14.与り知らぬ裏舞台の攻防
「では、報告を」
歴々が並ぶテーブルの前で、一人立っているイリオは「はっ」と返事をし、この一週間の報告をする。
――グレティワール城のとある会議室には、この国の要人が集っていた。
国王クグロフ・グレティワールを筆頭に、参謀、事務官長と、なかなか年齢層の高い渋い顔ぶれである。
更に、今日は若い顔もある。
第一王子クロカン。
時期国王と定められ、そろそろ世代交代が行われるのではないかと噂されている、今最も注目すべき者だ。
国王譲りの知的な緑の瞳と、王妃譲りの茶に近い金髪を持つ青年である。当然というか言うまでもないというか、かなりの美形である。
「――」
イリオは簡潔に、この一週間の報告を終えた。
細かな言動まで言い出したら切りがないので、主な行動のみである。あとは細々聞かれたことに答えるだけ。
この報告の形式は、イリオがアイス付きの専属メイドになってから、ずっと続けられている。
政治不介入が鉄則の戦乙女だが、戦乙女はそうでも政治側は黙っていなかった。
この国で誕生した氷の戦乙女アイスを城へ迎え、本人の意志も聞かずアイスを盛り立てて国の顔にし、まあ色々と利益を生み出してきた。
氷の乙女にちなんだ特産品が出て、氷の乙女を描いた似顔絵が売られ、氷の乙女が参加するイベントを企画して参加料を募ったり。
もちろん移民もたくさんやってきたし、観光客も激増した。
宿はいつも旅行客で埋まり、特産品は今でもバカ売れし、国が認定していないグッズ、いわゆるパチモノも多く出回っている。
アイスの知らないところで、確実に、この国は戦乙女を利用して、少なくない利益を得ている。
まあ、アイス自身がそこは気にしていないようなので、なんとも言えないが。
しかしイリオはすっかり、汚い国のやり方を嫌悪し、高潔に職務を全うするアイスを主と考えている。
それとなくアイス寄りの立ち位置に移動して、この老獪な連中の策謀をのらりくらりとかわしていたりする。
「特筆すべき点はなし、か」
重い口調で、国王が溜息を吐いた。
「旅行のようなものはやめさせられんのか?」
アイスはちょいちょい外泊している。もちろんイリオが常に付いている状態で、だが。
「私からは何とも。立場上、あの方の行動を止める権限はありませんので」
もし説得なんてしたら、アイスが城に縛られるだけだ。
顔も名前も売れているアイスは、この国の城下町には出られない身となっている。過去、大騒ぎになったこともあるので、本人ももう出ようとは思わない。
最低限の自由だけは許さないと、さすがにアイスが可愛そうだ。
彼女への規制は、緩いようでかなり多いのだから。
「あまりよそを出歩いて欲しくはないですな」
事務官長の冷めた視線が、イリオを見据える。
「特定の男性の影は?」
「ありません」
本人は死ぬほど渇望はしているが、生憎そういう相手はまだいない。
「結構」
結構じゃないだろ、とイリオは思う。
「よそを出歩く」と、男性との出会いの可能性が発生する。
事務官長の言は、突き詰めれば「城に幽閉してでも行動範囲を制限したい」と言っている。
これまでにアイスが恋愛らしい恋愛をしてこなかったのも、そもそも異性が近くに寄らなかったのも、八割方はこのジジイどもの策略である。
残り二割は、アイス自身の運気と相性だ。
今の本人に言うと泣きそうだが、確かにアイスには美人特有の近寄りがたい雰囲気はあるから。
「して、この上申だが」
要人ゆえに忙しいので、この報告会もすぐに終わるのだが。
今日はまだ話すべきことがある。
「アイスに出会いの場を与えろとは、どういう意味か?」
一国の王の眼力に晒されても、イリオは微塵も揺らがなかった。
「言葉通りの意味です」
この要人たちと対面するのも十年ほどの付き合いになっている。今更遠慮をする気はない。
「昨今のあの方は、異性と出会いたい、結婚したいと口癖のように言っています。規制も限界に達していると判断します」
カッと眉を吊り上げたのは、参謀である。
「それをどうにかするのが貴様の仕事だろう。常に傍にいてそんなこともできんのか」
最初――様々な訓練を積んではいたがただの小娘だった十年前なら、驚きも怖がりもしたかもしれない。
「私はただのメイドです。過ぎた言葉を述べる立場にありません」
しかし今のイリオは、色々な意味で肝が据わった。
「直接お話されては? あの方は貴方を嫌っていますが、それが理に適う話だと判断すれば聞き入れると思いますよ」
「……フン」
拘束と支配と抑制。
かつてはあらゆる意味で氷の乙女を国に縛ろうとした参謀を、アイスは非常に嫌っている。
いや、実際には、避けている。
知略戦では参謀に勝てないと踏んだアイスは、立場や責任というもので雁字搦めにされる前に逃げの手を打った、というのが真相である。
戦乙女となり城に招かれたあの頃。
単純な戦闘なら最初から強かったアイスだが、政治だのなんだのを絡められる謀には明るくなかった。
むしろ、縛られる前に逃げるという手段を選んだ当事のアイスは、恐ろしく賢明だったと言える。
十代の少女が、自分を囲む大人たちの都合に流されず、自分の意志を通した。
それが今のアイスに繋がっているのだ。
御しがたく近寄りづらい。
下手に近づけば城から出て行く。
お偉方にそう思わせた分だけ、逆に知略戦では勝っていたのかもしれない。
「いいかな」
ジジイどもの勝手な小言が消えた時、第一王子クロカンがようやくと口を開いた。
「その上申の内容は、本当だと思っていいんだよね?」
柔らかく、少しのんびりした口調。
なるほど「優しい王子様」と城内で伝え聞く噂と、変わりないようだ。
まあ、曲者っぽい感じはするが。
見た目ほど生易しくはないだろう。
「私は、アイス殿を側室に迎える準備がある」
なんだと。
イリオは動揺し、わずかに目を見開く。
最近では生半可な圧力では眉一つ動かないほどの胆力を見せ付けていたが、さすがにこれには驚いた。
更に驚いたのは、要人たちがそれに関して何も言わないことだ。
――つまりこれは、国の決定でもある。
「誤解が無いように言っておくが、私は初めて会った時から彼女に惚れている」
またしても驚かされてしまった。
初めて会った時?
恐らく十年前、城に招かれた時か。
「だが私には、生まれた時から婚約者がいる。その人のことはどうしようもない。本来ならアイス殿を正妻に迎えたいが、それは無理なんだ」
それはそうだろう。
噂に聞いたが、クロカン王子の婚約者はどこぞの国のお姫様だ。もちろん剣の乙女キャラメリゼではない。
「アイス殿の現状は、扱いがとても難しい。
下級騎士の娘で、現在はあくまでも立場は下級騎士扱いとして城に住んでもらい、時々先日のようにドラゴンの部位を献上してくれる。
最後のだけ取っても王宮騎士並の功績だね。それを何度もこなしている。
彼女の身分自体はあまり高くないが、その人気と実績は、どんな上位貴族よりも上だ。
なんなら王族を含めても、彼女には敵わないだろう。
そんな彼女を娶る男……果たして誰が相応しいと思う? その辺の一般人と結ばれた場合、世間的にそれが許されると思うかい?」
確かに難しいところだ。
アイスの人気は国内に留まらず、世界中に広まっている。
そんな彼女の結婚相手となると……もしかしたら、王の側室というのは、妥当なのかもしれない、とは思うが。
「私の側室でもいいが」
おい国王。
どさくさに紛れて何を言う。最近も側室同士のケンカに巻き込まれてヒゲむしられたってみんな知ってるぞ。
と、イリオは内心ツッコミを入れた。
「私の甥にもちょうどいい独身がいるが」
おい事務官長。
おまえの家系の甥は四十過ぎの脂ぎったおっさんしかいないだろう。先の立食パーティーでから揚げばっか食ってたのみんな見てたぞ。何個食うんだって賭けまでしてたぞ。
と、イリオはあの光景を思い出してはなんだか胸焼けまでしてきた。
「……娘に、男の格好をさせるが?」
おい参謀。
妥当な身内がいないなら無理に参加するな。娘がかわいそうだろう。
と、イリオはシンプルに思った。
とりあえず外野の年寄りたちは無視するとして、王子には言わなければいないことがある。
そう、根本的な問題だ。
「あの」
イリオは少し迷ったが、どうせ言わなければならないので、言うことにした。
「アイス様は、浮気と愛人と側室は、ダメみたいです」
「「えっ」」
イリオの発言は、年寄りと王子には、本当に寝耳に水だったようだ。
「なぜだ!? そんなに悪いものではないぞ!?」
国王がそんなことを言うが、それは男性の意見であって女性の意見ではない。
いや、そもそもを言うならだ。
「あの方が住んでいるのは、後宮のはずれですから。後宮界隈の話はすごくよく入ってくるんです」
王を見るメイドの目に、かすかな侮蔑の色が灯る。
「王様が女関係で揉めるのも、全部耳に入っているんです。多感な十代半ばの頃から、これまで、ずっと」
「……」
「すすり泣く女性の声も良く聞こえる静かな場所なんですよね。そのせいか、若い頃のアイス様は、少々男性不信の気が」
「わかったもういい。もうやめてくれ」
さすがに耐えかねたようだ。
イリオどころか、この場の全員が国王に対して軽蔑の視線を向けていることを察したのだ。
ちなみに国王クグロフは、御歳六十を過ぎる今でさえ、なかなかの渋い男の魅力を放っている。
今でも非常にモテる。
若い頃などとんでもなかった。
そして女性に甘い。
ゆえに、周りの女性は泣き、揉めるのだ。
自分の方だけ見ていてくれないから。
ただ、王としてはそれも間違いではないのだろう。側室は六人いて、子供もたくさんいる。血を継ぐ役目はちゃんと果たしている。
必要以上に女は泣かせているが。
「……」
そして王子の落ち込み様。
テーブルに両肘をついて、頭を抱えていた。
どうやら本当にアイスを好いていて、本当に側室に迎えたかったらしい。落ち込み方が本気すぎる。
「おい」
クグロフ王が目を逸らし、クロカン王子が頭を抱え、事務官長がこの様子を書き留めているという沈黙の中、参謀が声を潜めて言った。
「私の娘なら空いてるぞ」
なぜそれでイケると思うのか。
普段は頭の良い人なのに、時々バカなことを言うのはなんなのか。
「上の娘二人は結婚していますよね? つまり勧めているのは一番下の娘ということですよね? 一番下の娘さん、まだ八歳ですよね?」
イリオはきっぱりと言っておいた。
「二十四歳の女が八歳の女児に結婚を申し込むって、どう思います? 醜怪の極みだと思いませんか?」
前にも似たようなことを言ったな、と思いつつ。
いつもより起伏があったが。
終わってみればいつもの平坦だった報告会が終わり、イリオはとっととアイスの下へ戻るのだった。