旅の終わり
ズシン……ズシン……
と地響きのような振動が響き渡る。
その全身に伝わる大地の揺れに村長も、周りの村人も震え上がる。
だんだんそれは近くなり、やがて高く上った月を覆い隠すように、村人たちの頭上に大きな影が現れる。
それを察知した村人は皆一様に膝をつき、頭を地面に埋まらんばかりに下げ迎える。
この村の守護者にして厄災である地竜を。
一般に竜と呼ばれる生き物はトカゲのような外見に厚く堅い鱗と羽をもっている場合が多い。
しかし、地竜は羽根を持たず、もちろん空を飛ばない。
それでも、ほかの竜と比べ倍近い大きな体躯と膂力を持ち、四足歩行で地上を低く歩く分移動するだけでその通り道に大きな被害をもたらすことも少なくない。
ある意味で人間にとって一番厄介な存在であるともいえる。
「ち、地竜様! 今年も生贄をお届けに参りました!」
村を代表し、村長が生贄のアリスを差し出す。
地竜は自分にひれ伏し、生贄を寄越してきた村人たちを満足げ(であるように村人たちには見えた)に見渡す。
「ふむ……ご苦労であった。 これでまた一年、この地に訪れるであろう厄災より貴様らを守護することを約束する。 努々忘れるな。 この地の安寧は我の裁量一つでどうにでもなるということを。 精々我の不興を買うことの無いよう気を付けることだ」
その瞬間、村人サイドの空気がぴりついた。
生贄に当たるアリスを連れ去った父親のアランと地竜を討伐すると言っていた冒険者のリームを思い出したからだ。
このことを話せばそれこそ地竜の不興を買うこと請け合いだろう。
地竜はおそらく村での出来事を知らない、なのでこの発言も偶然によるもの、のはずだ。
しかし、あまりのタイミングの良さに自分たちのことがずべてこの地竜に見透かされているような気がしてくる。
村人からすれば恐怖でしかなかった。
それ故に彼らはさらに地面に額をこすりつける。
「それはもう! 地竜様をご不快に思わせるようなことなど、致すはずがありません!!」
「それでいい。 では頂くとしようか。 今年の贄も極上なのであろうな……」
地竜は目の前に極上の料理が並んでいるかのごとき獰猛な視線でアリスを見据える。
村人たちは眼前の光景に目をそらす。
あまりにも残酷な光景であるというのもあるが、そもそも村のためとはいえ好き好んで人間を、それも生まれて間もない赤子を見殺しにするなど受け入れられるわけもない。
かといって、村のため、ひいては自分の身の安全を考えたら異議を唱えることもできない。
今この瞬間、結局わが身が一番かわいいのだと醜い部分を直視させられているようで見てられない。
結局、村人は我が身を顧み、未来ある赤子が食われるのを直視することすらできず、ただ早く時間が過ぎるのを願うだけだった。
しかし、その運命に抗うものがいた。
生贄の赤子の父親のアランである。
彼はいま、地竜を見下ろすことのできる崖の上にいた。
あれから急いで追いかけたものの間に合わず、アリスは地竜に食われる段になっていた。
ここから首尾よくアリスを奪還できたとしても、村人は追ってくるだろう。
もっともアリスをリームに預けられればどうにでもなる、と思っている。
問題は地竜のほう。
目の前で生贄が奪われたとなれば激高するだろうし、あの図体では逃げ切れる気もしない。
何とかして時間を稼ぎ、動きを封じる必要がある。
そのための方策はアランも考えてきてある。
しかし……
(間違いなく地竜は怒る。 仮にアリスをうまく逃がせたとしても村がどうなるか…… 滅ぼされるか、新しい生贄を求められるか…… たぶん前者かもな、俺もいったいどうなることやら……)
村人が自分たちの平穏のために一人を犠牲にするというなら、アランは娘のために村を潰すことも覚悟しているのだ。
一人と村人全員、数で考えれば迷うはずもない話しだが、アランからすれば自分の娘の命は、村人全員のそれより価値を持つものだった。
「すまない……みんな……」
誰に言うでもなくアランは呟き、立ち上がる。
その視線の先にいるのは、憎き地竜。
アランはそれを見下ろしている崖の上から飛び降りた。
その手には脱獄後、自宅から回収した短刀が握られている。
「地竜! 覚悟!」
「むぅ!?」
崖から飛び降りたアランは地竜の頭上に見事に着地する。
そしてそのまま淀みのない動きで短刀を地竜の右目を突く。
「グォオオオオオオ!?」
突如として視界が赤く染まり、それと同時に走った右目の痛みに地竜は地面を這うように暴れる。
その揺れにバランスを失ったアランは左目を狙う間もなく、地面に振り落とされてしまった。
「いてて…… くそっ、仕留め損ね……」
「やってくれるではないか、矮小な人間ごときがぁ!!」
かろうじて言葉として聞き取れた地竜の怒り。
もはやそれは咆哮に近く、音圧だけであたりを震わせ、その場にいた人間は誰もが吹き飛ばされそうになる。
しかし、それを一番前で感じ取っていたはずのアランはそれでも臆することは無かった。
痛む全身に鞭を打って、走り、未だ供えられたままだったアリスを拾い上げる。
そして地竜にとって死角となったはずの右側の岩の陰にアリスを隠す。
「小賢しい真似をしてくれる……」
未だ怒り心頭の地竜。
アランはこのまま逃げられると思っていない。
地竜の一歩は人間のそれより圧倒的に大きいのだから。
アランは地竜に相対し、剣を構える。
流派も師事した相手もいない、幼いころに見た冒険者か騎士の真似事だ。
あまりにも無謀、それでもやるしかなかった。
最初は両目を潰す算段だったが、もはやそれも難しいかもしれない。
「やあああああああ!!」
気合一閃、アランは地竜のもとまで一気に駆け寄り剣を振りかぶり。
バシン!!
地竜の右手で叩かれ、飛ばされた。
すさまじい勢いで地面転げまわり、襤褸雑巾のように地面にアランは這いつくばった。
もはや起き上がることもできない。
「さて……此度のこと……どういうことか説明してもらおうか村長……」
今起きた出来事が、あまりにも唐突で、一連の流れをただ見ているしかできなかった村長をはじめとした村人たち。
「どういうこと…… その……なんと申し上げたらよいのでしょうか……」
恨みのこもった地竜の視線を真正面から受けて、村長はしどろもどろになりながら言葉を絞り出す。
「その男は……此度の生贄の娘の父親でして…… 生贄に出すことを承服せず……」
「つまるところ、この一件は飽くまでもこの男の独断であると……?」
「そんなことはございません! 地竜様のご不興を買うようなことは決して!」
今まで以上に平身低頭になる村長。
地竜の言うことの意味に気付いたからである。
即ち、この生贄を差し出すというやり取りに思うところがあり、刺客を差し向けたのではないか、ということだ。
冗談ではない。
そんなことを考えたとしても人間には一切叶わない相手であることはよくわかっている。
彼らにはただ地竜の機嫌を損ねないようにすることで必死なのである。
「ならばよい……我が気分を害せばどうなるかは明白、万に一つもないだろうが、我がこの場で死したとしても貴様らにあるのは滅びだけであることを心得ろ」
「はい! はい! 村の人間にもそのように伝えます!」
「いいだろう。 では村長、あの男を殺せ」
「……はい?」
あの男、とだけ言われて村長が思い至ったのはすぐそこで倒れ伏しているアランのことだ。
「理由がどうであれ我に弓を引いたこと、万死に値する。 その責は負わねばならん。 それはあの男のことを把握したうえでこの凶行に走らせた貴様らにも言える。 ゆえに村長には自分の村人を手にかけてもらう」
「し、しかし……彼はもう……」
「いいや、まだ生きているとも。 どのみち手遅れだから、そのうち死ぬだろうが…… それでは意味がない急げ、疾く殺せ」
「…………」
しかし、村長は動かない。
動けない。
「どうした?」
「その……私には……自分の村の人間を手にかけることは……」
また地竜の不興を買うことになるかもしれない。
けれども言わないわけにはいかなかった。
今回のことでは相当に気を揉まされることになったが、それでもアランは大事な村人の一員に違いないのだ。
例え、もう死の一歩手前、致命傷を負っていたとしてもである。
しかし、地竜はそんな村長の思いを一笑に付す。
「何をいまさら。 今日にいたるまでお前たちは何人差し出してきた? それらはもれなく我の腹の中だ。 これを人殺しと言わずしてなんという?」
「そ、それは……」
「自分たちで手に掛けていないから自覚できていなかっただけだ。 お前らも須らく我と同じ人殺し、我を謗る権利などないし、人殺しの嫌悪する道理もあるまいて」
そう言ってにやりと笑う(ように見えた)地竜。
村人たちは皆下を向くばかりだ。
その中でもいっとう顔色が悪いのは村長であった。
その立場上生贄を出すことへの罪悪感と村を守ることへの責任の間で長い間苦しんできた。
それでもそれは生贄に出すことを選び続ける選択をした自分への罰であると思っていた。
ならばそれも甘んじて受けようと。
そこに嘘はない。
しかし甘かった。
ただ苦しむことで楽になりたかっただけだ、目をそらしていただけだ。
自分たちが人殺しの片棒を担いでいるということに。
地竜の言う通り今更なのだろう。
命を奪いたくないだとか言っても自分のためのお為ごかしでしかないのだと正面から付きつられた。
「何をしている? 早く殺さぬか」
地竜に促され、村長はふらふらと立ち上がりアランのもとへ歩を進める。
自分の醜い部分を突きつけられたようで、少なからずショックを受けた村長に抵抗することは精神的にも立場的にもできなかった。
もはや言うことを聞くだけの人形だ。
「すまんな……アラン……」
謝罪の言葉こそ出てもアランの首に延ばされた手が止まることは無い。
他の村人が固唾を呑む中、村長は首に巻き付いた指に力を込めて……
「殺すのか?」
「ひっ!!」
女が村長の顔をのぞき込んでいた。
驚いてさっと後ずさる村長。
のぞき込んでいたのはあの女。
冒険者、リーム=スタークであった。
「貴様はいったい何者だ? 村の人間ではないな?」
「冒険者だ。 お前を狩りに来た。 ついでに仕事も任されたが」
「狩りに……我を……?」
「そう行ったはずだが? そこまで理解できない頭でもあるまい?」
リームとしては飽くまでも確認程度のつもりだったのだが地竜はそれを煽った、と受け取ったらしい。
それでもまだ地竜は怒ることはせず、逆に高らかに笑った。
「くくく……ハーッハッハッハッハ!! 言うではないか小娘! 若く身の程を微塵もわきまえない冒険者が声高に吠えるものだ! 自らがこの世で最も強いと過信し返り討ちにあるなど星の数ほどある話よな」
「ああ、よくギルドの職員が嘆いている話だな。 おかげで人が育たんと言う。 だが仕方あるまい、腕にそれなりに覚えがあるやつばかり来るのだから多少自分を過信するくらいが普通だ」
そもそも冒険者は命の危険があまりにも多い職業なのだ。
竜を相手にすることはめったにないとしても、ゴブリン、オークそのほか魔物、ケガはしょっちゅうだし命なんていくらあっても足りない。
ただでさえそうなのに、自ら進んで危険に首を突っ込んでいくものが多すぎる、と言うのがリームの言うギルド職員の話だ。
「尤も縮こまって安全位置だけ取り続けるような者に向く職業でもあるまい? 冒険者と言うのは」
「然り然り、してお前はどうだ?」
和やかに談笑しているようにも見えるがそれに反し、地竜は自らの殺気を募らせていく。
先ほどの質問だって、この場所に現れた段階で愚問と言うものだ。
「身の丈ならば知っているさ、お前はこれから私に狩られる」
「面白い! やってみろ!!」
そう言って右前脚を振り上げた地竜、そのまますさまじいスピードで振り下ろされた一撃をリームは回避するでもなく、真正面から剣を構え受け止めようとする。
地竜の厚く堅い皮膚とリームの剣、二つが交わったとき、先に負けたのは……
リームの剣だった。