50.こんな時は友人任せ
「えっ? 失恋?」
心配になった、らしい。
今日の戦乙女の出動、アイスの言動に不安を感じた、らしい。
『映像転写』で見る限りでは、あまり変化はなさそうだったが――いや。
接している専属メイドがすぐにわかるのだから、それなりに付き合いがある他の戦乙女たちが、気づかない方がおかしい。
そう、おかしい。おかしいのだから。本当に。
「――ね、見てる?」
「――すごい見てます。主にロゼットさんを見てますね」
「――なんで私だけ見てんだよ気持ち悪い……」
「――気持ち悪いとか言わないの。それより失恋って?」
どうやら現場でも、同じようにおかしかったようだ。
帰ってきたアイスは、一人ではなかった。
心配で一緒にやってきた緑の乙女ロゼットと、鉄の乙女テンシンと、鎧の乙女ヘーゼルナッツという、本日出動した戦乙女たちを伴って帰ってきた。
そしてアイスは、言葉もなく、帰るなり外のテーブルに着いてぼーっとしている。
ぼーっと、ロゼットを、凝視している。
たぶん現場でも同じだったのだろう。
細かいことは気にしない自由人のロゼットが、本気で嫌がるくらい、アイスはロゼットをずっと見ているのだろう。
なぜ見ているのか?
それは誰にもわからない。
「私のことも見ますよ」
ビスト・ジャクフルが消えたあの日から。
アイスは極端に口数が減り、基本ずっとぼーっとしているのだ。
そして、たぶん、本人からなんの説明もないので本当のところはわからないが。
「たぶん、動いている人を、目で追っているのではないかと……」
と、イリオは思っていたが。
メイド仕事をする自分を、給仕する自分を、着替えを手伝う自分を、虚ろな目でじーっと見ているので、イリオはそう思っていたのだが。
「でもこの人数でロゼット様だけを見ているとなると、違う理由があるかもしれません」
いつもはイリオ一人なので必然的に見られるが。
今はテンシン、ロゼット、ヘーゼルナッツと、アイスを除いて四人いる。
なのにアイスの視線はロゼットに向いたままである。
「えー? 理由がわからないのも気持ち悪いし、あんな気の抜けた姉さん見てるのも嫌だなぁ」
まったくもってイリオも同感だが、ロゼットはまだいいだろう。
イリオは、あのアイスとすでに数日過ごしているのだ。数日じっと見られているのだ。居心地は最高に悪かった。
「うわーほんとにまだ見てるよ……」
どうも、現場でもこの調子だったらしい。
「理由や事情はどうあれ、今の彼女を戦場に出すのは危険ですね」
テンシンの意見は正論だ。
まともな精神状態にない戦士を出せば、仲間の命すら危険に晒しかねない。
もし誰かがそうなら、率先してそれを言い渡す役割だったアイスが、あの調子である。
心配にもなるというものだ。
あと気持ち悪いと思うのも無理からぬというものだ。
すごい見てるし。
とりあえず、アイスの意味のわからない視線攻撃を避けるべく、客人三名を家屋のテーブルに通す。
アイスは、寒かろうが雨だろうが外のテーブルから動きたがらないので、放置だ。あとで回収する。
「で? 失恋って?」
さっきからその話がしたくて仕方ないという顔のヘーゼルナッツが、紅茶の用意をしているイリオに質問を飛ばす。どうやら紅茶ができるのも待ち遠しいらしい。
「そのままの意味です。好きな男性ができて、その男性がいなくなったんです。で、あの調子です」
イリオは簡単に、アイスとビスト・ジャクフルが過ごした物語を語った。
茶話会のことは省くことしたので、語れることは多くないが。
これは男の影がまったくなかったアイスの身に起こった真実であり、妄想でもなんでもない事実である。
言葉にすれば、起こったことなんて地味で、特筆すべきものはない。
でも、だから、アイスにはちょうど良かったのだろう。
なんの抵抗もなくすっと胸に入り込む、無理のない、自然な物語だったのだろう。
今振り返ればそう思う。
「それで、そのビストという人はどこへ?」
テンシンの言葉に、イリオは首を横に振る。
「国を出たことまでは把握していたのですが、まさかグレティワール国領から去っているとは思わなくて」
イリオは、手合わせに来ていた頃から、ビストの動向を追っていた。
だから、騎士の剣を返上し、騎士の宿舎から出て城下町に宿を借りたところまでは知っていた。暗部仲間に見張ってもらったのだ。
が、まさかそこからさらに移動しているとは思わなかった。
特に新事実だったのが、騎士団長が言っていた「家名を捨て」という言葉だ。
今後の展開がどうであろうと、一旦実家に連れ戻されるんだろうと思っていた。
なのに、まさか伯爵家次男の身分を捨てて旅に出るなんて、予想外過ぎた。
「――うわこわっ。まだ見てるっ。……私はよくわかんないけど、失恋したらああなるの?」
一人外に放置されているアイスが気になるのか、ロゼットは度々外のテーブルを見に行っては戻ってくる。
「私にもなんとも言えませんが……」
異性関係の延長線上で引退となる戦乙女たちは、恋愛を忌避している部分があるので、その手の経験は非常に乏しい。
そして恋愛経験だけは、イリオもアイスと似たようなものである。
幼少期は暗部で育ち、多感な十四歳から十年間も付きっきりのメイド人生だ。恋愛する時間がなかったし、したいとも思わなかった。
嫌になるほど聞こえてくる側室関係の話からして、そんなにいいものだとも思わなかった。
メイドの同僚が失恋した時は、一晩泣いて愚痴って翌日には多少すっきりしていたが。
面倒くさいと心底思ったものだ。
「一概にどうとは言えませんが、泣きますよ。抱き締めたら」
だから、たぶん失恋のショックでこうなったんだろうなーと思った次第だ。
アイスは外のテーブルから動かない、自発的に着替えもしないので、最近は介護レベルでイリオが手伝っている。
一応、今回の戦乙女の出動には反応したので、頭がおかしくなったわけではないと思うが。気持ちの問題だとは思うが。
そして、ベッドに横たえる折、アイスの背中に手を回してゆっくり倒している時、アイスは泣き出すのだ。
初日――騎士団長の元から戻ってきたあの日だけは「失恋のせいで……」と同情し、アイスが泣き疲れて寝るまでは付き合ったが。
それ以降は、放っておいている。
最悪、アイスは日がなぼーっと過ごしてもいいが、イリオには仕事がある。
特にアイスがダメになるというなら、できる範囲はカバーしなければいけない。睡眠時間を削られるのは困る。
そして、万が一にも、行き過ぎた感情を抱かれては、本当に困る。
「ほんと? それ面白いね。ちょっと試してくる」
――全員が思った。ロゼットはすでにアイスで遊んでるんだな、と。
「はっきりしてるのは、あれだよね」
同じ村の幼馴染とすでにいい感じの関係であるというヘーゼルナッツは、このメンツの中で一番進んでいる女子と言えるだろう。
なんとも女子力の低い女子集団ではあるが。
「結局そのビストさんに、アイスさんは告白してないんだよね? だったらそれをはっきりさせれば、少なくとも今よりはマシになるんじゃない?」
やはりそうだろうか。
「実は、すでに人に頼んで探してもらっています」
イリオの力では正式に暗部を動かすことはできない。
知り合いにちょっと頼むくらいしかできないので、今は冒険者組合に尋ね人として手配してもらっている。
ただ、国領内にいれば数日で見つかりそうだが、見つかったという連絡がないので、恐らくもうグレティワール国領にはいないとイリオは踏んでいる。
見つかるなら、もっと先の話だろう。
あるいは、すでに名を変えている可能性もある。だとすればもっと見つけづらい。
そして最終手段として、王妃に捜索を頼むかどうか迷っていた。
日常ならまだしも、戦乙女としての出動先でアイスがあの調子では、本当に命が危ない。
先の茶話会から頼りっぱなしなので、あまり気は進まない。
だが、今のアイスをどうにかできるのは王妃くらいだろうと、イリオは思っていた。
今回の出動、そして心配して来てくれた戦乙女たちの様子からして、相談した方がいいだろうと考え始めている。
「恐らくですが、恋と自覚すると同時に、もう二度と会えないと考えて失恋したようです」
騎士団長から話を聞いてからあの調子だ。これで間違いないと思う。
「――簡単じゃん」
ロゼットが帰ってきた。
イリオが言った通り、アイスを抱き締めたら泣いたのだろう。すごく楽しそうに笑いながら椅子に着いた。本当に自由な奴である。
「そのビストって男を探せばいいんでしょ? 私に任せてよ。速攻で見つけるから」
正直絶対に任せたくないくらい胡散臭い。アイス泣かせて笑ってるような奴には頼りたくもない、とイリオは思ったが。
すっと、ロゼットの笑みが消えた。
「アイス姉さんやイリオにはかなりお世話になってるからね。君らが私の手を借りたいほど困ることなんて滅多にないし、恩返しの一つくらいはさせてよ」
いつもどこか軽くてフラフラしている印象がある緑の乙女にしては、その言葉はとても重く響いた。
「なんとかなりますか? 請け負う以上は結果が求められます。あまり無責任に請け負うものではありませんよ」
テンシンがたしなめるが、ロゼットは「大丈夫」と答えた。
「すぐ見つけてみせるからさ。その男の特徴を教えて」
若干の不安はあったが、しかし、イリオはロゼットを信じてみることにした。
そして翌日。
大空に映し出された『映像転写』には、似顔絵と名前と尋ね人という張り紙が映し出されていた。
どこまでも個人的な、神の力の行使。
本当に自由な女である。




