10 ロゴス
「あれって敵でいいのよね?」
世界同士の接触点である歪みの前に立つ人影。確実に俺達の行く手を阻む存在だろう。
『恐らくは……。ただ相手の正体については全く予測はつきませんが』
絶対に妨害はあると思っていたので、その事自体に特別驚きはない。ここまでの道中が平穏過ぎたのでむしろ安心したくらいだ。
「せめて俺達でどうにかなる相手にしてくれよ」
なんだかんだと言いつつも、このゲームで絶対にどうにもならない敵とは幸いにも遭遇した事は一度も無い。その辺については流石の久世創もちゃんと考えているのだろう。まあ無理ゲーではなくとも鬼畜難易度な事ばかりではあったが。
ただ今回は少々事情が異なる。というのも久世創とは無関係である可能性も考えられるからだ。なんといっても奴はもう既に死んでしまっている訳だし。
『その心配はないかと、システム上、絶対に倒し得ない敵などは存在出来ないように制限されておりますので』
「ふむ。だが今の我らの戦力だけで倒せない敵ならば、十分に有り得るのだろう?」
『ええ、それはまあ。最悪の場合は、一般のプレイヤーからも援軍を募るほかないでしょうね』
事情を出来るだけ伏せつつ、尚助けてくれる連中が果たしてどれだけいるか。まあ、どうあってもセカンドアースへのルートを確保するのが最優先事項である以上、リスクを許容してでも人集めをするしかないのだが。もっともあまり気が乗らないのも事実であったので、出来れば俺達だけでカタがつくに越したことは無いのだが。
「とかなんとか言ってるうちに、もうすぐね。そろそろ姿がハッキリ見えそうよ」
もうちょい近づけば、その正体が判明する。必然、俺達の歩く速度も加速する。
「どれどれ……。って、おいあれ……」
「ええっ、なんでアイツがいるのよ!?」
そして姿が判別できる位置まで近づいた時に俺達の眼に映ったのは、見覚えのある姿であった。
「……これはどういう事なのだ?」
本来有り得ない事態を前に、ルシファーへと詰問の視線を送るネージュ。
『……分かりません。ただ一つだけ確かなのは、久世創の肉体は確実に死んでおり、既に火葬済みと言う事です。これは女神様が何重にも確認を取った事ですので、まず間違いありません』
「じゃあ、あの中身は誰なんだよ? あれって確か久世創専用アバターじゃなかったのか?」
そう。その人影の姿は、ミュトスの黒バージョンとも言えるLRアバターの姿をしていた。
『……少なくともわたくし達はそう認識しております、としかお答えできませんね』
久世創が死んだ今、使用者が居なくなったはずのアバターがなぜかそこには立っていた。
「はぁ、ここでウダウダ悩んでいてもしょうがないんじゃない? 直接問い質せば済む事だわ」
とても疲れたような表情を浮かべながらルクスがそう提言する。
「……そうだな。それが一番手っ取り早いか」
いくらもっともらしい推論を行ったとして、どの道確認を取る必要はあるのだ。だったら最初から本人に直接問い質した方が手間が無いのも事実だろう。
「なぁ、中身がスコルハティ、なんて可能性は無いのか?」
ただ唯一の懸念事項は、その中身が人間あるいはAIでない場合だ。
『遺憾な事に、その可能性は否定出来ませんね。彼らの技術力ならば可能な事は確かでしょう。ただ久世創と彼らとの約定の中には、こちらが用意したアバター以外でのこの世界への接触は控えるというものがあります。意味無くそれを破るとも思えないのですが……』
逆に言ってしまえば、何らかの理由さえあれば平気で約束を破りかねない連中という事なのだろう。だからかルシファーの語る言葉には勢いが無い。
「まっ、それも本人に聞いてみれば全部分かる話だ。ただ一つ疑問がある。もしスコルハティだった場合、その接触に際して注意事項とかは存在するのか?」
未知との遭遇には、往々にして思いもよらない落とし穴が存在するものだ。ここは先達に習うべきだろう。
『いえ、それは特に何も。普段通りに話せば宜しいかと。良くも悪くも彼らはこちらがどのような態度を取ろうとも、別段頓着しないものと思われます』
詰まるところ、それは本当の意味での意思疎通が出来ていない事に他ならない。
「はぁ、まあ了解した。……さてと、そろそろ向こうも待ちくたびれていそうだし、行くとしますか」
ロゴスのアバターを纏った何者かは、俺達がこうして話している間、そこから一歩も動いていない。中身が人間でなければ、特に気にする必要も無いのだろうが、もしそうだった場合はあんまり待たせても可哀想だろう。
「そうね。中身が何者なのかさっさと知りたいし」
『そうですね。どうにも今のように重要情報が不確定な状況は、気が休まりませんしね』
『んだなぁ。正直、俺様も結構気になるんだよな。中身は人間かAIか、それとも神様か? ってな』
彼らミュトス配下のAIにとって、全然予測がつかない事項などそうは無いのだろう。だからルシファーはその事に非常に不安を感じた様子を見せている。ただ一方でサタンはというと、どうもワクワクした表情を隠せないでいる。
同じミュトス分体とはいえ、キャラクター設定が違う事でこうもその反応が異なるとなれば、やはり彼女達を個々の存在として考えてしまうのはもはや不可抗力と言っていいだろう。
「うむ。では向かうとしようか。各々警戒は密に頼むぞ。いきなり攻撃を仕掛けられる可能性も無くはないのだからな」
中身がスコルハティだった場合は、それもあまり意味を為さない気がするが、そうでない場合の事も考えれば警戒を怠るべきではないだろう。
◆
警戒をしながらゆっくりと橋を進んでいき、ついに歪みの近くまでやって来た俺達一行。幸いにしてそこに至るまでの間、ロゴスのアバターは変わらず動くことは無かった。
そしてついに、俺達はその目の前に立つ。
「さて、まずはお聞かせ願おうか。君は一体何者だ?」
「そうよ、名乗りなさいよ!」
「もしかしてお前がスコルハティなのか?」
俺達はロゴスのアバターへと口々に疑問を投げかける。プレイヤーネームを示す欄は、空白となっておりその正体は外側からはやはり分からないのだ。
『ロゴスのアバターは久世創以外には扱えないはず。ですが久世創は死にました。ならば貴方は一体何者なのです?』
目の前のアバターは、俺達全員を見回した後、ゆっくりとその口を開く。
「一つ訂正を。ロゴスの使用要件を満たす人間は一人だけではない」
「なるほど、その内の1人が君という訳か?」
ネージュの問いにロゴスのアバターがコクリと頷く。
『有り得ません! あのアバターの使用には、久世創もしくはその直系の子孫で無ければなりません。ですがあの方には子供はいなかったはずです! なれば実質的には久世創専用に他なりません!』
だがその言葉に対し、ルシファーが否定の言葉を叫ぶ。
「それは正しい認識。けれど少し足りない」
『……足りないとはどういう意味でしょう?』
ルシファーが全く訳が分からないといった様子で問い返す。
「ねぇ、私多分あの中身が誰か分かっちゃったんだけど」
「ああ、俺もだよ……」
「うむ」
「なんだか心配して損した気分ね。いや元気だったんなら、それに越した事はないんだけどさ」
連絡が取れず心配でやきもきしていた中での突然の再会だ。なんとなくやるせない気持ちになるのは俺にも理解出来る。
『……何を言っているのですか、皆様? あの者の正体について何か心当たりでもあるのですか?』
なんか俺達が分かっていて、こいつらがサッパリな状況は多分初めてなので、ちょっと愉快な気分だ。本当ならばこのネタをもっと引っ張って遊びたい所だったが、流石に今はそんな事をやっている場合じゃないだろう。
「なぁ、ヴァイス。俺達にももっと事情を分かり易く説明してくれよ」
俺はロゴスのアバターへと向けて、そう言い放つ。
「……何故ボクだと分かったの?」
だが向こうは正体がバレてないなどと思っていたらしく、驚愕の表情を浮かべる。
「そんなん喋り方から一発だろうが。一体どれだけ一緒に過ごしたと思ってるんだ」
単純な期間はそれ程でなくとも、一つ屋根の下で暮らし寝ている時以外ほぼ一日中同じゲームをしていたのだ。その密度は異常なまでに濃い。いくら声や姿が違っても簡単に分かってしまうのだ。
『あの……どういう事なのですか? ロゴスのアバターの中身がヴァイスさん……なのですか?』
『おいおい、どういう事だよ? あれは久世創の姪っ子だろうが。それじゃロゴスの使用要件を満たせねぇのは変わんねぇぜ?』
だがルシファー達はそこまでの付き合いでは無い為、分からなかったようだ。加えて本来ならヴァイスがロゴスの使用要件から外れている事もあり、想定から完全に除外してしまっていたようだ。
「その辺の細かい事情については、俺達にだって分からないさ。てなわけで教えてくれるかヴァイス?」
「了解した。ボクの母、天河葉月と叔父さん――久世創は双子の姉弟」
それだけ言って再び沈黙するロゴス――もといヴァイス。
『え、ええ。それは存じています。ですが双子と言っても男女な訳ですから、2卵生な訳でしょう? その遺伝子には違いがある訳で、ヴァイスさんが使用要件を満たす事にはならないのでは?』
「違う。2人は1卵生の双子」
「……どういう事なの? 1卵生の双子って絶対に同性になるんじゃなかったっけ?」
俺もルクスと同じ認識だ。意味が良く分からないが、今はヴァイスの話の続きを待つ事にした。
「本来ならそう。だけど染色体異常によって、2人はそうはならなかった」
そう前置きしてヴァイスが語ってくれた内容を纏めるとこんな感じだ。
人間の性別を決定づける染色体――性染色体は、男性の場合XYの2つ、女性の場合はXXの2つの組み合わせとなる。子供の性別は、母親からXの染色体を引き継ぎ、父親からXとYのどちらを引き継ぐかで決定されるのだ。
一卵性の双子の場合は一個の受精卵が分裂している為、本来ならば有する性染色体もまた同一のものとなり当然その性別も同じとなる。だがそれが男児――XYの染色体を有していた場合、その分裂の際に片方の染色体の欠損が生じ、XYの染色体を持つ男児とXのみの染色体を持つ女児として誕生する場合がある。
この場合、男児の方は普通に生まれるが、女児の場合はターナー症候群と呼ばれる病状を患う事になる。
ヴァイスの母親がどうやら正にその例であったらしく、しかもターナー症候群特有の難病を発症してしまったらしく、リセット前の未来では成人前に亡くなってしまっていたそうだ。
だがリセット後は久世創が難病の治療に加え、その染色体異常さえも治してしまったらしく、今は普通の女性として生きているらしい。
性染色体に違いがある為、一卵性双生児程そっくりでは無いものの、同じ受精卵から生まれたが故に2卵生の双子よりもより近しい姉弟なのだそうだ。
『……なるほど。久世創が行った直系の子孫の定義を鑑みれば、確かにヴァイスさんがロゴスの使用要件を満たす事も納得できます』
その辺はいわば誤差の許容をどの程度まで行うかという話なので、その辺の設定が緩ければヴァイスが直系の子孫だと判定されても別におかしくは無いのだそうだ。
『ただ一つ疑問なのが、その事を何故女神様が知らなかったのかという事です。少なくともデータベース上では、あの姉弟は2卵生の双子という扱いになっていましたし』
「叔父さんはミュトスの成長の為、いくつもの試練を課していた。開発初期の段階でいくつか欺瞞情報を植え付けて、それを見破れるかどうかを見守っていた」
そしてその一つが、ヴァイスの母親に関する情報だったという事なのだろう。
「はぁ……なんていうか、ホント手の込んだ事が好きな奴なのね」
「全くだな。正直あんまりお近づきになりたい奴じゃねぇな」
技術者としては間違いなく天才なのだろうし、人類にとっても救世主であるのは間違いないのだが、やはりどうも人間としては好きにはなれそうもない。
「同意。叔父さんは昔からそんな人。だから身内は大変」
ヴァイスも実は案外苦労させられていたという事か。だからか、あまり久世創に関する話をしたがらなかったのは。
「事情はまあ大体分かった。で、なんでヴァイスはロゴスのアバターを着てわざわざこんな場所に居るんだ?」
「叔父さんに頼まれたから」
「……どういう事だ? 奴はもう死んでるんだろ?」
肉親を失なったばかりの姪に対して言うべき言葉では無かった気がするが、かといって丁重に扱う気分にもなれない。
「正確には母を通じて伝言を受けた。叔父さんは以前からこんな事態を想定していたみたい」
こんな事態とは、何らかの要因で奴が死んだ際の対応と言う事のようだ。奴が不慮の事故か何かで死んだ場合、それでも人類を存続させようと思えばビフレストの作成は必須事項なのだから、奴の立場ならば予想自体は容易かったのだろう。
「なるほど。それで久世創は何のためにヴァイス君をこの場所へと送り込んだのだ?」
「最後の試練となる為」
なんとなくは予想していたが、やはりそうかだったか。
「要するに、ここから先に行きたければお前を倒してからにしろ、そう言う事でいいんだなヴァイス?」
色々と途中の経緯には驚かされたものの、結局は予想していた着地点へと落ち着いた訳だ。
「そう。ボクも一度、本気で3人と戦ってみたかった」
「ふぅん。3対1を御所望って訳ね」
確か同程度の実力者同士なら、SSR4体とLR1体ならSSR側が有利だったな。
「なぁ、3対1ならどっちが有利なんだ?」
俺はルシファーへとそう質問する。
『……そうですね。3体1で使用者が全くの同格だと想定すれば、恐らく五分ではないでしょうか?』
おあつらえ向きに公平な戦いとなる訳だ。これも久世創の仕組んだ事なのかね?
『逆に言えば5人で掛かれば、あっさり勝てると思うぜ? ……まあお前らにはそんな気は無さそうだけどな』
サタンが肩をすくめながらそんな事を言う。
確かにその通りなんだが、なんだかその態度はちょっとイラっとくるな。
「分かっているとは思うけど、一応言っておく。1回限りの勝負で負ければこの橋は消滅する」
『わっ、ちょっ!?』
『なんですかこれはっ』
そんなヴァイスの言葉と同時に、ルシファーとサタンの2人に対し、歪みの中からいくつもの鎖が伸びて来て彼女達を拘束する。
「ミュトスにもハッキングを掛けている。助けは誰も来ないし、逃げてもやはりこの橋は消滅する」
どうやらヴァイスは、本気で俺達と全力勝負をやるつもりのようだ。
『そ、それはマズイですよっ! この橋にスペアは無い以上、本当に人類の存亡の危機になっちゃいますっ!』
『そ、そうだぜ! 真剣勝負するのはいいけどよぉ、それは流石に掛け金がデカすぎるんじゃねぇか?』
鎖に拘束されて身動きが取れない2人は、言葉によってヴァイスの翻意をどうにか促そうとするも一顧だにされていない。
「黙って」
『ムガッッ!?』
『ウーッ! ウーッ!』
ついには歪みの中からボールギャグが飛んできて、2人の口を塞いでしまう。
ただでさえ鎖が肉へと食い込んで妙に扇情的な恰好の上に、ボールギャグまでつけてしまえば、さながらSMチックな光景へと早変わりだ。
つい笑ってしまいそうになるのをどうにか堪えて、彼女達から視線を外してヴァイスへと向き合う。
「人類の命運を掛けた最終決戦が、まさか仲間同士での真剣勝負になっちまうとはな」
「ふむ。まあこんなものなのではないか? 神だのなんだのと戦えと言われても、あまりピンと来ない話であるしな」
「そうね。こっちの方が随分と分かり易いし、私好みだわ」
普通ならここはスコルハティをどうにかする方向へと進むのだろうが、その事を十全に警戒している遥か格上の存在を前に、一発逆転の手段など現実にはまず転がっていないのだ。
久世創もその事を十分に理解していたからこそ、短期的には彼等との対決は避けつつ、後の未来にその希望を託すという選択をした訳だしな。
奴のように天才でもなければ、何か特殊な力を持つという訳でもない俺達の終着点はきっとこの辺がお似合いなのだろう。それでも人類の命運がその背に乗っている辺り、十分に物語の主人公っぽい立場なのではないだろうか? まあ主人公なんて俺の柄じゃないけどな。
かくして俺達とヴァイスによる人類の命運をかけた最終決戦の幕が、今切って落とされようとしていた。




