第七話 だんだん怖くなっていった
バスは細い坂道を登る。今日は雨だ。古い歌によると、長崎といえば雨らしい。途中の停留所で、同じ高校の生徒が乗り込んだ。僕と同じクラスのその生徒は、空いていた僕の隣に座った。この停留所から一気にバス内の人口が増加する。透明なビニール傘は今日のような強い雨ではいささか頼りなく、現に隣の生徒は制服の一部を濡らしていた。左袖と、スカートの裾を。
吐く息が白く見えるのは、体温と外気温の差が激しいときだ。体温によって三十数度にまで温められた肺の空気が、口から吐き出されて冬の朝の空気に晒される。すると暖かい空気中に含まれていた水蒸気が細かい水滴となって現れるのだ。ではなぜ、今の僕が吐く息は白くならないのだろうか。気温が高いのか湿度が高いのか、それとも、僕の体が冷えているのか。
福見のアパートを飛び出して、かなりの時間が経った。道路脇の標識に『佐賀県』と書かれている。とうとう県境までやってきた。僕が警察から逃げ続ける限り、もう長崎に戻ることは叶わないのだろう。大きな淋しさを感じながら、自転車を降りて標識を通過した。できるだけ長く長崎にいたかったからだ。楽しいことも辛いこともあり、そして理央と出会い、子どもを授かった町から、僕は追い出された。
数日かけて、佐賀県をひたすら東進する。やはりここでも右往左往の連続だ。食事をとるため、僕は個人経営らしいうどん屋を訪れた。ここなら監視カメラはなさそうだ。店内は店主の老婆が一人いるだけだった。中々に手頃な価格の肉うどんを注文する。逃亡生活に慣れ、むしろ自由すら感じる日々に、ほんの少しだけ快感すら覚え始めていた。
「あんた、長崎の殺人事件は知っとうね?」
「え?」
「知らんとね? テレビで毎日言うとっとけどねえ。何日か前に起きて、ほら、同じ長崎で学校の燃やされとったやろ? あれと同じ犯人じゃなかやろかーって。怖かねー」
逃亡生活に慣れてきたと思っていた。このうどん屋に来るまでは。福見が殺されたことが既に報道されていたとは、全く知らなかった。
老婆が新聞を読ませてくれた。警察は僕と高校が同じだったことのある福見が殺害されたため、更に僕への疑いを強めているらしい。やはり決定的な証拠が出ないため、指名手配や実名報道はされていないようだ。そこは不幸中の幸いと言うべきか。僕は記事の最後の一文を読んだ。
『長崎県警は、この重要参考人が県外に移動した可能性を考え、佐賀、福岡、熊本各県警とも協力して、行方を追っている』
包囲網が出来上がりつつあることを実感した。