17.戦乙女の心の闇
毒紫雲。
その魔物は、一言で言うと「意志を持った毒霧」である。
いや、正確に言うと、意志はないのかもしれない。
強風に煽られ流されるように移動し、上空にいる時もあれば人の足元すれすれを漂っていることもある。
ただ一つ言えるのは、「効果的な攻撃方法」というものがまだ確立されていない厄介な敵である、ということだ。
まず、身体は霧である。
だから物理攻撃は効かない。
飛び道具なども普通に擦り抜ける。
というか、そもそも物理攻撃を仕掛ける前に、近づくだけで毒にやられてしまう。
更に「攻撃を仕掛けられた」と判断したら、毒紫雲は向かってくるのだ。
そしてしつこく追いかけてくる。
風向きによっては速度はだいぶ遅くなるが、厄介なのが「しつこい」ことだ。
かなり昔、どこぞの村の子供が毒紫雲にちょっかいを出して逃げて、村まで追いかけられた事件があったらしい。
打つ手がなく、結局村人全員が毒でやられた、という有名な逸話もある。
風船のような核を身体に持ち、毒の霧をまとっている、というのが大まかな生態である。
物理攻撃が偶然核に当たる確率も低ければ、広範囲をカバーする攻撃で狙うというのもありかもしれないが、そういった成功例のある撃退法でも絶対とは言い切れない。
たとえば、毒紫雲を薄い木の板で囲み、そこに火を放つだとか。
霧は細かな水分である。
理屈で考えれば、それで毒霧を蒸発させることもできたりする。
だが、それは一例だ。
毒紫雲は、色や見た目こそ、別の固体とあまり大差はないが、成分自体が違うケースが多々ある。
要するに、火気で爆発する型だったり、やたら火に強い型だったりする場合もある。
最悪な例で言えば、巨大な毒紫雲が空を舞い、毒の雨を降らせたというものもあるらしい。
総じてまとめると、かなり厄介な魔物だと言わざるを得ないのだ。
そんな毒紫霧は瞬殺された。
「……厄介だって本にはあったんですけど」
最近は魔物の勉強も始めた槍の乙女ザッハトルテは、「これは厄介ですよ」と言った傍から退治してくれた氷の乙女アイスを見る。
「相性の問題だな」
霧は水分である。
つまり、よく凍る。
今回の出動先は、どこかの平原だ。
見渡す限り広がる緑の絨毯は、なかなかさわやかである。
草を押しつぶして鎮座ましましている四角い氷、それに囚われた毒々しい色の毒紫雲は、まだ生きてはいるかもしれないが、このまま火山口にポイされる運命にある。
「だが厄介であることは確かだぞ。攻略法がまだ確立されていないからな」
アイスの瞬殺方法は、大部分の人が真似できないものだ。
毒の拡散を防ぐために一瞬で片を付けたが、できれば「この魔物にはこういう戦い方が有効」という様を見せたい。
戦乙女ではなく、特殊な力を持たない冒険者や兵士、騎士が取れる手段で。
汎用性が高く、知っていれば誰でもできる。
それこそが本当の攻略法というものだ。本当の倒し方というものだ。
あまりいい倒し方はしていないな、とアイスは思う。
そういう意味では、やはり「厄介」という言葉が相応しい。
「ロゼットさんの風でバラバラにするとかは?」
視線の先にいるロゼットは、毒紫雲を眺めていた顔をザッハトルテに向けた。
「あー無理無理。すぐ元に戻っちゃうの。どんなに細かく遠くに飛ばしてもね。つーかまずバラバラにするのがほぼ無理だしね」
霧状でありながら、まとまる力、あるいはまとう力は強いようで、どうしても本体ごと流れるのだ。
「じゃあ、火で燃やすとかは?」
今回は焔の乙女シュトーレンが来ていないので、答えたのは鉄の乙女テンシンだ。
「熱より発生する上昇気流で、飛ばされますね」
「あ、空気より軽いんですね」
熱せられた空気は軽くなり、上へ向かう。それに乗って毒紫雲も移動してしまうのだ。要するに「ちゃんと火を当てられない」のである。
「じゃあ、木の板で作った箱みたいなのに閉じ込めた上で焼けば?」
さすが元は文学少女。実戦経験も魔物への知識もまだあまりないはずだが、色々と思いつく。
同じ年齢の頃のアイスは、ただ武器を振り回すだけだったな、と自身を振り返った。
「毒紫雲の種類に寄るのだ。引火して爆発するタイプもいるらしくてな。むしろ『安易に火を近づけるな』という鉄則があるくらいだ」
「い、引火するんですか……」
だから厄介なのだ。
凍らせればいい、なんて言葉にすれば簡単だが、それをする方法はあまり存在しない。氷を使う魔法使いくらいしか思いつかない。
なんとか見つけることができれば、後進も助かるのだろうが……
まあ、それはそれとしてだ。
「ところで」と、テンシンが話題を変えた。
「アプリコットさんの続報は、誰か聞いていますか?」
今日の出動メンバーは四人。
アイス、ロゼット、ザッハトルテ、テンシンである。
「私はあれ以来会っていないが。ちょっとした不幸な事故に見舞われてほしい」
婚約を聞かされたあの日から時間が経っている。
さすがのアイスもようやく落ち着いてきた。落ち着いて事実を受け入れた。呪いの言葉を吐きながら。
「あ、私会ったよ。男見に行ったから」
さすが自由なロゼット。無遠慮に会いに行けるという性格が時々羨ましい。
「結婚式については、何か言っていましたか?」
「いや、そっちは何も聞いてないかな。旦那になる男のことばっか根掘り葉掘り聞いてきただけ」
それは気になる情報である。
正直アプリコットの結婚式より気になる。
だが、この手の話は脱線すると長くなる。今は本題を話すべきだ。
「どんな人でした?」
ザッハトルテはこの辺の空気がまだ読めないようだ。
「それはあとで」
テンシンがたしなめた。
「――お茶でも飲みながらゆっくり聞き出しましょう」
否、テンシンも気持ちは同じのようで、たしなめるどころかむしろ好物を後に回しただけだったようだ。
「ザッハトルテさんはどうですか? アプリコットさんと会いました?」
「あ、はい。あのドラゴン退治の後、挨拶しに会いに来ましたよ。短い付き合いになるかもしれないけどよろしくって言ってました。……そういえば式に関しては聞いてないですね」
つまり続報はなし、ということである。
「ある程度の日程や大まかに時期だけでもわかっていると、やりやすいんですが」
考えることは同じである。
「キャラメリゼもそう言って、先日私のところに来たぞ。結婚祝いの贈り物に悩んでいた」
「私もそれで悩んでいます。あとは日程の調整もしたいところですが」
王族としての公務もある剣の乙女キャラメリゼは非常に忙しい少女だが、テンシンもなんだかんだ忙しい女性である。
「あ、私の国ではご祝儀って言って、贈り物ではなくお金を包むんですけど。戦乙女は贈り物をするのが慣わしなんでしょうか?」
「いや、それぞれの国々のやり方でもいい。要は気持ちだからな」
何度も何度も、数えたくないくらい戦乙女の結婚式を経験しているアイスである。だいたいのことはわかっている。わかりたくもないが。
「お金ですか。楽でいいですね」
「うむ。漠然と贈り物と言われると、色々困るからな」
テンシンとアイス。年長組の苦労は深い。
ただ「年長の二人」ということで、規格外、あるいは予想を超えたサプライズまで求められるのである。
そう、贈り物一つ取っても「さすが戦乙女の年長組、選ぶ物が違う」と、誰もが言うような、そんな贈り物をしなければいけないというプレッシャー。
先日のキャラメリゼじゃないが、大金を出せば誰でも入手できそうな物を選ぶのは無粋だ。バカみたいに高い物を贈るというのも品がない。
お金で入手するのではなく。
あわよくば、それこそ戦乙女だから入手できたという感じも欲しい。
そんな要求を、一度ならず何度もこなしている二人である。
ネタ切れで困りがちになるのも致し方ないだろう。
「その辺の葉っぱでいいと思うんだけどなぁ、結婚式の贈り物なんて」
ロゼットの自由さも少しだけ羨ましい。でも葉っぱはダメだ。
「あまりごちゃごちゃ言う気はないが、アプリコットに恥を掻かせるようなことはするなよ」
「えー? だってさー」
ロゼットは眉を寄せる。
「黙って男作ってたとか地味に許せないんだけど。私結構仲良かったのにさ。アイス姉さんとこに大量のカエル投げ込んだり、断食中のテンシンの前で焼肉して食ってやったり、めちゃくちゃいっぱい一緒に遊んだ仲なのにさー。私にまで内緒にしとくかねー?」
…………
ごちゃごちゃ言いたいことはたくさんあるが、ロゼットの気持ちもわからなくはない。
友達だと思っていた相手が、大事なことは話さなかった。
気が付いたら婚約までしてて、それまで報せてくれなかった。
なかなか来るものがある。
アイスなどは喉元を過ぎてもう忘れたが、仲が良かったロゼットには、喉を通るには引っかかるほど衝撃が大きかったのだろう。
「――そんなものですよ」
仮面を着けたテンシンの表情は伺えないが、しかし声は非常に穏やかだった。
「女同士の友情なんて、そんなものです。ちょっと男ができたらすぐに壊れるような儚い代物なのです。あまり他人に期待をするものではありませんよ」
「…………」
「…………」
「…………」
若い子たちが黙り、アイスまで返答に困った。
「……あの……テンシン? 何かあったか?」
長い付き合いになるアイスでさえ、こんなテンシンは見たことがない。その……なんというか、若干の心の闇が見えるというか、なんというか。
「あったというか、なかったというか」
テンシンは後ろ手に手を組み、空を見上げた。
「私にも非常に仲が良くなった戦乙女がいました。かつてのロゼットさんとアプリコットさんのように。……いえ、もっと仲が良かったかもしれません」
アイスには何人か心当たりがあるが、明確に誰かはわからない。
昔からテンシンは優しく面倒見がよく高潔で徳の高い人物だ。
相性が悪そうな関係はあったが、彼女を嫌いになったという戦乙女を、アイスは知らない。
「ずっと一緒に戦乙女やろうね。信じたわけでもないですが、そんな約束もしましたね。無邪気なものです。何も知らずに」
そんなことを言い、「フッ」と鼻で笑い飛ばすテンシン。こんなに闇を感じるテンシン見たことない。
「その一週間後、彼女は婚約しましたけどね」
…………
「色々と引っかかるものはありましたが、それはそれでめでたいものと割り切り、私は結婚式に臨みました」
なんだか続きを聞くのが怖くなってきた。
ロゼット、ザッハトルテも、心なしか顔色が悪くなっている。
もしかしたら、アイスも同じような顔をしているかもしれない。
「結婚式で、彼女が私になんと言ったか、知りたいですか?」
「お疲れさんでーす!」
「さようなら! 今日はもう……えと、さよなら!」
若い子たちは、直ちに飛び立った。
これ以上聞くのはまずいと本能で察したのだろう。
正直アイスも逃げたかったが、この状態のテンシンを置いていくのも、かわいそうだと思ってしまった。
当時を思い出して暗黒面に突入している彼女を一人にしておけない。
「……アイスさんは聞きたいですか?」
「いや、あまり聞きたくはない」
この流れは、心をえぐる重い一撃が来そうだ。
そんなものを望んで貰いたいとは思わない。
「軽く言いましたよ。本当に軽く。そんな娘じゃなかったんですけどね。その一週間前は」
…………
本当に聞きたくない。
本当に聞きたくはない、が。
テンシン自身が吐き出したいように見えてしまった。
「……彼女はテンシンになんと言ったのだ?」
聞いてしまった。促してしまった。
「――ごっめーん。あの約束なしね。テンシンの分まで幸せになるねー♪」
「飲もう! 飲みに行くぞ! 今日はとことん付き合ってやる!」
アイスは有無を言わさずテンシンの腕を取り、光速移動で飛び去った。
もう飲むしかない。
もうこんなの飲むしかない。
もう飲まなきゃやってられない!
――放置された毒紫雲に気づいて戻ってくるのは、陽が傾きかけた頃である。