40.とある日の一幕 前編
「――帰ったぞ。……ん?」
戦乙女の出撃を済ませて帰ってきたアイスは、見慣れない人物がいることに気づいた。
「あ、あ、アイス様! おかえりなさい!」
なんというか、丸い男が、転がりそうな勢いで駆けてきた。
「は? ……あ、うん……」
見覚えは、ない。
今にもボタンが飛びそうなくらいピチピチのスーツを着た、同い年くらいであろう男。上背はなく、アイスよりも背が低い。横は二倍くらいありそうだが。
終始笑っているような細目に丸い顔。サイドを刈り上げてカツラのようにちょこんと残された巻き毛の金髪。
雰囲気からしてどこかの貴族っぽいが、見覚えはない。
というか、そもそもアイスがいない間に誰かが来ているというケースが、非常に珍しい。
「……失礼だが、そなたは誰だ? どこかで会ったことがあるか?」
しばし見詰めて心当たりがまったくないことを自身に確認して、問う。
さすがに昨今は色々あって浮かれてはいるが、この状況で聞かないわけにはいかない。
「あ、あの、失礼しました。僕はフォア・グリーンといいます」
のんびりした口調であたふた告げられる名前に、憶えがあった。
「グリーン? グリーン子爵の親族か?」
あまり面識はないが、名前くらいは知っている。アイスが出席した数少ないパーティーで何度か挨拶をした程度の仲だ。
「はい、その、グリーンです」
と、フォア・グリーンが答えたところで、家屋からイリオが出てきた。
「少々失礼します」
やや挙動不審でもじもじしている丸い男を横目に、イリオはアイスを促し少し離れた場所に移動する。
「誰だあれは。どういうことだ」
アイスのもっともな質問に、イリオは首を振った。
「申し訳ありません。どうしてもアイス様に会いたいから通してくれと頼まれ、断り切れなくて……」
「何? 強引に押し入ったのか?」
「いえ、真剣にお願いされました。周囲の状況も見ず、メイドの私に必死で。……恥も外聞もないほど切羽詰まった様子でしたので、どうしても断れませんでした……」
つまり、だ。
「メイドに頼み込むほどの用事が、私にあると。そういうことか」
「みたいです。一応身分もありますので、あまり強く断ることも……」
「そうだな。そなたには難しいな」
だが、そういう話なら、なんの問題もない。
少々強引に来た感はあるが、結局は話を聞いてお引き取り願えばいいだけの話だ。
見た感じそんなに悪い印象はないし、イリオの口調からも変に脅されて通したというわけでもなさそうだ。挙動不審にそわそわしてはいるが。
状況を理解したアイスは、改めて丸い男に向き合う。
「グリーン殿、失礼した。今、そなたがやってきた時の顛末を聞いたのだが」
「あ、はい。すみません。彼女には無理に頼んでしまいまして。本来なら先触れを出さねばいけなかったんですが、どうしても、もう、居ても立ってもいられなくて」
「居ても立っても? 私に急用でもあるのか?」
フォア・グリーンは挙動不審も露骨に、意味なく両手を動かし、わたわたし始めた。
「あ、はい、えーと、その、きょうはお日柄もよく、あでも、夜には雨が降るとか降らないとかって、えっと、聞いた気がして」
顔中にぶわっと浮かんできた汗をせわしなくハンカチで拭き、しどろもどろである。
アイスは苦笑する。
ここまで上がり切っている人間を見るのは久しぶりだ。
「わかった、話は聞くから落ち着いて。ひとまず紅茶でも飲もう」
そう言って家屋に向かうよう手で促し――その手をガッと取られた。
アイスは驚いた。
その突然の行為よりも何よりも、もっと驚いたのは、じっとり汗ばんだフォア・グリーンの手が熱かったことだ。
その体温に、驚いた。
本当に火傷しそうなほどに、熱かった。
「アイス様!」
何事が起きているのかよくわからない内に、いつの間にかフォア・グリーンはアイスの前に跪いていて、見上げていた。
「僕と結婚してください!」
「……え?」
「はじめて舞踏会でお見かけした時から、僕はあなたが好きでした!
あなたを想わなかった日は一日たりともありません!
あなた以外の女性なんて見えなかった! 僕にはあなたしかいなかった!
話しかける勇気もなく、手紙を送る勇気もなく、ただただ遠くから想いを馳せることしかできなかった僕だけど……
でも、アイス様が結婚するって聞いて、もう居ても立ってもいられなくて! ここで何も言わなかったら絶対に後悔すると思って!」
…………
「…………え?」
それは、アイスが聞きたかった言葉である。
あまりにも前振りがなく、いきなり来た初対面の男の登場と唐突すぎる告白劇に、思考がついていかない。
ここ最近は浮かれまくりで、「初デートはあそこに行きたい」だの「プロポーズはこんなシチュエーションで」だの実現しそうな妄想に入り浸っていたアイスだが。
本気の、生の、現実のそれと急に対面し――
「…………」
この場に相応しい言葉が見つからず、急に心臓の鼓動がうるさくなり、未だ取られたままの手から熱が伝わってきているかのように体中がカッと熱くなる。
最たる場所は、顔だ。
本当に火を噴くんじゃないかというくらい、熱い。
「アイス様!」
今度は両肩が熱い。
「ひぇっ」
熱すぎて、これまでに出したことがない変な声が出た。
フォア・グリーンはやおら立ち上がり、ぐいっとアイスの手を引っ張り、抱き合うかのように接近する。
いつの間にか両肩を掴まれている。
だがそれよりも顔が熱い。
そんなことが気にならないくらい熱い。
あとほんの少しで唇が触れるという距離で、再び、男は言った。
「……僕と結婚してください」