29.エリオット……狂喜
直系二十メートル程度の縦穴というのは、想像以上に狭い。しかも、日が縦穴を真上から照らさない限り、穴の底を灯かりが照らすことは無い。
青竜マー・アズーロは、空を飛ぶことはできるが、普段は海中に穿った隧道を使う為、頂上への穴は飛竜が訪ねてくる時の為の穴であるから、自分自身が通る事を考えてはいなかったので、特に広げてもいないからである。
飛空艇は、目視だけで縦穴を降下していくだけであり、何かがあっても回避できる範囲は狭く、戦闘を行うには圧倒的不利であった。
とはいえ、竜が相手では最初の一撃が重要であるはずであった。竜とはいえ、飛空艇の存在はしらず、その火砲の威力もしらないだろう。それならば最初の一撃は、侮って防御すらしないだろうというエリオットの考えである。
そもそも、エリオットは縦穴に入らずに、穴の外から火砲を撃とうとしていたが、ディランからクロエが先行で出ている話をして、やめさせたからである。
しかし、エリオットは仮に穴の底でクロエが竜を倒していた場合でも、魔導砲を撃つつもりであることはディランには言っていない。クロエと竜殺しの称号を天秤にかければ、どちらが重いかなどエリオットには単純な答えだ。確かにクロエは惜しいが、女ならまだ二人いるのだ。竜を倒せるチャンスは一度きりであり、この場を逃せば二度は無いのだから……
深い縦穴は、QAからの無線の電波すら通さず、先ほどから音を立てていない。実際には、それ以前にエリオットがワイアットからの無線を煩わしく思って、スイッチを切っているせいであったが。
そして、五百メートルは降下したのであろうか、彼らの視界には映ったのは五十メートルほどの半球型の空間であった。
そして、彼らの右正面下方に、先ほどみた緑色をした飛竜と対峙しているクロエの姿を確認したディランは、機首を竜に向けようとした。その時、クロエから警告の無線が入ったのだ。
『駄目です、ここでは火砲は使えないですよ。周囲の岩は、加熱すると有毒ガスを発生します。普通の生き物なら即死してしまいます』
クロエからの無線に、ためらいを覚えたディランが機首を飛竜に向けようとしたのを止めると、後部座席のエリオットから罵声が飛んだ。
『……それなら一撃で仕留めればいいだけの事だ。意気地なしの優男め、機首をさっさと奴に向けろ!』
『いや、それじゃあスマートじゃないだろ。お姫様を助ける騎士は、カッコよくないと……』
ディランの言葉に、エリオットは黙り込んだ。ディランは、操縦席内のバックミラーで、後部座席を見てみると、凄絶な笑顔を向けたエリオットが映っている。
『やはり、貴様は馬鹿な優男だよ。まあ良い。さっきの無線で、生物は皆死ぬっていってたよなぁ。養女なんざぁいくらでも替えのきくんだ、後はどうにでもなるんだよ!!』
そう言って、エリオットは魔導砲のトリガーを引いた……
轟音と閃光が上がり、無線から誰かの悲鳴が聞こえた気がしたが、魔導砲の連射は止まない。
『くっくっく、タヒね、タヒね、みんなタヒんでしまえ!! ドラゴン素材で金が入ったら、ガキにはもったいないほどの墓を建ててやるよ!!』
薄汚い罵声と笑い声を上げるエリオットの目は、狂人のようだった。そして、最大火力で連射された魔導砲も、やがて魔力切れと連射による異常過熱が原因で停止してしまう。
土煙がもうもうと上がり、周囲を暗くしたがやがて機首灯の灯かりの中に、地面に横たわる飛竜の姿があった。最後に飛竜の姿を見た場所と異なっているのは、毒煙により苦悶した挙句の事だろうか。
そして、数メートルはある翼の下からのぞく、白くほっそりとした少女の脚……
『なっ、クロエ艦長!!』
悲痛な声をあげたディランは、あわてて機体を着陸させると、横たわった飛竜の元へと走り寄ったのだ。いや、翼の下から見える白い脚もとに……
『ウヒヒィッヒヒィ、やった、やったぜ。これで、俺もドラゴンスレイヤーだ。気に入らない幼女だったが、最後には感謝するぜ。俺様に幸運を運んでくれた女神だってな』
狂ったように笑い続けるエリオットを無視して、ディランは竜の翼を持ち上げて……吐いた……
翼の下には、原型をとどめていない白い何かと、赤い粘液が地面を濡らしていた。むせ返るような血の匂いと、潰れた臓物の匂いが周囲に充満していて、何故翼をどけるまで気付かなかったのかが不思議なくらいである。強烈な匂いには、ディランの鼻の奥に傷みにも似たツンとした刺激を感じさせ、鼻血が流れるのを感じさせる。
とっさに顔を背け、胃からこみ上げる物をひとしきり吐くと、流れてきた赤い粘液と、吐しゃ物で、服の袖もズボンも赤黒くべたついていた。その顔も、涙と鼻水、鼻血に入り混じって、吐いた口からの涎も合わさり、航空隊の貴公子ともてはやされた姿はみじんもなかった。
慌ててハンカチを取り出して、顔を覆ったディランではあるが、背後に人の気配を感じて振り返る。そして、そこには両手で辛うじて持てるほどの岩を振りかぶったエリオットがいた。
『アッハッハッハ、優男。そんなに苦しいか? お前は結局何もできなかったな。お姫様を助ける王子だ? くっくっく、自分の吐しゃ物とガキの血にまみれた貴様が王子だって? まあ、いいさ。姫を助けられなかった王子は、せめて姫と一緒に死んでやるんだな!!』
そんなエリオットに対し、ディランは何も言えずに振り上げられた岩を見つめるしかない。ディランが最後にみたのは、狂喜するエリオットの顔と、振り下ろされる岩だった……
そして、『ガツッ』と鈍い音が縦穴の底に響いたのであった。




