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08.とあるジジイの陰謀





「――失礼。お邪魔しますよ」


 珍しい客が来た。


「ここに来るのは久しぶりだな、テンシン」


 昼食が終わり、屋内のテーブルに着いたままのんびり本を読んでいる時、光の帯が敷地内に降り立った。


 白い道着姿に、薄く簡素な黒い布の靴。長い黒髪を後ろで結わえ、澄んだ黒い瞳が印象的な、飾り気のない格好の少女。

 鉄の戦乙女テンシンである。


 いや、実際は少女ではない。

 彼女は小柄で童顔なだけで、アイスより年上だ。

 十代半ばくらいにしか見えない外見だが、それは間違いない。


「そういえば最近は来てませんでしたね。椅子をお借りしても?」


「ああ。座るがいい」


 アイスが本を閉じてテーブルに置くと同時に、掃除やら何やら自分の仕事をしていた専属メイド・イリオが居間に顔を出した。


「テンシン様。お久しぶりです」


「ええ。お邪魔します」


 テンシンは、顔を隠して戦乙女の任に着いている。


 正体を知る者は少なく、その内の一人がイリオである。

 これまでアイスと関わることが多々あっただけに、専属で付いているイリオには正体を明かしてあるのだ。


「お茶菓子を持ってきました。アイスさんの好きな温泉饅頭です」


「ありがとう。早速食べよう。イリオ、茶を煎れてくれ」


 手土産を渡すと、テンシンはアイスの向かいに座った。


 所作が小さく、無駄を削ぎ落とした動作は綺麗である。

 それは動きに気を配り訓練した貴族のようだが、テンシンはそうではなく、鍛え抜かれた者の無駄のない動きだとアイスは知っている。


 椅子に座るという動作一つ取っても、武人としてのテンシンの強さが、よく表れている。


「本日は、アイスさんにお願いがあってきました」


 テンシンはおもむろに本題に入った。

 彼女は外堀を埋めていくような、遠回しなやり取りが苦手なのだ。


「内容を聞かないと返事はできないが。いったいなんだ?」


 そしてテンシンは、直球で語りだしたのだった。





「話をまとめると」


 テンシンが持ってきた手土産である、一口大の小さな温泉饅頭を口に放り込みながら、今聞いた話をアイスなりにまとめる。


「若者の宗教離れが嘆かれる昨今、信者獲得のために体験入信会を催したい。その客寄せに協力しろ、と」


「大筋は合っていますが、細かく違いますね」


「これ美味いな」


「ええ。ちなみに私は粒餡派です」


「私は漉し餡だな。口当たりがなめらかで大変良い。それと大きさだな。これは一口で食べられるというのがいいのだろう」


「そうですね。風味が逃げないというか、口の中にだけ広がるというか」


「前に行った温泉のものではないな?」


「ええ、これはまた違う処の温泉で買い求めました。美味しいと噂でしたので。またどこかの温泉に行きたいですね」


「そうだな。入った後の肌の張りとツヤが、普通の風呂とは段違いだったからな。他の連中もそれとなく誘ってみるか。ロゼット辺りは詳しいだろうし」


「この温泉饅頭のことを聞いたのはロゼットさんからですよ」


「相変わらず、気ままな旅暮らしのようだな」


 そんな脇道に逸れた話もしつつ、本題に戻る。


「私が雷号疾拳の小龍夜叉という武神を信仰していることは知っていますね?」


「当然だ。片足程度だが、私も踏み込んだ領域だからな」


 小龍夜叉は、テンシンが住む国の神の名前だ。

 その身一つを武器とし、武具を使わない戦士であった武神・小龍夜叉。


 その門下生が信者という扱いで、連綿と歴史を積み重ねてきた宗派である。

 遠い昔から、修行僧という名の信者を募り、日々祈りと肉体の鍛錬に励んでいる。


 若い頃、アイスはテンシンと肩を並べて修行していたことがある。

 三ヶ月ほどという短い間だったが、朝から晩まで修行漬けだったあの頃の体験は、今や貴重な財産となってアイスの心身を形作っている。

 今でもたまに修行しに行くこともあるほどに有用だとも思っている。


 なお、武神・小龍夜叉は「身体一つを武器とする」が信条であると広く知られているが、実は武具の扱いにもかなり精通していたらしい。

 先日、槍の乙女として選ばれたザッハトルテが、一時的に門下生となったのも、ここに関わってくる。


 無手が主流なのに、武器にも詳しい。

 矛盾しているようでそうではないと、今ならアイスもわかる気がする。


 一芸を極めし者は、多芸にも精通する。


 簡単に言うと、ロングソードの使い手がショートソードを使えないわけではない、ということだ。

 万全に扱えるとは言えないが、どこかしら通じる点が必ずある。


 それを感じたアイスだからこそ、状況と戦況に応じて「武器を変える」という戦法を編み出したのだ。


 一つの武器を極めるのではなく、数多の武器の名手を目指す。

 より幅のある戦に対応するために。


 小龍夜叉はきっと、己の身体という武を極めた時、同時に武具の扱いの最適解も悟ったのではないか。

 己の身体という武器を通した時に、自然と。


 そう考えると、アイスは理解できる気がする。


「最近、門下生が減りまして」


「なぜだ? 大量にやめたのか?」


「それが、なんといっていいのか、少々面倒なことに……」


 ふう、と、テンシンは溜息をついた。


「どうも、鉄の戦乙女の修める流派に、人気が偏っているようなのです」


 …………


「ん? 今おかしなことを言わなかったか?」


 鉄の戦乙女なら、目の前にいる。

 なのに自分のところの門下生が減ったと嘆いているのは、おかしくないか。


「公表していないでしょう? 鉄の戦乙女の流派は」


「……ああ、そういうことか」


 テンシンは、自分が宗教関係の広告塔として使われることを嫌がり、一部の者にしか正体を明かさず活動している。

 その「明かしていない中」に、小龍夜叉の武術を修めていることも含まれている。


 で、だ。


 ややこしいことに、テンシンは戦乙女になる前から武神・小龍夜叉の修行僧であるがために、後から戦乙女として任命した神が別にいる。


 更にややこしいことに、後から任命した神が、また武の神・蓮蓉金剛という三面六手の闘神だったりする。


 要するに三角関係である。


 テンシンが想うのは小龍夜叉だが、そこに蓮蓉金剛という間男が現れて神力という財産をチラつかせてテンシンを口説いたと。そういう形である。

 色々と悩んだ末、テンシンは「二人の神を同時に愛する」という二股進行を選んだ、と。


「とんだ尻軽ではないか」


「なんですか急に」


 いや、神々との付き合いを俗な人間関係に当てはめるものではない。

 それはわかっている。

 が、なんとなく、言わずにはいられなかった。


「言うことで救われることもあるからな」


 誰もが気を遣って言わないことを言ってあげる。それもまた優しさの一つである。

 ただ、その時の発言が優しさから出た言葉かどうかは、定かではないが。


「よくわかりませんが、話はわかりましたか?」


 つまりだ。


「本来ならテンシンが信奉している小龍夜叉に集まるはずの信者が、誤って蓮蓉金剛に流れているわけだな?」


「その通りです」


 戦乙女として活動している鉄の乙女テンシンを見て、玄人やその道の者なら、すぐに小龍夜叉の武門だと見分けられるが、素人にはわからない。


 だから、「鉄の乙女」を定める役目を担う武神・蓮蓉金剛に門下生が流れたと。そういう話である。


「これまではどうだったのだ? 昨今始まったことでもあるまいし、きちんと誘導されていたのではないか?」


 もう十年以上も、鉄の乙女を務めているテンシンである。

 この手の問題は、むしろ任命された当時起こりうるもので、今更起こるものではないと考えられるのだが。


「……言われて見ればそうですね」


 どうやらテンシンも、若干の不自然さに気づいたようだ。


「これは私の想像だが、とりあえず聞いてくれ」


 アイスは、この話に潜む違和感に、早々に気づいていた。


「そなたの国の武神を信奉する者は、得てして高潔で謙虚で真面目なものが多い。あるいは修行の日々で雑念が失せ、刀身のように性根が磨がれるのかもしれない。


 特に師範代や師匠、老師とも呼ばれる位の高い者は、私からすれば、もはや人の形をした徳の塊にさえ思える。


 そんな人たちが上にいる宗教であるがゆえに、これまでその手の問題がなかったのだと思う。

 鉄の戦乙女に憧れて蓮蓉金剛の下に来た者を、たとえ他宗教であれ、きっと懇切丁寧に事情を話し、小龍夜叉に導いたはずだ。


 だから、もし今それが問題になっていると言うのであれば」


 アイスは、じっと見詰めているテンシンの目を見返した。


「そなたにその話を持ち込んだ者が、だいぶ怪しい」


 身内を疑え。

 そう言っているだけに、アイスもそれなりに重く言葉を発した。


「この話は、体験入信会に私を呼び、それに釣られてやってきたものを入信させる、という趣旨だったな? 突き詰めると信者を増やしたいわけだ。

 それで誰が得をすると思う? それでいい思いをする誰かの陰謀かもしれないぞ」


「……」


 テンシンは席を立った。


「どうやら話を持ってくるのが早かったようです。少し調べてみます」


 確かにテンシンは、ある者に聞いた話を鵜呑みにして、ここに来てしまった。


 疑う気持ちなんて微塵もなかった。

 何せ同門の身内、それも位の高い者の言うことだから。


 しかし、アイスが言ったことも一理ある。


 二股ではあるが、蓮蓉金剛もテンシンが信じている神であり、そこに集う者たちの高潔さもよく知っている。

 だからこそ、彼らが思想の違う門下生を騙して入信させるような真似をするとは、自分も思えない。


 よって、調査が必要なのだ。


 何が本当で、何が誤りなのか、自分で確かめる。

 この話はそれからだ。


「厳しいことを言ったな。すまない」


「いいえ。貴女もかつては同門で、私の弟弟子です。苦言を言わせたことをお詫びします」


 テンシンは一礼し、光速移動魔法で帰ってしまった。





 そしてすぐ戻ってきた。


「すみません、事情がわかりました」


「早いな」


 話を聞けば、問題を吹き込んだのは、アイスも知っている老師であったという。

 帰ってすぐに事情を確かめたら、簡単に吐いたらしい。


「門下生が減っているのは事実。蓮蓉金剛の信徒が増えているのも事実。何一つ嘘はなかったらしいです。ただ――」


「ただ?」


「老師が、最近アイスさんに会っていないから会いたいなー、こんな企画をやれば来てくれるんじゃないかなーと、考えたそうです。これを」


 テンシンは、懐からたたまれた紙を出した。


 それを受け取り、ぺらりと捲れば、すでに刷り終わっている「氷の戦乙女も絶賛! 小龍夜叉の体験入信会開催!」と大きく打ち出されたチラシ。


 アイスの似顔絵まで載って、吹き出しで「待ってるヨ!」と書かれた、歴史と伝統と厳格さで知られる小龍夜叉の宗派にあるまじきポップさである。


 これはかなりアレだ。

 関係者が全員怒るレベルの、アレだ。


「……私は待ってないぞ」


「すみません。うちの老師がすみません」


 その老師なら、アイスも知っているジジイだ。

 とても厳しい修行に耐えてきた高潔な者とは思えないほどひょうきんで、暖かい人だった。


 確かに長く会っていない。

 しかし、だからと言って、個人的なことを大規模でやりすぎだろう。アイスに会いたいだけで大掛かりなことを考えすぎだろう。


「これはまずいだろう。こんな若者向けの……小龍夜叉はこういうのを出すような軽い宗教ではないではないか。関係者が怒るぞ」


「しかし、若者の宗教離れは本当のことなので……この企画で、若者を取り込みたいというのは本音のようです。嘘臭いというか胡散臭いのは確かですが、本当に嘘はなかったようです」


 苦渋の顔で似顔絵を睨むアイスを見て、テンシンは重い息を漏らした。


「今はもう、そういう時代なのかもしれませんね」


「そういう、時代?」


「若者の宗教離れ。閉鎖的、あるいは独善的だった別の国々が、繋がり出した。狭い世界がどんどん広くなる。もはや宗教を必要としない……神を信じる信じないより優先することが増えた」


 アイスのいるグレティワール王国はそうでもないはずだが、一昔前のテンシンの国は閉鎖的だったという。

 宗教に関する想いの深さ、重さは、育った環境の文化の違いでもあるのだろう。


 だが、心当たりはなくもない。


 なんというか、確かに世界が広がるごとに、進むべき道が増えているのだろう。

 その中にある宗教へ続く道が、他の道に埋没してしまうほどに。


「我々はもう古い時代、そろそろ若い世代に交代する時期が来ている。そういうことなのかもしれません」


 思わずアイスは立ち上がった。


 チラシを握り締め、強く強く、言い放った。


「私は世代交代大賛成だ!! 引き取り手がなくてこの様だけど!!」





 あ、地雷踏んだ。


 それに気づいたテンシンは、謝りながらそそくさと引き上げた。それはもう彼女の拳のごとく、疾風のような速さで退散した。

 止める間もなかった。


 後に残ったのは。


「世代交代だと? 望むところだ! 今すぐ世代交代してやる!! イリオ、私と結婚しろ!!」


「だから私は女ですって」


 面倒臭い女と、面倒臭い女を押し付けられた女だけであった。


「新婚旅行先を決めろ!! 今すぐ!!」


「砂風呂というものがあるそうですよ。これもなかなかお肌に良いものだとか」


「よしそこに行くぞ!! 準備しろ!! 今夜は寝かせないからな!!」


 などと言いながら意気込んで出かけるが、結局アイスは砂風呂で深い眠りに落ちてそのまま一夜を過ごすのだった。






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