プロローグ
サンタクロースを信じていたのはいつまでだって話をすると、そこはやはり家庭事情が絡む事になるかもしれないからどうでもいいじゃない、なんて結論になるのかもしれないけれど、でも世間話の一つとしてはちょうどいい話題になるのかもしれない。
では、俺がサンタクロースをいつまで信じていたかと言われると、恥ずかしながら小学校中学年までのことである。銀座の博品館に家族で出かけた時の話に遡る。あそこは油圧式のエレベーターを採用していてな、乗ると少し匂いがするんだ。……言ったところで、分かって貰えるかどうか分からないのだけれど、ともかく、その博品館にはビリケンさんと呼ばれる縁起の良い人形が置かれていたんだ。大阪の生まれの人間だったら、そこらへんの知識は明るいかもしれないな? ビリケンさんというのは、足を触ると願いが叶うらしいんだ。俺は父親から聞いたその話題を信じて触っていた物だよ。銅像に何の価値も無いのにな。気づいてしまえばそれでお終いかもしれないが、気づいてしまっている前の事は、はっきり言って、思っている事よりも、面白いことかもしれないな。まあ、それはどうだっていい。……ええと、何処まで話したっけ? ああ、そうだ。博品館のビリケンさんの話だったな。そこで俺は当時流行っていたRPGソフトが欲しいってねだったんだ。そうしたら次の日ホテルで目を覚ましたら、プレゼントが枕元に置かれていてな。俺が欲しかったソフトが入っていた訳だよ。そりゃ、喜ぶよな。当時はサンタクロースが居るって本当に信じていたんだからさ。
そういうわけで、そんなおしゃれなイベントがやってきたかと思いきや翌年に至っては両親から直接プレゼントを貰うというサンタクロースもへったくれも無い受け取り方だった訳で、俺の中でサンタクロースは存在しない理論が構築されてしまった訳だ。
同時に、テレビで良く見る幽霊やUFOなども存在しないと思い切っていた。そう思い切る原因となったのは父親だった。父親は現実的なものしか信用しない筋がある。それに、俺に言ってくるのだ。テレビで流れているこの映像はデタラメだ、等と。そう言われてしまえば、そんなことを信じることすら無くなってしまうのも当然のことだろう。
超能力者、幽霊、未来人、UFO、宇宙人……。そういった類いのことをさっぱり信じなくなったのは、中学生ぐらいになってからだと思う。思えば平々凡々な人生を送ってきたものだと思っている。そんな人生で楽しかったのか、と言われると微妙なところだ。それが楽しいか楽しくないかを判断するのはあくまでも自分自身であり、それ以外の人間が勝手に『楽しい』だの『楽しくない』だの判断してはいけないからだ。いや、別に、してはいけないというルールは無かったはずだけれど。
でも心の中では描いていたはずだ。宇宙人がやってきて宇宙の秘宝を狙うことになるだとか、未来人がタイムマシンでやってきて「この時代は危ない」的なメッセージを聞いたりだとか、超能力者が現れてバトル的な展開になったりだとか。
でも、残念ながら、そういう連中は居ない。
あくまでもそいつらは空想の中に留めておいたほうがいい。
自分がちゃんと高校生活を送りたいのであれば、そうあるべきだ。
俺はそんなことを思いながら、坂の上にある御所高校に入学し――。
――そして、俺は、塩山昭穂に出逢った。