01-01
「ではでは、無事に事件も解決したということで、とりあえず乾杯しましょう!」
「……バーって、そういう風に騒ぐ場所じゃないと思うんすけど。居酒屋じゃあるまいし」
「別にいいじゃない、貸し切りなんだし」
あの夜から一日が経った。今の椎名の宣言通り無事に事件――人身売買組織の摘発と解体、も解決し、今日は探偵事務所のメンバーで珍しく事件解決の打ち上げのようなことをしている。
「マスター!とりあえずテキーラ!」
「そんなビール感覚で頼むもんじゃないっすよ、それ。あとせっかくバーに来たんですし、カクテル頼みません?あ、アタシはホワイトサテンで」
「諦めろ、朝倉。椎名はここで飲み始めたらいつもこうだ。――俺はギムレットで頼む」
皆口々に最初の一杯をマスターに注文している。このメンツは皆割と酒好きだ。奏は別に酒に強いわけじゃないから、最初の一杯しかアルコールは頼まないけど。私は仕事柄当然のごとく強いし、松葉さんも中々の酒豪だ。椎名は……かなりの酒好きの癖に、すぐに悪酔いする。というかあのテンション、既に酔ってないか?まだ一口も酒は飲んでないはずだけど……
「かしこまりました、皆さん。さて、愛名はどうする?」
「いつも通りのでお願い、幹也さん」
「了解、ダイキリだね。では、しばしお待ちを」
まるで熟練の執事のような恭しいお辞儀をし、カクテルを作り始めたのは逢坂幹也。このバーのマスターであり、私にとっての二人目の父親とでも言うべき人だ。本人曰く年齢は40代前半らしいが、まったくそんな風には見えない。彼のことは9年前から知っているけれど、その間一切歳をとっていないんじゃないかと思わせる程だ。
「はい、完成。じゃあ、適当に摘まめる物でも作ろうか。リクエストはあるかい?」
「お任せでいいわ。幹也さんのなら何でも美味しいしね」
「分かった、じゃあ何かしら作っておくから、皆は乾杯しておいていいよ」
皆の前にグラスが置かれる。皆待ってましたとばかりにグラスを手に取る。
「それじゃ、かんぱーい!」
やけにテンションの高い椎名の掛け声が、狭い店内に反響した。
*
飲み始めてから既に一時間半程経過した。奏はとっくにアルコールを飲むのは止め、今はジンジャーエール片手に幹也さんお手製のマルゲリータピザを幸せそうな笑顔を浮かべながら食べている。ああいう姿だけ見れば、年相応の可愛い女の子に見える。ああいう姿、だけ、見れば。松葉さんは焼酎を飲みながら幹也さんと何か話している。割と歳が近くて気も合うらしく、ここで飲むときにはよく見る光景だ。……椎名は、顔を真っ赤にしてもなおテキーラを飲むのをやめていない。さっきまでは私に物理的に絡んできてたけど、今は奏の食べているピザを横取りしてちょっかいかけている。まあ、奏も椎名の行動には慣れているので、適当にあしらっているけど。それにしても流石に飲み過ぎだし、そろそろどうにかして止めさせた方がいいかもしれない。
「そういえば愛名。今日はどうするんだい?」
そんなことを考えながら一人でジントニックを飲んでいた私に、幹也さんが話しかける。
「うーん……今日はこっちに泊まろうかな、久しぶりに」
「了解。ちゃんと掃除はしてあるから安心して」
「ありがとう。ほんとは私がやらないといけないんだけど」
このバーの二階には私の自室がある。9年前、とある事情で幹也さんの世話になることになってから、ずっと住まわせてもらっている。最近は椎名と一緒に事務所で寝泊まりしているので、本当なら部屋を開けた方がいいんだろうけれど、結局は今も幹也さんの厚意に甘えて部屋はそのままにしてもらっている。
「えぇー!今日は愛名と寝たい気分だったのになぁー!」
幹也さんとのやり取りを聞いていた椎名が、そんなとんでもない発言を飛ばしてきた。
「ちょっ、椎名っ!そう言う言い方は誤解を……」
「いや、誤解も何も、そういう仲なんじゃないんすか?お二方って」
「う……いや、まあ、そう……だけど」
見れば奏もさっきまでの可愛らしい表情から、いつものニヤニヤ顔に戻っていた。どうやらこの話題は彼女的には「いじれる」と判断したらしい。見れば幹也さんも似たような表情をしている。……そう、幹也さんも結構こういう話が好きなのだ。そしてこういう話題の時松葉さんはだんまりを決め込む。つまり、味方がいない。
「椎名君。最近は愛名とはどうなんだい?仲良くやってくれてるとは思うけれど」
「あー、それアタシも気になるっすね。この二人、普段はそう言うプライベートなこと全然話してくれないんすよ」
「……ほどほどにしとけよ、二人とも」
少し暴走の気配のある幹也さんと奏を見て、一応松葉さんが釘をさす。……まあ、ポーズだけだけど。積極的には聞いてこないけれど、松葉さんも割と私達の仲については気にしているみたいだし。
「愛名とですかぁ?もうおっかげさまで超順調ですよー!」
いつにも増して椎名の様子がおかしい。最近依頼が立て込んでてろくに酒盛りできてなかった弊害かもしれない。……いや、そんな事冷静に考えている場合じゃない。このままでは椎名の口からキス以上のあれやそれまで詳細に赤裸々に語られてしまう。そんなことを親も同然な幹也さんや職場の同僚に聞かれたら……。なんとしても、止めなければ。
「ねえ、椎名。いったん落ち着きましょう。後で後悔するのは椎名も同じよ?」
「別にいいじゃない減るもんじゃないんだし」
「そういう問題じゃないわよ!幹也さん、お水頂戴。椎名、流石に飲みすぎよ」
「まぁたそうやってすぐ私の世話を焼くんだから、もぉ。……でも、愛名のそういう所、私、好きよ。この前も床で寝てた私をやさしーくベッドにエスコートしてくれたし、ねぇ」
「なっ……何言ってるの!!」
恥ずかしくて顔から火が出そうだ。そんな恥ずかしいこと、皆が見てる前で言わないでよ……。
「おーおー。まっかですなぁアゲハさん」
「あはは、こんな愛名は滅多に見れないから新鮮だなぁ」
「二人もあんまりはやし立てないで!あとアゲハ禁止!」
「「はーい」」
こういう話題になるといつもこの二人にいじられっぱなしだ。まあ、こういう風な馬鹿をやるのも楽しいと言えば楽しいんだけれど。ただそれにしても、さすがに私ばっかりいじられすぎじゃないか……?
「ほら、水飲んで。これで少しは酔いを覚ましなさい。……椎名?」
なんやかんや言いつつも幹也さんはちゃんと水を注いでくれた。さっさと椎名に飲ませようと思ったが、呼びかけに反応がない。……これはもしかすると、もしかするかもしれない。
「……ぐぅ」
思った通り、小さな呻き声を上げた次の瞬間、椎名の頭部が勢いよくカウンターテーブルの上に降ってきた。
「おっとと。全く、危ないわね」
その頭部がテーブルに直撃する前に、手で受け止める。枕の代わりになりそうな物がみあたらないので、椎名の持ってきていた鞄を枕にして寝かした。
「暴走するだけ暴走して寝落ちですか。探偵サンの世話も大変ですねぇ?」
「そう思うなら、少しは手伝って欲しいわね」
「遠慮しときますよ。第一、アタシが探偵サンの世話なんてしたら嫉妬するでしょ、間違いなく」
「……まあ、否定はできない、わね」
「ひゅーひゅー。相変わらずラブラブで安心しましたよ」
「うっさい」
はあ、と大きなため息をついてから、椅子に深く座りなおす。このメンバーで飲む事自体は楽しいし好きだけど、どうにも疲れるのが難点だ。
「松葉さんも止めてくださいよ。結構大変なんですよ毎回」
「俺には楽しくてしょうがない、って感じにしか見えないからな」
「まあ、それも間違ってはないですけど。そう見えるなら、松葉さんも混ざればいいのに」
「いや、俺はいい。こうやってお前たちを見ながら酒を飲んでるのがちょうどいい」
「それ、おっさんみたいですよ」
「ほっとけ。……にしても椎名はどうする。ここで朝まで寝かせるわけにはいかないだろ」
「まあ、こんな不安定な枕で寝てるんだし、そのうち起きると思いますよ。そしたら事務所に引っ張っていきます。まあ、最悪二階の私の部屋で寝かせればいいですし」
椎名はさっきまでの暴走が嘘のようにすうすうと可愛い寝息を立てながら鞄を枕にして机に突っ伏している。今までの経験上、酒の場で寝ている椎名はそれほど長く寝続けるわけじゃない。せいぜい30分くらいのものだ。だから、こうなったら起きるまで放っておくのがベストなのだ。少なくとも幹也さんのバーでなら。
「だな。じゃあ、椎名が起きたらお開きにするか」
「そうですね。……ん?」
自分の鞄からスマホのコール音が聞こえてくる。もうそろそろ日付が変わろうかという時間帯だけれど、職業柄この時間に電話が来るのもまあ珍しくはない。おそらく、客が多くてヘルプが欲しいとかそんなところだろう。
「ちょっと電話出てくるわ」
皆に一声かけてから、スマホだけ取り出し店の外に出る。スマホの画面表示には、「茅野菜々美/ナナ」と表示されている。およそ一年ほど前に店に来た、私のことを先輩と呼んで慕ってくれる、なんでキャバ嬢になったのか不思議に思ってしまう程のいい子だ。
「ナナから……?」
少し引っかかった。ヘルプの電話なら普通は店の番号から来るはずだ。それにそもそも、ナナは私と同じで今日は非番だったような……?
「もしもし、ナナ?」
「はあっ、はあっ、……せ、せんぱい……?」
電話の先のナナの息が荒い。まるで全力疾走した直後のような……。そこまで思って、嫌な予感がした。
「ナナ、私、愛名よ。どうしたの?……なにかあったの?」
「せっ、……せん、ぱいっ……た、助けてっ……!」
嫌な予感は、現実へと変わった。