45.レギニータと衛生班
「イリス班長に報告。第4分隊衛生科5名、全員集合しました」
クイーンアレキサンドリアの衛生科区画内にある医務室で、レギニータはイリスに連れられ、しばらくの間自分が所属することになる衛生科のメンバーと顔を合わせていた。
最初はイリスの隣で控えているレギニータに興味深げな眼を向けるものもあったが、リーダーと思われるメンバーの声で、整列し直立不動の姿勢をとっている。
「みんな、楽にしてちょうだい。間もなく本艦『クイーンアレキサンドリア(以下QAと略)』は試験航海に出港します。各自副班長の指示に従って、任務についてね。基本的には2組編成で、私と副長はサポートとします。現場の判断で迷った場合は、副長のカレンの指示に従う事。
あと、この子はレギニータ。この航海の間、うちで面倒を見ることになったゲストよ。編成としては、ポジションはアシスタントとして考えているわ。
魔術技術学院【スクオラ・ディ・テクノロジア(Scuola di tecnologia)】の魔法医療学で学んでいるから、基礎はできてると思っていいわ。
レギニータは、航海中は彼女たちの指示に従うこと。乗艦した以上、ゲストといえど正規メンバーと同じ扱いをするから、そのつもりでね。それが嫌なら、下艦してちょうだい。じゃあ、私は艦橋に行くから、後のことはカレンにお願いするわね」
「はい。了解しました」
カレンにレギニータを任せたイリスは、早々に医務室を出て行ってしまう。その背中は、心持ち楽しそうに見えて、レギニータは首をかしげた。そういえば、他のメンバーも少し表情が緩んでいるようにもみえる。そんな事を考えて、ぼんやりしていたレギニータに声が掛けられ、彼女は慌てて振り向いた。
「さて、みんな楽にしたままでいいよ。まず、各自与えられた私室に荷物を搬入して、30分後にまたここに集合して。自己紹介やなんかは、その時でいいでしょ。言わずもがなだけど、時間厳守でね。それじゃあ、解散」
メンバーそれぞれが、小さくまとめた荷物を持って医務室を出ていくと、カレンとよばれた女性に、ついてきてと言われた。通路に出た二人は、衛生科区画の上層フロアにある居住区画に案内された。QAは区画ごとにブロック構造となっており、それぞれの境界は二重になった水密扉で分かれている。艦橋直下の右舷区画が女性用の居住ブロックとなっており、衛生区画はその直下となっている。
QAでは通路と各部屋が壁や隔壁で仕切られており、他船を知っている船員からは、閉塞感が訴えられているが、それでも通路は並んで二人がすれ違う分には問題はない程度に広い。
レギニータを含めた衛生科の6名は、女性専用区画に入りそれぞれ指定された船室へと入っていった。カレンはレギニータとともに照明のともる通路を進み、一つの扉の前で足を止めた。
「さて、実はあたしは他の帆船から来たんでね。まだ与えられた自室とやらは見てないんだよ。ただ、あんたも船で下層街にきたんなら、船旅がどんなもんかわかるだろ? あまり期待しなさんな」
カレンの言葉に、レギニータもうなづいた。この時代旅客船などは存在せず、貨物室の一部にスペースを間借りするのである。船員とはいえ、砲をつんだ戦列艦ですら砲と砲の間が砲手の居住空間なのだから、仕方がないことである。一部の士官は士官室を与えられているが、それすらも快適とはいえない。
カレンが、船室のドアに左手を差し出すと『ガチャ』っと物音がする。ドアノブを回して室内をみたカレンは、『ピュー』と口笛を吹いた。
3m四方の室内に、シングルベッドよりは多少狭いが、きちんとマットレスのある二段ベッドと二人分のロッカーが設置されている。突き当りには丸い窓があり、その左右に小さいながらも机に本棚、椅子もある。左中ほどの壁にはドアがあり、中をのぞくと女性には嬉しいシャワーブースと水洗式のトイレが存在していた。
椅子や机、ロッカーに至るまでの備品は全て固定されており、艦が傾斜した場合でも床を滑り出さないようになっているようだ。
「これは、QAに乗船しちまったら、他の船には戻れないねぇ。他のメンバーはアレキサンドリアの外にでるのは初めてだから、そんなに感動もないだろうけど」
カレンがつぶやくのも当然である。木目調の床や壁に、小さいとはいえ窓があり、艦外の風景も見えるし、太陽の光もはいる。他の船では艦長クラスの待遇の部屋であった。
「……」
あっけにとられて口もきけないレギニータに、カレンは軽く肩をたたいた。
「まあ、あんたにはシャワーじゃ不満だろうけど、小さいながらも浴槽もある。まあ、周りは海水だらけだから、好きに泳ぎたいだろうけど、停船してる時でないと置いて行かれるからあきらめな。さぁ、ぼやっとしてると時間が過ぎちまうよ」
カラカラと笑うカレンにも面食らっているが、4週間はこの生活が続くわけである。少なくても窮屈な生活はしなくてすむようであった。
荷物をそれぞれのロッカーや本棚において、再び医務室に集合した面々と軽い自己紹介をする。レギニータを除けば、他のメンバーは出港前の編成会議や、魔術学院では顔見知りなので、それぞれのあいさつは短かい。
「それじゃあ、まずは自己紹介だ。あたしはカレン。第4分隊衛生課副長を任されている。年齢は20歳さ、よろしくな」
そういうカレンは、青い瞳に金髪、5人の中では唯一の肩までのショートヘアで、二カッという笑いが似合いそうな元気娘である。口調はやや乱暴だが、気さくな雰囲気をもっている。
「クリスティーナという。呼び方はクリスでいい。年齢は16歳」
クリスティーナは、この地では珍しい黒髪に藍色の瞳をもったレギニータと同じくらいの身長の娘だ。眼鏡をかけて胸元までの黒髪を、三つ編みにして胸前に垂らし。見た目はいかにも才媛という雰囲気をまとっている。
「うちはドーラ言います。ハーフエルフで16歳どす」
口調に面食らうレギニータだが、ドーラという娘はエルフの血を引くだけあり、背が高く美人であった。しかもエルフの血を引いているというのに、形の良い胸元が存在感を主張しており、均整のとれた体形である。
「私はルーシーですにゃ。見ての通りの15歳の獣人ですにゃ。よろしくお願いしますにゃ」
続けて話すのは、真っ白な毛に緑の瞳を持つ猫獣人の娘で、猫耳とモフモフした尻尾が揺れている。見た目は普通の人族に近く、愛らしい少女といった感じだが、身長はレギニータよりもやや低い程度で、幼いという雰囲気はない。
「……」
視線が集まる中、一人無言であったが、他のメンバーに促され、聞こえてきたのは、鈴の音を鳴らすような声だが、発せられる言葉は不機嫌そうだ。
「ビクトリア、15。愛称のヴィッキーは嫌いだから呼ばないで」
そう言ってそっぽを向いたのは、灰色の瞳に白銀の髪を持つ小柄で痩せぎすの娘だ。人形じみた美しい顔は、やや表情が乏しい。小柄といっても、160cmはありクロエよりもはるかに高い。普段からこうなのか、他の面々は苦笑いをしている。
カレンに促され、続けてレギニータも自己紹介をする。
「えっと、私はレギニータというですの。17歳。レギとよんでほしいですの」
女性ばかりのメンバーと、その自己紹介の簡潔さに驚きながらも、かろうじて同じようにあいさつをしたレギニータであるが、他のメンバーはけげんな表情を浮かべてレギニータを見つめている。そんなレギニータの肩にカレンがポンと手を置いた。
「この子は学院生ではないからね。こういったときに伝えなきゃいけない事の知識はないのさ。資料は班長から預かっている。
MSC(Magic skill card)は、R3・REA4・H3・HEA4・ME2・MEEA2。
MEK(Medical knowledge)は、HBK2・PK1・BK1・SC1・SR1・PH1」
レギニータには何を言われたのかすらわからないが、他のメンバーは理解できたようである。
「了解した。確かに、班長の言う通り通常はアシスタントでよいでしょう。大規模な事故の場合は、彼女の力が生命維持に役立ちますね」
「飛空艇にしても、この艦の機関にしても、故障発生した場合は、負傷者多数でるやろ。彼女がおる分には、緊急時の保険となりおすな」
クリスティーナとドーラの発言に、他のメンバーもうなづいている。
レギニータの加入には肯定的なようだが、普段は役に立たないといわれているようで、内心面白くないレギニータである。そんなレギニータを見ながら、副班長であるカレンは、メンバーに指示をだした。
「では、事前に薬剤や医療器具の確認はしてあるけど、出港後2時間で衛生科の機材や備品・在庫を再度チェックするよ。あぁ、酔い止めは全員服用しておくこと。治療する側が船酔いしてるんじゃ、話にならないからね。
編成はいつも通り、1組はクリスとルーシー、2組はドーラとビクトリア。レギニータはあたしと一緒でサポート要員とするよ。
1組は治療室、2組は倉庫からチェックを開始。あたしとレギニータは病室のチェックを始めるわ。その後1組は診察室で待機。2組は夜間勤務にそなえて休憩にはいって」
「「「「了解しました!」」」」
衛生科5名+1は、こうして出港にむけて各自に割り当てられた作業を始めるのであった。
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カレンと共に、病室内の装備やベッドの状況を確認しながら、レギニータは先ほどの会話ででてきた耳慣れない言葉を、思い切ってたずねてみる。カレンの答えはあっさりとしたものであった。
「ん~、正直言うと貴女は知らなくていい世界の話さ」
「……それは軍機という事ですの?」
副長と呼ばれていたオスカーが、何度か口にしていた言葉ではあるが、自分に関わる数字を他人は理解できて、自分は理解できていないという点で、レギニータは不満を覚えていた。
陽気で明るく、子供っぽい性格をしていると評されるレギニータだが、母国から単身アルべニア王国をたずね、魔術技術学院【スクオラ・ディ・テクノロジア(Scuola di tecnologia)】に入学するのだからそれなりに知識欲も意地もある。
レギニータの唇をかむ様子を見て、あきれながらもカレンは口に出したのは次の言葉だった。
「別に軍機でもなんでもないさ。あたしらの任務は、負傷者や病人を治療するのが役目だろ。多数の患者を相手にするのに、メンバーの得手不得手、医療知識や魔力量を知っておかないと、適切な患者を任せる事はできないだろう?
冒険者のヒーラーとは、違う世界の話さね。さっきの数値はレギニータの能力値を現したもので、アシスタントとしてのレギニータがどの位あてになるかを知っただけのことさ」
そう言って、カレンは手を止めずに用語を教えてくれる。
MSC(Magic skill card)は、魔法技術を相対的に数値化したもので、Recovery・Healing・Medical examinationの3種に、EA(Effect area)がある。それぞれ、回復・治癒・診断の魔法強度で、その有効範囲を示すらしい。例えば、REAで回復魔法の有効範囲を示す。
MEKはMedical knowledgeで、医療関連の知識を示している。HBKでHuman body knowledge、つまり人体に対する医療知識となる。同様に、PKは毒物、BKは細菌学となる。
自分の数値が決して高いものでは無いとは知りつつも、他のメンバーの数値を知りたくなるのが心情ではあるが、カレンはあっさりとそれを拒絶した。
「レギニータ、それは興味本位で聞かれても、教えられる数値じゃないよ。聞いても貴女には理解できるわけじゃないし、患者の割り振りができるわけじゃない。無駄になるだけの個人情報を教えるわけにはいかないよ。
それに、貴女がアレキサンドリアの医療技術を学んで、まだ3カ月だ。あたしらは年少のルーシーやビクトリアでさえ、8年学んでいるんだよ。簡単に比較されたくはないね」
そういってほほ笑むカレンの笑みに自信と自負が感じられ、レギニータは自分より年下の少女たちの実力に、底知れぬ恐ろしさを感じるのであった。
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※1 水密扉:船舶の中で水を通さない扉であり、水圧がかかっても水を通さない扉




