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不夜城に蝶は舞う  作者: 名月
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プロローグ

「そっちに動きはあった?」

「いや、まったく。ラブホに入ってもう6時間近くだな。……ったく、50過ぎのくせに長すぎだろ。ずっとヤってんだとしたらとんだ絶倫だな。……てかそっち、通話してる余裕あんの?」


 セリフに似合わない可愛らしい声がスマホから返ってくる。その声はいつも通り楽しそうに弾んでいる。電話の相手の名は朝倉奏。まだ二十代前半のうら若き女性とは思えない趣味嗜好だが、こういう下世話な話は彼女の大好物だ。テンションが上がるのも仕方ないのだろう。


「お手洗い、って言って抜けてきたわ。そっちの様子も知りたかったし」


「なるほどね。……おや、ようやくお出ましみたいだ」

「……やっと、ね」

「ああ。女を肩に抱いてやたらフラフラしてやがる。ったく、結構な歳のくせに長々とヤるからだ。それとも酒でも飲んでんのかね、ありゃ」


 それを聞いて、脳裏に一つの可能性が思い浮かぶ。ただそれをストレートに口にだすのは気が引けた。言霊というわけではないが、万が一でもそうであって欲しくはない。


「……酒ならいいけど」

「まあ、()()()のつながりは調べた感じなさそうだし、大丈夫だろうさ。おっと、動き出したか」

「頼むわよ、奏。そいつの言質さえ取れれば、人身売買組織は簡単に潰せるんだから。責任重大よ」

「分かってますよ、アゲハさん。任せてくださいって」

「アゲハはやめて、って言わなかったかしら?」

「へいへい。じゃあ、尾行スタート、ってね。……そういえば、探偵サマはどうした?全然連絡してこないけど、まさか……」

「そのまさかよ。椎名なら、“今はまだ私が動くときではない”、だって。多分まだ寝てるわ」

「いつものですか」

「そう、いつものよ。どうせ大一番で美味しいとこだけかっさらっていくのよ、いつも通りにね」

「……でしょうな。まあ、アタシらはいつも通り“仕事”をこなしますか」

「そうね。……こっちもそろそろ戻らないと。……行ってくるわ」

「そっちは任せましたよ?アゲ……」

「やめて」

「……へいへい。任せましたよ、ラブネさん」

「よろしい」


 通話を切り、目を閉じて気持ちを切り替える。目を開き、顔に浮かべるはとびっきりの営業スマイル。何もなかったように裏の控室から煌びやかな店内に踊り出て、つい先程まで座っていた席に戻る。隣に座っている客が、今日のターゲットだ。


「お待たせしました~!ラブネ、ただいま戻りました~!」


 さて、仕事の続きといきますか。


 —ここが私の戦場。新宿歌舞伎町一と名高いキャバクラ、”Mercury(マーキュリー)” だ。


 *


「いやー、今日はそろそろお暇しようかな。ちょっとこのあと用事があってね」


 席に戻ってから大体10分。早くもターゲットが店を離れる準備を始めた。


「えぇ、今日はまた随分と早いんですねぇ、どこかに行かれるんですかぁ?」

「え?あ、ああ。そうなんだよ。ちょっと、えーっと、仕事の関係でね。まあすぐ近くなんだけど、遅れるわけにもいかないからねぇ」


 間違いない。その明らかに何かを取り繕っている反応ですぐに分かった。確実にこいつは真っ黒だ。それならばなんの憂いもなく、“仕事”をこなせる。


「お仕事の集まりの前なのに、こ~んなに飲んじゃって、大丈夫なんですかぁ?」


 相手の顔を覗き込むような上目遣いの姿勢で質問を投げかける。大抵の男なら、眼前に迫られて上目遣いで見つめられた挙句、大胆に胸元をカットしたドレスから覗く胸まで惜しげもなく見せつけられてしまえば一瞬でコロッと堕ちてしまうはずだ。今回私に課せられた“仕事”はこの男から一つの情報を聞き出すこと。そのためならこれくらいのサービスは必要経費だろう。案の定、帰宅の準備を進めていた男の手が止まり、目線が私の胸元と顔の間を右往左往し始めた。悲しい男の性なんだろうが、好都合だ。今の内にさっさと仕事を済ませてしまおう。


「い、いやぁ、ほんとはまずいんだろうけどねぇ、はは。私も飲まないとやってられなくってねぇ……」

「そんなに大変な集まりなんですかぁ?」

「……まあ、結構大変だねぇ……」


 私から少し距離を取りつつソファに深く腰掛けなおして、はあと大きなため息を漏らす。流石に多少は良心が痛むのか、やっている悪事にストレスは溜まっているようだ。……まあ、その方が付け入る隙が多くてありがたい。


「そうなんですかぁ……。辛かったら、ラブネに愚痴っても、いいんですよぉ?」


 ターゲットの男だけにしか聞こえないくらいの小さな声量に落としてから、私の最大限の甘い声色で囁く。男の緊張に満ちていた顔色が変わり始める。あと一押し、ってところか。


「い、いやぁ……。ラ、ラブネちゃんに迷惑はかけられないし、ねぇ……」


 そう言ってはいるがさっきから視線は男の膝と私の顔を行ったり来たり。内心では彼の心労のもとである悪事について誰かに聞いてもらって、少しでも肩の荷を下ろしたい気持ちでいっぱいなんだろう。……少し、意地悪をしてやるか。その方が早く堕ちるだろうし。


「大丈夫ですよぉ?話を聞くだけなんですからぁ、全然、迷惑なんて思わなくていいですよ?……それにぃ、ラブネ、見ちゃったんですよぉ……。お客さんが、この辺で高校生くらいの女の子をどこかに……」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!ラブネちゃん。き、っ君は一体なにを……」


 男がとたんに慌て始める。思った通りだ。あとはダメ押しだけしてやればいいだろう。


「だからぁ、見ちゃったんですよぉ。お客さんが若い女の子たちをどこかに連れて行ってるのを。……大丈夫、大丈夫ですよぉ?ラブネ、ぜっったいに誰にも言ったりしませんからぁ。……ぜんぶ、ラブネとぉ、お客さんだけのぉ、ひ・み・つ、にしておきますから」

「……ほ、本当、だね?」

「もちろんですよぉ」


 男の顔に安堵の色が満ちる。先程までの緊張に満ちた顔色が嘘みたいだ。


(陥落成功、ってね)


 後はどうとでもなる。これで男の中の情報は男にその自覚がないまま、私が自由に引き出せるだろう。


 *


「もしもし、松葉さん?」

「……あぁ、ちゃんと聞こえてる。首尾はまあアンタのことだ、大丈夫なんだろ?」


 ターゲットの客が店を出たので、私は戦果の報告の為に控室に戻って電話を掛けていた。電話の相手である男、松葉明夫は、いつも通り淡々とした口調だ。つまり、彼の方は問題なし、ということだろう。ならば、さっさと報告を済ませなければ。


「ええまあ。例の場所、おおかた分かったんで伝えますね。—南の方でほぼ間違いないかと」

「……結局、椎名の読み通りか」

「ですね。いったいどうやったら分かるんだか。……じゃあ、あとは皆さんにお任せします。まだ店を離れられそうにないんで」

「ああ、任せとけ。……しっかし、アンタも無理するよなぁ。探偵の助手とキャバ嬢の二足のわらじ履くなんて、よくやるよ」

「慣れると結構何とかなりますよ。今回みたいに探偵の仕事の助けになることもありますし」


 実際この生活を続けてもう3年近く経つ。最初は大変だったが、最近はそうでもない。まあ、あの私生活が壊滅している名探偵—椎名の身の回りの世話だけは、いつまでたっても大変なままだけど。そこは惚れた弱みもあるし、仕方ないのかもしれない。


「それならいいんだが。まあなんにせよ無理はすんなよ。椎名の為にもな。……そういや肝心の椎名はどうした?予定では朝倉と一緒に密会の方に行く手はずだったが」

「まあ……、そろそろ起きてるんじゃないですかね」

「またギリギリまで寝てんのか、あいつは」

「まあ、最後には絶対間に合う奴ですし、大丈夫でしょう。……多分」

「ま、確かにな。……じゃ、こっちも片付けてくる」

「はい。お願いします。気を付けて」


 そこで会話を終え電話を切る。彼ほどの人ならば、おそらくは問題ないだろう。


「問題は、あのねぼすけの方ね」


 連絡先を呼び出そうとしたその時、手に持つスマホが震える。着信相手は今まさに電話で叩き起こそうとしていた探偵、椎名美咲その人からだった。


「もしもし?」

「……いま、どーいうじょうきょー?」


 普段とはかけ離れた間の抜けた声。おそらく起きてからまだ1分と経ってないのだろう。完全に寝ぼけている。


「ターゲットから例の場所の所在地を聞き出せたんで、松葉さんに行ってもらってる。奏はターゲットたちの密会場所まで尾行中よ」

「そう。了解したわ。女の子たちの迎えは明夫さんに任せて、私は予定通り奏と合流するわ」

「……お目覚め?」

「ええ。おはようのキスをしてくれたっていいのよ?」


 相変わらず覚醒までの時間が短い。私の報告を聞いて目が覚めたのだろうが、切り替えが早すぎてこっちがついていけない。


「キスなら、全部終わった後にいくらでもしてあげるから。さっさと片付けて来てくださいな、探偵さん」

「そんなこと言われたら、やってやるしかないじゃない。じゃ、行ってくるわ。終わって帰った時に、ベッドにいなかったら怒るわよ?」

「こっちもこっちでまだ仕事残ってるからそれはさすがにムリ。どうせ一時間後には終わってるでしょ?」

「あら残念。じゃ、さっさと終わらせて帰りを待ってるわ」


 プツっと通話が途切れる。私の愛しの恋人(パートナー)は、今日も今日とて絶好調のようだ。


愛名(あいな)、指名来てるわよ。いける?」

「はい。すぐに行きます!」


 控室の扉が開いて、先輩が呼びに来る。さて、今日の所は探偵助手の肩書きはここまで。いつも通り夜の仕事に戻るとしよう。


 —時刻は0時。眠らぬ街、歌舞伎町の夜は、これからが本番だ。


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