23.驚きの無自覚、自覚する
「ウゴオオオォォォォォッッ!!」
見た目は、巨大な牛である。
人の背丈よりも高く筋肉質で、上半身が下半身より大きい。
明らかに突進に特化した身体である。どんな障害も、どんな巨木も、その力はすべてをなぎ倒すだろう。
威厳を感じさせるほどの、ねじれた巨大な角が見る者に恐怖を感じさせ、ぶつかられただけで命はないと直感を与えるほどの魔物。
魔牛・暴狂牛。
通った後は無事な物が存在しないとさえ言われる、凶暴・凶悪な魔物である。
生半可な攻撃では止まらないし、刃や矢なども発達した筋肉が邪魔してあまり通さない。それにもっと厄介なのが、血が流れると余計凶暴になることだ。
やることはだいたい突進だけだが、それだけで充分な脅威である。
その昔、とある国の石造りの城を、一頭の暴狂牛が破壊した逸話は、あまりにも有名な実話である。
今回の戦乙女の出動は、その魔牛の討伐であった。
そしてすぐに戦闘は終了した。
「……あっさり勝てるって本には書いてないんですけどね。騎士団が動くほどの魔物だって書いてあったんですけどね」
勉強家である槍の乙女ザッハトルテは、なぜだか不満げである。
今日の出動は、最近恒例となっている四人である。
氷の乙女アイス。
槍の乙女ザッハトルテ。
鉄の乙女テンシン。
そして緑の乙女ロゼットだ。
どこぞの街道のど真ん中を走っていた暴狂牛と開戦し、すぐに仕留めたところである。
「前に倒した毒紫雲とは違うからな」
今回も作戦を立てた氷の乙女アイスは、なぜだか不満げな後輩に説明する。
「暴狂牛は倒し方が確立している魔物なのだ」
確かに脅威的な魔物ではあるが、準備、人員、武器と、それらが揃っていれば恐れることはない魔物となっている。
唯一怖いのが、暴狂牛が予想外の動きをすることと、約束された倒し方を実践できなかった場合だ。
逆に言うと、揃ったものが一つでも基準に満たなければ倒せない、ということになる。
むしろ下手に手を出して余計凶暴になって大惨事、というケースも起こりうる。
どうしても倒したいなら、素人を集めるのではなく、経験者か冒険者に頼んで欲しいと思う。
「そんなこと本には書いてませんでしたけど」
まだ不満げなザッハトルテに、簡単に説明する。
「見ての通り、やることは突進だけだからな。どう動くかわかっていればどうとでもなる」
「その倒し方って、今日やったやつですか?」
「いや、これはザッハトルテにしかできないやり方だな」
一番オーソドックスな攻略法は、油を仕込んだ落とし穴に落として火を放ち、蓋をする。これだけでいける。
「割と簡単ですね……」
「そう、簡単だ。手順はな。だから油断が生まれる」
たとえば穴が小さければ確実に飛び出してくるし、死んだと思って蓋を取ってみればまだ生きていたりして大暴れして穴から抜け出すこともあるし。
とかく力も生命力も、人間とは桁違いなので、油断できる相手ではない。たとえ攻略法があってもだ。
「……でも私、なんだか、何かしたっていう気もしないんですけど」
「そんなことないさ。そなたの手柄だ」
そう言われても本当に実感はない。
ザッハトルテは、ただ、槍の石突を地面に刺し、固定していただけだから。
勝手に頭から突っ込んできた暴狂牛が、勝手に槍に突っ込んで串刺しにされて、勝手に死んでしまっただけである。どーんと即死である。
「本来は、人数を入れて騎馬兵を迎え撃つファランクスという陣形となる。槍を固定して待ち構えるのだ。今ザッハトルテがやったことと同じだな」
「へえ……兵法にもあるやり方なんですね」
それだけじゃない。
まず、槍自体の硬度と強度の問題だ。
ただの槍では暴狂牛の身体に刺さらない。ましてや分厚く堅い頭蓋骨を貫くなんて、名人でも難しいだろう。
間違いなく、槍の戦乙女が使う神器だからこそできた芸当。
言い換えるならザッハトルテしかできない倒し方である。
「おーい! 早くバラそうよ!」
緑の乙女ロゼットが、槍が刺さったまま横倒しになっている暴狂牛を前に、アイスらを呼ぶ。ちなみにテンシンも来ていて、魔牛の血抜き作業の真っ最中だ。
そう、暴狂牛は美味いのだ。
肉は非常に堅いが、正しい下処理と熟成で驚くほど柔らかくなるし、堅いなら堅いなりに野菜等と長時間煮込むことで非常に柔らかくなる。薄切りにしてそのまま燻製や干し肉にしても美味い。新鮮であれば内臓も食べられ、なかなか美味い。
凶暴、凶悪が代名詞のような魔牛だが、実は草食である。大部分に共通する肉食獣のように臭みがあまりないのだ。
あと、しなやかで丈夫な革はあらゆる用途に使われ、骨は煮込んでも旨味が出るし、加工して武具や細工物としても使える。角も同様にいろんな使い道がある。
ドラゴンほどじゃないにせよ、これも美味しい獲物と言えるのである。
「――やあ、可愛い乙女たち。僕が来たよ」
そしてこんな時、黒の乙女プラリネがやってくるのだ。
解体が上手い、美しい女性料理人を二人連れて。
亡国フローズンバイスの代表に等しいプラリネは、食糧となる魔物には貪欲だ。
過酷な雪国では食糧の調達が難しいので、得られる時は遠慮しない。
プラリネに連れられてきた二人の料理人は、何も言わずに獲物の解体に掛かった。
「相変わらず終わってから来るのだな」
「はは。アイス嬢とテンシンさんがいれば、僕の力なんていらないでしょ? それとも僕が欲しい?」
「軽薄なことを言うな」
美味しいところだけ持っていくようなやり方だが、アイスやテンシン、ロゼット辺りは知っている。
このくらいの魔物なら、プラリネ一人でどうにでもなるということを。
だからこそ遅れてやってくるのだ。
今は特に、新人の育成も兼ねているから。
「アイスさん」
その新人が、アイスに声を掛けてきた。
「ちょっと相談があるんですけど、聞いてもらえませんか?」
「ん? なんだ?」
「僕も興味あるな。可憐な蕾がどんな悩みを持っているのかな?」
「軽薄なことを言うな」
「蕾を咲かせたいなら僕に言って欲しい。夜を待たずに抱きしめるから」
「軽薄なことを言うな」
「あ、いえ、できればアイスさんだけに聞いて欲しいんですけど……」
「おや残念。フラれてしまったよ」
「軽薄だからだな」
そんなこんなで暴狂牛を解体し、獲物を分けたところで解散となった。
アイスは、相談があるというザッハトルテを連れて、グレティワール王国に帰るのだった。
日差しも強く気温も高くなってきた昨今、昼は家屋の中にあるテーブルを使っている。
あまり褒められた使い型ではないが、アイスの氷の力で、家の中だけ快適にすごせる温度を保っているのだ。
この時期ほど、氷の乙女でよかったと強く思う時は、意外とない。
専属メイド・イリオに紅茶を煎れてもらい、さてザッハトルテの相談を聞き出すと。
「実は最近、お城に呼ばれたんです」
「ほう」
その一言で、だいたいのことはわかった。
つまりアイスと同じ扱いを、国から受けようとしている。そういうことだ。
「迷っているのか?」
だとすれば、アイスは意見を控えたいと思った。
アイス自身は国に縛られることで苦痛もあったが、単独で活動するよりかなり多くの人を救い、戦乙女の力を人々のために使うことができたと思っている。
たとえ利用されていたとしても、それで救われる人は確かにいたのだ。
氷の乙女効果で発生した経済だって、国が潤えば飢える人は減る。これも巡り巡って人助けになっているのだと思う。
この国は汚いが、決して腐ってはいない。
綺麗事だけの政治で、国民に無理を強いて苦しめないだけ、この国は間違ってはいないと思える。正しいかどうかまではわからないが。
結局、極端な話なのだ。
自分の身を削って国に還すか、否か。
そんな重要な決断は、自分で決めるべきだと思う。どちらが正解でどちらが間違いなんてないのだから。
「迷っている……というか、どっちかと言うと戸惑いが大きいです」
「戸惑い?」
「まず周囲の人の反応が変わりました。あ、今はもう、違うところに一人で住んでるんですけど、戦乙女になりたての頃は、普通にそのまま家に住んでたんです」
なるほど。
それもアイスは経験した道である。というか、多くの戦乙女が経験しているだろう。
「貴族の方に養子に誘われたり、変な人が家の周りをうろついたり、顔くらいしか知らなかった同年代の男の子たちが異様に声を掛けてきたり」
――あったなぁ。
今では考えられないが、アイスにもそんな頃があったのだ。
結婚の申し込みが殺到したり、お誘いを受けたりもした。
当時の自分は、なぜすべてを邪険に振り払ったのか……今では悔いしか残っていない。
アイスの実家は一応貴族だったからそこまで気になることはなかったが、確かに庶民となると。
ザッハトルテが直面している問題は、色々と気苦労が多そうだ。
「素人考えですけど、お城に招かれてしまえば、そういう問題も全て片付くんじゃないかって」
「ああ、片付くと思うぞ」
国の庇護下に入るのだ。問題があれば勝手に国が解決してくれるようになる。
「でも……」
ザッハトルテの顔が沈んだ。
「……アイスさんと同じ扱いになるんですよね? アイスさんはよくても、私はたぶん耐えられないです……」
「うん……うん?」
…………
「どういう意味だ? モテないという意味か?」
「あ、いえ! モテるとかモテないとかって意味じゃなく!」
アイスが危うく殺気を放ちそうになってしまったところで、ザッハトルテは慌てて首を振り――傍に立っているイリオを見た。
「わ、わかりますよね!? 言っている意味!」
イリオは迷わず頷いた。
「なんでも持ち上げられるわけではない、ってことですよ。
その顔、その姿、その鈍感なところ、その性格があってこそ、この国で氷の乙女人気者計画が成り立ったということです」
アイスは少し考えたが、
「……よくわからんが」
いまいちピンと来なかった。
そんなアイスに、イリオは冷たく言い放った。
「だから結婚できないんですよ」
「か、か、関係ないだろう! なんだ急に!」
「関係あると思いますけどね。だってそんなに鈍感じゃ、相手の好意にも気づかないじゃないですか」
「なん、だと……? 私が男の好意に気づかず好機を逃している……?」
驚愕の可能性に、アイスは頭を抱えた。
――少し前にあった、二人の王子とついでに王女の求愛にもいまいち気づかない、本心を掴んでいないのだから、なかなか深刻である。




