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04.貢物と、並外れて醜い態度





 特に決まっていることではないが、時々妙に気が向くことがある。


「今日は狩りに出る」


 一日の始まりをいつものミルクティーと迎えている時、アイスは言った。


 アイスを氷の戦乙女として選んだのは、「夜豹ラメルリ」という、極寒の夜を統べる女神である。


 その姿は、夜空を切り抜いたような、漆黒に星空のような白い点が浮かぶ不思議な毛皮を持つ豹。

 寒い地方で、迷った旅人を導く神として崇められている。


 今では、意味合いが若干ズレて、行商人などが魔物や盗賊に教われないよう祈る周遊神となっているが、それはいいとして。


 やらなければいけないことではないし、義務でもなんでもない。


 だが、時々アイスは思う。


「貢物ですか?」


 専属メイド・イリオの問いに、アイスは頷いた。


 そう、夜豹ラメルリに貢物を捧げたいと時々思うのだ。本当に、何気なく。


 だがもしかしたら、本当に夜豹ラメルリがそれを求めている意志が、戦乙女として選ばれた時点からある種の眷族となっているアイスに、伝わってきているのかもしれない。


 確かなことはわからないし、別にやらなくても構わない。


 神は戦乙女の選出はするが、その相手に見返りは求めない。

 信仰を求めることもしない。

 よっぽど怒らせるようなことをしなければ、たとえ戦乙女側から嫌われていても気にしない。向こうから嫌われた場合はわからないが。


 僧侶でもある鉄の乙女テンシンなんて、そもそも第一に信仰する神が違うという、恐ろしい状況にあったりする。

 今では割り切って、本来信じていた神と、自分を戦乙女に選んだ神とを、二股で信仰していたりする。

 戦乙女となった当初は相当悩んだらしいが、意外と、神から拒否されたり拒絶されたりすることもなかったそうだ。


 なので、アイスも熱心に夜豹ラメルリを崇めているわけではない。

 気が向いた時だけ、神殿に赴き祈るくらいのものだ。


 だが、別に嫌いなわけではないし、戦乙女に選んでくれた夜豹に感謝する気持ちもあるので、たまに贈り物をするのはいいとは思う。


 それが、アイスの想う、神への貢物である。

 

 この、時折やってくるささやかな衝動に、できるだけアイスは従うようにしている。


「お代わりは?」


「貰おう」


 二杯目のミルクティーを煎れながら、イリオは口を開く。


「前回は、幻の白鹿のソテーとシチューでしたね」


「そうだったな。あれは美味かった」


 ある地方の森の奥地にだけ生息するという、文字通り白い毛皮を持つ鹿である。

 名前だけは有名なので知っている者も多いし、実在するという確固たる情報もある。


 ただ、住処が非常に危険な森の奥ということで、実際に見たことがある者はかなり少ない。

 その上食べたことがある者となれば、もっと少ない。


 極上の美味として知られ、角や毛皮も、何なら骨さえ貴重な物なのだが。まずまともに市場に回ることはない。


 発見から入手まで困難ということで、幻の白鹿と呼ばれている。


 その幻の味を知っているイリオは、思い出すだけで頬が緩む。


「野生の動物とは思えないほど柔らかい肉でしたね。火を通すと更に柔らかくなりましたし。煮込むことでとろけそうになったお肉のシチューは絶品でしたね」


 その濃厚な旨みはアイスもよく憶えている。


「また食べたいな」


「そうですね。おすそ分けした王族の方々も、大変喜んでいたそうですよ」


 おすそ分けというよりは、ギブアンドテイクだったのだが。

 王宮料理人を借りてしまったので、相応の代価を払ったというか。


 食材は最高でも、肝心の、それを料理する腕がない。

 アイスもイリオも、簡単な家庭料理ができる程度である。


 だから必然的に、近場にいる料理人に料理を頼んだだけだ。それがたまたま王室付きの料理人だったというだけで。

 頼む以上は、対価が必要だ。

 特に権力者に頼む場合は後々借りだ貸しだと面倒になりかねないので、料理を作ってもらう代わりに白鹿の残りを引き渡した。


「今度は何を狩りに行くんですか? また白鹿ですか?」


「それも捨てがたいが、今日は鳥を食べたい気分だ」


 果たしてそれは夜豹の意志なのか、それともアイスの意志なのか。

 どうあれ、今の気分は鳥肉である。


王冠鳥クラウンバードを狙うぞ」





 王冠鳥。

 魔物の一種とされている巨大な鳥で、木の実や魚を主食とする鳥である。

 大鷲よりも大きく、縄張り意識が強い。


 特徴は灰色一色の羽毛なのに対し、頭にだけ生えている黄金色のたてがみが、王冠のように見えること。


 縄張りに入らない限り人を襲うことはないが、クチバシは硬く鋭く、大きな足は大の大人でも掴んで飛ぶことができるという。


 非常に頭が良く、ただの人は襲うくせに、己より強い狩人の気配を察知するとすぐに逃げるため、狩るのは困難を極める。


 だから、狩るのではなく、罠に掛けて獲るのが一般的な狩猟方法である。

 よっぽど上手く仕掛けないと見抜かれるので、それも確実ではないが。


 なお、捨てるところがないほどにどの部位も美味しい鳥だが、名の由来となっている特徴的なタテガミが見た目が王冠をかぶっているように見えることから、権力の象徴と見なされ、王族や貴族などがよく好む。


 アイスもイリオもまだ食べたことがない、最高級の鳥である。


「準備ができました」


「よし、行こう」


 メイド服に細剣を吊り、ブーツに履き替えるという簡単な武装をしたイリオ。

 見える範囲の変化はそれくらいだが、護衛としての実力もある彼女は、様々な暗器を隠し持っている。


 普段着で軽装のままのアイスは、イリオの手を握り、念じた場所に光速移動した。


 数秒ほど、空気も風も感じることなく流れ去る景色を見送ると、音も衝撃もなく新たな地にふわりと降り立った。


 最初こそ驚いたが、もうイリオも慣れたものである。


「ここはどこですか?」


 芝生に佇む一軒家、というアイスの家屋から、岩肌が露出した場所にやってきた。


 眼前には海が広がり、塩を含んだ重い風が全身を打つ。

 反対は森があり、その先に切り立った岸壁がある。人がいる痕跡はまるでない。


「無人島だ。我らが住むグレティワール王国から言えば、遠い西の方にある」


 大きなゆりかごのように寄せては引く海を見て「魚もいいな」と思いつつ、アイスはイリオの質問に答える。


「少し前に来たことがあってな。緑の乙女ロゼットが、この辺で魔法の練習をしていたらしいのだ」


「あ、王冠鳥の情報も、そこで仕入れたんですね」


「そうだ。そのうち狩りに来たいと思っていた」


 王冠鳥が珍しいのは、主に、人間がいない場所に住むからだ。

 更に言うなら、外敵がやってこない安全な場所に。


「見ろ」


 アイスは、森の奥にある絶壁の上を指差す。


 そこには、灰色の鳥十羽ほどが、ゆるやかに旋回している姿が見えた。

 崖が高いせいでだいぶ遠く見づらいが、時折違う鳥と並んで飛ぶ姿を見るに、かなり大きい。


「あれが目的の……」


 イリオは、持ってきた冒険道具一式から小型の望遠鏡を出し、特徴である頭の王冠を視認した。

 王冠のようには見えないが、鶏のように頭の一部が黄色いのはわかる。


 大陸では幻とまで言われる鳥は、無人島に多く生息していた。

 

「ロゼットの話では、たまに間引きがてら狩りに来るらしい。あれは一家だからな」


「いっか?」


「一つの群れ。全部家族だ。……と言われてはいるが、生態はまだまだ解明されていないみたいだがな」


 王冠鳥は縄張り意識が強いので、身内以外の同種を近くに置くことは許さない。

 だが、増えるためには番が必要だ。


 果たして、どうやって番を見つけるのか。

 そもそもが魔物なので、雌雄のそれがあるのかどうか。


 大陸では見ないだけに、まだまだわかっていないことが多い。


「あまり増えすぎると、餌場を求めて行動範囲を広げ、船や漁師を襲うそうだ」


「なるほど。増える環境が整っているわけですね」


「そういうことだな。では行ってくる」


 アイスは神力を全開にし、走り出した。


「……さて」


 数秒で見えなくなったアイスを見送り、イリオも動き出した。


 海辺の岩場にいるカニや貝など、食べられそうなものを探すために。





 早々に狩りを終えて戻ってきた二人は、今回も王宮料理人に王冠鳥を任せることにした。


 イリオは、アイスの家屋にある台所で食事を作るが、一般家庭で食べるようなものしか作れない。

 それこそ王族貴族が好む、贅を尽くした王宮料理なんて作れない。


 食材が最高級だけに、何を作っても美味いとは思うが、どうせなら最高のものを食べたい。そう思うのは別に不思議はないだろう。


「美味い。貝もいいな」


「そうですね」


 イリオが集めた海の幸で昼を済ませ、メインの王冠鳥は夕食に合わせてもらうことにした。

 




 そして夕食である。


「こちらは王冠鳥の香草焼き、こちらはシンプルなポトフになります。……フルコースじゃなくてもよろしかったのですか?」


 料理長自らが運んできた料理が、テーブルに並ぶ。


「ああ、充分だ。ありがとう」


 香草焼きもポトフも美味しそうだ。鳥肉がメインで、これにパンとサラダが付けば、いつもより少し豪華な夕食である。


「しかし、パイ包みやテリーヌ、薬膳スープ、ロースト、ホワイトシチュー、軟骨揚げなど、多岐に渡るメニューをご賞味いただきたかったのですが……幻の鳥と言われる王冠鳥を余すことなく、ぜひに」


「そういうのは王族に出してくれ。私には贅沢だ」


 そもそもを言えば、アイスは王宮料理人に作ってもらっている時点で贅沢すぎると思っている。

 しかも料理長が腕を振るっている。不満などあるはずもない。


 対する料理長は、世界を護る戦乙女に給する機会があることを誇り、喜びを感じている。


 人数だけで言えば世界の王族よりも少なく、料理の腕さえ確かならば機会が巡ってくる、というわけでもない。


 時折訪れる、この「戦乙女をも認めてくれた腕」を振るえることを――


 いや、もっと率直に言うと、「おまえの作る物が食べたい」と言われること。

 それは料理人を志した時の気持ちそのものである。


 誰かに「美味しい」と言ってもらえる喜びは、齢四十を過ぎても変わらない。


「……ところで、そちらは? 誰か来られるのですか?」


 料理長が運んできた二人分の料理の前に、一人分の別の料理が、すでにテーブルにあった。


「あまり見ないでくれ。料理人に見られるのは恥ずかしい」


 串に刺した王冠鳥の肉に、シンプルに焼いた鳥ステーキと、骨から煮出した汁をベースにした透明なスープ。

 あまり手の掛かっていない鳥肉を使った料理がある。

 見た目も料理に費やした手間隙も、彩なども、素人仕事と言える。あるいは家庭料理か。


 そう、アイスが作ったものだ。

 夜豹ラメルリへ捧げる供物は、アイスが作ることにしている。その分である。


「言ってくれれば用意しましたが」


「気持ちだけいただいておく。こればかりは人に任せるわけにはいかないのだ」


 もしかしたら夜豹は、素人料理よりも王宮料理人の料理の方が、単純に美味いから好きかもしれないが。

 でも、気持ちの問題だ。アイスなりの誠意でもある。


「――ところで、なんだ、あれだ」


 アイスはおほんおほんと咳払いし、非常にわざとらしく話を変えた。


「末のお子さんはお元気かな」


「は? ええ、元気ですよ」


 改めてなんの話だろう。料理長はやや訝しげに答える。


「えーと、いくつだったかな、そろそろ十四、五歳になるのかな」


「いえ、まだ十歳ですね。まだまだ子供ですよ」


「そうか。……早く成長するといいな」


「はあ……まあ、そうですね」


「……ところで、一年で五歳ほど歳を取ったりしないだろうか?」


「は、はあ? ……すみません、仰っている意味が……」


「――本日はどうもありがとうございました。お仕事もお忙しいでしょうに、わざわざ来ていただきまして」


 アイスと料理長のやり取りを静観していたイリオが、いよいよ危険な発言が出始めたことを察知して、口を挟んだ。


 これでアイスは戦乙女、この国の民には守り神にも等しいと思われている。


 料理長の対応もやや畏怖の念が感じられるし、きっと本当のアイスのことなど知らないし……何なら知りたくもないだろう。


 「尊い存在」という、大部分の人がそうであってほしいと願っているイメージを、ぶち壊す必要はない。


 最近は情緒がアレなので、ポロッと危険なことを言いかねない。

 そろそろ止めた方が皆のためで、アイスのためでもある。


「あ、ああ、いえ、私でお役に立てるのでしたら、また声を掛けてください」


「ありがとうお父さ」


「そこまでお送りしましょう! さ、早く! お早く!」


 アイスのポロッとやってしまった発言にかぶせるように声を張り、イリオは料理長を追い出すかのように見送った。





 いよいよヤバくなってきたな、とイリオは思った。

 結婚できない年齢の年下の男の子まで、自分の結婚相手として見なし始めた。


「発言には気をつけてください」


「え、でも、未来のお父さんになるかもしれないし……」


「お父さんって言わない。ならないですから」


「わからんだろうが! 十五になると同時に私に結婚を申し込んでくるかもしれないではないか! 料理長の末の子が!」


「はあ? ……ああ、じゃあ、逆に考えてみてください。


 二十四歳の青年が、十歳の女の子に、本気で結婚したいとか言い出したら、どう思います?」


「正気かこいつ、と思う。唾棄すべき醜怪の極みだな」


「あなた今それ。正気か、って感じ」


「…………」


「唾棄すべき醜怪の極み、って感じ」


「待て。そこまで言う必要はないだろう。あまり言うと泣いてしまうぞ」


「自分がどんなに危険な発言をしていたか、わかりましたか?」


「わかった……どうやら気持ちが急きすぎていたようだ」


 わかってくれたようだ。


 いや、元々アイスは真面目で常識のある女性である。

 身分は低いが下級騎士の出で、厳しく育てられている。高潔な人物だとも思う。


 最近は結婚したすぎてちょっとおかしくなっているだけで、でも決して、根っこは変わっていない。


「十二、三…………そう、十三歳の男なら、いいよな?」


 時が彼女を一時的に狂わせているだけで、本質は変わっていない。はずだ。そうであるはずだ。あってくれ。


「いい加減にしないと、他の戦乙女の前でヘンタイって呼びますよ」





 じゃあ何歳からならいいのか。


 そんな悲しい議論を熱く交わしながら、この場に相応しいとは思えないほど本気で美味しい夕食の時は過ぎてゆくのだった。






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[良い点] 唾棄すべき醜怪の極みで変な声が出ましたw
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