22.その命、急に助けたくなくなる
「アイス様! 冒険者組合から火急の用です!」
最近続いた雨が止み、久しぶりに敷地内で訓練をしている時、専属メイド・イリオがアイスを呼んだ。
イリオは、訓練時にアイスに声を掛けることは、まずない。
ゆえに、本当に急ぎの用事が入ったということだ。
「どうした」
振り回していた氷の斬馬刀と氷の鎧を消し、アイスはイリオの元へ向かう。
「お手紙です」
手紙と言うよりはメモである。
恐らく封をする間も惜しんで届けられたものだ。
四つ折になったそれを開き、内容を確認すると、アイスは即断した。
「出るぞイリオ。準備をしろ」
「はい」
駆けるイリオを追うように、アイスも家に引っ込む。
洗い場で服を脱いで、半端に流した汗を拭い、顔を洗って新しい服に着替える。
即席で用意できるアイスに重い装備は必要ないが、念のために騎士の証であり身分証名にもなる、ここグレティワール王国の紋章が入ったロングソードだけ帯びる。
これで、アイスの準備はできた。
表に出ると、メイド服に剣を釣ったイリオが待っていた。さすがに早い。
「まず隣街の冒険者組合に行く」
光速移動で、二人は飛んだ。
冒険者組合は、冒険者へ仕事を割り当てる、言わば斡旋業社である。
世界各地に存在し、国を越えた横の繋がりが強い、なかなか不思議な組織だが、国によって仕事の傾向が大きく違うのが特徴だ。
グレティワールでは、冒険者の主な仕事は、魔物や獣などの狩りと薬草を始めとした食材の採取。
それと、一部の冒険者が好んでいる「未開の地の探索」だ。
未開の地とは、そのままの意味である。
傍目に見て「あそこに山がある」という情報から、今度は足を使って現地に赴き、正確に何があるかを調べて記録する仕事である。
国の地図はある。
割と正確に、どこに何があるかはわかっている。
だが、「そこに行ってちゃんと確かめたのか?」と言われれば、それは否である。
地図にある情報の何割かは目視だけした状態で記されているので、ちゃんと現地まで行って詳しく調べた情報を探り、それを必要な人が売買するのである。
確実に国は買うので、意外と収入源としては悪くないらしい。
今回はそれ絡みの事件が起こったようだ。
「――アイス様!?」
「――氷の乙女か!?」
隣街付近に飛び、門番に身分証代わりの剣を見せて立ち止まることなく街に入る。
門番から街の人に至るまで、突然の氷の乙女の訪問に色めき立つが、誰も近づくことはなかった。
早足に進むアイスの表情が、それこそ氷のように冷たく真剣味を帯びていたからだ。
一切の足止めを食らうことなく冒険者組合に到着し、そのまま踏み込んだ。
「組合長はいるか!? 赤の狼煙の連絡を受けてきた!」
銘々に過ごす冒険者たちも、いきなりの有名人の登場に突然に驚いたようだが。
「俺だ! わざわざすまない!」
アイスが来ることを予期していたのだろう、ヒゲ面の組合長が、すぐに奥から出てきた。
「場所は?」
「ここだ」
差し出された紙には、簡素な近辺の地図が描かれており、問題の場所であろう山を赤丸が囲んでいた。
「ガトー山か。山頂か?」
「わからん。だが近辺で赤の狼煙が上がったのは確かで、うちの依頼から調査に行った冒険者だ。狼煙が見えたってことは、少なくとも山の向こう側ではないと思う。恐らく麓だとは思うが確かとは言えない」
山の向こうだったら、狼煙は山が遮って見えない。なるほど組合長の推測は信じていいかもしれない。
「人数は?」
「三人。男二人に女一人。歳は全員二十一。一年くらいここを拠点に仕事をしている。そこそこのベテランだ」
「わかった。行ってくる」
あっと言う間に必要な情報を仕入れると、アイスは踵を返して冒険者組合を出た。
次は、ガトー山に飛ぶ。
赤の狼煙は、生命に関わる緊急事態発生の合図である。
今回使用された「狼煙の石」は、マジックアイテムである。
冒険者組合で売っている魔法効果を施した石で、砕くと煙が立ち上る。
購入した冒険者組合の該当支部と連動しており、きちんとした手順で割ると、割れたことが冒険者組合にわかるようになっている。
距離も場所も正確にはわからない、あくまでも方角がわかる程度の感知だが、もしそれで狼煙が見えたら、緊急事態として知らせることができる。
手順により、狼煙の色が違う。
紫は、強力な魔物が現れたことを知らせる警鐘の合図。
なお、この色が昇った場合、使用者の命はないものと見なされる。
黄色は、命の危険はないが緊急で誰かを呼びたい時の合図。
例としては、巨大な魔物を狩った後、他の魔物や獣などに取られないよう現地を離れられないなどの理由で、運ぶ人を呼ぶ場合に使用されることがある。
そして赤は、生命に関わる緊急事態だ。
急げば間に合うから助けてほしいと、使用者が判断して呼んでいる合図だ。
ただの人には何時間も掛かる距離でも、神力を授かる戦乙女ならあっと言う間に移動できる。
それを期待して、たまにこういう緊急の人命救助が求められるのだ。
特にアイスは、身分上は下級騎士である。
国民の救助や緊急要請には、できる限り応じる義務がある。
――本人の意識はともかく、かつて「氷の乙女」を国の顔に、いわゆる人気取りのために国が作った規則なのが残念だが。
思いっきり裏も下心もある出動ではあるものの、わかりやすく助かる人がいるのも事実なのである。
山の近くまで行く。
街や国を繋ぐ街道は、ここから山道になっている。もっともまだ整地の手が入っていないようで、山道は獣道のようになっているが。
「――おーい!」
その獣道を、一人の男が駆け下りてきた。
「あんた狼煙を見うわー氷の乙女!!」
「落ち着け」
軽そうな革の鎧を着た男は、どう見ても冒険者である。年齢は二十歳くらい。聞いていた情報と合致する。
おまけに、狼煙を上げた心当たりもあるようだ。
「とにかく急いで落ち着け。まだ間に合うんだろう? 取り乱している場合か」
男に落ち着くよう言い聞かせ、概要を聞き出す。
「――わかった。そなたはここにいろ」
「いや、俺も行く!」
言っても諦めそうにないので、説得は諦めた。
「では先に行くから後から来い。イリオ、付いて来い」
「はい」
ここからは走ることになる。
だがそれでも、アイスとイリオの移動速度は早く、冒険者の男を置いてどんどん距離を離していった。
ここ最近続いていた雨の影響で、地面がぬかるんでいる。
そのせいで、仲間二人が、崖から滑り落ちたそうだ。
そこそこの高さを落下して崖下の川……浅瀬に突っ込み、片方は足を骨折、もう片方は打ち身程度で済んだそうだが。
最悪なのがここからだ。
上に一人残された男が、ロープを使って崖下に下りようと準備していた時、川上の方に狼型の魔物である赤牙狼の群れを見てしまったそうだ。
赤牙狼は、そのまま赤毛の狼のような風体だが、普通の狼より身体が大きく凶暴である。
人間を見たら必ずと言っていいほど襲い掛かってくるし、食らうためだけの狩りをする獣とはやはり違うのである。
見えたのは四匹だそうだ。少なくとも四匹と考えていい。
森などでよく遭遇するだけに、赤牙狼は魔物としてはそう強くない。 ベテランの冒険者が三人いれば、どうとでもあしらえるだろう。
問題は、片方が怪我をしていて、その片方を庇いながら一人で戦わなければならないという状況に置かれているということ。
さすがのベテランらしく、男は赤牙狼を見た瞬間、狼煙を上げることを決意したそうだ。
襲われてからでは遅い、と判断して。
それでも、救助が来るのは早くて半日は掛かるだろう。絶望的な状況だが、しかしまだ諦めるわけにはいかない。
男は、山の下の街道まで戻り、目印を付けて再び現場に戻り、飛び降りる覚悟で崖下に行くつもりだった。
そこで、氷の乙女が登場したというわけだ。
「ここか」
しばし山道を駆け上り、街道脇の木からロープが垂れている場所に遭遇した。下で会った男が言っていた通り、降りる準備はしてあったようだ。
「先に行く」
イリオに言い置いて、アイスは崖から飛び降りた。
神力を発動し、身体能力を高めて浅瀬に着地。水しぶきを上げて転がることで落下の衝撃を軽減する。
両方を高い崖に挟まれた辺りを見回すが、誰もいない。
「誰かいるか! 助けに来たぞ!」
果たして反応は――あった。
かすかに聞こえた声を目指して、アイスは走る。
間に合った。
まず、それだけ思った。
落ちた冒険者は、崖にあった洞穴に引っ込み、獣避けの火を焚いていた。
しかし、獣は遠ざけられても魔物には効かない。
全部で五匹いたらしい赤牙狼に見つかり交戦し、そこでアイスが間に合った。
赤牙狼は二匹ほどが倒れていて、三匹ほどが臨戦態勢である。
魔物の視線の先には、壁を背にして剣を抜いている男女の姿があった。ボロボロで血も流れている。所々噛まれたり爪で引っ掛けられたのだろう。
なんとか二人で耐え忍んできたが、限界は近かったようだ。
「こっちだ! まだなんとか生きて――あれっ」
乱入者に赤牙狼が振り返る間もなく、戦闘は終わっていた。
「――よくがんばったな」
残っていた三匹は、もう凍らせてある。
彫像のように固まっている赤牙狼の合間を縫って、アイスは傷だらけの二人に歩み寄った。
「「氷の乙女!?」」
気が抜けて剣を落とし片膝を着いた女と、その女に庇われて、足を使わず上半身だけで戦っていた男が、ここにいるはずのない有名人を前に声を揃えた。
「もう一人、連れがいるだろう」
と、アイスは二人の前で膝を着く。怪我の仔細を眺め、致命傷はないことを確認した。
「彼が赤の狼煙を上げた。だから救助に来た。運が良かったな」
風が強いと、遠目で狼煙が見えない時がある。その時は死んでいただろう。
「痛み止めを持ってきた。飲むといい。それが効いてきたら帰ろう」
氷の乙女は、他者の回復の手段を持たない。街に帰れば医者がいるのでそっちで対応してもらう。
「…………」
「…………」
助かった。
内心、もう半ば諦めていた二人は、どこか呆然としながらアイスの指示に従っている。
まだ実感が湧かないのかもしれない。
氷の戦乙女が、目の前にいることも含めて。
「げほっ、ごほっ」
粉末状の痛み止めを飲み、男がむせた。慌てて女が背中をさすり――ようやく実感が湧いてきたようだ。
「エクレ……」
「アモン……」
「エクレ……エクレ!」
「アモン!」
しばし見つめ合い、名前を呼び。ついに抱き合う二人。
「……」
イラッとするアイス。
「さっき約束したよな!? あれ、無効じゃないよな!? 無効じゃないからな!?」
「わかってる! わかってるから!」
なんだか約束めいたことを確認する二人。
「……」
イライラしてきたアイス。
「無事でしたか。……アイス様?」
ロープを使ってようやくやってきた、意味がわからないイリオ。
「――結婚しよう! 街に戻ったら、結婚しよう!」
「――うん! うん!」
「――貴様ら死ぅぐ」
「――やめなさい」
突然の告白劇。
反射的に呪いの言葉を吐こうとするアイス。
それを察して、素早く腹にパンチして止めるメイド。
「えっ!? お、俺も、エクレのこと、好…………へ、へえ!? おまえら両想いだったんだぁ!? 全然気づかなかったわー! ほら俺あれ、よ、夜の女の子とか好きだからぁー! 全然可愛くて無邪気さが売りのエクレとか全然興味なかったわー! おまえらそうなんだー!? へえー!?」
ちょうど結婚どうたら言っているところでやってきた、狼煙を上げた男の動揺が隠し切れない発言。
しかも二人は抱き合っていてまったく聞いていないし見てもいない。
もはや眼中にない。
ひどく悲しい想像が脳裏を過ぎる。
両想いであることを知らずそれとなく女の子にちょっかいを出す男。
二人きりになりたがっているのにそれに気づかず食事とか買い物とかに同行する男。
二人はうっすら両想いであることに気づいているけど、男に気を遣って邪険に扱えない状況が、きっと多々あったに違いない。
なんとも居た堪れない三人パーティーの悲劇を考えると、とてもじゃないが一緒にはいられない。
イリオはアイスを連れて、洞穴から出た。
「置いて帰っていいよな?」
「ダメです」
急いで駆けつけて川に飛び込んでやってきたと思えばイチャイチャを見せ付けられる始末。
アイスが少々殺気立つのもわからなくもないが、街に連れて帰るまでが救助である。
「…………」
洞穴に入ったすぐそこで、呆然としながら抱き合う二人を見詰める男は、もう空元気も出しつくしたようだ。抜け殻のようになっている。
「彼とは旨い酒が飲めそうだ」
「悲しい酒の間違いでしょ」
こんな時でも、メイドは遠慮も配慮もなかった。