28.白い葡萄は蜘蛛の城にて
「終わった」
「ああ、ありがとう。相変わらず手早いな」
訓練を終えた昼過ぎのことである。
今日は、珍しい人物がアイスの元を訪ねていた。
――葉の戦乙女ヴァニラである。
無口で無表情でどこか無気力な雰囲気漂う何を考えているのかわからない少女は、外のテーブルに着いているアイスの向かいに座った。
掴みどころのない性格と度を過ぎた無口さも特徴だが、何より特徴的なのは、美しい緑色の長髪に浮かんだ模様である。
まるで髪の表面に花びら模様を印刷したように現れている。
これは神力を使う時に浮かび上がるもので、解除しても少しの間は残っているのだ。
葉の乙女は、植物を操る特性がある。
戦闘でもサポート役として機能することが多く、最前線にはほとんど出ない。
それでもかなり曲者ではあるが。
直接攻撃ではなく、香り、花粉、蔦による拘束と、戦う形が特殊なだけだ。
サポートとして活きている理由はそれだけではなく、怪我や毒の治療に使用する薬草も有用である。
葉の乙女が主成分を「増強」した薬草や毒草は、もはや魔法というレベルの即効性が生まれる。
それと一般には知られていないが、初めて見る植物の成分も、なんとなくわかるらしい。食べられるだとか薬草に使えるとか、そういうことがわかるそうだ。
植物の研究者には有名だが、代々葉の乙女は、人が利用する・利用できる植物の発見と使用方法を記録したり、食べられる植物を探して伝えたりと、あまり知られていない意外な活動をしている。
その地道で地味な仕事は、これまた地味に世界中の人々の暮らしに関わっている。
先日アイスらがたしなんだ竜酒の製造方法などは、実は歴代の葉の乙女が見つけたものだったりもする。
ちなみに、普段のヴァニラの仕事は、植物の研究と品種改良だ。とある国の研究機関に所属しているらしいが、その辺は非公開となっている。
痩せた土地でも育つ作物の種の研究をしたり、育つ環境によって生じた品質と成長率の差を比べたりと、やはり地味ながら有益な活動をしている。
そのヴァニラだが、今日はアイスの敷地に広がる芝生の手入れに来たのだ。正確に長さの調整などである。
このヴァニラが葉の乙女として選ばれる前までは、ここは庭師が手入れしてくれていた。が、それも大変そうだった。庭仕事は何気に重労働である。
年中通して、いつでも柔らかく目にも鮮やかな緑の大地は、今はヴァニラの力で保たれているのだ。
「さて、今度は何にしようか」
とにかくヴァニラは仕事を終えた。
そして今度は、報酬の話である。
「…………」
アイスの専属メイド・イリオが砂糖とミルクをたっぷり入れた紅茶を煎れると、ヴァニラは黙ってそれをすする。
そう、報酬である。
ヴァニラの庭の手入れは、無料で行われる慈善事業ではなく、お礼が発生する仕事である。
その礼はいつも夕食だが、もちろんただの夕食では済まない。
高級とは言わないが、それなりに珍しい物を所望するのだ。
「……後で来る」
紅茶を飲み干したヴァニラは、一旦引き上げた。
――さて。
「どうしようか」
「難しいですよね。ヴァニラ様は」
無口にも程があるもので、何を食べたいか言わないし、食べ物の好みも言わない。
今のところわかっているのは、甘いものが好きなことと、酒は飲めないことくらいだ。
というか普通になんでも食べるので、好き嫌い自体はそんなにないのだろう。出した食事に文句を言ったこともないし。
ただ、だからと言ってなんでもいいわけではない。
なんだかんだ食事を一緒にする機会があるのでわかったが、よく見ると、好みかそうじゃないかは、食の進み方に差が出るのだ。
好きな物だと食べるのは早いが、そうでもなければ若干遅くなる。
その辺の機微を見抜いた上で言えることは、一つ。
「食事は普通で良いだろう。問題は果物だな」
果物。
甘いものが好きなヴァニラは、とりわけ果物を好むように見えた。果物が入った焼き菓子などは「もう一つ……」などとお代わりを頼んだこともある。
「そうですね。幸い夕食まで時間がありますので、料理長に何か頼んでおきましょう」
「うむ。……料理長の十歳になる息子は元気かな」
「息子さんの話は置いておきましょう。今はヴァニラ様のことです」
まともに相手する価値もない話題を右から左へ受け流し、イリオは話を元に戻した。「おい、冷たいな。恋の経験者は態度も冷たくなるのか?」などと皮肉なのかなんなのかよくわからない追及の声も無視し、とにかく話を戻した。
「果物と言えば、今の旬はベリー系でしょうか?」
「おい、本当に経験が……まあいい。そうだな、今はベリーが美味しいな」
葡萄。
葡萄にもいろんな種類がある。
だが、珍しい葡萄と言われれば、だいぶ絞られる。
「スパイダーベリーはどうだ? 今年はまだ食べていないし」
恐らくヴァニラは食べたことがあるとは思うが、食べたことがないものだけを望んでいるわけではないだろう。
好物なら、文句は言わないだろう。
……文句があっても言わないタイプのようにも思えるが。
「ああ、いいですね。それにしましょう」
そうと決まれば、早速二人は身支度して飛ぶのだった。
そこは、最も西にある国の、さらに西に進んだ地である。
徒歩で旅をすれば、何年も掛かるほど遠い場所だ。
「初めて来た時は、かなり怖かったんですけどね」
「まあ、未開の地だからな。恐らく怖がって然るべき脅威もたくさんあると思うぞ」
アイスとイリオが降り立ったのは、鬱蒼とした森の前である。
記録上は、まだ人が踏み入ったことがない場所であり、原住民がいるのかどうかさえ定かではない。もしかしたらこの先には人はいないかもしれない。
世界にはこういう「人が入れない場所」がある。
「入らない」ではなく「入れない」のだ。
その理由の一つが、この森にもある。
「行こう」
アイスは冷気を発しながら、森へと踏み込んだ。離れないようイリオも続く。
――ここは、緑の乙女ロゼットが教えてくれた森である。
あの自由人は、「とにかく遠い西まで行ってみよう」と思い立ち、この辺まで来たそうだ。なぜそう思ったのかは謎である。
そして、この森を見つけた。
ここら一帯の森は、ロゼットが「蜘蛛の城」と名付けた。その名の示す通り、蜘蛛が生態系の長として支配しているのだ。
そこかしこに蜘蛛がいる。
木にも張り付いているし、糸を伝って降りるのもいるし、とにかくおびただしい数である。
大きさもバリエーション豊かで、指先サイズから人の腰まである特大サイズまで様々。模様もカラフルなものから真っ白いもの、はたまた真っ黒なもの、黒と黄色のストライプと、多様である。
本来なら、人なんて獣と変わらないレベルで襲われる対象であるが、発せられる冷気のおかげで蜘蛛たちは寄り付こうとしない。むしろ距離を取るくらいだ。
単純に、体温が下がると運動能力が落ちるから、本能的に避けているのだ。
そして、襲われない理由はもう一つある。
『――また来たか。友よ』
声ではなく、思念。
澄んだ女性の声が、頭の中に響く。
「ああ。またそなたらの食べ物を分けてくれ」
『――いいだろう。いつも通り、例の物と交換だ』
少しの間そのまま待っていると、木々の合間を縫って、見上げるほど大きな蜘蛛が出てきた。
イリオ辺りは生理的に受け付けないと言っていたが、アイスは平気である。むしろただの魔物にしか見えない。
出会いが違えば、殺しあっていたのだろう。
アイスが戦乙女として出動し、そしてこの巨大蜘蛛は人類の脅威と示されて。
しかしここは、人の介入しない地である。
神はこの蜘蛛を、戦乙女が戦うべき脅威とは言わない。
色々と調べてみた結果、この蜘蛛は、地霊と呼ばれる存在である可能性が高い。
長く長く何百年も生きた蜘蛛は、この土地と結びつき、守護霊となる。
知能も高く、理性すら持ち合わせ、なんならこうして話さえできる。
この世にはまだまだ謎と不思議に満ちている。
『――受け取るがいい』
己が糸で作った袋に、真っ白な粒の葡萄がぎっしり詰まっていた。
スパイダーベリー。
森の奥に成り、主に虫類が食べる果物。特に蜘蛛がこれを好むことから、蜘蛛の葡萄と呼ばれている。
陽を浴びないほど森の奥地で育つせいか、実は白い。これは偶然だと思うが、明かりに透かして見ると蜘蛛の巣のような網模様の繊維が見えるのだ。まあ偶然だろうが。
「……うむ。相変わらずこの森のベリーは美しいな」
一粒取って眺める。まるで真珠のように艶やかだ。
それと何気に麻袋のような袋もかなり白く美しく手触りもよく、良質である。彼女の糸で生地を作れば、とんでもないものができるかもしれない。
『――交換だ。早う例の物を出せ』
「ああ、わかった」
ベリーの詰まった袋をイリオに預け、アイスは小脇に抱えてきた小タルを降ろした。
「割ろうか」
『――早う。早うしろ』
「わかったからわさわさするな」
蜘蛛に抵抗はないが、口の辺りの牙がわさわさ動くのは、さすがに気が落ち着かない。捕食されそうで。
アイスは氷のノミを生み出し、小タルの上部の板を一枚引っぺがした。
途端、得も言われぬ芳醇な香りが森に広がった。
――タルの中身は、なみなみ詰まった葡萄酒である。
『――そうだ! これだ!』
「おっと」
向かってきたので、アイスは一歩下がった。もちろん蜘蛛の目当てはタルの葡萄酒であって、アイスなど眼中にないが。
この地霊蜘蛛に葡萄酒を教えたのは、ロゼットである。
未開の地で話ができる者がいたとあって、いろんな話を聞いて、そのお礼にと上げたらいたく気に入ったそうだ。
そんなロゼットの紹介で、アイスも引き合わされた。二年前くらいの話である。それからはたまに来てはスパイダーベリーと葡萄酒を交換している。
「また来る。じゃあな」
体の下にタルを抱え込むようにして、葡萄酒に夢中な地霊蜘蛛は何も言わない――いや、前足を上げて応えた。飲みながら。
意外と面白い奴である。
王宮料理長に渡したスパイダーベリーは、ベリーの果肉をたっぷり使った白いゼリーとなって夕食後に出てきた。
カラフルなゼリーならいくらでも見たことがあったが、白いゼリーはこれまで見たことがないお菓子だった。料理長渾身の一品である。
目にも珍しいそのゼリーは、大変美味しかった。
元々スパイダーベリーは葡萄のえぐみや特徴的な酸味が薄い味である。
なんというか、葡萄の味なのに、さらりと食べられる。味が薄いのではなく、口当たりが非常に軽い。
「……これは、いい……」
これまた珍しく料理の感想を漏らしたヴァニラは、お代わりして帰っていくのだった。