第五話 思考がおかしくなっていた
後ろの席の福見は、僕より多くの怪しい話を知っている。ピアス穴の白い糸、となりのトトロは死神がモチーフ、きさらぎ駅、など。僕も負けじと色々なことを語った。アメリカ同時多発テロを裏で操った黒幕、アポロ計画捏造説、ケネディ大統領暗殺の真相、他多数。アメリカはこういう話題に事欠かない。おおむね福見は怪談系で、僕は陰謀論を話すことが多かった。
できるだけ早く福見と会いたい。気持ちの焦りとは裏腹に、足取りはどんどん重くなっていく。何度も同じ道を行ったり来たり、なるべく住宅街を迂回するために遠回りのルートを探して歩いては行き止まりにぶつかり、あっという間に日が暮れてしまった。今朝から何も口にしていない。飲食店やスーパー、コンビニにも監視カメラは当然あるはずで、なるべくそれらに姿を残したくないと思い、入店しないようにしていた。
だが、空腹と寒さに耐えるのにも限界が近づいてきていた。関節が固まるのでは、と思うくらい今夜は冷え込む。目に入ったコンビニに入店し、暖かいお茶とおにぎりをひとつ買った。店員に素性がばれてしまわないかひやひやしたが、留学生らしいその店員は拙い日本語での接客に精一杯らしく、あまり僕の顔を見なかった。この店の責任者は苦い顔をするかもしれないが、今の僕にとってはある意味、世界最高のサービスだった。
外に出て陰で炭水化物の塊を貪っていると、自転車が接近してきた。一瞬、警察かと思って警戒したが、ただの買い物客だった。真っ黒のジャージを着た初老の男だ。寒くないのだろうか。食事をとると、どうでもいいことを考えられるくらいの余裕が出てきた。そしてあろうことか、その男は自転車を施錠しないまま、僕のすぐ横に置いて店の中に入っていったのだ。自転車は僕と共に、電灯やコンビニの明かりに照らされない場所にある。
今しかない。恐怖か寒さか、どちらかのせいで震える体で自転車に跨り、すぐ先の角を曲がった。右に左に曲がりながら、コンビニから逃げる。後ろから、あの男が今にも追ってくるような気がする。栄養補給は僕に良からぬ考えを持たせる余裕を生んだらしい。今は福見のアパートを目指すより先に、デタラメに走ることを優先した。コンビニで見た時計の時刻から計算して、そろそろ日付が変わる頃だろうか。本当の犯罪者になってしまったという絶望と、警察官の制服を着た理央のイメージが、僕を支配した。
ブレーキをかけた。無論、逃亡を諦めたわけではない。逃亡を選んだことについては、今更悔やんでもどうしようもない。そうではなく、目の前の建物をよく確認したかったからだ。闇に包まれてはいるが、全く見えないわけでもない。紛れもなく諫早駅だ。いつのまにか、諫早に着いていたのだ。息を整えながら、僕は一人で達成感に浸った。今日はこのままこの辺りで夜を越して、明日の朝になったら福見に会いに行こう。よし、よし。上手くいっているぞ。