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ハンナ

作者: 岸本明大

 花子は三才の女の子です。でも、可愛いからパパとママにはハンナと呼ばれ、近所の子供たちからはハンナちゃんと呼ばれています。


 ハンナの家は東京の郊外にある戸建住宅で広い庭があり、普通のサラリーマンが持つにはけっこう贅沢な家です。


 背が高くてメガネをかけた優しいパパ、会社の仕事は忙しそうだけど趣味は読書とお散歩。お散歩するときはハンナも連れて行ってもらいます。外の新鮮な空気を吸いながらパパと一緒に歩くのはとっても幸せなひと時です。

 家で時間があるときパパは大抵ソファーに座って音楽を聴きながら読書をしています。どんな本を読んでいるかは分からないけれど音楽はいつもモーツアルトです。パパはモーツアルトが好き! 私もその時はいつも黙って大人しくパパの横に座ってモーツアルトを聞いています。


 それから美人で優しいママ、専業主婦で毎日家事に追われて大忙し、ママは料理が得意でハンナに美味しいご飯を作ってくれます。ママの味って最高よ!


 パパもママも優しくて、どっちも大好き。でもハンナはどちらかというとパパっ子だから、寝る特はいつもパパの隣。

 寝室の中でベッドが置かれている順番は、窓際からママのベッド、パパのベッド、そしてハンナのベッドです。ハンナのベッドは一番奥の壁際にあるのです。

 寝るときはいつも暖かく、安心して熟睡できるのです。そして毎朝ママの手料理の匂いで目が覚めます。

 そんな幸せな毎日でした。


 ところがある日突然、ハンナの生活は変わりました。

ママに赤ちゃんが生まれたのです。かわいい女の子で雪子と名付けられました。ハンナにとっては妹の誕生です。パパやママは当然ですが、お爺ちゃんもお婆ちゃんもみんな大喜びでした。もちろんハンナも嬉しい。


 可愛いので皆は雪子ちゃんを抱いたり頬ずりしたり、とても幸せそうな光景でした。ハンナも雪子ちゃんに頬ずりしようとしました。ところがです! 「ハンナはダメよ」 と雪子ちゃんから引き離されたのです。

(どうして私は妹の雪子ちゃんに頬ずりしちゃダメなの?)


 翌週の日曜日、パパが庭で何か大きなものを作っていました。パパは日曜大工も趣味で、椅子や本棚なんか上手に作っちゃいます。ハンナは忙しそうに汗を流しているパパのそばへ近づいて、

(今日は何を作っているの?)

 パパはハンナの顔を見ながら答えました。

「今作っているのは、ハンナの新しいお家だよ。立派な犬小屋を作ってあげるからね。今晩からここで生活しておくれ。ハンナはシェパード犬だから、家の中で飼うと雪子にとって危険だとみんなが言うんだよ。可哀そうだけど家の中じゃなく外で暮らすんだよ。我慢しておくれ」

 ハンナはパパの言っていることが理解できませんでした。

(犬小屋って何? シェパード犬って何のこと? 私はみんなと違うの? 今晩から外で暮らすってどういうこと?)


 パパは大きくて立派な犬小屋を作りました。入口には『ハンナ』と表札もあります。中には柔らかそうな藁がしかれ、その上に小さな毛布も置かれました。


 ハンナは人間ではない。自分が犬だということを今日初めて知ったのでした。


 その日の晩からハンナは新しいお家…犬小屋…へ連れて行かれました。庭には街灯が一つしかありません。暗い、寂しい、一人ぼっち。不安でたまらなくてハンナは鳴きます…ワン、ワン、ワワン!


(私は何故家に入れてもらえないの? 悪い子だから? 良い子になりますからどうか家に入れて! 外は暗い、一人は寂しい。私も家族の一員ですよ)


 パパが鳴き声を聞いて庭へ出てきました。そして、ハンナの頭を優しく撫でます。ハンナは少し落ち着いて鳴き止みました。するとパパは家の中に戻ってしまいます。


 もう鳴いても仕方ありません。ハンナは諦めました。そして、

「ワオーン、ワオーン……」 と泣きました。そうして泣きながら眠りに就いたのでした。


 次の日から、ハンナの外での暮らしが始まりました。

慣れてしまえば外の暮らしもそれほど悪くはありません。パパもママも変わらず優しくしてくれます。

 一日一回のパパとの散歩が一番の楽しみになりました。

優しいママは美味しいご飯を作って持ってきてくれて、必ず頭を撫でてくれます。


 でもママはまだ幼い雪子ちゃんの世話で大忙しの様子、パパも少しはママを助けてあげれば良いのに……


 面白いもので、外から家の中の人間を見ていると、今まで見えなかったものも見えてきます。ママは子育てに必死、パパはママに気を使う、雪子は一人っ子で甘えん坊(わがままに育たなければいいけど)、でもやっぱり家族は良いものだ。私もその中の一人のはずなのに!


 ハンナには新しい友達もできました。それは青い小鳥。でも小鳥は話しません。ただ歌を歌ってくれるだけでした。

「今日は楽しい月曜日、朝はパパとお散歩よ、お昼はママのお手伝い、夕はみんなでご飯を食べて、夜は早くおねん寝しましょ。これが私の楽しい一日、これが私の楽しい家族」

 こうして月曜日から日曜日まで毎日、曜日を変えて歌ってくれます。何と呑気な青い鳥でしょう。幸せの青い鳥は気楽よね。


 ハンナは小鳥のように自由ではありません。首輪と鎖でつながれたシェパード犬です。よその人が見ればただの番犬でしょう。

 雨の日も風の日も犬小屋でジッとしていなければなりません。でも、一番辛いことは、やはり孤独、夜一人ぼっちで寝るのが一番嫌なことなのです。確かに体格の良いハンナは有能な番犬に見えるでしょう。でも……心はとても弱い寂しがり屋さんのままです。



 それから七年の歳月が過ぎました。


 ハンナは歳をとり病気になりました。

パパとママはハンナの弱った姿に気付き、相談して家の中に入れることにしました。

 ハンナにとっては七年ぶりの家庭です。玄関を上がると直ぐにパパの部屋へ一目散。そしてパパのベッドの横の壁際に走って行って横になりました。覚えていたのです。ここがハンナの寝場所だったことを……


「ハンナは七年も昔のことを覚えていたんだね。こんなに年を取って弱ってしまう前に、もっと早く家の中に戻してあげれば良かった。やっぱりハンナも家族だよな! 今頃気付くなんて……」

パパはそう言いながらハンナの頭を優しく撫でました。


「御免なさいハンナ! 雪子が自分で走れるようになった二年前位から家の中に戻してあげれば良かったね。今頃後悔しても遅いよね……」

ママはそう言いながら涙ぐみました。


 雪子ちゃんもハンナの傍に来て「ハンナちゃん大丈夫? 早く元気になってね」 と言いながら優しく頬ずりをしてくれました。


(ああ…… 雪子ちゃんの頬ずり、暖かいわ! 私の妹! 本当は七年前あなたが赤ちゃんだった時、私の方からあなたに頬ずりをしてあげたかったのよ)


 ハンナは今とても幸福な気持ちでした。だって家族と一緒にいるんですもの。七年間も外で暮らした辛さはもう忘れました。こうして家族に見守られている時間が永遠に続くと信じていました。


(やっぱり家族っていいわ…… 一緒に暮らせるようになって私は幸せよ)

 もう何の不安もなく、パパ、ママ、雪子ちゃんに見守られながら、ハンナは安心して永遠の眠りにつきました。


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