39.許されるものなら殴りたいという話
「――こんにちはー」
時折唐突に「ウフフ」とか「アハハ」とか笑い出す若干気味の悪いアイスの元に、珍しい客が来た。
かなりご機嫌で昼食中の氷の乙女を制し、専属メイド・イリオは来客を迎えに庭先に出る。
「お久しぶりです、ヘーゼルナッツ様」
そこには、青いワンピースを着た、どこからどう見ても普通の村娘といった印象の、ヘーゼルナッツがバスケットを抱えて立っていた。
鎧の乙女ヘーゼルナッツ。
どこか垢抜けない印象がある可愛い少女で、村一番の美少女とか五年に一度くらいの逸材とか、そういう小さな肩書がよく似合う、正真正銘の庶民である。
基本的に、戦乙女同士の関係に身分や権力は持ち込まないのが暗黙のルールとなっているので、ヘーゼルナッツも「庶民」ではなく「戦乙女」という分類だ。
イリオからすれば、主の知人なので、充分尽くす側の人間である。
「こんにちは、イリオさん。これ、村で作った森イチゴのジャムです。よかったら」
「ありがとうございます。アイス様も喜びます」
バスケットを受け取り、家屋の中へ招く。
緑の乙女ロゼットなどと違い、彼女はちゃんと常識と分別を持っているので、警戒する必要はない。
「ヘーゼルナッツか。そなたが来るなんて珍しいな」
そう、常識と分別を兼ねているので、突然やってくることは稀である。
それゆえか、気にしないようにしているつもりでも、やはり貴族籍のある者や城へ直接来るという行為に抵抗があるのかもしれない。常識人である。酒飲んで夜中にやってきて騒ぎ立てる誰かさんとは大違いだ。
「こんにちは、アイスさん。食事中にごめんね」
「ああ、もう済んだから気にするな。イリオ、片づけて紅茶を淹れてくれ」
アイスは、ヘーゼルナッツに向かいの席を勧める。その間にイリオはてきぱきと食器を片づけ、水出しの冷たい紅茶を淹れ出す。
「ここは涼しいなぁ。やっぱり氷は便利だよね」
夏真っ盛りの昨今は、陽の下にいるだけで汗が浮かんでくるほど暑い。この家屋内だけは、アイスの力でかなり快適に過ごせている。
「その点、鎧は使い道が局所的というか……」
ヘーゼルナッツが選ばれた「鎧の乙女」は、鎧とは言うものの、実際は盾を生み出す力である。
剣、弓、槍と、それらと同じように盾の神器を操ることができる。
見た目も盾なら、その見た目通りにただただ堅牢。
その盾が敗れたことは一度もない。
防御という一点に特化した戦乙女と言えるが、しかし、おかげでヘーゼルナッツは攻撃手段を一切持たない。
彼女の言う通り、かなり局所的な扱いとなる。
「いいではないか。そなたの力は替えが効かない。貴重な力だと思う」
盾が必要な場面は少なくない。
戦略を考えるなら、アイスとしては欠かせない力であると断言できる。
「そうかなぁ。あんまり役に立ってる気もしないんだけどなぁ」
――とまあ、そんな感じで自然と話が進んでいく。
しばらく様子を見ていたが、イリオはさすがにそろそろ気になってきた。
昼頃にやってきたヘーゼルナッツは、取り留めのない話でアイスと盛り上がっている。
久しぶりに来たので、積もる話もあるのだろう。
それと、アイスが気持ち悪いほど機嫌がいいから、常にないほど会話が弾んでいるようだ。
だが、しかし。
肝心の話がまったくできていないのが、気になる。
いったいヘーゼルナッツは何をしに来たのか。
ただ遊びに来たというだけなら別にいいが、そうじゃないなら、できれば用事を済ませてからゆっくりしてほしい。
――重大な話は、聞かなければいけない立場であるから。
用事がない、遊びに来たというだけなら、二人を放っておいてメイド仕事ができるのだが、今のところどうなのか判別できていない。
いつもなら、適当なところでアイスが要件を聞くのだが……
例の「結婚できる男性リスト」を手に入れてからというもの、アイスは非常に浮かれている。
それはもう、ひどい浮かれっぷりだ。
アイスの結婚を応援していたはずのイリオが「ちょっと足元すくわれたらいいのに」と少しだけ思ってしまうくらいだ。
調子に乗っていると痛い目に合うんだぞ、と少しだけ思い知ってほしいというか。初心に返ってほしいというか。
まあそれはともかく、ヘーゼルナッツの用事である。
緊急性はない、深刻な相談事でもない、なんなら久しぶりに会う女友達と中身のない話に興じに来たという体にも見える。
だが、そういう「ただ会いに来た」というロゼットやらアプリコットみたいな奴らと同じ理由で来るとは思えない。
外しても問題はなさそうな雰囲気ではあるが、しかしもし地味に大事な話があるけどなかなか言いづらいから雑談というクッションを経ている、経ようとしている、という可能性も否定はできない。
いつもなら、アイスがさっさと用事を聞いてくれるのだが、浮かれているせいでまったくそういう方向に話を持って行かない。
もやもやしてテーブル脇に控えるイリオだが、そんなイリオの微々たる気配の変化を察したのか、ようやくアイスが聞いてくれた。
「ところで、今日は何の用で来たのだ? ジャムを届けに来ただけか?」
祈りが通じた。これでようやくヘーゼルナッツがやってきた理由が判明する。
――更なる泥沼に引きずり込まれる、という恐るべき事態になることも知らず、イリオはつかの間の喜びに満ちた。
「そうそう! アイスさんの結婚相手の話を聞きに来たの! この前ロゼットちゃんがすごく悔しそうにアイスが調子に乗ってて腹が立つとか浮かれてて気色悪いとか散々こぼして帰ったんだけど!」
それか、とイリオは思った。
アイスは宣言通り、新旧問わず、辛酸をなめさせた戦乙女を訪ね、それはそれは調子に乗って気色悪いほど浮かれて自慢げに結婚できる旨を堂々言い放った。
いや、言い放ったという言葉では生ぬるい。
結婚できる旨を、そう、たたきつけた。
それはもう、力いっぱい事実をたたきつけた。
たたきつけられた相手が不満を漏らすのも無理はない、というレベルで自慢したので、そのたたきつけた一人であるロゼットが愚痴を言いに誰かを訪ねるのも、そこまで不思議ではない。それくらいのアレだったから。味方のはずのイリオでさえイラッとしたほどだから。
「そのことか。ふふ、うふふ。ははは。これを見ろ」
こらえきれない笑いを漏らしながらポケットから出したるそれは、寝る時でさえ肌身離さず大切に持っている、今や命より大切な「結婚できる男性リスト」である。
「このリストにある男全員、私と今すぐ結婚できるのだ!」
「へえー! これが噂のそれかー!」
戦乙女界隈では、もうすっかり噂になっているようだ。アイスが度を越えて自慢するから。
「で、どんな人がいるの?」
「色々だ! たとえばこの一番最初の男は――」
更に雑談は盛り上がりを見せ、イリオは一礼してその場を離れた。
この分なら、放っておいても大丈夫――
「おーいイリオー! この男はどんな男だったっけー!?」
…………
「イリオー! 早く来い早くー! 早くー!」
まさかの呼び出しである。
そして呼び出された内容は、主の浮かれた気色悪い自慢話の補足要員である。
さっきの本題が見えない状態の方が、まだマシだった。
ちょっと足元すくわれればいいのに。
それか一発殴らせてくれたらいいのに。
そう思いながら、イリオは溜息を吐いて、洗い物を切り上げてテーブルに戻るのだった。