(1)
「……で、答えは――うん、それであってるよ」
算術の授業後、後ろの席の同期生に請われて説明していたレオンがうなずくと、囲んでいた女生徒たちまでがそろって称賛の声をあげた。
「すごいわ。さすがレオン」
「先生よりわかりやすいよね」
「ありがとう、レオン。本当に助かったわあ」
ふわふわの亜麻色の髪を背中までのばした赤錆色の瞳の少女が、とろけるような笑みを広げる。その甘い口調に内心たじろぎながら、「どういたしまして」とレオンも微笑を返して立ち上がった。
「じゃあ、僕はこれで」
「あ、待ってレオン。ねえ、今日は一緒にお昼を食べない?」
お弁当をちょっと作り過ぎちゃったのと上目遣いに誘ってくる相手に、レオンは「ごめん、先約があるから」と即答した。
「またいつもの人たち? 仲がよくてうらやましいわ。私ももっとレオンと一緒にいたいのに」
少女がむうっと口をとがらせる。
彼女の名はチュリブ・フルール。可愛くて守りたくなると一回生男子の間で人気の女生徒だ。知らない人には控えめに接しがちなリリーと違って積極的に話しかけるので、自分に気があるのではと一度は錯覚する男子生徒が多いらしい。それが誤解だとわかってからも皆が何かと世話を焼くのは、彼女が変わらずにこやかに頼るせいだろう。
「僕は自分の弁当で精一杯だよ。あまるくらいあるなら……」
レオンが周囲を見回すと、様子をうかがっていたドゥーダ・レベルソたち同期生がいっせいに手を挙げた。
「はいはい! 俺、いくらでも腹に入るよ」
「俺も。それってチュリブの手作りだよな?」
食いついてきた彼らにチュリブが少し困ったような愛想笑いを返したとき、教室の出入口からセピアが顔をのぞかせた。
「いたいた。レオン、今日は食堂で場所取りができたからそっちに行くよ」
「わかった」
ほっとしたことでつい明るい声音になったレオンをチュリブが見上げる。あきらかに不満げだったが、レオンは構わずセピアのもとへ駆けた。
「もしかして邪魔しちゃった?」
肩を並べて食堂へ向かう中、セピアが尋ねる。チュリブににらまれたんだけどと苦笑するセピアに、レオンは「いや、助かったよ」と息をついた。
「正直、苦手なんだよね。あの甘ったるい喋り方と服装が……」
チュリブは同じ炎の法専攻生で副代表だから、できれば良好な関係を維持したいのだが、自分がずっとともに過ごしてきた双子の姉とは正反対の雰囲気に、どうしてもなじめない。
「外見も中身もさっぱりしてるフォルマを基準にしたら、ほとんどの女の子を受け入れられないんじゃない?」
それに私とリリーもフリルやリボンのついた服は好きだけどとセピアが言う。
「セピアやリリーは全然気にならないよ。チュリブみたいに毎日ってわけじゃないし……たまになら、ああいうのも可愛いと思うんだけど」
「じゃあチュリブにそう伝えればいいのに。レオンの意見なら素直に聞きそう」
セピアの提案にレオンは渋面した。
「恋人でもないのに? 単に僕の好みとあわないだけで、彼女は自由に着飾る権利があるよ」
だから相性のいい人のほうに行けばいいとレオンは吐き捨てた。
「きっと僕が期待通りに動かないからむきになってるんだよ。彼女はちやほやされるのに慣れてるから」
どうやっても一定以上踏み込めないとわかれば、いずれあきらめるだろう。
「そうかなあ」
セピアは納得のいかない顔つきだったが、レオンは強引に話を終わらせると、皆と合流すべく急いだ。
休日の午後、買い物カゴをさげて市場にやって来たリリーは、背後から呼びとめられた。
「リリー!」
笑顔で走ってくるのはオルトだ。
日差しを浴びて金髪がきらめいている。年齢関係なく女性の目をひきながら、オルトは立ちどまって待つリリーに追いついた。
「買い物か?」
「うん、夕食の買い出しをお母さんに頼まれて。オルトは?」
「俺は武具屋に行く途中」
ベルトが傷んできたので、新しいものを買いにいくのだという。
「荷物持ちに付き合うぞ」
「え? 悪いからいいよ」
「いや、シータさんのことだから、また何か重いものが当たり前のように入ってるんじゃないか?」
「さすがに何度も言ってるから大丈夫だと思うけど……」
それでもちょっと心配になり、念のためにと紙を広げてみて、リリーはうめいた。
「ええっ……お母さんってば」
記憶に間違いがなければ、預かったカゴ一つには絶対に入らない大きなものがある。
「ほら、やっぱり」とオルトが笑った。
「オルト、ごめん。私も武具屋に一緒に行くから、その後で手伝ってもらってもいい?」
「もちろん」
オルトが上機嫌な調子で答える。二人はなじみの武具屋へと足を向けた。
「いらっしゃい」
店の扉を押して先に入ったオルトに、店主のジェソが声をかける。後に続いたリリーを見て、ジェソは目をみはった。
「珍しいな、リリーが店のほうに顔を出すなんて」
ジェソの前で支払いをしていた三人の少年は剣専攻の上級生だったらしく、オルトが会釈をする。彼らもオルトに軽く手を挙げてから、リリーを横目に店を出ていった。
よく考えれば、店に来たのは初めてだ。近くで営んでいる剣鍛錬所は母が通っているので、たまについていっていたのだが。
「二人で出かけてたのかい?」
「ううん。お母さんに頼まれて買い物に来たら、偶然オルトに会ったんです。私の荷物が思ったより多くなりそうだから、オルトが手伝ってくれることになって」
「そうか。いい荷物持ちを拾えてよかったな」
ジェソがオルトを一瞥してから微笑む。
以前は剣専門だったが、店主がジェソになってからは槍も置くようになったという。オルトがベルトを選んでいる間に店内をぐるりと見回したリリーは、勘定台の脇に色とりどりの小さな袋と紋章石が展示されているのに気づいて近寄った。
「それはお守りだ。女性が買っていくことが多いよ」
先代店主カラモスの妻がカラモスに贈ったことから始まったというお守りは、サルムの森の蔓草で編まれていて、その効果が評判でよく売れているらしい。
「恋人ならたいてい髪の毛とか指輪とかを入れるんだが、まだそこまでの関係でない相手に贈るなら、紋章石がおすすめだよ」
「そうなんですか……」
ジェソの説明に、リリーはお守りと紋章石を交互に見た。頭に浮かんだのは一人の武闘学科生だ。
「オルトの守護神は炎の神だろう? 今年に入ってから、お守りと一緒に炎の紋章石がよく売れてる。あとは風の紋章石も」
ジェソの視線をたどってリリーがふり向くと、いつの間にかそばに来ていたオルトがはっとしたさまで肩を揺らした。
「……俺は、好きな相手以外からもらうつもりはないから」
ということは、渡された経験があるのだろう。オルトはモテるからと笑いかけ、リリーはふと不安になった。
オルトがもう誰かから贈られたのなら、ソールももらっている可能性がある。
(もしかして……)
ペイアが話していた本命の人から受け取っているかもしれない。
リリーが一人で悶々としているすきにオルトはベルトを購入したらしく、リリーをうながした。
「リリー、済んだぞ」
「うん」と返事をして、リリーはお守りから目をそらした。
「……? どうかした?」
じっと自分を見つめるオルトに尋ねる。
「いや……遅くなる前に行こう」
オルトが先に店を出る。リリーは「またおいで」と言うジェソにぺこりと頭を下げ、オルトの後を追った。
夕刻にはまだ早い時間だったが、市場は買い物客でにぎわいでいた。リリーは買う予定のものが書かれた紙を見て、どう行けば効率よく回れるか考えた。
母は店ごとに買い物内容をまとめてくれていた。それは助かったのだが、逆にそこまでできるのになぜ大きなものがまぎれていることには意識が向かなかったのか謎だ。
「えっと、これと、これと……」
まず武具屋に一番近かった野菜屋で、店員に野菜を指さしてどんどんカゴに入れてもらう。野菜だけでカゴがいっぱいになっていくさまに、オルトが目を丸くした。
「むちゃくちゃだな。シータさん、本当にこれをリリー一人に持って帰らせるつもりだったのか」
「でしょ? オルトからも言ってくれない? 台車でもないと無理だって」
次に肉屋に寄って注文する。肉を包みながら、店主の年配女性がにこにこして言った。
「かわいらしい若夫婦だね。これもおまけしてあげるよ」
「え?」
きょとんとしてリリーが思わずオルトを見ると、オルトは顔を赤くしていた。
余分にもらった肉を加え、あとは卵と油と――そこでリリーは首をかしげた。
何だろう、このやたらに長い名前のものは……。
「リリーお姉ちゃん!」
不意に名を叫ばれて、紙から顔を上げる。ペイアが満面の笑みで手を振って近づいてくる。隣にはソールもいた。
「二人で買い物?」
「今日はお父さんの誕生日だから、ごちそうを作るの」
父親の誕生日のお祝いのせいか、ソールと一緒に買い物をするからなのか、ペイアはとても機嫌がよさそうだ。
「じゃあ、今日は二人で腕を振るうんだね。お父さん、喜ぶね」
ペイアと目の高さをあわせてリリーが微笑むと、ペイアがうなずいた。
「あ、そうだ。私の誕生日、来月の三十八日なの。お姉ちゃん、その日はあけておいてね」
「ペイアの誕生日に呼んでくれるの?」
「うん。絶対に来てね、お姉ちゃん」
「もちろんだよ。楽しみにしてるね」
約束を交わしてから、リリーはソールに視線を向けた。
「ソールの誕生日はいつなの?」
「『風の神が駆ける月』の八日だ」
「えっ、もう過ぎてるじゃない」
みんなでお祝いしようと思ったのに、とがっくりしたリリーに、ソールが苦笑した。
「また来年頼む」
「うん、そうだね……あ、ソール、これって何かわかる?」
リリーは紙に書かれていた長い名称のものをソールに指さして見せた。
「ああ、調味料だな。すぐそこの店に売ってる。行くか?」
ソールに案内されて、リリーは調味料の店に入った。
「すごい……」
天井まで届く棚一面に瓶がびっしりと並んでいる光景に、リリーは目をみはった。ついてきたオルトとペイアも驚いた表情で眺めている。
奥から店番の老人が出てきたが、彼より先にソールは目的の調味料を見つけてリリーに教えた。
「珍しい調味料を使うんだな」
「これはたぶんお父さんの希望だと思う。お父さん、いろんな調味料を試すのが好きだから」
「俺の家にもあるんだが、いったい何にあうのかわからなくて、ずっと放置しているんだ」
「それなら、お父さんに聞いておくね」
ついでに他の調味料のことでリリーとソールが盛り上がっている間、そばで二人を見つめていたオルトは、つとペイアを見下ろした。
「何だ?」
オルトを食い入るように凝視していたペイアは、警戒心まるだしで口を開いた。
「お兄ちゃん、もしかしてオルト?」
「そうだが」
「……ルテウスの言ったとおりね。確かに顔はいいわ」
「は?」
悔しそうにうなるペイアに、オルトが目をしばたたく。
「こないだリリーお姉ちゃんとルテウスがうちに来たときに言ってたの。お姉ちゃんの幼馴染のオルトは、顔と剣は最強だって」
「何だそれ……リリー、ソールの家に行ったのか?」
話を振られてリリーは「実はそうなの」と眉尻を下げた。
「カルパからソールの忘れ物を預かったんだけど、途中で道に迷っちゃって。そうしたら偶然ルテウスに会って、ソールの家に一緒に行こうとしたときに、買い物帰りのペイアと知り合ったの」
「リリーお姉ちゃん、その日はうちで一緒にご飯を食べたのよ」
得意げに報告するペイアに、ソールがため息をついた。
「お前が強引に引きとめたからだろう」
「でもご飯、おいしかったよ」とリリーは笑った。
「だって、リリーお姉ちゃんと仲良くなりたかったんだもん。それに『食卓の布』っていうの? その材料がそろったら、お姉ちゃんと服を買いに行く約束もしてるのよ」
ペイアがどうだと言わんばかりに胸を張って自慢する。
「セピアにも声をかけたの。セピアは趣味がいいから、絶対にペイアに似合うものを選んでくれると思うし」
初めて耳にする話だからか、オルトは困惑顔で黙っている。
いつまでも言葉を発しないオルトに気をつかったのか、ソールが「じゃあ、俺たちはここで」と別れを告げたので、リリーは調味料を買って店を出た。
それから卵と油も手に入れて、二人はリリーの家に戻った。
「お帰りなさい。あら、オルト、運ぶのを手伝ってくれたの?」
「お母さん、買い物の量が多すぎるよ。オルトがいなかったら、私一人では絶対に持って帰れなかったよ」
ちょうど玄関口に出てきたシータに文句を言ったリリーは、母の後ろから現れた二人の男にはっと足をとめた。
「……こんにちは」
一人は警兵だ。何かあったのだろうかと緊張しながらあいさつしたリリーに、赤朽葉色の髪の警兵は「こんにちは。君がリリーか」とにこりとした。
「すごくかわいいな。ああでも、リリーはお父さん似かな」
「そうか? 俺はシータさんにも似てると思うけど」ともう一人のくすんだ黄緑色の髪の男性が言う。こちらは役人のような身なりをしていた。
リリーはほっと肩の力を抜いた。初めて見る顔だが、どうやら両親の知り合いらしい。
大股で近づいてきた二人は、リリーの隣に立つオルトを見やり、さらに瞠目した。
「おっ、君は――もしかしてタウさんの」
警兵の問いかけに「長男よ。タウにそっくりでしょ」とシータが答える。
「いやあ、驚いた。トルノスから話は聞いてたけど、ここまで似てるとは」
感心したふうの二人をシータが紹介した。
「リリー、オルト、こっちは警兵のマルク、それから市長の秘書のカナルよ。二人ともお母さんより一つ下で、ゲミノールム学院出身なの」
マルクは剣専攻で、カナルは槍専攻だったという。それぞれ在学中は副代表として、トルノス・カルタ教官とジェソを支えていたらしい。
「じゃあシータさん、また」
「ご主人によろしくお伝えください」
「結果がわかりしだい連絡するわね」
手を振るシータにお辞儀をしてから、二人は帽子をかぶって去っていった。
「お母さん、何かあったの?」
「ちょっとお父さんに頼みごとがあって訪ねてきたのよ」
用事はすぐ終わったけどつい長話をしちゃったわと、シータが苦笑してきびすを返す。リリーとオルトも家に入ったたところで、奥からクルスが飛んできた。
「本当に居座ってるんだな」
廊下のとまり木に降りて見下ろしてくるクルスに、オルトがあきれたさまでつぶやく。クルスが反論するかのように羽を広げて一声鳴いた。
「オルト、よかったらご飯食べていく? イオタにはファイから使いを送ってもらうから」
台所に買い物カゴを置いたオルトは、シータの誘いに嬉しそうにうなずいた。
「夕食ができるまで、リリーの部屋でもどこでも休んでて」
「あー、じゃあ、リリーの部屋で……いてっ」
答えたオルトにクルスが飛びかかる。
「ちょっと、クルス。だめだよ」
バサバサ飛び回ってオルトを威嚇するクルスにリリーは怒ったが、クルスはいっこうに落ち着かない。シータが小首をかしげて笑った。
「もしかして妬いてるんじゃない?」
「なんでクルスがオルトに妬くの? もう知らない。行こ、オルト」
リリーがオルトの手を取って自分の部屋へ向かう。クルスはますます狂ったようにぎゃあぎゃあ叫びながら追っていったが、「おとなしくしないなら入れてあげない」と言って、リリーはクルスの前で部屋の扉を閉めた。
「ごめんね、オルト。いつもはあんなに暴れないんだけど」
「あいつ、オスだよな? リリーが好きなんだろ」
扉の外から甘えるような鳴き声がしている。そちらに目をやりながらオルトが言った。
「なんか、キルに似てる気がするんだが」
「そうだね。やっぱり飼い主に似るのかも」
オルトは寝台に腰を下ろしかけ、思い直したように机のほうへ向かった。
「……なあ、リリー」
開け放っていた窓を閉めていたリリーは、椅子に座ったオルトの呼びかけにふり返った。
「仲がいいのは妹だけか?」
「え……?」
首を傾けるリリーに、オルトは目をそらした。
「……いや、いい。気にするな」
私生活多忙中につき、更新はかなりゆっくりめ。次回の投稿は来週以降の予定です。