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27.しょうもない夜の来客






 星も眠るような深夜だった。

 市井の酒場が明かりを落とし、夜の店が並ぶ通りに舞う蝶も姿を消した頃だった。


「……?」


 ベッドで寝ていたアイスは、その気配を察知してまぶたを開けた。


「誰か来たな」


 ベッドから抜け出したところで、足音もなくアイスの背後に人が立つ。


「――アイス様。賊ですか?」


 専属メイド・イリオである。

 明かりもなく気配もかすかに足音を殺しての身のこなしは見事である。


 ただ、この時間はさすがにメイド服ではなく、寝間着だが。ピンクのかわいい上下だ。しかし短剣はしっかり持ってきている辺り、やはり訓練を受けた者らしくはある。


「いや、戦乙女だ」


「やはりそうでしたか」


 心当たりはあった。剣持参は念のためである。


 ここグレティワール城に住んで以来、アイスの借りている敷地に無断で入る賊や侵入者といった類は、まったくなかった。あって迷い猫や犬くらいである。


 一国の城の敷地内である。

 侵入することの困難さを考えれば、それに挑戦したいと思う者もないだろう。


 しかし、時々例外がある。

 戦乙女が神術を使い、直接ここに飛んでくる場合だ。これは警備では対処できない。


「急ぎの用事でしょうか?」


「さあな。とにかく対応を――」


 しよう、と言いかけた時。


「――アイスねえさーん! 私だー! 開けてくれー!」


 …………


 虫の音さえない静かな静かな夜に、女の叫び声が響き渡った。


「…………夢じゃないよな?」


「ええ、残念ながら」


 これが夢であってほしい。


 本当はまだベッドの中で突拍子もない夢を見ているだけに過ぎない。

 そんな可能性を信じたかったが、やはりこれは現実のようだ。


 星も眠る深夜、それはやってきたのだった。

 

「アイス姉さーん! ねーさーーーん!!」


 とにかく黙らせないと。とてつもなく迷惑だ。


 急いで表に出れば、酒ビンを抱えて芝生に座り込んだ女が一人。


「ねーさーーーーーーん!」


「わかったからもう黙れ」


 ――緑の乙女ロゼットは、したたかに酔っぱらっていた。





 べろんべろんのぐでんぐでんになっているロゼットを、とりあえず家の中に連れ込むことにする。

 本当は氷漬けにして一瞬で酔いを醒ましてやりたいくらいだが、それは事情を聞いてからやるかやらないかを決めたい。


「うへへへへぇ。アイスねーさーん」


「しっかり歩け」


 腰の辺りにすがりついてくるくせに歩こうとしないロゼットを小脇に抱えるようにして、家のテーブルに座らせた。左右にぐらぐらしているが、まあ、大丈夫だろう。


 明らかに飲みすぎだ。

 目に一切の理性と知性が感じられない。


 ここまでだらしなく深酔いしているロゼットは、見たことがない。

 元々自由な気質の彼女である。深夜やってきて無遠慮に起こしてくれた挙句「酒飲もうぜー」とかほざいた時もなくはなかったが、ここまでひどく酔ってはいなかった。


「ふぇー。あいかわらずエロい格好で寝てるなぁ、ねーさん」


 酔っぱらいの戯言には付き合わず、アイスも向かいの椅子に座る。


「それよりどうした? 何かあったのか?」


 ちなみにアイスの寝る時の格好は、薄手のネグリジェ一枚で色々すけすけである。残念ながら異性に見られる可能性もないので、季節に合わせて非常に楽な格好で寝ている。


「何か? あったっしょー。特大のがー」


「特大?」


「イリオちゃーん。お酒ちょーだーい」


 ランプに火を入れたり、連れてくる途中でロゼットがこぼした酒を拭いたりしていたイリオは、ぼんやり揺れる明かりに顔半分を染めて、冷ややかな視線を向けた。


「ここは酒場じゃないので。礼儀知らずに出す酒なんてないですね」


 まずい。イライラ気味である。


 イリオは、アイスの専属である前に城のメイドである。

 個人的な心情はさておき、城のメイドとしてはこの無礼な酔客を歓迎する気はまったくない。


「イリオ、頼む」


 何かあったから酔っぱらっているのはわかった。その事情を聞かないことには、アイスも対処ができない。


「……」


 軽蔑のまなざしが、今度はチラッとアイスに向けられた。


「甘い」


「う、うむ……すまん」


 問答無用で追い出したいのだろうイリオだが、アイスに頼まれ仕方なく、嫌々な態度を隠そうともせず一番安い酒を持ってきた。


「……はあ」


 値段も質もどうでもいいのか、ロゼットはグラスに注がれた安酒を一気にあおると、テーブルに突っ伏し盛大な溜息を吐いた。


「……アイス姉さん」


「なんだ」


「なんでアプリコットは私に相談せず結婚決めたのかなー?」


 それか。

 ここまで深酒した理由、「特大の何か」は、それか。


「私は親友だと思ってたよ。一緒にいっぱいバカなことやって、遊んで、酒飲んだり冒険したりして。ずごく楽しかった。たぶん戦乙女で一番気が合ったのはあいつなんだ」


 知っている。

 二人でいる姿はよく見ていたし、二人で何かしているという噂もよく聞いていた。


 四ヵ月ほど前までは。


「……アプリコットにとって、私はなんだったんだろう」


 それは本人にしかわからない。

 ただ、ロゼットは今、アイスの答えなんて求めてはいないだろう。


 ただ愚痴りたいだけだ。

 飲まなきゃやってられないし、愚痴らなきゃやってられないのだ。


 若い頃は理解に苦しんだアイスも、大人になって、いろんな経験を積み、現実を知り、思い通りにいかないことに苦悩し。

 いつからか、そんな時は「やってらんねー」と言いながら酒に逃げるようになった。


 何も答えないアイスから、質問の矛先は傍に立つイリオに向けられた。


「なんでかな、イリオちゃん?」


「こいつに話したら嫉妬に任せて幸せをぶっ壊しに来るかも。知らん顔しておこっと。事後報告でいいや。と思ったからじゃないですか?」


「おいやめろっ」


 アイスは声を潜め、遠慮も配慮もないイリオに注意する。今はやめろ、今はよせと。傷口に唐辛子を入れるなと。


「……うぅ……うっうっ……そんなことしないよぉ……」


 ロゼットは泣き出した。


「確かにカップルを冷かしたり、若者たちが濃厚なイチャイチャをするっていう有名な覗きスポットに潜入したり、かっこいい男の子だけ集めたカフェとか通ったりしたけど、間接的にカップルをぶっ潰したことはあるけど直接はないよぉ」


「覗きスポットとカフェの話、詳しく聞こうか」


「アイス様」


 イリオの眼力に負けて、好奇心は死んだ。アイスは大人しく聞き続けることにした。





 しばらく愚痴を聞いてやると、ロゼットは寝落ちした。


「勝手な人ですね」


「まあ、そう言うな」


 最近は飲まなきゃやってられないことが多いアイスには、無下にできないものがある。

 自分には愚痴くらいなら聞いてくれるイリオがいるし、なんだかんだ味方になってもくれる。


 ロゼットの立場に置き換えて考えてみると、想像しただけで胸が痛くなるほどだ。


 もしイリオが急に「結婚決まったんで専属辞めますね」とでも言いだしたら、それはもう、アイスも潰れるほど飲んで騒ぐことだろう。なぜ一言も話さなかった、と言いたくもなるだろう。


「イリオはどう思う? アプリコットはなぜロゼットに言わなかったのだろうな?」


 冷静に考えると、アイスもそこが謎である。

 二人の仲は知っていた。もし結婚関係の何かがあった場合、真っ先に話しそうなものだと思うが。


「さっき言いましたよ。こいつぶっ壊しに来るかも、って思ったからだと」


「え? 冗談じゃなかったのか……?」


 戸惑うアイスに、イリオは優しい微笑みを向けた。


「恋は人を変えるんですよ」


「なんだ。経験者のように語って」


「恋をしたら、臆病になったり、急に不安になったり、その人のこと以外考えられなくなったりするものです」


「おい。経験ないだろ」


「つまりロゼット様はアプリコット様にフラれたというわけですね」


「……え? 経験ないよな……?」


「さあ? どうでしょうね?」


「お、おい……そなたは話すよな? イリオは何かあったら私には話してくれるよな? ……やめろ、そんな優しい笑顔で見るな……意味深な顔で見るな!」


「…………」


「意味深な顔で去るな! おい、そんなことがあったら私は号泣するからな!? 泣き喚きながら酒飲むからな!?」


 アイスの不安を掻き立てるだけ掻き立てて、イリオは行ってしまった。





 翌朝。

 二日酔いのロゼットは夕方までダウンし、夜には帰った。


 ――「私なんでアイス姉さんとこにいるんだろう?」などと漏らして。





「イリオの言う通りかもしれん。あいつは幸福を壊しそうだ」


「でしょ? あの方、酔った挙句に前後不覚でやらかしそうでしょ?」


 ロゼットを見送った寝不足の二人は、しょうもない夜の出来事を思い起こし、あくびを漏らした。






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