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01.一日の始まりはミルクティーから





 氷の乙女アイスの朝は、一杯のミルクティーから始まる。


 ミルクの優しい味と、紅茶が持つかぐわしい香り。

 異なる二が完全なる一となる奇跡の出会いは、茶の歴史から見ても特筆すべき合縁であり奇縁であると言えるだろう。


 薄手のネグリジェをまとっただけのアイスは、ベッドから抜け出しそのまま庭先にあるテーブルに着くと、ミルクティーを楽しむ。


 今日も天気はよく、風も穏やかだ。


 後宮の片隅に作られたアイス用の家屋と土地は、場所柄のせいもあり、とても静かである。


 目に鮮やかな芝生が広がる庭と、ちょっとした花壇。

 土をいじる趣味はアイスにはないが、専属メイドが片手間に世話をしている花壇があり、なるほどあるとないとでは雰囲気がまるで違うと思う。

 もちろんあった方がいい。

 四季折々で表情を変える花々は、なんとも荒んだ心を楽しませてくれる。


「……ふう」


 いつもの安心する味。そして好ましい香り。自然と溜息がこぼれる。


「今日もいいな」


 傍に仕えているアイスの専属メイド・イリオが用意したものである。


「新聞です」


 ミルクティーの感想があり、それから新聞を貰う。

 まず一杯のミルクティーを楽しみながら新聞を読み、二杯目は朝食と。


 それがアイスの一日の始め方である。


「昨日の魔物討伐の記事が載っていますよ」


「いつも通りだな」


 この「新聞紙」というものができて、まだ歴史は浅い。


 異国で生まれた文化の一つで、この国ではまだまだテストケースの段階にある。

 一応は民間企業の仕事だが、しばらくは国のお目付け役が介入しているとかいないとか。


 それゆえ、軍事、政治、王族や貴族に抵触する内容を新聞に書くのは、禁止されている。


 情報の規制は多いが、それでも書くことはたくさんあるようで、二、三枚ほどのぺら紙に毎日書かれている記事は、巷の噂や事件、市場調査やイベント告知、求人広告などに占められている。


 中でも、二十一の戦乙女に関する記事は需要があるようで、出撃した翌日やインタビュー等が載った新聞は、よく売れるそうだ。


「よく描かれている」


 一面を使って、先日の魔物退治の一抹が丁寧に書かれている。


 異形の者――強さも形も多様性があるので、一括りに「魔物」としてあるが、それと四名の女たちが対峙する。ちなみにあれは中級悪魔の分類となる。


 臨場感を伝える絵が添えられていて、魔物もそうだが、個々の戦乙女の特徴もよく捉えられて描かれている。


 軽そうな革鎧に槍を持った小柄な少女は、最近戦乙女となったばかりの「槍の乙女ザッハトルテ」。


 今時の魔法使いには古すぎるが、だからこそそれがトレードマークとなっている、大きなつば広帽子を被り古風なローブをまとった「緑の乙女ロゼット」。


 仮面で顔を隠し、白いフードを被った修行僧の格好をしている「鉄の乙女テンシン」。


 そして自身の氷で作った騎士然とした鎧をまとい、しかし武器は持たない魔法騎士「氷の乙女アイス」。


 先日集ったのは四人である。


 躍動感たっぷりの記事に仕上がっている。

 特にアイス自身が最後を決めたところがカッコイイ。実際にあった出来事より五割増しくらいでよく描かれている気がする。


 ふと、アイスは考える。


「イリオ。今この世界にいる戦乙女は何人だ? 私の記憶が確かなら、十一人だったと思うが」


「ええと……そうですね。アイス様を除けば十一人ですね」


 つまり、十二人が現存することになる。


 それで、昨日の出撃は、四人。


 「柔の乙女ワラビモチ」辺りはよっぽどのことがない限り出て来ないので、一名は除外として。

 来なかった者は七人。

 その内、疑惑の「弓の乙女アプリコット」を省いて六人。


 ――臭い。やはり何やら臭い。


「弓の乙女アプリコットの噂はどうなっている? 真か?」


「ああ、長く音沙汰がないですからね……もしかするかもしれないとは言われていますね」


 メイドは、「なんの噂か」とか「なんの話だ」などと聞き返すことはない。

 どうせ恋愛事情のことだとわかりきっているから。


 アイスが接する人物は少ない。

 市井の様子は新聞から、そしてメイド仲間などの女同士の噂はイリオから仕入れるしかない状態にある。


 そしてこのメイドは、アイスが主語を除いても、だいたいの意図は察するほどには長い付き合いにある。

 明確な立場の違いはあるが、アイスにとっては、何でも話せる親友くらいの認識をしている。


 だが、実際のところ、半分は否だ。


 自覚がないだけで、最近のアイスの関心ごとの九割が恋愛(そっち)方面なので、わかりやすいだけである。


「でも仕方ないですよ。あの方、もう二十歳を過ぎていましたし。結婚するには遅いくらいでしたし」


 目の前に二十歳を四年も過ぎている女がいるのに、メイドの言葉には遠慮がないし配慮もない。


 ――落ち着け、私。


 アイスは自分に言い聞かせる。


 悪態の一つくらい吐いても絶対に罰は当たらないとは思うが、イリオの言動に遠慮と配慮がないのは、出会ってからずっとである。今更言うほどのことでもない。


 それより問題がある。


「昨日来なかった、他の者については?」


「そうですね……」


 イリオは虚空を睨む。


「キャラメリゼ様は一国のお姫様なので、許婚がいますよね」


 知っている。

 小癪な「剣の乙女キャラメリゼ」はとある国の姫君で、戦乙女になる前から婚約者がいる。相手はどこぞの国の王子様だ。

 しかも両想いとのこと。

 国ごと滅びればいいのに。


「ヘーゼルナッツ様には、非常に親しい幼馴染がいることは有名ですね。恐らく時期を見てそのまま行くでしょうね」


 知っている。

 小生意気な「鎧の乙女ヘーゼルナッツ」は、ただの村娘という出生から、同じ村の幼馴染と、こう、お互い……死ねばいい関係にあるそうだ。


「ヴァニラ様は聞きませんね。でもあの方はまだお若いので」


 知っている。

 憎き「葉の乙女ヴァニラ」は、まだ十六歳の小娘。焦る時にはいない。

 どうせ若さがあったところでロクなことをしないのだから「最近の若い者は……」なんて誰かに愚痴られる前に早く老いればいいのに。


「……アイス様、これ続けます?」


 向けられるイリオの視線が、遠慮も配慮もない、少々の侮蔑の色を見せている。


「何か問題が?」


「問題だらけですよ。顔に出てますよ。どうせ『国ごと滅びろ』とか『死ねばいい』とか『早く老いろ』とか思っていたんでしょう?」


 なぜわかる。

 いや、それもまたアレなのだ。


 顔を見るだけで考えていることが手に取るようにわかるほど、この関係が長く深いものになってしまっているということだ。


 そう、戦乙女となって、すっかり長い時が経っているということだ。


「何度も言っているじゃないですか。アイス様にも春は来ますから」


 にも。

 アイス様にも。


 本当に遠慮も配慮もないメイドである。

 些細だけどデリケートな部分に、無遠慮に踏み込んでくる。


「いつ来るのだ」


「そのうち来ますよ」


「その台詞を、十年ほど聞いている気がするのだが」


「正確には七年ですよ。ほら、前の槍の乙女が引退した時に」


「やめろ!!」


 アイスは声を荒げ、聞きたくない言葉を遮った。


 戦乙女は、巡る。


 巫女としての機能を果たせなくなると、戦乙女はその力をほぼ失う。


 つまり、男と接すると――恋人と一夜を過ごしたり、結婚などをしてしまうと、戦乙女は引退となるのだ。

 そしてその後、何ヶ月か、あるいは何年か後に、新しい次代の戦乙女が神に選ばれるのだ。


 つまり、戦乙女は巡る。

 世代交代を繰り返して。


 前の槍の乙女と、今の槍の乙女の世代交代をしっかり見守ったとか、そんなことは聞きたくない。


 もし自分があの時くらいに結婚していたり……いや、恋人などができたりしていたら、すでに「氷の乙女」も次代に継がれていたかもしれないなどと。


 そんな時の流れを感じるような話は、絶対に、聞きたくない。


 二十四にもなって異性とほぼ接触がないという事実が、本人的には普通に結婚して普通に家庭を持ちたいと思っていた理想と、決して噛み合ってくれない。

 噛み合わないどころかずれっぱなしだ。


 ミルクティーは奇跡の出会いを果たしているのに、自分は一切まじりっけなし。


「最近情緒が不安定ですよ」


「不安定にもなるだろう! 二十四(この歳)まで何もないのだぞ! 何も、一切何もだぞ! 大事な結婚適齢期が何事もなかったかのように過ぎたのだぞ! 風のようにすーっと素通りだぞ!」


 何一つ引っかかることがなく。

 本当に風のようにするりと、アイスの適齢期は過ぎていったのだ。


 巷では、女性が結婚する年齢は十五歳から二十歳前後までがよろしい、と言われている。新聞の市場調査にそう書いてあった。


 なのに。だのに。


「じゃあどうしたいんですか」


 いつもの愚痴が始まったな、とイリオは思いつつ、どうせ大したことは言わないだろうと高をくくって問う。


「……お、お付き合いしたい……それが無理なら手とか繋いで歩いてみたい……」


「うわ可愛い希望」


 思った以上に大したことを言わなかった。

 きっと異性に対する極度のチキンっぷりも、この歳まで大した青春がなかった理由だろう。


「二十四歳なら、もう少し踏み込んだことを望んでくださいよ」


「じゃあ……巷で噂の恋人握りで歩きたい?」


「ささやかですね。それくらいなら私がやってあげますよ」


「やめろ!!」


 アイスは再び声を荒げた。


「はじめては男の人とすると決めているのだ! そなたの出番はない!」


「…………」


 イリオの瞳に、ほの暗い光が宿る。


「どうしてそんな誘っているとしか思えないことを言うんですか? そんなことを言われたら、どうしてもしたくなるじゃないですか」


「な、なんだと……? おい……おい、来るな。それ以上近づくな。近っ……おい! なんとか言え! 無言で近づくな! 顔が怖い!」





 氷の乙女アイスの朝は、一杯のミルクティーから始まる。


 しかし、今朝のミルクティーは、なぜだかいつもよりちょっぴり切ない味がした。





「私もはじめてでしたけど、思ったより大したことなかったですね」


「……嫌がる私のはじめてを無理やり奪っておいて、なんていい草だ」


 今日もいつもの一日が始まる。






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