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07.酒を飲む時? 一時つらい現実を忘れて、また明日からがんばろうと思う時だな





「アイス様。ブレッドフォーク様が昼食をご一緒したいとやってきています」


「団長殿が来たのか。あの方にしては急な訪問だな」


 ブレッドフォーク・シーングラント。

 アイスが接する数少ない人で、騎士団長である。


「通してくれ。私は風呂に入って着替えてくる」


「畏まりました。昼食は外でいいですか?」


「天気もいいしな。そっちで頼む」


 専属メイド・イリオに指示し、アイスは少し早めに今日の訓練を終えることにした。


 両手に持ってさっきまで振り回していた氷のグレートアクスと、氷で作った重鎧を消す。


 朝から昼までは、鍛錬の時間である。

 戦うことを課せられている身だ、訓練は一日たりとも欠かせない。十年以上も続けていることなので、やらないとしっくり来ない。


 そして、日課が終わる頃には、全身汗でぐっしょりである。


「ふう……急ぐか」


 額から頬へ、頬から顎へと伝う汗を手で拭いながら、アイスは家屋にある風呂へと向かった。





「――待たせてすまない」


「――いや、こちらこそ、急に来て悪かった」


 アイスを見るなり立ち上がろうとした初老の男性・騎士団長ブレッドフォークを手で制し、テーブルを挟んだ向かいの椅子に座る。

 命じられる前に、イリオはアイスのグラスに水を注いだ。


 一応「国王の客」として招かれているアイスなので、ブレッドフォークはラフすぎないフォーマルな姿である。

 勤務時はほぼ鎧をまとっているが、無粋な格好でアイスを尋ねて来ることは決してない。


「団長殿は葡萄酒でいいか? 先日好い奴を手に入れたぞ」


「ああ……飲みたいのは山々なんだが、まだ職務があるからな」


「そうか。キャラメリゼから貰った一品なのだが」


 キャラメリゼ。

 その名前が出た瞬間、無類の酒好きであるブレッドフォークの理性は、一瞬にして瓦解した。本当に一瞬にして。


「アイス殿に勧められて断るわけにはいかん。せっかくなので一杯だけいただこう」


 剣の乙女キャラメリゼは、ウルクイッツ国の姫君である。

 そんな彼女から貰ったというなら、間違いなく王室ご用達の一級品。

 この機会を逃せば、一生口には入らないかもしれない。


 酒好きとしては、絶対に絶対に逃せない好機だった。

 さりげに酒を勧めた相手の責任にしてでも、飲んでおきたい。


 まあ、酒で鈍るほど生易しくも緩くもない人だということを、よく知っているアイスからすれば、飲もうが飲むまいがどっちでもいい話だ。

 そもそもブレッドフォークはワイン一本で酔っ払うほど酒精に弱くもない。


「イリオ、開けてくれ」


「畏まりました」


 イリオは家屋から瓶を一本持ってきて、異国で仕込んだ葡萄酒を開ける。

 興味津々に見ているブレッドフォークと、何気なく見ているアイスの前で、高貴ささえ感じさせる芳醇な香りが広がった。


「お、おお……いい香りだ」


「うむ。私も夜には頂くことにしよう」


 戦乙女の出動は、日中が多いのだ。なのでよっぽどのことがない限り、アイスは昼は飲まない。


「先にやらせてもらう。すまんな」


 ブレッドフォークの前にあるグラスに注がれた、濃い紫の液体。色もいい見事な赤ワインだ。


「……ほう」


 酒好きの飲み方らしく、香りを嗜んでからのテイスティングである。


 ブレッドフォークはその一口を、自国のものとの違いを楽しむように舌の上で転がし、身体中で深い眠りから起こされた葡萄の奥深さを感じている。


 渋みの効いた初老の男性には、非常によく似合う光景である。


「……実にいい」


 しんみりと、ただ一言。感想はそれだけだった。


 …………


 そんな初老の男を見ていたアイスは、ふと気づいた。


「何か用事があって来たのでは?」


 そう、気づいたのだ。

 なんで人が酒飲んでるのを羨ましいと思いながら見てなきゃいけないのか、と。自分は水なのに、と。


「あ、ああ、そうだった。失礼した」


 余韻もそこそこに引き戻されたブレッドフォークは、今日の訪問の理由について述べた。


「先日の金属製のスライムの件なのだが」





 たまに来る騎士団長ブレッドフォークの用件は、わりと限られている。


 だいたいは、「映像転写」により見た魔物について。

 それと、その魔物を狩るために採用された作戦について。


 ブレッドフォークは騎士を束ねる者である。

 有事には戦闘指揮を執る立場である。


 それと同時に、戦乙女に負けていられない、戦に関わる分野にいる者でもある。


 戦闘力という面では、どうしても敵わない。

 神力という、常人が持っていない力を授かっている戦乙女たちは、誰よりも強い存在だ。アイスとの付き合いも長くなるブレッドフォークは、それは素直に認めている。


 だが、作戦立案となれば、話は別だ。


 単純な戦闘力、シンプルな力比べでは劣ったとしても、戦い方まではそうは行かない。神力は作戦や兵法、思考と発想には関与しないのだから。


 人生の九割を、戦に関わることに費やしてきた騎士団長である。

 戦乙女が相手でも、戦に関しては簡単に負けを認めるつもりはない。


 ――と、面識の浅い内は負けるものかと意気込んではいたが、付き合いが長くなってしまった今は、歳の離れた戦友のような関係になっている。


 下級騎士の娘として厳しく育てられたアイスが、神より授かった力に慢心せず、分を超えた地位や権力、その他贅沢や我侭を望まない態度に、団長が思う騎士らしさを見たのが大きかった。


「さすが団長殿、私が考え付かない攻略法を思いつくか」


 金属スライムを退治したあの時、アイスが考案した作戦は、簡単に言えば「溶かして壊す」だ。

 逆にいうと、それ以外を考えることができなかった。


 しかしそれを見ていたブレッドフォークは、他の作戦を考案し、それに関する意見を求めにきた。


 要するに、可能性の示唆とダメ出しだ。


「あれだけ動きが遅い敵なのであれば、『運ぶ』こともできるだろう。まずアイス殿が氷で覆い、ロゼット殿が中空高くに舞い上げる。そして落とす。これで破壊できたのではないかと」


「そうだな……落下地点を凍らせ硬くしておけば、行けるかもしれない。ただそれでは金属の液体が飛び散ったりしないだろうか? あれはかなりまずい」


「最初に氷で覆っている。ある程度は防げると思うが。……そうか。ある程度でも、わずかな量でも問題か」


「うむ……どうにか抑える手もありそうだが」


 ああでもないこうでもないと考えながら、昼食を食べる。


「いや、考え様では単騎撃破もできそうだな」


「ほう?」


「まず団長殿の案に乗り、スライムを凍らせて固定する。次に下からせり上げる氷で高く持ち上げる。そして落とす」


「なるほど。それならいけるな」


「飛び散るのを防ぐのも、氷で枠を作ればいいだろう。上だけ開けた箱に落とせば、被害はその箱の中だけで済む。

 恐らく、落とされた強い衝撃を受けて、液体の金属のような部分が一度は崩れる。その一瞬の隙を突いて核を破壊すればいい。これで私一人で倒せる」


「見事だ」


 もちろん、これは机上の空論に過ぎない。


 作戦なんて、実際動かしてみないと成功するかどうかはわからない。

 理想通りに策が進む保障はないし、見落としもあるかもしれない。


 だが、決して無駄ではない。


 この空論で大事なのは、可能性の発掘だ。

 いざ立案する時の糧になれば、それでいい。


 そして少なくとも、こうして時々行われる話し合いで、アイスは団長との作戦のすり合わせを無駄だと思ったことは一度もない。

 昨今の魔物退治に、どこまでも知に巡り生きていると感じているから。





「時にアイス殿。先日、貴女に絡んだ騎士を覚えておられるか?」


 あらかた食事が片付き、いつの間にか四杯目のワインを楽しむブレッドフォークは、会話の先を変えた。


「なるほど。それが本題か」


 いささか強引な話題の変更に、アイスはブレッドフォークが急に尋ねてきた理由を悟る。


 平時、几帳面さと礼を失さない品格を持ち合わせる、実力も人格も認められる人物である。先触れを忘れるなんて滅多にあることではない。


 やはり今日やってきた理由は、急に来なければならない用事ができた、と。

 そう考えた方が自然だった。


「憶えているかどうかは怪しいな。どちらだと思う?」


 アイスの応えは曖昧だった。

 暗に、どちらでもいい、そっちが都合の良い方で構わないと、そう言っている。


 もちろんアイスはちゃんと覚えている。


 あの時の手合わせの結果如何では、今頃は恋人同士となってデートだの逢引だの恋人握りで手を繋いでいたりしたかもしれない男のことである。

 絶対に、絶対に忘れるはずもない。


 だが、それがブレッドフォークが尋ねてきた理由だと言うなら、あの一事が何やら問題になっているのだろう。

 少なくとも、騎士団長たる彼が、動かなければいけないほどの問題が。


 だからアイスとしては、彼の都合の良いようにしていいと、判断を委ねた。


「うむ……実はな」


 ブレッドフォークは、グラスをテーブルに置く。


「恐らく気づいただろう。彼はとある貴族の子息だ」


 それなら気づいた。

 あまり深入りすると面倒そうだから、だから今判断を委ねている。


 もしあの時の騎士が普通の男であったなら、たとえか細い繋がりの糸であろうと、決して無駄にはしないのだが。決してだ。

 しかし、貴族が関わる男は、得てして面倒なのだ。


「あの一件を知った父親が怒ってしまってな」


「ほう? 息子に恥を掻かせた責任を、私に取れと」


「いや、逆だ。この国の守護者に等しい氷の乙女アイスに、不快な想いをさせた息子をひどく叱り、私に間を取り持ってほしいと言ってきた」


 アイス自身が自覚するより、確実にアイスの人気や立場は上である。

 たとえ名だたる貴族であろうと、あの氷の乙女に睨まれたとなれば、この国ではかなりまずいことになる。


 この国の王に招かれた客人であり、世界の有事に働く戦士であり、世界中の平民・貴族にファンも多数。おまけに神の化身ではないかと噂さえされている。あと美人。


 どう考えても、アイスを敵に回すことだけは避けたい。そう考える貴族は多い。それも身分が高い貴族ほど強くそう思っている。

 揉めたら勝ち目がないどころか、勝負にさえならないからだ。


 ただちょっと優遇されているだけの下級騎士としか自身のことを思っていないアイスは、まったく自覚がないが、世間的にはそうなっている。


「……」


 アイスは少し考え、こう言った。


「その怒っている父上に伝えてくれ。

 訓練時に強い者に挑むのは向上心の現れ、褒める理由にはなっても怒る理由にはならない。だから謝罪も何も必要ないと。

 なんなら、忘れているから知らん顔していて大丈夫、でもいいかな」


 普通の男が相手なら、弱味に付けこんでデートの一回や二回……と姑息なことも考えたのだろうが、貴族相手は当人同士の意思では決まらない。つまり面倒臭い。


 だから、この方向がお互いにとって最善だろうと思う。

 権力の板ばさみにされた、ブレッドフォークの顔も立つ。


「気を遣わせてしまったな。お心遣い、有難く頂戴いたす」


 もっともブレッドフォークとしては、あの程度でどうこう言うほどアイスが狭量ではないことを知っている。話を受けた時から気楽なものだが。





 話すべき話も終わり、ブレッドフォークが「長く時間を頂いて申し訳ない」と立ち上がり――ふと気づいた。


「そういえばアイス殿、私の息子と仲が良かったな」


「ん? ストロガ殿か?」


 少し年上である、ブレッドフォークの息子。

 父親との付き合いもあったため、息子ともよく顔を合わせていた。


 個人的な付き合いこそなかったが、仲は良かったと思う。お茶くらいはよくしていた。


 アイスの情緒が非常に安定していた頃の話だ。

 つまり、昔の話だ。


「士官候補として外国に留学していると聞いて、それ以来会っていないが。最後に会ったのは……もう五年くらい前になるか」


 懐かしい顔を思い出す。

 父親に似て体格もよく、顔もよかった。性格は質実剛健、口数が多くなく真面目で無言実行。

 アイスとはほぼ同い年で、一緒に剣術訓練をしたりもした。


 ――今思えば、そんな貴重な出会いを、見過ごしていたわけだが。そう思うと悔しくて涙が出そうだ。


「その息子が、今度帰ってくる」


 なんと。


「いよいよ帰ってくるのか。それは楽しみだな」


「ああ。これで我が家は安泰だ。あとは結婚相手だな」


「結婚相手? ストロガ殿はまだ独身か?」


「うむ」


 なんと!


 しっかり椅子に納まっていたアイスの尻が浮いた。


「ど、ど、ど、独身なのか!?」


「あ、ああ」


 なぜこんなに強く二度聞くのかはわからないが、ブラッドフォークは頷く。


「――どうも向こうの国で、好きな女を見つけたようでな。連れて帰ってくるそうだ」


 向こうの国で。


 好きな女を見つけた。


 連れて帰ってくる。


「家柄もよく、向こうのご両親も乗り気なようでな。恐らく結婚するだろう」


 結婚。

 結婚。


  結 婚 。


 アイスがどんなに望んでも手の届かないそれに、当然のように手が届く者もいるわけで。


「いつになるかははっきりしないが、式にはぜひ……アイス殿?」


「あ、ああ、はい。出ます。式に」


 死んだ目をしているアイスは、すでに、消沈して虫の息になっている。


「お気になさらず! 最近少しおかし――貧血気味でして!」


 財産をすべて剥奪された豪商並みにテーブルに突っ伏したアイス。

 それを庇うように、というか視界を遮るようにブレッドフォークの前に立つイリオ。


「今おかしと」


「何も言ってませんよ! 何も言ってません! これからアイス様の介抱をしますので、今日のところはこれで! これでご勘弁ください!」


 ブレッドフォークは、いつも冷静にメイドに徹するイリオが、こんなにも必死になっているのを見るのは始めてである。


 「事情はよくわからないが女には色々あるのだろう」と妙な納得をし、ブレッドフォークは深く追求せず引き上げることにした。





 ブレッドフォークが敷地から出て行く姿を見送ってからテーブルに戻ると、アイスは飲んでいた。


「イリオ、酒持って来い! フハハハハハハハっ! 祝い酒だ祝い酒だ!!」


 涙を流しながら極上のワインをラッパ飲みする主人を見て、イリオも少しだけ涙した。


「一瞬でも! 私を迎えに来たんじゃないかと! 思った自分が憎い!」


 抱きしめてやりたくなるほどむごい姿である。





 ――今日は荒れそうだ。酔い潰れるまで付き合おう。


 イリオはどこぞにある場末のバーのマスターのごとく、ただただ黙って悲しい酒を出すのだった。






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― 新着の感想 ―
[一言] ヤンデレ小説、しかも殺しても一緒に転生してくるとか言う地獄小説を読んでからこちらに来たので、とても和みます。
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