01-05
「おう、戻ったか」
「ただいま、松葉さん。てっきりもう帰ってるかと思ってたわ」
ナナを連れてあの倉庫から逃げた私達は、とりあえずまた幹也さんのバーに戻ることにした。探偵事務所に戻ってもよかったんだけど、歌舞伎町の中はひょっとしたらさっきの奴らのお仲間がいるかもしれないので、ナナを連れて歩くのは危ないという結論になったのだ。
「お前らが頑張ってるのに、流石に帰れんさ。ま、無事で何よりだ。ああ、そっちが言ってた子か」
「そうよ。ナナ、車の中で話した松葉さんよ。ちょっと顔は怖いけど、普通にいいい人だから安心して?」
「お前なぁ……」
松葉さんが渋い顔をする。
「え、えっと……茅野菜々美、です。よろしくお願いしますっ……!」
「緊張してるっすね、ナナさん。まあさっきまで命の危機だったわけだし、しょうがないのかもしれないっすけど」
「普段ならあんな緊張しないでしょうからね。まだ新人とはいえキャバ嬢なんだし」
ナナはガッチガチに緊張している様子で、皆椅子に座ってるのに一人だけまだ立ちっぱなしだった。あんな様子を見るのは初めてなのでちょっと意外だ。
「さて、じゃあとりあえず、ナナちゃんから事情を聞く、でいいのかな、椎名君?」
「ええ。休ませてあげたいのは山々だけど、私たちも早めに事情は知っときたいからね。いいかしら?無理に、とは言わないけれど……」
「い、いえっ!大丈夫です。話します」
「そう?なら、お願いしようかしら。眠くなったら寝ていいから」
椎名が滅茶苦茶優しい。別に珍しい姿、という訳じゃないけど。椎名は依頼者の女性にはあの通り優しく接する。男に対しては……まあ、心なしか優しくなってる気はする。普段私に接する時もこのくらい優しくして欲しい、と前に椎名に言ってこともあったけど、
「それは私があなたに、キャバ嬢のラブネちゃんとして話して欲しい、って頼むような物よ?」
とのこと。つまり、お仕事モードという事らしい。まあ、だからといってあの優しさに嘘があるわけじゃないんだろうけど。
*
「私は東北の田舎の生まれで、早くに母を亡くしてるんです。それからはずっと父と二人で生活していました」
「そういえば、なんだってキャバ嬢になったんすか?正直、あんまりそういう仕事に興味を持ちそうな性格には見えないんすけど」
奏のストレートな質問。まあ私もそこは結構気になってたんだけど。
「実は、知り合いに同じ仕事をしてる方がいて。その人がとっても綺麗で、魅力的な方だったんです。それで、私もそんな風になってみたい、って思って。まあ、まだまだですけどね」
「へえ……」
なんとも、どこかの誰かさんを思い出す動機だった。そういう人、意外に多いのかな……?
「まあ、その辺は一旦置いといて。あいつらは、いったいなんであなたを追っていたの?」
「その……私が上京してすぐ、田舎の知り合いから、“父が借金してまでギャンブルにはまってしまってる。何とか言ってやってくれ”って言われたんです。まさかと思ったんですけど、連絡してみたら本当でした」
「あー、なるほど」
奏がそんな呟きを漏らす。まあ、私も同じ事を思ったけど。正直、ほぼ内容はつかめてしまった。
「何回も辞めるように連絡したんです。父も最初はあまり聞いてくれなかったんですけど、最後の方にはちゃんとやめてくれました。ただ、その時にはもう遅かったみたいで……」
「闇金、それも暴力団の運営する、とびきりヤバいタイプに手を出していた、ってわけね」
「そう、みたいです。始めは取り立ても穏やかだったみたいなんですけど、段々激しくなっていって……。最後には、父はどこかに夜逃げしてしまいました。それが大体1か月くらい前、になると思います」
思っていた通りだったとはいえ、中々に悲惨な状況だ。借金に溺れ、闇金に手を出してしまう。なんというか昔の自分を見ている気分だった。
「愛名?」
「……いえ、なんでもないわ」
「そうっすか?ちょい顔色悪いと思うっすよ」
「眠いのよ。もうすぐ4時よ?」
「……まあ、そう言うことにしておいてあげるわ」
私の過去を知ってるのはここにいる人だと幹也さんだけだ。みんな薄々何かあるのは勘づいているみたいだけど。それでも何も聞いてこない辺りがみんなの優しさだろう。
「じゃああいつらは、行方が分からないあなたのお父さんの代わりにあなたに借金の肩代わりを要求しに来た、ってことかしら?」
「はい。最初は普通に、まるで世間話をするみたいに近寄ってきました。もちろん最初は突っぱねてたんですけど、段々激しくなって、最後には、その……」
「さっきのアレ、ってことね」
「……はい」
事態は大体つかめた。ただ問題は
「で、これからどうするのがいいと思う?椎名?」
「そうね……。まあ、借金の方は私でなんとかするわ」
「……はい?」
椎名がいきなりとんでもない事を言いだす。そんなに簡単に解決できる問題には聞こえなかったんだけど。
「どうにかする、って言ったのよ。アテはあるからね」
「えっと、本当、ですか?」
「ええ。まあなんとかなると思うわ。どちらかというと問題は、あなたのお父さんの方ね」
「行方眩ました、ってどこに行ったのかって話っすよね。なにか目的があって彷徨ってるんならまだ探しようあるんすけど」
「じゃあとりあえずは、お父さんを探すことを最重要にして動きましょう。松葉さん、この子の田舎の方に行ってもらえますか?聞き込みしたらなにか分かるかもしれないですし。奏、あなたもついてって」
「了解した」
「オッケーっす」
「なにか手掛かりがあればそれを基に探し回って。私も借金の方を何とかしたら合流するわ」
役割が決まっていく。あの、私は……?
「愛名は待機よ。この子のメンタル的にも、あなたが近くにいた方がいいと思うし。それに、明日は出勤でしょ、確か」
「あ」
忘れてた。そういえば明日、というか今日の夕方には出勤しなくてはいけなかった。正直こっちを優先したかったけど、それこそナナは今日出勤できないし、これ以上店に穴を開ける訳にも行かないのは確かだ。
「了解。正直もっと力になりたいんだけど」
「まあ、そこは良いじゃない。愛名がちゃんとこの子を探していたから、今こうして助けられてる訳なんだし」
「そうっすよ。もう十分仕事してると思いますよ、センパイ?」
「いや、あなたの先輩では……あるのか、一応」
「そうっすよ?一度も呼んだことないっすけどね」
奏はまたニヤニヤしている。奏のこの私の呼び名で遊ぶ癖はなんなんだろう……?
「じゃあ、お願いするわ。幹也さん、ナナを私の部屋に泊めてあげてくれる?」
「分かったよ。愛名はどうするんだい?」
「事務所で寝るわ。そっちからの方が店も近いしね」
「了解。この店のマスターとして、安全を保障しよう」
「あ、ありがとうございます。その、ご迷惑にならないようにしますので……」
「はは、あんまり緊張しなくて大丈夫だよ。なんか、昔の愛名を思い出すね」
「ちょっと、幹也さん……」
「へー、意外っすね。こんなに縮こまってるセンパイなんて想像できないっすけど」
「奏、先輩禁止」
「なんでっすかぁ!?別にセンパイなのは本当じゃないっすか!?」
「からかってるのが見え見えだから」
「あ、ばれてました?」
「バレバレよ」
とりあえず聞くべきことは聞き終わったので、ここは解散となる。私と椎名は事務所に、松葉さんと奏はさっそくナナの地元に行くための準備をし始めた。おそらく通勤ラッシュが始まるくらいには出発しているだろう。
「じゃあよろしくね、二人とも。——松葉さん。奏をお願いします」
「分かった。まあ、こいつにお守りがいるとは思えんがな」
「お守りじゃなくて、見張りです。へんな事しないように」
「ちょっと、アタシそんな事したことないんすけどー?へんな事はアゲハさんにしかしてないっすよーだ」
「アゲハも禁止。大概言い飽きたわねこれ」
いまから重要なミッションに赴くとは思えないやり取り。まあ、この空気感でもちゃんと成果を上げれるのが、ここの事務所のいいところなのかもしれない。
「そういや、椎名はどうした?」
「さっき電話をするとか言ってましたよ」
「電話、か。なるほどな」
「?」
*
「もしもし。ええ、椎名です。お久しぶりです」
事務所の脇の路地裏で、椎名は一人誰かに電話をかけていた。
「その節はどうも。おかげでここでも大分楽ができていますよ。——実は、今回はそれとは別件でして。……少し、取引いたしませんか。そちらの欲しがっているものなら、ちゃんと用意いたしますよ?」
電話口から、吐き捨てるような呟きが聞こえる。
「ったく、悪魔は健在だな」
「お褒めの言葉と受け取っておきますよ。では席にはついてくださるということで、よろしいですか?――ありがとうございます。では、正午にあの時と同じ場所に。それでは」