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38.ここ数年で一番嬉しかったらしい出来事





「うっ……ぐすっ……」


 泣いていた。

 氷の乙女は泣いていた。


 最近とみに多い負けの涙ではない。

 酒に頼らねばならない涙でもない。


 頬を伝う雫をそのままに、アイスは泣いていた。


 ――それほどまでに嬉しかったということである。


「もう一度言いましょうか?」


 泣かせたのは、専属メイド・イリオである。


「王妃様が、アイス様を、結婚させると約束しました」


 この言葉で泣かせた。


 ――なお、よっぽど信じられなかったのか、耳を疑ったのか、幻聴の類だと思ったのか、冗談では済まされないほどの質の悪い冗談だと思ったのか、同じ言葉を繰り返すのは八回目である。


 王妃が結婚させると約束した、と。


 とりあえず、このままでは話が進まないので、アイスが落ち着くまで待つことにする。





 先日の報告会から、しばしの時間が流れた。

 欠員は出ても中止があることはなかった週一回の報告会が、二回中止になるほどの時。丸々二週間くらいだ。


 その間、アイスは一度も、イリオが約束した「恋人探しの茶話会」について聞かなかった。

 色々あって約束はしたが、本気で信じてはいなかったのかもしれない。


 だが、今日になって、ようやくその話をすることができた。


 王妃から、手紙が届いたのだ。


 ちなみに手紙はイリオに届けられ、内容の要不要を判断して本人に伝えるように、と綴られていた。

 アイスに直接渡すには、いささか突っ込みすぎた内容だったので、イリオもそれがいいと判断している。話すべきことと話さなくていいことは選んだつもりだ。

 

 今日もアイスはいつも通りの訓練をこなし、昼食時を狙って話したのだ。


 結婚させると約束した、と。


 なかなか信じないから八回ほど繰り返して言い聞かせ、アイスは泣き出した、と。

 そういうことである。


 泣き止むまでしばし待ち、落ち着いた頃、イリオは王妃の手紙に同封されていたリストを渡した。


「こちら、今すぐにでもアイス様と結婚できる男性のリストになっているみたいです」


「な、な、な、なんだと!? 今すぐ!? 今すぐでも!?」


「ええ、今すぐ」


「明日でも!?」


「いいんじゃないですか? 話がまとまれば」


 二回ほど報告会が潰れた間に、王妃……と、恐らく老人たちと王子たちも、本気で探してくれたのだと思う。

 特に、老人たちが腰を上げた意味は非常に大きい。


 リストを奪い、食い入るように見るアイスを見て、イリオは複雑な気持ちになった。


 ――結婚できる男性リストに知り合いが、というか身内がいたからだ。 


 イリオは、書類上この国には存在しない暗部所属――荒事を含めた密偵である。簡単に言うと暗殺などを視野に入れた潜入調査員である。


 孤児であったイリオを国が拾い、存在しないはずの暗部で厳しい訓練を受け、さて実践に投入……というタイミングで、アイスが城に来たのだ。


 年齢が同じ、もうすぐ訓練が終わる、取り立ててやらせたい仕事がないフリーの密偵、という条件から選出され、専属メイドとしてアイスに仕えることになった。


 なお、潜入するための仮の身分ではあるが、イリオはとある貴族の養子となり、一応は下級貴族の娘という設定になっている。

 招いた側である国が、庶民のメイドをあてがうなどと、アイスを軽視する行為はできないから。

 まあ、あくまでも書類上の話だが。


 だが、その、便宜上の「家族」が、リストに入っていたのだ。

 それだけならまだしも、同じく孤児として拾われて肩を並べて訓練をした、兄弟弟子の名前もちらほらある。


 ――アイスの結婚は許すが、国が手放す気は、あんまりなさそうだ。


 アイスの結婚相手が国の身内なら、国とも身内同然。

 なんなら今より国との距離が縮まることになる。


 いや、考えすぎだろうか。

 結婚すれば戦乙女の力は失われるのだから、そうなれば国がアイスを囲っていても、旨味は全くないだろうから。


 この辺のことは、次の報告会で質問するとして、だ。


「どうですか? 気になる殿方はうわっ」


 静かにリストを凝視するアイスは、また、泣いていた。滝のような涙をざばざば落としていた。


「……知らない男ばかりだ……」


 まあ、そうだろう。イリオも知らない男の名が結構ある。


「前に約束した茶話会という形式で、何人か呼んで実際会ってお話してみてはどうか、と王妃様が仰っていますよ」


「…………」


 アイスは、今や命と同じくらい大切なものになった「今すぐ結婚できる男性リスト」を胸に抱くと、空を仰いだ。ちなみに今日の昼食も屋内なので、天井を見たことになる。


「…………涙が止まらないのだ」


 それは見ればわかる。

 いい加減泣き止んでもいいだろうと思っているのにまだ泣いているから、イリオはちょっと引いている。いい歳の大人が素面でこんなに泣くのか、と驚いてもいる。


「ここ数年で、一番嬉しい」


 ちょっと引いてはいるが。

 ここまで喜んでくれるのなら、イリオも嬉しい。


「……では、行こうか」


 アイスは涙を拭うと、静かに立ち上がった。


「…? どちらへ?」


 本当に、本気でアイスの言葉の意味がわからなかったイリオは、首を傾げる。


 そんなイリオに、アイスは、ここ十年で初めて見るような勝ち誇った強気な笑みで言い放ったのだった。





「――私を散々結婚できないモテない冷たい女子力がない内面に問題があるとバカにした戦乙女たちを見返しに行くのだ! 積年の恨み、今こそ晴らす! 誰一人打ち漏らさんぞ!」


 それはそれは嬉しそうに。





 泣くほど嬉しかった理由はそれか? それなのか?


 イリオはその疑問を、飲み込んだ。


 どんな答えが返ってきても、すっきりはしないだろうな、と思ったから。






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[一言] 行け!アイスさん!
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