16.接敵 相手を傷つけようとするからには、反撃される覚悟はありますね?
戦闘開始の時報とともに、屋外演習場に用意された防御陣地の中で、受講生側の総司令官を演じている『クリスティン・ジグモンディ』は満足そうに陣地を見下ろした。陣地の攻略と防衛を勝敗としている以上、彼としても防御陣地の出来具合に、妥協点はなくしておきたいのが本音である。
当初2km四方という設定であったフィールドは、受講生側の参加人数の多さを受けて、拡大され、東西5km南北2kmの長方形をした大きなエリアが戦場として設定されている。フィールド自体は、西に周囲より50mほど高い丘となっており、周囲は人の背丈ほどの草原が広がり、周囲に身を隠せるような森や岩場は存在しない。
云わば守勢側が有利であり、そこにクリスティンの要塞化計画が進められ、まさに平山城といった様相となっていた。
今回の試験にあたり、魔道具の優劣における受講者と講師側の差を無くす為、符術士が使用する対極盤や杖・弓(魔導銃を含む)といった物も全て貸与品であり、同じ条件化での戦闘を行うことになっている。
安全対策には、保護魔道具も参加者全員に配られており、同じ条件であれば負ける要素はないと、受講者側の鼻息も荒いのであった。
自分よりも年少の少女達に、物を教わるだけでもプライドの高い貴族家出身の者や不満をもっている者はそれなりの数は存在しているということである。勿論、中には立場が上なだけの力ない少女達(?!)を嬲る事だけを夢想する者もいることに間違いはないが……
傍からみれば、圧倒的優位な防衛側のリーダー格として、高台に陣取ったクリスティンは、フィールドの地形を示す地図上から、その細いキツネ目を離さずに、傍らに控える副官役のレオ・レノストに状況の報告を促した。
「現在、陣地より東方3kmを先遣隊3PTが距離300mを維持して索敵中です。他は陣内にて防御陣地に待機中。09:05現在、目標発見の報はありません。」
レオ・レノストは、黒にも見える深い藍色の髪に、平凡な顔立ち、中肉中背といった街中で見かける普通の青年に見える20歳の青年であったが、色つきの眼鏡に隠された瞳は紫色と稀有な容姿を持つ、ロンタノ辺境伯の懐刀と名高い。
血の気が高いばかりの戦闘実習受講生の中では、異端とされるほど沈着冷静でありながら、ロンタノ辺境伯の領軍仕官候補の待遇を蹴って、冒険者登録をした変わり者としても知られている。
符術師基礎の受講生が画策した、内乱の様な今回の試験にも一貫して批判的な人物であり、戦闘実習受講生の中でも人望は厚い存在であったが、クリスティンとしたは反乱分子になる可能性のある者は身近に確保しておきたいという意思が働いた結果の副官扱いである。
「貴官は、此度の試験を利用して、魔術技術学院【スクオラ・ディ・テクノロジア】運営側であるロンタノ辺境伯と、アレキサンドリア共和国上層部に、我々の力を見せるという主旨には反対されていたと思っていたが、どういう風の吹き回しだい?」
クリスティンの問いは、策士を自称する彼にしては、いささか直球すぎる質問ではあったが、ずれてもいない眼鏡の位置を直しながら、レオはその質問に回答した。
「私は一介の冒険者風情ですので、貴官と呼ばれる立場ではありませんよ。そして、ご質問の回答ですが、私は戦闘実習受講生であり、此度の試験を受ける側の立場として、当然試験に参加しているだけの事。それ以上の意味はありません」
そして、この陣地よりやや東の陣地に布陣しているもう一方の集団をみて追加した。
「それは、あちらに布陣しているコリーヌ殿と同じでしょう」
レオの言葉に肩を竦めて、クリスティンは東の陣地にチラリと視線を投げた。
『コリーヌ・プランシェ』。彼女は符術師基礎受講生の中では、クリスティンと共に双璧として知られており、アルベニア王国の北方にある『ミッテルベルヌ王国』出身の18歳の才女だ。
コリーヌはその国軍の将軍として名高い、シャルル=ギョーム・ブランシェの息女であり、武人として知られていた。
2人の戦い方に得手不得手は無いが、強いて言えば『守りのクリスティン・攻めのコリーヌ』と言ったところだろう。準備を万全に整えるクリスティンに対し、コリーヌは戦況に応じて様々な戦術を使用する臨機応変型である。
コリーヌ自身もレオ同様に、今回の反乱めいた学園への要求に対しては批判的であったが、試験自体への参加は拒否しなかった為、クリスティンの目から見て使えないと思われた人物(ホセが筆頭)を預けられ、遊撃部隊、そしてクリスティンの策が敗れた場合の保険として、配置されていたのである。
「我々教わる側が策を弄して作った陣地など、百戦錬磨の講師方であれば余裕で陥落できるでしょう。我々としては、それだけの講師に教えを受けているという確証が欲しいだけの事です。それは貴官もコリーヌ嬢も同じことでしょう」
クリスティンは自分自身で信じていない事を、当然の如く話し周囲に信頼させた。ある意味で軍師・策士としての必要な能力の1つは間違いなく有しているといえるかもしれない。
*****
一方、陣地の外には4人を発見し攻撃をようと、多くの戦闘実習受講生の中でも低いランクの冒険者がフィールドへ偵察部隊として活動させられていた。ジャンノット・オルジターノをリーダーとした5人PTもその中のひとつである。
本来Lv.Dランクのジャンノット達は陣地内の防衛役であったのだが、Lv.Eランクのナディア・オルガ姉妹の手綱を握れるものは存在せず、クロエを見れば周囲の状況関係なく戦いに入る姉妹の巻添えによる策の崩壊は、クリスティンの性分に合わなかった為、いち早く講師PTを発見し、先頭が可能な偵察部隊に回されていたのである。
「くそっ、あの兎娘は今度会ったら絶対泣かす!!」
そう毒づくのは、身の丈ほどの長弓を手に持つナディアである。その傍らでは、同じ顔のオルガが口の端を僅かにヒクツかせているが、そろいも揃って同じ気持ちらしい。
クルトとマリノの2人にしても、年下の少女に呆気なく倒されたとの噂が既に冒険者達の間に広まっており、名誉回復の為の再戦を望んでいるのは事実であった。
しかし、ジャンことジャンノットは、周囲のLv,C以上の冒険者の反応が気になってはいたのである。どの先輩に尋ねても、クロエの所属するPTの名前は判ら無かったのである。
前回演習で遭遇した獣人族のPTだけが、ジャンの方に手を置いて無言で首を振ってくれたのが、まともな反応らしきものであり、最近ではクロエ達の事を尋ねようとしただけで逃げられてしまうのであった。
「おいおい、静かにしてくれよ。精神的に乱れると、『式』との意思疎通が切れちまうんだから」
そういう符術士の彼は、偵察部隊として動くジャン達に付けられた臨時メンバーであった。移動しながらの『式』との意思疎通は、難易度が上がるだけではなく、更にナディア&オルガの暴走に付き合わされては、偵察になど全くなっていないのである。
「……貴方の符術など、有っても邪魔になるだけ。少なくても、あの兎娘を泣かすのには邪魔……」
オルガの非情な言葉に、流石に腹を立てた符術士の青年が叫ぼうとしたその時であった。突如彼らを中心に、直径10mほどの泥沼が出現したのである。
「これは……泥濘の魔法、くそ……?!……、……」
装備の重さもあって、あっという間に胸元まで沈んだジャン達であったが、それに加えて自分達の声すら届かぬ状況に、文字通り声も無く泥沼の中に佇むしかなかった。
「随分あっけなく近寄れたけど、本当に偵察部隊なの? 煩く騒ぐ偵察部隊なんて、初めて見たよ……」
「大方成人前後の女子4人くらい楽勝なんて考えてたんでしょ。気にする事はないですわ」
クロエとイリスがそう話していた矢先、ローブ姿で泥濘の中に半ば沈んでいたオルガの頭上に、直径1mほどの火球が生じた。生じた火球は温度を上げてクロエ達を巻き込むように爆発……しなかったのである。
青白く燃える火球は、クロエの形の良い指1本で支えられている。
「……無詠唱で火力はたいした威力だね。だけど、偵察部隊としての役目を考えると不適切だね」
そして、クロエは泥濘の中で身動きが取れず蠢く6人に言い放つのであった。
「こちらを攻撃してきたんだから、皆さん覚悟はできてますね?」
そういうと、人差し指で支えた火球を泥濘の中へと沈めていく。急激に温度が上がり煮え立つ泥濘の中、クロエは咲き誇った大輪の花のような笑顔をうかべた。
「自ら興した火球で、最愛の人と死ねるのですから幸せですよね?」
仲間のあげる阿鼻叫喚の悲鳴の中、オルガが見たものは天使のほほえみであったのか、悪魔の嘲笑であったのか、オルガ本人にもわからないうちに彼らの意識は途切れた。
美しい少女の笑みだけを意識に残して……




