリーもうなずいた。

「そうだよね。基本的には自炊できるときはしないと」

「とか言って、リリー、本当はソールの料理が食べたいだけなんじゃない?」

『食卓の布』だと味見できないもんね、とレオンに指摘され、リリーは赤面した。

「だって、ソールの作るものって本当においしいんだもん」 

「なんだ、もうとっくに餌付けされてるじゃないか。おいソール、こいつの体重管理もしてやれよ」

『翼の法』で飛べなくなったらまずいぞと、ルテウスが警告する。ソールが「考慮する」と真顔で答えたため、レオンたちが笑い声を立てた。

 粘土はソールが持つことになった。オルトとソールが靴を履く間、一人だけ少し離れた場所でうつむいていたセピアは、ぐりぐりと靴で地面を削っていたが、そのとき土がやけに砂っぽいことに気づいた。

 まさかこのあたりも地盤が緩いのだろうか。だとしたら長居はよくないかもしれない。みんなに声をかけようか迷ったセピアは、不意に足元の砂が渦巻きだしたのを見た。

 あっ、と思う間もなく、セピアの体が一気にずぶりと沈んだ。同時にレオンが「うわっ、何だこれ!?」と叫ぶ。

 レオンとフォルマの足場でも同じ現象が起きていた。フォルマは何とか逃れたが、レオンは飛びのこうとして逆に足をとられ、どんどん埋もれていく。フォルマとソールがレオンを助けようとする中、リリーがセピアをふり向いた。

「セピア!」

 リリーが走ってくる。だめだ、来たらリリーまで巻き込まれてしまう。

「待て、リリー!」

 後ろからオルトがリリーを捕まえる。しかしリリーはその手を振りほどいてセピアのほうへ駆けてきた。すでに首まで砂に沈んでいる自分に手をのばしてきたリリーと目があう。

 そのとき、ルテウスが飛び込んできた。オルトがリリーを引き戻す代わりに、ルテウスがセピアを飲み込む渦に滑ってくる。そうしてセピアは、ルテウスにつかまれながら、二人一緒に砂の底へ沈んでいった。


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