第八話 誰も助けてくれなかった
「この話、知ってるか?」
今日は僕から話題を振る。
「人工地震っていうのがあって、地震が起きた日付の数字を足すと十八になる、って都市伝説。例えば阪神・淡路大震災は一月十七日だから、一足す十七で十八だろ。古いのだと一九八九年のサンフランシスコ大震災が十月十七日でそのまま足したら二十七だけど、十を一とゼロだと考えれば、合計十八だ」
福見はそれを興味深そうに聞いていた。こじつけだとは言われなかった。頭ごなしには否定しない。それが互いの暗黙の了解だった。
もうすぐ日も沈もうかという夕方。突如として揺れを感じた。地震だ。自転車に乗っていても揺れを感じるということは、相当に大きな揺れだと思われる。テレビもラジオもなく、ついでにインターネットも使える状態ではないので、震度などの詳細な情報がわからない。道の端に自転車を停め、様子見をする。
「うわっ!」
左の民家のブロック塀が、僕めがけて崩れてきた。
目を閉じることしかできなかった僕は、もろにブロック塀の直撃を食らった。幸か不幸か死にはしなかった。下のブロックが先に粉々に砕けたせいで塀全体が低くなり、頭に当たらなかったからだろう。経年劣化とは恐ろしい。何とか瓦礫の山と化したブロック塀を押しのける。身体中傷だらけだ。病院に行きたいところだが、逃亡中の身である以上、それはできない。
崩れた場所から庭を覗き込むと、自然に還りつつある緑豊かな庭が広がっていた。十中八九、無人だ。何かあるようにも思えないし、空き巣をするほど金に困ってはいないので、中には入らないでおこう。埋もれた自転車を取り出すことは断念する。元々は福見に早く会うために拝借したものであることを考えると、ここまでよくがんばってくれた、と褒めてあげたくなる。
久しぶりに徒歩での移動が始まった。少し左足が痛い。変な方向から力が加わったのかもしれない。引きずって歩くにしても、今日は遠くへは行けなさそうだ。佐賀は山が遠くに見える。自転車は速く移動できるが、市街地を走るときは遠くを眺める余裕を持てない。どちらも一長一短だ。自転車の救出を放棄すると決めた瞬間から脳裏に蘇った、あの自転車の本来の持ち主の顔を、別のことを色々考えて振り払おうと試みる。
どれだけ時間をかけようとも、僕は福岡、さらには関門海峡を超えて本州へ行かなければならない。最終的には北海道まで、行けるものなら行ってみたい。毒を食らわば皿まで、だ。そうだ、この地震で長崎の事件の扱いが小さくなるかもしれない。人生万事塞翁が馬。悪いことばかりでもなさそうだ。もう今日の日付は忘れてしまったけれど、もしかしたら、今日の日付は足して十八になるのかもしれない。高校生の頃、今は亡き福見に人工地震の都市伝説を聞かせたことを思い出した。