公爵令嬢の思い出
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「くっそ!アルの奴!!」
くつくつ笑うアルを思い出すと、腹立たしさが更に増した。
着て行くものに悩んでいたら「任せろ」と言って、スーツ一式をクローゼットから出してきた。
朝から随分と上機嫌だなとは思っていたのだが、こんな悪戯を仕掛けていたなんて。
まさか、フィアは気が付いただろうか。
「フィア・・・」
ソフィーと呼ばれていると聞いて、そう呼べば良かったのに「フィア」と勝手に口から出ていた。何故なのか、分からない。俺だけが呼べる呼び名が欲しかったから?
もやもやする時は、剣を振るうに限る。
鍛錬用の刃を潰した剣を、縦横無尽に振るう。刀が風を切る音と、俺の乱れた呼吸音しか聞こえない。暫くそうしていると、段々と気分が晴れてくる。辺りはもうすっかり暗くなっていた。
汗もそのままに、芝生に寝転び夜空を見上げる。
このまま結婚して、上手くいくだろうか。彼女は結婚に了承していると笑顔を見せてくれたが、本当は嫌だったのではないだろうか。自分の両親が貴族には珍しい恋愛婚だったので、政略結婚、それも最高権力者である王から物のように褒賞として引き渡された彼女は、どんな気持ちなのか想像もつかない。
そんな愛のない結婚に、意味も見出せない。
「俺の方から断れば良かったのかも知れないな・・・」
きっと女性からでは、断る事が出来なかったのではないだろうかと今更ながら思い当たる。
男の俺から、断るべきだったのかも知れない。後悔しても、もう遅い。
でも、彼女の名を聞いた後で、褒賞を断ると言う選択は俺にはできなかっただろう。
俺は彼女を幸せに出来るだろうか。
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「ソフィ、クリストフ様とは、どうだった?」
家に帰ってからそわそわしている父が、おどおどと窺うように聞いてくるので笑ってしまった。
「今日が初対面ですから、まだ分かりません。でも、とても優しそうな方でしたよ」
「そ、そうか・・・。嫌なら今からでも、断れるから言いなさい」
「お父様、心配なさらないでください。私は望んでクリス様に嫁ぐのですから」
「・・・分かった。でも、何かあれば相談するんだよ?必ず力になるからね」
これ以上心配させないよう私は笑顔で頷くと部屋に戻り、湯あみをしてから楽な服装に着替えた。母宛に手紙を 認めようと、便箋を出しペンを手に取る。
父と母は、親が決めた政略結婚だった。でも、今では仲睦まじくて娘の私でも見ていて照れてしまう程。そんな風にクリス様とも、時を経て仲睦まじくなれたら良いと思っている。
手紙を書き終え、封をしてメイドに送る手配を頼んでおく。
ベットに横になるが寝付けないので、ベットに背を凭れて目を瞑る。
クリス様が差し伸べてくれた手に自分の手を重ねた時、ふと四年前の記憶が蘇り
変わらない手の温かさに胸が弾み、握られた手が離れた時には寂しさを感じた。
四年前、14歳の社交デビュー前の事。今でも鮮明に覚えている。
母の友人で、公爵家に降嫁した王女様の誕生日会に呼ばれ、家族で参加した時の事。
母は王妃様とおしゃべりを楽しみ、兄二人はアカデミーの友人と余興に講じていた。父も仕事の話などしていて、話し相手がいない私は、ぽつんと椅子に座り、仕方がなくお菓子を食べる事に専念しようとしていた。
「にゃおん」
お腹がいっぱいで、もうする事もなくどうしようかと思っていると、後ろの生垣から猫が顔を出した。
私はこれ幸いと、そのふわふわの毛並みの猫を追いかけた。
王宮内のバラ園だったので、危なくはないだろうと猫の行くままに後をついて行った。
私の背より高い生垣の角から人が出てきて、肩がぶつかる。
「おっと、失礼。君、ジャックの妹じゃないか」
いつの間にか、人気のないバラ園の端まで入り込んでいた。
そこで、次男の同級生のライアンに声を掛けられた。たまにうちに遊びに来ていたので顔見知りだが、やたらと体に触れてこようとするので、あまり好きではなかった。
「何してるんだ?こんなところで」
お互い様だろう、と思ったが、にっこり笑って猫を追いかけてきたと伝える。
「ふうん・・・猫ねぇ。もしかして、俺を追いかけて来たとか?かっわいいいなあ、ソフィアは」
ライアンは侯爵令息、私は公爵令嬢。身分は私の方が上なので、許してもいないのに名前を呼び捨てるなど無礼な事だ。
ライアンが一歩前に出たので、一歩下がる。それを繰り返していたら、どん、と背中が壁に当たった。
「こ、来ないで!」
ライアンが、片方の口角をあげてにやりと笑う。5歳年上で、体格が良いライアンが目の前に立つと恐怖で体が強張り、声も出せなくなった。
ライアンが手を伸ばし、私の髪を一筋掬う。と、髪にキスを落とした。嫌悪感で、肌が粟立つ。
「!!」
そして、その手で私の顎に手を添えて上を向かせる。薄青色の瞳と目が合う。ライアンの口がゆっくりと弧を描く。
何をされるのかなんとなく分かってしまって、体が硬直する。ライアンの影がゆっくりと私を覆う。
―その時
「ここにいたのか」
低音の心地よい声がライアンが近づくのを押し留め、声の主は私とライアンの間にするりと体を滑り込ませる。
「ああ、ジーンの弟じゃないか。確か、ライアンだったか?」
ライアンが、びくりと体を揺らし顔を青くする。クリストフと呼ばれた男性は、私を振り返る。
「ベリー公爵令嬢、父上が心配して探している。こんなところに迷い込んでいたのか」
「あ、ああ、そうなんです。ベリー公爵令嬢が迷っていらしたので、送って差し上げようと」
何故か、ライアンが答える。
「そうか。僕が頼まれたのだから、公爵令嬢は僕が送ろう。ライアンは先に戻っていい」
ライアンはホッとした様子で、あっという間に走って戻って行った。
「大丈夫か?僕は、君の兄のジェームズの先輩で、クリストフ・フェル・ラングだ。良かった、何事もなくて。何かあったら、血なまぐさい誕生会になっていただろうからな」
くすりと笑うクリストフ様はとても優しい笑顔で、硬直していた心と体が解きほぐされる様に感じた。
「歩けるか?」
「はい、ありがとうございます。クリストフ様」
「会場まで送ろう」
自然にすっと手を出されて、私は迷うことなく手を重ねた。温かさにホッとする。
結局、家族は私がいない事に気が付いておらず、探しているというのは嘘だった。
猫を追いかける私を見て、何かあったらいけないとこっそりついて来てくれたようだ。
それからというもの、クリストフ様の笑顔が頭から離れる事は無く、お礼に手紙を添えたお菓子を送ったが会う事は叶わなかった。・・・私自身が、今回の褒賞となるまでは。