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49.たとえばそんな自覚症状





 とんでもない事態である。


 元々、かなり鈍い性質ではあった。

 自覚もしていたようだし、誰かに言われることもあったのだろうと思われる。

 イリオも、何度かは、言ったことがある。


 ビスト・ジャクフルが来なくなって、一週間が過ぎた。


「…………」


 昼食が終わってからしばらく、アイスはぼんやりしている時間が多くなった。


 明らかに、来ない人を待っている。


 この一週間、毎日、ただぼんやり紅茶を飲みながら、何もせず待っているのだ。

 たとえ、風が冷たく、陽の下であっても外で過ごすにはつらい時期でも、外のテーブルに着いて待っているのだ。

 戦乙女としての予定が入っていても、それを少し先延ばしにして、待っているのだ。


 そのくせ、自覚していない。

 自分がなぜそうしているか、理解していない。

 たった四日続いた習性が、その後七日も続いている理由に、答えを出していない。


 本当にとんでもない。

 アイスの鈍さはここまでだったのか、と。


 戦うことについては鋭いくせに色恋沙汰には間の抜けた主に、専属メイドのイライラは募るばかりであった。だから結婚できないんだ、と頭ごなしに言ってやりたい。


 ――いいかげん、「自分で気づいてほしい」というささやかな望みは、捨てた方がいいかもしれない。


 待ちくたびれたイリオは、アイスの尻を蹴飛ばすことにした。


 早く先に行け、と。

 




「――ビスト様が来ましたよ」


 ぼんやりしているアイスにそう告げると、アイスは椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。


「来たか!」


 この反応がアイスの答えのはずなのに、それでも無自覚だから恐ろしい。


「すみません、嘘です」


「えっ」


「ビスト様は来ていません」


「あ……そう、か。なんだ、冗談か」


 飴玉を取り上げられた子供のようにしょげて、アイスは椅子に座り直した。怒る気力もないことに更にイラ立ちが増す。

 なんでそんな状態で自分の気持ちに気づかないのか、と。


「冗談じゃなくて、嘘なんですけどね」


 笑わせるつもりもからかうつもりも一切ない。

 もしアイスが自覚しているなら、期待を裏切る質の悪い嘘である。


 自覚していれば、だが。


「アイス様、いくつか質問していいですか?」


「……今は放っておいてほしいんだが」


 これだ。

 この七日間のぼんやりの時間、十年の付き合いになる間柄なのに聞いたこともない理由で、イリオの干渉を遠ざけようとする。

 なぜこれで自覚しないのか。


 あまり話をしたい気分ではなさそうだが、構わずイリオは言葉を発した。


「ビスト様はもう来ません。いくら待っても来ません」


「わかってる」


「そうやって毎日待っていますが、どれだけ待っても来ませんよ」


「わかってる!」


 明らかに怒りの感情を含んだ声に、しかしメイドは構わない。


「――そろそろ気づかないと、間に合わなくなりますよ」


 そう、そろそろ動かないと、手が届かなくなってしまう。

 というか、今現段階でも遅れているくらいだ。


「アイス様はビスト様をどう思っているんですか?

 傍目には惚れた好きだ、という感情はないように思いますが。


 ただ、気にはなっているはずです。気になっているから、そうして待っているのでしょう?」


「…………」


 無骨で端的だが、アイスが言葉に窮することは少ない。

 その少ない現象が、起こっている。


 自分でも引っかかってはいたのだろう心境を、メイドに言い当てられた。

 だから言葉も出ず、驚いている。


「その正体を知りたくないですか?」


「……わかるのか? 私にもわからない私の気持ちを、そなたはわかるのか?」


 確かにもやもやしている。

 イリオの言う通り、この時間は、ビストを待っていた。


 この時間。

 ただぼんやりと、手合わせで向かい合っていた記憶を反芻するための時間になっていた、この時間。


 無為で無意味な時間だと自覚しながら、しかし、やめることはできなかった。


 ビストがもう来ないのもわかっている。

 待っていたって何がどうなるわけでもないことも、わかっているのに。


 それでもやめられない、記憶に惑うこの時間。

 この気持ちの正体。


 ――もしやこれが、昨今はやってみたいと思っていた、恋という感情では――


「それは私にもわかりません」


「おい」


 がっかりである。

 話の流れからして、イリオなら答えをくれるかと思えば、おもいっきり肩透かしである。


「仕方ないでしょう。私はアイス様じゃないんですから」


 あくまでも、外野から見ている第三者の意見である。

 ただし、イリオは、十年以上もアイスを見てきた者である。


 もしかしたら、アイスよりもアイスを知る人物と、言えるかもしれない。


「でも、だったら、確かめるしか方法はないと思います」


「確かめる……?」


「もう一度ビスト様と会うんですよ」


 それはそれはシンプルな答えだった。


 そうだ。

 アイスは思いつかなかったが、その手があった。


 来ない人を待つくらいなら、来ない人に自分から会いに行けばいい。


 もやもやした感情を抱えているのは、間違いないのだ。

 会うことでこの気持ちが解消できるなら、充分会いに行く理由になる。


「ビスト様はもう来ません。なら、今度はアイス様から会いに行けばいいんです」


 そして。


「もう一度会って、別れて、また会いたいと思ったら。それはもう、恋かもしれません」


 恋かもしれません。


 不思議なほどに、そのフレーズはアイスの心に染み込んだ。


「よし」


 アイスは再び立ち上がった。


「元々私は行動派だ、考えるばかりで動きを止めるのは性に合わない。

 この気持ちに決着をつけるため、会いに行くぞ」


 ぼんやりしている時はだいぶ腑抜けた顔をしていたが。

 立ち上がったアイスは、いつも通り凛々しかった。


 まあ、でも、あれなのだが。


「立ち上がってもらってなんですが、ビスト様の都合や居場所を調べるところから始めないといけませんので、二、三日お待ちください」


「何を言う」


 何を言うと言えば、イリオはかなりまっとうなことを言ったつもりだが。


「今すぐ行く」


「えっ」


 やる気になったアイスの行動は、早かった。





「珍しいな」


 イリオが止める間もなく動き出したアイスは、珍しく城内に踏み入った。


 擦れ違う使用人や、警備のため立っている兵士が二度と言わず三度四度もチラ見し、アイスの動向を見張るよう命じられているのだろう誰かが走り出す。


 アイスが自分の居住地を離れて城に来ることは滅多にないので、ちょっとした騒ぎになっていた。あとのことを考えると、追従するイリオは気が重い。


 本人は周囲のことなどお構いなしに、とある執務室に一直線だったのだが。


「ここで会うのは何年振りだろうか、団長殿」


「三年か、四年か、それくらいだったはずだ」


 訪ねた先は、騎士団長ブレッドフォークの執務室である。狭い部屋だが、執務用の机と応接用のテーブルがちゃんとある。


 書類仕事をしていたブレッドフォークは、アイスの訪問を驚きながらも歓迎し、応接用テーブルを勧めた。


「茶でも用意してもらうか」


 ブレッドフォークには専属メイドはいないので、紅茶などを準備するなら使用人を呼び出さなければならない。


「いや結構。団長殿も忙しいだろう、用事だけ済ませたらすぐに引き上げる」


 時間が掛かるのでそれは断り、向かい合う初老の男にアイスは単刀直入に訪ねた。ちなみにイリオは傍に控えて立っている。


「ビスト殿に会いたい。居場所はどこだ?」


「ああ……ふっ、なるほど」


 さすがはアイスの倍は生きている人生の先輩、その質問だけでおおよその流れは理解したようだ。


「惚れたか? 私が言うのもなんだが、アレはなかなかの男だぞ。入隊当時は少々軟弱だったが、先の遠征から一端の騎士の顔になった」


 売り込まれるまでもなく、アイスもそれくらいはわかっている。


 春に会った時から印象が変わったのは、何も表情が厳しかっただけではない。

 あの頃の彼の記憶はだいぶ薄いが、確かあの時は髪も長かったし、体も一回り細かったはずだ。


「惚れたかどうかはわからない。それを確かめるために会いたいんだ」


 そして剣を交えてよくわかった。


 ひねくれ者や驕った者が多い貴族出の子息には珍しく、素直な太刀筋をしていた。

 相手の性格は、打ち込みや足さばき、動きに自然と滲み出るのだ。

 

 そういう意味では、アイスはビストの剣を、気に入っている。


 来ないビストを待っていた理由がそれなのかどうかは、わからないが。


「しかし、少々遅かったな」


 ブレッドフォークの話は、簡潔だった。


「――奴は騎士隊をやめたよ。家名も捨て、この国を出た」





 返事さえできないアイスに、騎士団長は続ける。


「辞める前に、どうしてもアイス殿に会いたい、手合わせしたいと頼んできてな。だから私は、引退する部下への餞別のつもりで、アイス殿に引き合わせたのだ。


 そういう気配というか、雰囲気というか、覚悟を感じただろう? だからアイス殿は申し出を受けたんじゃないのか?


 予定通りビスト・ジャクフルは、国から拝領していた剣を返上し、騎士ではなくなった。

 そして、実家から諸々を怒られる前にこのグレティワールから出ていくと言って、数日前に発ったはずだ」


 覚悟を感じさせた緑の瞳。

 王妃の庭に入ったり、厳重監視体制が敷かれているアイスに近づくという暴挙に出ることができた理由。


 それは、最初から「全てを失う覚悟」ができていたから。


「……いない、のか。もう、会えないのか……」


 表面上は、アイスにはあまり変化はなかった。


 だが、心の中までは、そうではなかった。


 ――なぜだかとても心臓が痛い。






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