7 ユグドラシル攻略(前編)
「くそっ! なんだよあのボス! 絶対バランス調整ミスってんだろうが!」
「ううむ……。確かに予想を遥かに上回る難敵だな、あれは」
ゲーム内に閉じ込められてから、早7日が過ぎようとしていた。
その間俺達4人は、何度となくユグドラシルへの挑戦を繰り返していたが、その度に見事に返り討ちに遭っていた。
「やっぱ4人じゃ流石に厳しいって事なんだろうな……」
今俺達が挑戦しているユグドラビリンスは、現在のラグナエンド・オンラインにおける最難関コンテンツだ。
である以上、本来ならばパーティの定員である5人で挑む事を前提とした難易度調整が行われていると推測される。
対して、俺達の人数はというと定員よりも1人少ない。
ただ、これまで戦った感触的に、仲間が1人増えればそれで倒せる程、生易しい相手では無かったが。
「それに、今更人を集める事は出来ないであろうな……」
この7日の間で、外部からの救助によって、多くのプレイヤー達がゲーム内から無事ログアウトを済ませていた。
救助の手が届かない連中であっても、そのほとんどが、ネオユニヴァースに備えられた安全機構によって強制ログアウトされている。
まだこの世界に居残っているのは、数少ないSDI持ちのプレイヤーだけだと思われる。
そんな訳で、もはや人員補給は絶望的な状況なのだ。
不幸というべきか幸運というべきか、俺達4人にはまだ救助の手が及んでおらず、まだユグドラビリンスの攻略を継続できている。
だが、それももう時間の問題であるのは間違いなく、このままだと遠からず強制ログアウトする事になる。――ユグドラシルを撃破する事が叶わないまま。
そういった事情から、俺達は焦燥感に駆られていた。
「くそっ、何か新しい情報は?」
「ダメ。何も無い」
ゲームに閉じ込められた当初は、俺達同様に攻略に意気込むパーティは、それなりの数存在していた。
だが、ユグドラシルの理不尽な強さを前に、徐々に攻略を諦めるプレイヤーの数が増えていく。
加えて、強制ログアウト処置によってログアウトするプレイヤーが続出した事で、多くのパーティが崩壊する事態に陥っていた。
そして今、もはや俺達以外にユグドラシルに挑戦するプレイヤーの存在が見当たらない程に、この世界は閑散としている。
「ふむ。状況はもはや最悪と言ってもいいな」
そんなネガティブな言葉を口にするネージュであったが、その割に表情に曇りは一切見られない。
むしろやる気で満ち溢れているようにすら見える。
「……だが、だからこそやりがいがあるというモノだろう。誰も攻略に成功していない高難易度のダンジョンを、たった4人でクリアする。その時我々に向けられる羨望と嫉妬が入り混じった視線を想像してみるといい。ああ、なんと心地良い事か……」
綺麗な表情で瞳を輝かせながら、そんな私欲に塗れた発言を堂々と宣うネージュ。
……ホントコイツ良い性格してるよな。
なまじ、口調や態度がマトモなせいで、イマイチ奴のキャラが掴みきれていない。
「んだな! 俺様の実力を世界中に知らしめる絶好のチャンスって訳だ。よっしゃー! なんだか燃えてきたぜ!」
そんなネージュの発言に対し、あっさり同意して見せる辺り、ルクスが心に抱える闇が垣間見える一幕だ。
奴の口調や発言の表層だけ掬い取れば、ただの猪突猛進馬鹿なのだが、何気に案外思慮深く、時折繊細な一面を覗かせる事もある。
その程度の事が分かるくらいには、この7日間で彼らとの仲が深まっていた。
「やれやれ単純な事で。まあ、俺もその単純さに乗っかってやるとするか」
とはいえ、俺にも彼らの思いが理解出来ない訳ではない。
いやむしろ、共感すら覚えている。
「問題無い。高いハードルは乗り越えてこそ」
唯一、ヴァイスからはそういった仄暗い感情の発露は見受けられなかったが、攻略を続行する事について別段異論がある訳でも無さそうだ。
「では、ダンジョン攻略を再開するとしようか」
パーティ全員の同意が得られた事でネージュがそう宣言し、再び俺達はユグドラビリンスへと向かうのだった。
◆
「いつもの通り、HPが全回復するまでは回避に専念してくれ給え!」
「了解!」
幻獣ユグドラシルが初手で放つ即死級のスキル〈アクシス・ムンディ〉を各種バフの効果の重ね掛けによって凌いだ俺達。
そして今俺達の眼前には、俯き無防備な姿を晒したまま動かないユグドラシルの姿が映る。
だが残念ながらその隙を突く事は叶わない。
そうするのは、別に無防備な敵を殴るのは趣味じゃないだとか、センチメンタルな理由からではない。
単にここで下手に攻撃を仕掛けて、ユグドラシルのHPを削り過ぎれば一気に状況が悪化する事を、これまでの経験で嫌という程理解しているからなのだ。
「ったく、コイツの行動パターンを設定した奴は、絶対性格悪いな」
ユグドラシルは、全部で5本のHPゲージを有している。
そして、1本ゲージを失う毎に、その行動パターンを変化させる為、その度にプレイヤーも対応した動きを取る必要がある。
その事自体も勿論厄介ではあるのだが、それ以上に俺達を悩ませるのは、ゲージの移り変わりと同時にユグドラシルが使うスキルであった。
「よし、全員のHPが回復したようだな。ではそろそろ攻撃に移るとしようか」
全員が武器を構えるが、それを見計らったようなタイミングで、ユグドラシルもまた俯いた顔を上げて俺達へと視線を向けてくる。
「ちっ、やっぱ楽はさせて貰えないみたいだな」
ユグドラシルの巨体から太い木の根が鞭のように飛び出し、俺達へと襲い掛かって来る。
「そのようだな。だがこの程度は問題では無い。ヴァイス君、いつも通り頼んだぞ」
「ん」
俺達がその場で回避に専念している中、唯一ヴァイスだけがユグドラシル目掛けて一目散に走り出す。
させいまいと妨害の木の根が断続的にヴァイスへと襲い掛かるが、巧みなフットワークで躱し、時に盾で弾きながら、ユグドラシルへと接近していく。
「〈フレイムアセンション〉」
ユグドラシルの正面に立ったヴァイスが四方を払う如く、回転しながら大きく剣を振るう。
すると振るわれた剣先から轟々と燃え盛る炎が噴出していき、それは意思を持ったかのようにしてユグドラシルへと襲い掛かる。
『アアアア』
神々しい炎に包まれたユグドラシルは、悲し気な叫び声を上げた後、ゆっくりとした動きでヴァイスへと視線を向ける。
樹木であるユグドラシルに対して、炎による攻撃は一見弱点を突いた効果的な攻撃のようにも思えるが、残念ながらユグドラシルの属性は土。
なので火属性の攻撃では、見た目に反して別段ダメージが上乗せされるような事態にはならなかった。
だが、この炎のスキルの真の目的は、ユグドラシルにダメージを与える事では無い。
「直撃入った」
「良くやってくれた。では、こちらも動くとしようか」
ミカエルのスキル〈フレイムアセンション〉は、敵に炎によるダメージを与えると共に、ヘイト値を大幅に稼いでくれる。
◆
〈フレイムアセンション〉
神の炎によって周囲の敵を焼き払う。 範囲(中)、ヘイト値上昇(大)、CT15秒、倍率600%
◆
ラグナエンド・オンラインにおける敵のターゲットの選定基準は至って単純だ。
最もヘイト値、すなわち敵対心の高い相手に対して、優先的に攻撃を仕掛けて来るのだ。
SSRアバターが持つスキルだけあって、〈フレイムアセンション〉のヘイト値を稼ぐ能力は群を抜いている。その為、アタッカーが余程考え無しに攻撃を仕掛けたりしない限り、ヴァイスからターゲットが奪い取る事態はそうそう起こり得ない。
こうして、ユグドラシルのターゲットはあっと言う間にヴァイスへと固定され、他3人が安全に攻撃を行える環境が整う。
ゲージをまだ1本も減らしていない状況下でのユグドラシルの攻撃は、木の根による単体攻撃のみである為、ヴァイス以外がダメージを受ける可能性はほぼ皆無だ。
そして、ターゲットを一手に引き受けたヴァイスはというと、その手に構えた大盾で難なくその攻撃を捌いてみせる。
その後ろ姿からは全く不安が感じられず、とても頼もしく思える。
「おらおら行くぜー!」
準備が整った事で、まず動いたのはルクスであった。
ルクスが扱うアバター"トリスタン"が持つアクションスキルの一つに〈パーフェクトスナイプ〉というスキルが存在する。
◆
〈パーフェクトスナイプ〉
必中の風の矢による一撃。敵防御DOWN(大)、クリティカル率(大)、CT20秒、倍率2500%、持続20秒
◆
これは高い攻撃倍率とクリティカル率によって、敵単体対してに大ダメージを与えるスキルであるが、その真髄は威力では無くもっと別の所にあった。
それは敵の防御力を大きく引き下げるデバフ効果の存在だ。
その効果は絶大であり、このデバフの有無でパーティ全体のDPS(ダメージパーセコンド:秒間火力)が大きく変化する程だ。
「うっし! デバフ入ったぜぇ!」
「うむ、こちらでも確認した。では行くとしようか」
ヴァイスがユグドラシルの攻撃を引き付け、その隙に残った俺達3人が攻撃を行う。
ボスだけあってユグドラシルの硬さは相当なモノであったが、各種バフやデバフの効果もありジリジリとそのHPを擦り減らしていく。
「そろそろゲージが移る! ヴァイス君は一旦下がり給え!」
「了解」
ダメ押しとばかりに〈フレイムアセンション〉を打ち込みヘイトを稼いだ後、ヴァイスは重装備に見合わない軽快なバックステップで一気に俺達の下へと後退していく。
「イツキ君!」
「分かってる!」
ヴァイスが帰還したのを確認した俺は〈ホワイトプロミネンス〉を放つ。
それが決め手となり、ついにユグドラシルのHPゲージが1本失われた。
『アアアアアーー』
HPゲージを1本失ったせいか、悲鳴のような声を上げてその活動を停止するユグドラシル。
一見チャンスにも見える大きな隙に対し、俺達は武器を構え、その場で警戒を続ける。
「皆、来るぞ。構えろ!」
先頭のヴァイスが〈神の啓示〉を使用してから大盾を構える。その後ろに隠れながら、俺達もまた同様に防御姿勢を取る。
これら一連の行動は全て、この後にユグドラシルが放つ攻撃に備える為のモノだ。
そうしているうちに、ユグドラシルが顔を上げ、その両手を大きく掲げる。
そう、最初に受けたあのスキルを再び放つのだ。
『〈アクシス・ムンディ〉』
この戦闘2度目となる大技が俺達を襲う。
地面が大きく鳴動し、それに遅れて衝撃で吹き飛ばされる。
結果、かなりのダメージを負う事になったが、俺を死に追いやるには生憎と全然足りていなかった。
「ったく、てめぇの技もいい加減見飽きたぜ!」
大技を使い終わり、再び俯むくユグドラシルに対し、そんな軽口を叩くルクス。
かくいう俺も、前回より明らかに多いHP残量を前に、少しだけ心に余裕が生まれている。
「さてと、これで第2関門は突破という事になるかな?」
状況確認を終えたネージュが、確認するようにそう呟く。
「ふむ。前回よりも随分とHPに余裕が出来たな。やはり、デバフの力は偉大だな」
何か行動する暇も無く放たれた最初の〈アクシス・ムンディ〉とは異なり、今回は事前にユグドラシルに対し幾つもののデバフを付与する事で、こちらが受けるダメージを軽減するのに成功していた。
「いやいや、あんま余裕ぶってられるHP残量じゃないぞ?」
緩みかけた皆の気を引き締めるべく俺はそう言う。同時に〈ソーラーファーネス〉を使用し、傷を癒していく。
その姿は正に下界に降りた女神そのもの、などと独り心の内で自画自賛をしてみたり。
ああ、今のソルの姿。後で絶対見直そう。
「この回復量はやはり素晴らしいな。流石はSSRだ」
「だろ? やっぱソルちゃんは最高だぜ! 皆もそう思うだろ?」
「あ、ああ。そうだな」
俺は純粋にソルを褒め称えていただけのつもりだったが、対するネージュの反応は、なぜか少し微妙な感じだった。
もしかしたら、唯一ソルのアバターだけを入手出来なかった事を気にしているのかもしれない。
少し配慮が足りなかったかな? と俺は反省する。
「さて、この隙にじっくり態勢を立て直すとしよう」
大技を放ったせいか、今の所ユグドラシルに動く気配は見られない。
お蔭で俺達は、存分に回復に専念する事が出来た。
「よっしゃー。HP全快だぜ!」
「だが、あちらもそろそろ動き出すようだ」
回復スキルによって全員のHPが満タンになったのと時を同じくして、ユグドラシルにも活動再開の兆しが見える始める。
「さて。ここまでは順調だ。そして敵HPゲージが残り1本を切るまでは、それは恐らく変わらないだろう」
「ああ。要するに問題は、そっから先って言いたいんだろう?」
そんな俺の問いに、ネージュは無言で頷きを返してくる。
これまで何度と重ねた挑戦の中で俺達は、ユグドラシルのHPゲージを残り1本以下まで削る事に成功していた。
しかし、残り1ゲージを下回ったユグドラシルの猛攻は凄まじく、結果何度となく全滅の憂き目に遭わされていたのだ。
「基本方針としては、奴の残りHPが1ゲージを切る直前で一端攻撃を止めて、スキルのクールタイムやHPなどの回復を待ってから一斉攻撃となる」
それ自体は至極妥当な戦略ではあったが、火力が足りていないのか、それだけではユグドラシルを倒すには至らない事は、これまでの挑戦で既に判明している。
「そこで鍵となるのが、イツキ君だ。……どうかな、行けそうだろうか?」
その対策を俺達は準備してきた。
その要となるのは、俺なのである。
「へっ、うちのソルちゃんは素敵に無敵に最強だからな! 任せとけ!」
そう軽く請け負うが、実際の所はぶっつけ本番であり、本心では自信など欠片すら存在し無い。
だが、そんな事を言ってもテンションを下げるだけである以上、俺は必死に虚勢を張る。
「うむ、頼んだぞ。さて我々もイツキ君の足を引っ張らぬように、頑張らないとな」
「おい、おしゃべりはそこまでだ。いよいよ奴が動き出したぜ」
ルクスの言葉通り、ユグドラシルが活動再開の兆しを見せている。
それに対処すべく俺達もまた行動を開始する。
ユグドラシルとの戦闘は、こうして新たな局面へと移行するのだった。