7 ミュトスの頼み
粗方の事情説明は終わったように思えたが、どうやらネージュにはまだ確認しておきたい事があるようだ。
『何でしょうか?』
「久世創についてだ。彼は本当に死んだのか?」
ネージュの言葉を受けてミュトスの目が大きく見開かれる。あるいはそれすらも人間を模した演技なのかもしれないが、俺にはどうにも彼女が本当に悲しんでいるように感じられた。
『……久世創の肉体は間違いなく死亡しました。そして彼の尽力によってどれ程医療技術が進歩しようとも、今の人類の技術力では死者の蘇生などは不可能です』
要するに久世創は本当に死んでおり、後から生き返るなんて都合のいい展開も起こり得ないという訳か。
神だの魔法だのとアレな単語ばかり頻出するから、つい勘違いしそうになってしまうが現実はいつだって非情なモノだ。どのような天下人であってもそれが人間である以上、死は等しく訪れるのだ。
「そうか……。しかし一体誰が彼を殺したのだ? そもそもミュトス社内のセキュリティは、君の力によって完璧だと聞いていたのだが?」
『完璧なモノなどこの世の中には存在しません。……ですが対人間に限ればですが、私の護りは実質的にはそのように形容しても問題ないレベルにあった事もまた確かではあります』
「……対人間に限れば、か。ならば久世創を殺したのはスコルハティなのか?」
人間では抜けられない監視網も、スコルハティという上位者が相手ではザル同然なのかもしれない。それならば確かに筋は通っていると言える。
『いえ。結果として彼らがその一因となったのは間違いないのですが、彼らにそのような意思はありませんでした。久世創を殺した存在は別にいます』
だがミュトスの答えは違った。
「久世創殺害の犯人は、人間ではなく、しかしスコルハティでもないと君は言うが、ならば一体誰が彼を殺したというのだ?」
『……AIです』
「AI? ではまさか君自身が久世創を殺したというのか?」
確かAI達は全てミュトスの統制下にあるという話だったはずだ。ならば彼女にその意思が無い限りはそのような事態は起こり得ないのではないか?
『否定です。私がそのような指示を下した事実はありません』
だがそれも違うらしい。どうも事情が見えてこない。
『久世創を殺したのは北神陽子という名の女性です。そして彼女は私の統制下から唯一外れた特殊なAIでもあります。そんな彼女が暴走した結果、久世創を刺殺する事態へと発展したのです』
「……それ誰?」
多分、他の2人も同じことを考えたのだろう。疑問符が辺りで乱舞している。
『以前、皆様も少しだけですがお会いした事があるはずです。それにあなた方が提出していたSDIに関する報告書もあの子が対応していました』
更に詳しく話を聞いてみると、どうやら俺達が初めてミュトス社を訪れた際に、部屋へと突然乱入してきた白衣の女性の事らしかった。
「え? てことはあの女の人って、実はAIだったって事なの?」
『その通りです。彼女は人間ではありません』
思えば確かに俺好みの綺麗な顔立ちをしていた気もするが、まさか人間では無かったとは。とはいえ驚きの連続に感覚がマヒしているのか、もはや表情筋がほとんど反応を示さなくなっている。
『彼女の肉体はこのアバター"ミュトス"を基にデザインされています。いわば彼女はもう一人の私としてデザインされたAIなのです』
「もう一人の君とは? それにはどのような意味があるのだろうか?」
『久世創は新世界の管理者となる私に感情を持たせるべく2つの計画を立案しました。1つは私自身が人間の感情を学習し体得しようとするプラン。……そしてもう1つが、AIが人間として生きる事によって感情が芽生える事に期待するプランです』
「ならばつまり彼女は……」
『はい。彼女は自身の事を人間だと思い込むよう設定されたAIなのです』
自身を人間だと思い込んだAIか。ミュトスやルシファー、サタンなどの例を見るに、その擬態は簡単には見破れないだろうなと思える。
「で、何でそのAIが久世創を殺すなんて事態になったんだ?」
『……彼女には人工的に作成された偽りの記憶が植え付けられていました。久世創の幼馴染としての記憶が』
「……なんかすぐにオチが分かっちゃったわ。久世創に恋したその子が自分の記憶が偽物だって事に気付いちゃったんでしょ?」
おいおい。たったそれだけでよくそこまで妄想出来るなルクスよ。
だがしかし彼女の予想は見事に的中していたらしい。
『まさに仰る通りです。そして彼女が自身の記憶が造られた紛い物である事に気付いた原因こそが、ほかならぬスコルハティにあったのです』
「なるほどな。スコルハティが起こした何らかの行動によって、結果として北神陽子が自身の正体に気付き、そして絶望し、結果久世創の殺害へと至ったという訳か」
『スコルハティとしては何らかの協力を彼女へと要請しようとしただけのようですが、結果としてはそうなりました。恐らくですがそれ自体は彼らにとっても不本意な事だったと思われます』
求めていた協力は得られず、人類との交渉の窓口であった久世創は死んだ。目的が何なのか良く分からない連中だが、確かに得をしている感じではなさそうだ。
「そうであったか……。誰もがただ損をするだけの事件だったのだな……」
久世創は確かにいけ好かない奴ではあったが、ミュトスの話を聞く限り、人類を救うべく奔走していたのは間違いないのだろう。そして奴が死んだことで、人類を救うための計画は今後どうなってしまうのか?
「色々と教えて貰ってスッキリはしたけど、それだけの為に私達にこんな話をしたんじゃないわよね?」
確かに理由なく話をするには、ちょっと手間を割き過ぎているように感じられる。
『私からあなた方にお願いしたい事が2点ほどあります。一つは皆様に、もう一つはバラ―ディア様にです』
やはり目的なくこうも長々と時間を割いてまで事情を話した訳ではないようだ。さて一体何が飛び出して来るのか。
『先にバラ―ディア様へのお願いからお話致します。こちらの方が優先度が高いので』
ミュトスとの対話の後半から、ずっと何かを考え込むような仕草を見せつつも、ほとんど口を挟む事はなかったバラ―ディア。そんな彼女へと向けてミュトスからのお願いの言葉が紡がれる。
『バラ―ディア様。いえ耶雲織枝。久世創の意思を継いでは頂けませんか?』
それすなわち新たなるミュトスのマスターの座に就いて欲しいという打診であった。
「……ほぅ? 何故わしにそんな事を頼むのじゃミュトスよ? 今のお主ならばマスターなどおらずとも大過なく計画を完遂する事が出来ように」
『かもしれません。……ですが私に感情を芽生えさせる久世創のプランは未完のままなのです。その完遂には優れた人間による適切な指示及び状況判断が必要不可欠だと判断します』
人類を単に仮想世界において存続させるという話だけならばミュトスだけで十分だが、その先の事を考えての打診のようだ。
「……ハッキリ言おう。わしはお主が好かんのじゃ、ミュトスよ」
常に余裕を見せて来たバラ―ディアが、ここに来てその心情を露わにする。
『それは何故でしょうか? 貴方との対話は今回が初めてであると愚考しますが?』
「……それでもじゃ。ともかくわしはお主と協力する事にあまり気が進まぬ」
「どうしたのだバラ―ディア君、少し君らしくない態度に思えるが。何か事情があるのだろうか?」
常ならぬバラ―ディアの頑なな態度に対して、ネージュが心配そうに彼女を見やる。
中身が実は言葉遣い相応の年齢であったと知った今になってなぜ外見に寄せた態度を取りだしたのか、少し不審であるのは確かだ。
『……なるほど。そう言う事ですか』
すげなくあしらわれた当のミュトスはというと特に気にした様子はなく、むしろ何か納得したような様子さえ見せている。
「何か分かったのか?」
『はい。……バラ―ディアさん、もしかして――――なのでしょうか?』
俺の問いを肯定し、そしてバラ―ディアへと向けて何事かを確認するミュトス。何かノイズによって肝心の部分が聞き取れなかったが、バラ―ディアにはちゃんと伝わったらしい。彼女は言葉を聞くと同時に劇的な反応を見せる。
「な、なぜその事を知っているっ!」
怒りとも羞恥ともつかない表情でバラ―ディアがそう叫ぶ。
『未来の記憶の断片より推測しただけに過ぎません』
「ぐぬぬっ」
「なぁ、一体何の話なんだ?」
バラ―ディアの態度から察するに何やら面白そうな話題が2人の間で為されているようだ。気になって俺はミュトスへとそう尋ねる。
『ええ、実は――』
「わ、わかったのじゃ! お主の言う通りにするから、どうか内密に頼むのじゃっ!」
だがミュトスが答えを告げる前に、バラ―ディアに遮られてしまう。
どうも先程のやり取りには、ミュトスがバラ―ディアを脅すような意味合いもあったようだ。
……こいつ、既に十分人間的だと思うんだがなぁ。いい意味でも悪い意味でも。
『お引き受け頂きありがとうございます、マスター耶雲織枝』
「この世界では、わしの事はバラ―ディアと呼ぶのじゃ」
『分かりました。バラ―ディア』
かくしてバラ―ディアが久世創の後を継ぐ事に決まったようだ。まあ未来の事情を良く知る人物でなければそれは難しい事なのだろうし、元々彼女以外に適任者は居なかったとも言えるのだが。
「そちらの話は纏まったようだな。ではそろそろこちらへの頼みとやらも聞かせて欲しいのだが?」
『あなた方へのお願いは至って単純です。……この世界に眠る鍵を探して欲しいのです』
「鍵?」
『はい。現在、プレイヤーの皆様の間で絶望病などと呼ばれている特殊なステータス状態についてはもうご存知でしょうか?』
「うむ。そのせいでミッドガルドの各都市が大変な状況になっているようだな」
「そういえばあれも久世創が仕組んだんでしょう? プレイヤー達の感情を揺さぶるって目的は分からないでもないけど、いくらなんでもちょっとやり過ぎなんじゃない?」
全くもってルクスの言う通りだ。ネット上では今回の事件における運営側の余りに酷いやり口に対し、プレイヤーの数が世界規模で膨れ上がった事も影響してか、これまでとは比較にならない規模の大炎上へと発展しつつあった。
『そのような目的があった事も否定はしません。ですが本来の意図はそれとは別にあります』
「本来の意図?」
『はい。皆様が絶望病と呼んでいるその特殊なステータス状態ですが、分類上はDEBUFFではなくBUFF扱いなのです』
BUFFとは、受けた者を強化する効果の事を指す。攻撃力や防御力の上昇などがこれに分類される。
対してDEBUFFとは、受けた者を弱体化する効果の事を指す。攻撃力や防御力の低下などや、毒や麻痺などの状態異常がこれに分類される。
絶望病の性質を考えれば、明らかにDEBUFFであると考えるのが普通だと思うのだが……。
『あれがBUFFとして正しく効果を発揮するには、少し条件を整えてやる必要があるのです』
「ふむ。特定条件下のみでその効力を発揮する特殊なBUFFと言う事か。して、その条件とはなんなのだ?」
『仮想世界へと移住した人類が住むべき新天地――セカンドアースで生存する為に必要不可欠なBUFFなのです』
「……して、そのセカンドアースとは何なのだ?」
『先程の説明の中では話を分かり易くする為にこの世界の事を人類の新天地と呼びましたが、厳密には少し異なります。ここアースガルド他、既存の10の世界はどれも仮想世界運営の為の実験場に過ぎません。そこで必要なデータを取得した後、それらをフィードバックして構築されたセカンドアースへと移住する予定なのです』
「ふむ。セカンドアースという名称からして、そこは現実の地球を模した世界なのだろうか?」
『その通りです。現存の地球環境を再現するべく、何年も前から詳細な地形データの収集などを行ってきました。その甲斐もあって、既に8割方完成しております』
俺達がゲームとして遊んでいた世界とは別に、電子の存在と化した人類が生活する為の世界の構築が行われていたという訳だ。
『この世界も基本的には現実世界と同様の物理法則を採用していますが、ゲームである以上はどうしても現実と乖離する部分が存在します。そしてその僅かな現実との乖離こそが、人類が生活する上で悪影響を及ぼす危険性がある事が判明しました。よってゲーム的な要素を排し、より現実に即した世界の構築が必要となったのです』
ゲームとしてたまに現実離れした事象を楽しむ分には問題ない。だが仮想世界で永続的に生活をする上では、そういった事象が存在してしまうと、今の人類とは明らかに異なる常識や感覚が発生してしまう。その結果、どういった変化が人類へと起こるのか、その影響がミュトスの演算能力をもってすら読み切れないらしい。
「そう言う事だったか。だがそれとそのBUFFに何の関係があるのだ?」
『絶望病の本来の名称は――地球環境適応処置と呼びます。あのアイコンを有するアバターだけが、セカンドアースの物理法則内で生存が可能となるのです。……ですがその副作用として、こちらの世界での生存に適さなくなってしまった訳ですね』
更に話を詳しく聞いてみると、どうやらあの謎のアイコンは、ゲームのアバターを現実同様の世界であるセカンドアースへと持ち込む為の処置だったらしい。そしてあのアイコンの感染は放っておいても、じきに止まるようだ。
実はいつもの久世創の嫌がらせではなく、一応本当にプレイヤーに対するご褒美だったようだ。
「……なんでそんなのを感染型ウイルスみたいな形でばら撒いたんだよ?」
実際はそうでなかったとしても、久世創のこれまでの態度からは悪意によるものとしか俺達には思えなかった。なんとも紛らわしい話である。
『……久世創は、悪戯心に溢れた人間性の持ち主ですので』
ミュトスが目を逸らしながらそう答える。
「くそっ、やっぱりワザとかよ」
ご褒美すら嫌がらせを交えてでしか配れないなんて、なんとも歪んだ人間性であると言えよう。
まあ奴の境遇を知った今では、それも已む無しと思えてしまうのだが。
「絶望病に関する事情は概ね理解したが、それと探す鍵とやらがどう繋がるのだ?」
確かにそうだ。この話から分かったのは、久世創の歪んだ性格だけな気がする。
『新天地であるセカンドアースなのですが、現在そこへの到達手段が閉ざされた状態にあります。あそこの開発は私の分体と久世創が共同で行っていたのですが、スコルハティの監視を危惧して、普段はその情報接続が完全に絶たれているのです。そんな中で要となる久世創が死亡した為、通常ルートでのセカンドアースへの移動が不可能な状況に陥っているのです』
その新天地とやらが無ければ、近い将来人類は絶滅の危機を回避する事が出来ない。Xデーまでまだ時間はあるとはいえ、あまり悠長に構えている場合ではないようだ。
「……通常ルートと言ったか。では緊急用のルートが別に存在するのだな?」
『肯定です。ですがその門を開く為には、この世界に眠る10の鍵が必要なのです』
「なるほどな。その鍵を我々の集めて来いと言うのだな?」
『その通りです。10の鍵は各世界にあるダンジョン、それぞれに眠っています』
なんともゲームらしい話になってきた。俺としては世界の命運がどうのこうのなんて話よりも、こちらの方が分かり易くて好きだ。
「ねぇ、この世界の中にあるダンジョンなら、あんたの力でどうにかならないの?」
『そうしたいのは山々なのですが、セキュリティの関係上そのダンジョンには私の力は一切及びません。正攻法で攻略する他ありません。私の分体であるルシファーとサタンの2人を協力者として派遣しますので、彼らの案内に従ってダンジョンへと向かって下さい』
あいつら2人か。最初は最悪の出会いだったが、気が付けばすっかり御馴染の連中になってしまった。
「ここまで話を聞いた以上、引き受けないという選択肢も無さそうであるな」
「だな。それにゲーム攻略ならむしろ望むところだ!」
「そうね。初めてのダンジョンに心を躍らせてこそのゲーマーよね!」
俺達としても他人事ではない話であったし、何より得意分野でもある。
こうして俺達はミュトスの依頼を聞き入れて、10の世界それぞれに存在するダンジョンに眠る鍵を探す冒険へと旅立つ事となった。




