3 絶望病
久々の外出で思ったよりも疲労が溜ったのか。屋敷に戻ってから早々に俺は自室へと直行しベッドへとダイブする。そのまま心地よい眠気に誘われて、夢の世界へと旅立つのだった。
「ふぁぁ、ちょっと寝すぎたな」
「うむ。だがたまにはこういうのも良いのではないか?」
翌朝遅くになってようやく目覚めた俺だったが、どうやら他の2人もちょうど今起きたところだったようだ。
ぐっすりと眠れたのか、いつもよりか心なしスッキリした表情をしている。実家へと帰ったヴァイスの事を心配して、最近眠りが浅かったみたいだからな。そんな2人にとって昨日の外出は良い気分転換となったようだ。
「そういえば、こんなに長くログインしなかったのって久しぶりじゃない?」
少し早めのお昼を食べたりその他雑務を片付けたりなどしていたら、気が付けば前回のログインから丸1日以上が経過してしまっていた。
メンテ以外で、これほど長くラグナエンド・オンラインにログインしなかった記憶は確かに無い気がする。特に俺なんかは正月に帰省をしていない為、もしかすると初めてかもしれない。
◆
およそ1日ぶりにラグナエンド・オンラインへとログインした俺達。なんとは無しにホームタウンである古都ブルンネンシュティグへとやって来た俺達を待っていたのは、なんとも驚くべき事態であった。
「何よこれ……。一体何がどうなってるのよ……」
辺りを見渡しながら掠れた声でそう呟くルクス。
それもそのはず、活気に満ち溢れていたはずの古都の街が、地獄絵図の様相と化していたからだ。
「死屍累々とは正にこの事だな……」
プレイヤーかNPCかは問わずに、この街にいる人間は皆、地に倒れ伏しおり、彼方此方からか細い呻き声を上がっている。
「お、おい大丈夫かあんた?」
俺は近くに倒れていたプレイヤーの一人へとそう声を掛ける。
すると横たわったまま億劫そうにこちらへと首を向けてくる。そのHPバーはミリも残っていないように見るが、一応まだ生きているようだ。
「……あ、あう、ああぁ……」
その女性は口を開き何かをこちらへと伝えようとするも、上手く言葉を発する事が出来ない様子であった。良く見てみればその頭上には見た事が無いアイコンが表示されているのに気付く。未知の状態異常だろうか?
「〈ソーラーファーネス〉!」
オリジナルのソルのアバターを纏った俺は、すぐさま状態異常を治療するべくスキルを放つ。
「くそっ、治らないぞ!?」
HPについては回復したようだが、それもすぐに元の瀕死状態へと戻ってしまっている。何より肝心のアイコンに変化が見られない。
「……治療スキルで治らないという事は、状態異常じゃないのか?」
だが見るからに明らかに異常な状態である。これを状態異常と言わずして、何と言うのか?
「ねぇ、あれ見てよ! あっちも! 皆同じアイコンが浮かんでるわ」
どうもこの場に倒れている全員が同じ症状に陥っているようだ。
「……この場から急いで離れた方が良さそうだな」
「ああ……そうだな。なんか知らんが、ともかくヤバい事だけはまず間違いないな」
明確な危機を感じ取った俺達は急ぎこの街から離れ外へと向かう。地面に転がって動けなくなっている連中を見捨てるのは気が引けたが、これ以上この場にいれば、俺達だって彼らと同じ目に遭うかもしれない。あるいはもうすでに……。
ともかく古都周辺ならばモンスター達も然程強くない為、今の街中に居るよりはよほど安全だろう。
「あれ、なんだったのかしら……」
「すまないな。私がチェックを怠ってしまったせいで……。まさかこのような事態になっていたとは……」
いつもなら早起きのネージュが朝一のチェック作業は済ませてくれている為、俺達は情報面で後れを取る事は少なかった。だが今回はそれが裏目に出てしまったようだ。
「いや、気が付けば俺達も任せっきりになってたからな」
「そうね。別にあんたのせいじゃないわよ」
済んだことをグダグダ言っても仕方がない。それよりも現状どう動くべきかを決めるべきだろう。
「とりあえず情報収集からだな。ルクスは周囲を見張っててくれ」
いくらここらのモンスターが弱いとはいえ、完全放置は少し怖いものがある。滅多にない事だがプレイヤーキラーに出くわす危険も0じゃないしな。
「任せて」
ルクスの了解を得た事で、俺とネージュはネットの海へと潜っていく。
やはりと言うべきか、ネット上ではこの事で結構な騒ぎへと発展していた。
色々と調べた所、どうも最初にその兆候が現れたのは、サービス再開から半日ほどたった後の事だったようだ。ちょうど俺達が博物館を巡っていた頃だろうか?
当初はほんの数人だけだった被害者が、時間の経過と共に加速度的に増えていったらしい。そしてそれはプレイヤーだけではなく、NPCでさえも同様であったそうだ。
具体的な症状としては、異常発生を示すアイコンが表示された後、HPが急速に減っていくらしい。俺がやったように回復魔法によるHPの回復自体は可能なようだが、かなりの速度で減るらしく一人の回復力ではまず間に合わないらしい。そうしてHPバーが瀕死まで減少すると、今度は身体自由が奪われていくそうだ。この時点でもはやスキルの発動は不可能となる。しかしHPバーの減少はここでストップし、死ぬことはないそうだ。いや自力では死ぬことすら出来ないと言うべきかもしれない。そして全く身動きが取れない状況が延々と続く為、ログアウト操作さえも出来ないそうだ。
……疑似的なログアウト不能状態か。懲りずに無茶苦茶な事をやってくれる。
以前とは現認や発生状況は異なるものの、自力でログアウト出来ないという点では同じ事だ。この程度の問題、久世創の持つ権力ならばもみ消す事はどうという事は無いという事なのだろうか。問題はその久世創が既にこの世には居ないって事なんだが……。
果たして、今の状況は誰の意思によって何の目的があって引き起こされたものなのか? 最有力候補は人工知能ミュトスなのだろうが、どうも違う気がする。これはただの勘に過ぎないが。
「ちょっ、ちょっとイツキ! ねぇってば!」
などと思考を巡らしていると、突如ルクスのそんな声と共に身体が揺さぶられる感覚に気付く。
「どうしたんだルクス、そんなに慌てて」
「ねぇ! ちょっと、あれ見て!」
ルクスがそう言って指差した先には、ゴブリンが居た。
そこらにいくらでも転がっているごく普通の(可愛らしい)ゴブリンではあったが、その状態は明らかに普通では無かった。
「あの妙なアイコンが表示されてるな。まさかモンスターにも影響があるのか?」
ゴブリンのHPバーはほぼ0となっている。そして地に倒れたまま時折苦しそうに呻き声を上げるばかりだ。これもまたプレイヤー達に生じている症状と同じだ。
「見てられないな……」
俺は杖をかざしてゴブリンへと魔力弾を飛ばす。
「ちょっ、ちょっと!?」
ルクスが抗議とも困惑とも取れる視線を向けてくる。
「いや。この状況で放置しとく方が余計可哀想だろうが」
どの道殺す相手なのだ。なら苦しみからさっさと解放してやる事こそが優しさだろう。
「そ、そうね……」
普段は聡明なルクスらしくない反応だ。彼女もこの突然の事態を前に中々に動揺しているらしい。
「む? どうしたのだ2人とも」
俺達の間に微妙な空気が漂いかけた所にタイミングよくネージュが帰還する。
「いやな。ゴブリンにもあのアイコンが付いてたんだよ」
「やはりか……。どうやら我々もかなり危険な状況に置かれているようだぞ」
どうもネージュは俺以上の情報を掴んできたらしい。そのせいか、その表情には焦りの色が濃い。
「あのアイコンの正体が何か分かったのか?」
「推測も多分に混ざるのだが、おおよそについてはな」
そう前置きしてから、あのアイコンによって発生する具体的症状についてまず語るネージュ。ここまでは俺が調べた内容とほぼ同じだった。
「問題は大きく分けて3つ。一つはその感染力の強さだ。あの謎のアイコン――ネット上では絶望病などと呼ばれているようだが、あれは近くの他者へとすぐに伝染するらしい」
「……てことは、俺達ももう既に感染してるって事か?」
古都にはその絶望病とやらの感染者らしき連中が多数転がっていたのだ。その話が本当ならば、既に俺達も感染していると考えるべきなのだろう。
「でもアイコンとか特に見当たらないわよ?」
ルクスの言う通り、俺達の頭上にそのようなアイコンは存在していない。
「それが問題の2つ目だな。というのも絶望病には、半日程度の潜伏期間が存在するらしいのだ」
「潜伏期間?」
「大抵の病気がそうであるが、病原体に感染したとしてもすぐさまその症状が現れる訳ではない。絶望病もまた同様であり、症状が表へと出るまでにタイムラグが存在するのだ。その為アイコンがまだ出ていないからといって、それがイコール感染していない事には残念ながら成らないのだよ」
「なんだそりゃ。てことはまさか……知らず知らずのうちに感染者が他の街に移動して、被害を増やしていってるんじゃ……」
「その通りだよイツキ君。既にミッドガルドのあらゆる都市でその被害が報告され始めているようだ。他の世界へと広がるのも時間の問題であろうな」
その絶望病とやらは、既に世界規模の流行病と化している訳か。なんか無駄にスケールの大きな話になって来たな。
「それで最後の問題ってのは何なんだ?」
「これが単純でかつ一番厄介なのだが……治療法が無いのだ」
確かにソルの治療スキルでも治る気配は無かった。このゲームにおいて、あれで治らなかった状態異常はこれまで無かった為、正直、すぐには治療法が思いつかない。
「となると、一度殺してやらないとログアウトもままならないって事か?」
死こそが救いとなる病か。ゲームだから許されるのだろうが、なんとも酷い話である。
「いや、仮に誰かに殺して貰ったとしても、自力でのログアウトはやはり不可能なようだ」
「は? どういう……まさか!? 死んでも治らないのかそれ?」
状態異常なんてものは、死ねば治るのがセオリーである。だがそれが覆されたとなれば、相当に厄介な事態だ。
「ご明察の通りだイツキ君。一度死んでホームタウンで復活しても、絶望病に感染し瀕死の状態のままだそうだ」
「何よそれ……ちょっと、あんまりじゃない?」
唖然とした表情でルクスがそう呟く。
「治療法も無く、死んでも治らない。じゃあプレイヤー以外のNPCやモンスターなんかはどうなるんだ?」
「NPCは死亡後一定時間経過後に元の位置で復活するらしい。勿論、絶望病に感染したまま。モンスターについては不明だが、恐らく同様である可能性が高いだろうな」
要するに時間と共に感染源が減ることは無く、ただ無尽蔵に増えていく訳だ。伝染病への対応方法の一つである、感染者達を隔離する事でウイルスの死滅を待つなんて手段はどうやら採れないらしい。
「なぁ、それっていくら何でも無理ゲー過ぎないか?」
「うむ。私も正直そう思っていた所だ」
きっぱりとした断言だが、今はちょっと聞きたくは無かった。
「なんなのよその絶望病って? 一体どっから発生したのよそれ?」
「これも確証が無い話ではあるのだが……。七大罪のボスにトドメを刺した際に出現した謎の箱の事は覚えているだろうか?」
「そりゃな。昨日あんだけ聞き込みしたんだ。忘れる訳……ってまさか!?」
「そのまさかだよ。だからこそ絶望病などと呼ばれている訳なのだよ」
パンドラの箱より飛び出した絶望――その正体がこの伝染病って事になる訳か。なんとも厄介過ぎる置き土産を久世創は残してくれたらしい。
「そう言えば久世創が確か"死に至る病"がどうのとか言っていたな。てことはこの絶望病がそれって事なのか」
「ふむ。"死に至る病"か。なるほど死んでも生き返れるこの世界においては、死は本当の意味での死とは成り得ない。もしかすると、これは久世創が提示したこの世界における死の形の一つと言えるのかもしれないな」
この世界ではいくら死のうとも何度でも甦ることが出来る。この世界における死とはいくらでも取り返しのつく現象に過ぎないのだ。だが絶望病に一度感染し瀕死となってしまえば、あらゆる行動が不可能となってしまう。ログアウト操作すらままならなくなる以上、もはやこの世界において、そのアカウントは死んだ存在に等しいのだと言えるのかもしれない。
「ねぇ? その箱の中身が原因だったのなら、なんで私達まだ発症してないのかしら?」
ルクスに言われて気付く。
「そうだな。箱の中を直に見たって奴とも直接会話を交わしたんだ。そいつは間違いなく感染してただろうし、となれば俺達も同じだ。だが1日以上経過した今でもまだ症状は現れていない」
「その理由については簡単な話だ。単に我々が先程までログインしていなかったからだよ。どうも潜伏期間はログアウト中は経過しないようだ。極端な話、ずっとログアウトしておけば感染自体は避けられるだろう」
珍しく長い期間ログインしなかった事がプラスに働いたという事なのだろう。なんとも俺達らしくない間の良さである。
とはいえログイン出来ないアカウントなど、絶望病が発症したのとそう大差はないだろう。
「そうなると、俺達に残された猶予は後10時間くらいってとこか?」
「恐らくその程度だろうな。もっとも正確な潜伏期間が分からぬ以上、あまり余裕は無いと見るべきだろうが」
まだ最初の発症者が報告されてから、まだ半日ちょっとしか経過していないのだ。正確な情報は望むべくもないのだろう。
「要するに今はただの潜伏期間な訳ね。その間に治療法を見つけ出さなきゃって事かしら?」
「そう言う事だな」
ここでログアウトして人任せで解決を待つという発想が出てこない辺りが俺達らしいと言えるだろう。そしてその事がなんとも誇らしくもあった。
「未知の伝染病の治療法の発見か……。なんとも不親切なイベントだな。久世創は最後までロクな事をしやがらねぇ」
ヒントも何もない手探りからのスタートだ。かなりの苦戦が予想されるにも関わらず短い時間制限が存在しており、パーティ戦力もヴァイスを欠いて不安定な状態だ。
「だがそれでも我々に退く選択肢など選べないさ」
かなり厳しい状況だが、やらないとラグナエンド・オンラインの世界そのものの存続の危機だ。これが普通のゲームならば運営の介入が期待出来るのだが、このゲームにおいては運営こそ最も信じてはいけない存在だ。その諸悪の根源たる久世創が死んだ今も、その姿勢に変化があったと確信出来ない以上は決して予断は許されない。
「そうだな。まあいっちょ頑張ってみますか」
こうして俺達は絶望病の治療法を見つけるべく、行動を開始するのだった。




