仮面の英雄は隠居したい――赤点ばかりの万年最下位、実は大陸最強の英雄です――
「どれだけ持ち堪えれば良いんだ?」
「さぁな! あの方々がやってくれるまでだろ!!」
そこは戦場だった。
アイテール帝国とグランモル王国との戦争は長きに渡り続いていた。
血で血を洗う、血に濡れた戦争である。
互いがこの10年で、どれ程の人間が死んだのかわからない程だった。
だが、どんな戦争も終わりが来る。
ドオオオォォォォン!!
突如、空を飛んでいた王国側の陣営で爆発が起こった。
「や、やった!」
「あの方がやってくれたんだ!!」
その直ぐ後、陣営から1つの影が飛び出し、兵士達の前に戻ってきた。
仮面を付けた、細身の体躯の男だ。
その姿を見た兵士達から歓声が上がる。
「オルテラ様だ!!」
「熾天様がやったんだ!!」
高揚する帝国と、陣営が破壊された事で混乱する王国。
勝敗は、決した様なモノだった。
後、戦場となった高原の名からフィディアス戦役と呼ばれた戦争は、アイテール帝国の勝利で幕を閉じた。
グランモル王国のとある将はこう残した。
「アイテールに9英傑在り。6星将に3天。その中で”熾天”オルテラこそが、大陸最優にして最強の剣である」
「――と、これが5年前の大戦、”フィディアス戦役”だ。この戦争により、我が国は領土を増やし、対して王国は大きく力を減らす事にな――」
鐘の音がなる。
「――と、ここまでか。では、今日はここまで。皆、帰って復習はしておくように」
教壇に立つ教師がそう言い残して教室を出て行く。
教師がいなくなると、教室に喧騒が戻った。
「……ぐー」
そんな中、1人の少年が机に顔を突っ伏して寝ていた。
「おい、おい。テオ、起きろ。授業終わったぞ。後は帰るだけだ。俺は先に帰るぞ」
「……分かってるよ」
テオと呼ばれた少年は、億劫そうに顔を上げる。
生徒達が帰り支度をしている中、テオもまた帰ろうとして、
『――テオ・ラングリーズ君。学園長室まで来なさい。もう1度繰り返す。テオ・ラングリーズ君。学園長室まで来なさい』
拡声魔道具から、テオを呼ぶ教師の声がして、テオはうんざりした表情を浮かべる。
「また呼ばれてんぞ”赤天”。今度は何したんだ~?」
クラスメイトからの揶揄い混じりの問い。
”赤天”とは、この学園でクラスメイト達や一部の生徒から呼ばれているテオの渾名だ。
”熾天”、”烈天”、”轟天”の3人からなる軍の最高戦力”3天”。
入学して2年、テストも実技も最下位の赤点ばかり取る問題児のテオを、わざとそう呼んでいるのだ。
まぁこのクラスメイトの様に愛称の様に使っている者もいれば、一部生徒の様に侮蔑の意味を込めて呼ぶ者もいるのであるが。
「テストの点数が悪かったかもなー」
テオは揶揄ってきたクラスメイトに、そう返した。
「また赤点かー? いつも赤点じゃねぇか」
「まぁな。白紙でだしたんだ。……じゃ、呼ばれてるし、行くわ」
「そりゃ大問題だ。しっかり怒られろ。……また明日なー」
「おう」
テオはクラスメイトを見送り、教室を出て学園長室へ向かった。
その途中、
「あ、し――コホン、テオ君。先程呼ばれてましたが、今から向かうのですか?」
テオに声を掛けてくる者がいた。
銀髪の、見目麗しい、まるで人形の様な精緻な美貌の少女だ。
テオは背を伸ばして、頭を下げる。
「これは皇女殿下。……はい、今から向かう予定です」
「そうですか。私も一緒に行っても良いですか?」
「……え?」
「私も学園長に呼ばれているのです。良いですよね?」
周囲の視線が刺さる。
まさか皇女殿下の願いを断らないだろうな、と。
アイテール帝国第1皇女、ユノ・アイテール。
この学園どころか、国の象徴で、人気は現皇帝陛下にも匹敵するのだと言う。
断れば、彼女のファンに何されるか分かったものではない。
「……御随意に」
「フフフ、分かれば宜しい、です」
「では参りましょう」
2人は並んで学園長室に向かった。
「――学園長。ユノ・アイテールです。テオ・ラングリーズも一緒です。入って宜しいですか?」
学園長室に到着し、ユノが扉をノックし、入室許可を求めた。
直ぐに中から「入って下され」と声がして、ユノとテオは入室した。
「皇女殿下、ご機嫌麗しく」
「えぇ、学園長もお元気そうでなによりです」
「いやぁ、老いには勝てませんわい。ハッハッハ!!」
挨拶を交わす2人を、テオは欠伸を我慢しながら見ていた。
この学園の学園長は、まるで軍人の様な厳つい外見をしている老人だ。
というか、実際元軍人である。
5年前、創設されたこの学園の学園長に就いたのは国内どころか世界的に有名な人物だった。
”雷轟”マクスウェル・ゼーゲリオン。
アイテール帝国最高戦力”3天”の内、”轟天”の地位にいた名将である。
雷の力を操る戦士であり、その一撃は正しく天より降る雷の様だと評された。
その腕は未だ顕在であるが、後人にその座を譲り、今は若人達を導く学園長として、国に尽力している。
「殿下、学園生活は如何ですかな?」
「とても楽しいですよ。同年代の方々と接する事が余りありませんでしたから」
「それは何より」
笑顔での会話の中、マクスウェルの視線がテオに移る。
「お前はどうだ? ”赤天”」
「まぁぼちぼちだよ」
年齢も立場も、相手が上である筈だが、テオはぶっきらぼうに返答した。
「全く……流石にテストで白紙はよさんか」
マクスウェルの苦言に、テオは肩を竦めて返した。
「まぁ良い。成績は二の次じゃ。……実際には存在せん”テオ・ラングリーズ”とやらの成績なぞ、どうでも良い。……殿下の護衛はちゃんとこなしておるか? ”熾天”――いや、オルテラ大佐」
「――それもぼちぼち」
アイテール帝国最高戦力”熾天”と呼ばれた少年は、面倒くさそうにそう答えた。
「……まぁ良いわ。殿下が楽しんでおられるだけで重畳じゃ」
コホン、とマクスウェルは咳払いをし、
「お主を呼んだのは任務の件じゃ」
「またか。俺に回す程の案件なのか?」
「……反体制のテロリスト共の巣が見つかった。お主にはその制圧を言い渡す」
マクスウェルの言葉に、ユノの顔が曇る。
どの様に善政を敷いても、一部に不満を持つ者が出るのは世の常なのだろう。
この国においても、反帝政を訴える者達がいる。
彼等は武器を取り、時折武力蜂起という行動に出る。
ユノの顔をチラリと見てから、言い辛そうにしながらもテオ――オルテラは尋ねた。
「あー……”烈天”はどうしたんだよ? 軍を任せられてるアイツにこそこういう案件は相応しいだろう。それか6星将にでも任せれば良いだろ?」
「6星将は前線じゃ。故に”烈天”も動けまい。……そこで一番自由なお主に声が掛かる訳じゃ」
「……俺はとっとと隠居したいんだがなぁ」
空を仰いだオルテラを、マクスウェルは鼻で笑う。
「フン、お前はまだ辞めれんじゃろ。……この国で最も強いお前には、それ相応の責務がある。……先の戦役同様、お主には暫くはいて貰わねば困る。とっととお主に匹敵する人材を育てるか、直接陛下にでも乞うのだな」
「それが無理だからこうして愚痴ってるんじゃないか」
皇帝は、”熾天”オルテラをとても信頼している。
皇帝はその貢献を賞賛し、名誉ある称号である”帝将”を与えた程だ。
国家建国より、そんな称号を与えられた者はいない。
そんな風に信頼してくれている皇帝に、そんな事言える筈がない。
それをわかっていて、マクスウェルは喉の奥を鳴らして笑う。
「クックック。……殿下を含め、あの方々の信頼を裏切るでないぞ?」
「……はいはい」
「要件はこれだけじゃ。場所は後で軍の者が伝える。それまでの時間に殿下をお送りして差し上げろ」
「了解」
「では殿下、また」
「はい。……失礼します。学園長先生」
2人は学園長室を辞したのだった。
誰もいない廊下を2人で歩く。
少し前を歩くユノが、顔だけ振り返って首を傾げて尋ねてくる。
「では、送って下さいますか?」
「勿論、それが仕事ですので」
これから仕事かぁ、と内心がっかりしているテオに対し、ユノはご機嫌そうだ。
「あ、そうだ。……久しぶりに王宮に寄っていきませんか? 仕事まではまだ時間がありますでしょう?」
「……それはそうですけど」
「ね、良いでしょう? ……”師匠”」
”熾天”であるテオ――オルテラは、皇族一家の教育の一端、武芸の鍛錬を担っていた事もある。
それ程、現皇帝に気に入られているという事だ。
そして現皇帝同様、オルテラを気に入っているのは、実際に教育を受ける側だったユノもだった。
そして今までの傾向上、寄ったが最後、皇族一家に囲まれ、もみくちゃにされるに決まっているのだ。
それが嫌だという訳ではないが、オルテラは”3天”とはいえ、ただの1人の軍人である。
皇族に親し気にされるのは、何と言うべきか、気後れするのだ。
そして気をかなり使う。
だが、
(どうも俺は殿下に弱いんだよなぁ……)
この少女には、特に強く言えないオルテラである。
「……仕事を優先させて頂ければ。疾く終わらせますので、夜にでも王宮に立ち寄りましょう」
オルテラの言葉に、パッとユノは眼を輝かせ、
「では待ってます! ……フフフ、父上や皆にも伝えておかなければ!!」
(……これは面倒な事になるぞ)
だが、言ってしまったからには、とっとと終わらせなければならない。
王宮まで送ったオルテラはユノと別れ、待機場所に向かったのだった。
”熾天”オルテラとして動く時の服――黒尽くめの衣装に仮面だ――を身に着け、オルテラは待機場所である帝都の大通りから別れた路地裏に来た。
そこには既に数人の軍の兵士達がおり、
「待たせた」
「――っ!! オルテラ大佐! いえ、全然待っておりません!」
緊張しているのか、兵士達は汗を掻いていた。
「どうした? 緊張しているのか? 相手はただのテロリストだろう?」
「い、いえ……テロリストを相手にするのに緊張している訳では――な、なんでもありません!!」
オルテラに自覚はないが、兵士達が眼の前にしているのは、帝国の英雄の中の英雄である。
兵士達にとっての憧れ、”熾天”だ。
その武勇は国内で知らぬ者がいない程である。
「……それで? テロリスト共は?」
「はっ! ……あの家屋に拠点があります」
1人の兵士が指差すのは、路地の奥。古びた建物だ。
「内通者によりますと、地下に続く階段があるとの事!」
「そうか。……俺は何をすればよい?」
「周囲に被害を出さない程度に好きにして良い、との事です。内通者は既に脱出しております。今、あの中にいるのはテロリストだけです」
「わかった」
オルテラは建物に向けて歩き出し、無造作に扉を開け、中に侵入した。
中には数人の男がいた。
男達は、突然扉を開けて入って来たオルテラに驚く。
「な、なんだ手前ェ?!」
「――邪魔だ」
「うおっ?!」
「がはっ!!」
2人の男を素手のみで倒し、残った男も即座に気絶させた。
「入り口は……【魔力索敵】。……成程、ここか」
索敵魔術で調べると、直ぐに入り口の場所が分かった。
そこを開け、中に侵入する。
薄明りの中を、特に警戒する事なくオルテラは進む。
そして最奥にある扉まで辿り着き、扉を開けた。
そこには既に、テロリスト達が武器を持ち、待ち構えていた。
「上が騒がしいから襲撃でもあっただろうとは思ったが、まさか1人で来るとはな」
リーダー格の男が、オルテラを見て笑う。
そして手元の装置のボタンを押す。
すると、オルテラを強烈な重力が襲った。
常人であれば倒れ伏してしまうだろうが、オルテラは平然としていた。
「へぇ……やるな。一応、対軍用の重力発生装置なんだがな」
「……」
「おっと動けると思うなよ? ま、手前は殺すが、少しでも政府の情報が欲しいからな。手前には色々と喋って貰うぜ?」
オルテラは、男の言葉を無視して歩き出した。
「――な、何だと?!」
平然と歩くオルテラを見て、テロリスト達がざわつく。
「竜すら動けないって代物だぞ?!」
「ば……化物か?!」
「こんなの、人間じゃねぇ!!」
リーダーの前で立ち止まり、オルテラは周囲に魔力を放出する。
その魔力は膨大で、その風圧でテロリスト達が吹き飛び、壁に激突する。
意識を失う者もいれば、呻いている者もいる。
負荷に耐え切れず、重力発生装置も壊れた。
「手前……何者……だ」
辛うじて立ち上がったリーダーの男の問いに、オルテラは答えない。
命令は制圧だ。
殺す必要はないし、殺すまでもない。
オルテラはリーダーの男を殴り飛ばし、気絶させた。
全員の制圧を確認し、オルテラは一度外に出て待機していた兵士達を呼び寄せた。
「後は任せる」
「「「「はっ!」」」」
オルテラはその足で、約束通り王宮に向かったのだった。
「お待ちしておりました師匠! さぁ、此方へ! 夕食はまだですか? 良かったら食べていってください!!」
王宮に向かったオルテラを待ち受けていたのは、ユノを筆頭に皇族達の熱烈な歓迎だった。
豪勢な料理が、整然と並べられている。
「いや、えぇと……」
この場にいるのはユノだけではない。
「師匠! また稽古をつけてくれ!」
現皇帝にしてユノの兄、ユピテル・アイテール。
「我が刃よ、よく来てくれた! お前ならばいつでも歓迎だ」
前皇帝でユノ達の父、クロノス・アイテール。
「フフ、もっと食べますか? 今すぐ作らせましょうね」
その妻の上皇后ルア・アイテール。
「”熾天”殿、戦場での話を聞かせて下さい!!」
「私もー」
「ユピ兄ちゃんずるい! 俺にも剣の稽古お願い!」
そしてユノとユピテルの弟妹達。
この場にはオルテラ以外皇族とその侍女達しかいない。
もう胃が痛くて仕方がない。
こればかりは、慣れないオルテラである。
「あ、有難う御座います。……お構いなく」
それを言うので精一杯だ。
胃に何とか料理を押し込み、その後皇族との歓談に付き合った頃には、夜も更けていた。
「これからも頼むぞ、我が刃よ。この国を守ってくれ」
「あ……はい」
別れ際、クロノスの言葉に頷き、
「では師匠、また明日。学園で」
「はい、殿下」
ユノに頭を下げて王宮を後にした。
家がある居住区に向かう最中、星空を見上げながらオルテラはポツリと呟く。
「……隠居がまた遠退いてくなぁ」
オルテラは、もう一生をのんびり暮らせる程の金は得ている。
元より兵士になったのは、他の職より給金が良かったからだ。
それがいつの間にか、”帝将”やら”熾天”などと呼ばれる様になってしまい、皇族や軍の人間からの信頼やら期待やらにより、辞めるに辞めれなくなってしまった。
救いなのは、”オルテラ”が全てを隠してくれている事だ。
家に着く。
妹も、既に寝てしまっただろう。
そう思いながら、家の扉を開ける。
「ただいま」
「――お帰りなさい。兄さん」
出迎えてくれたのは、黒髪の美女だ。
オルテラより年上に見えるが、オルテラの実の妹である。
「……起きてたのか。ただいま」
「ご飯は?」
「食べて来た。……いつも悪いな」
「ううん。大丈夫だよ。兄さんも忙しいもんね」
オルテラという顔を脱ぎ捨て、素の自分――”ウェイン・クルーガー”に戻る。
引退をしたい。その思いはある。
だがそれ以上に、この幸福を守れればそれで良い。
妹がこうして平和に、幸せに暮らしている事が、一番の宝だ。
だが、まだこの国は完全に平和とは言えない。
反体制派のテロリスト、野心ばかりの貴族達、国外の敵。
彼女を護る為なら、ウェインは英雄にでも何にでもなろう。
妹がいる限り、”熾天”オルテラとしてこの国を護ろう。
それまで、ウェインはオルテラを辞める訳にはいかない。
隠居まで、先は長そうだった。