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8 タワーオブバベル

 ルシファー達の献身によってキャスパリーグの監視の目を潜り抜け、無事アースガルドの地へと足を踏み入れた俺達4人。


「ここがアースガルドか。なんかあんまミッドガルドと雰囲気は変わらないな」


 世界扉の周囲は平原となっており、特にモンスターの姿も見えない。唯一未踏の世界と言う事で警戒していたのだが、少し拍子抜けであった。


「タワーオブバベルは確かこの街道を北に真っ直ぐ進んだ先にあるって言ってたよな?」


 ご丁寧にもすぐ傍には街道が通っており、見知らぬ土地で当ても無く彷徨う心配は無さそうだ。


「うむ。警戒を密にしつつ先を急ぐとしよう」


 そうして俺達は街道を北に進んでいく。

 その道中、何度かモンスターともニアミスしたが、いまだ一度も戦闘には発展していない。至って順調な道行きである。


「やっぱこのアバターの性能ってちょっと反則よねぇ」


「うむ。ルシファー君達のおかげでキャスパリーグの注意が逸れていたとはいえ、まさか本当に気付かれずに済むとはな」


 ルシファー達がボス部屋の壁を破壊しようと頑張っていた頃、俺達は報酬の前払いとして頂いた大罪シリーズのアバターを纏い姿を消していた。あれらのアバターには高い隠形効果が備わっており、そのお蔭で世界扉へと辿り着くまで気付かれずに済んだのだ。


「まっ、これも悪くはないんだが、やっぱ俺はソルちゃんじゃないと落ち着かないな」


 久しぶりにソル以外のアバターを身に付けた俺だったが、やはりどうもしっくり来ない。気持ちの問題に過ぎないのだろうが、それはとても大事な事であるとも俺は思っている。一刻も早くソルちゃんに戻りたいものだ。


「あんたはホントにソルの事好きよね」


 もはや慣れたのか、ルクスの言葉には呆れの成分すら見えない。単にもう惰性のツッコミとして発しているようだ。


「ねぇ、一つ疑問だったんだけど、ルシファー達ならホントにあそこの部屋を壊せたの?」


「うーん。流石に無理じゃねぇかな? いくら火力が高いつったって、たった7人しかいないんだ。あの大部屋は本来なら50人単位での戦闘を想定しているんだし、仮に壊せるにしても相当な時間が掛かると思うぞ」


「へぇ、その割にはあの猫、妙に焦ってたみたいだけど?」


「まあ、実際に試した奴なんてまず居ないだろうし、絶対に不可能だっていう確証を持てなかったんだろうよ。それで焦った結果がこれさ」


 ただ、あの一件でキャスパリーグが間抜けであったと責めるのは少々酷というモノだろう。想定外の事態に対し、所詮一人では取れる行動は限られてしまう。他のボスのように取り巻きが居ればまだ違ったんだろうが、残念ながら奴はボッチだった。いつの時代もどの場所においてもボッチへの風当たりは厳しいのが世の真理なのである。


「強いていえばゲームデザイナーの失態であろうな。そもそもあのダンジョンに入るには噴水を破壊する必要があるのだ。ならばダンジョンを破壊しようと考えるプレイヤーが出たとしても別におかしな話ではない。にもかかわらずその番人たるキャスパリーグがそれを想定していなかった事の方がむしろ不思議だと言えよう」


「だな。もしかすると運営側は裏の攻略法として実は想定してたのかもしれないな」


 事前にヒントを設置しておき、それを応用する事でボスを攻略する。それだけ並べればなんとも王道なダンジョン攻略の手法と言えるだろう。


 ……まあ、それは流石に考えすぎだろうけどな。


「なんか遺跡みたいなのが増えて来たわね」


 街道を進んでいくと、途中から少しずつ周囲の景色が変わり始める。石造りの壊れた建物が徐々に散見されるようになり、それに合わせてか街道の地面がただの土を固めたものから徐々に石畳へと変わっていく。


「ふむ。かつては栄華を誇った都市の成れの果て、といった所だろうか? バベルの名に相応しい土地かもしれないな」


 人間の栄華の象徴として建てられたのがバベルの塔であり、その傲慢を戒めるべく神によって崩された、みたいな感じの話が元ネタだったと記憶している。

 そして今はその塔に女神様がいるという訳だ。果たしてその目的は何なのだろうか? 神話に沿って塔を壊すつもりなんだろうか? その事に一体何の意味があるというのだろうか?


 ◆


「ねぇ! あれじゃない?」


 更に街道を進むことしばし、ルクスがそう言って指差す先には巨大な塔が存在していた。


「うむ。そのようだな」


 ルシファーに教えて貰った座標とも一致するし、目的の場所でまず間違いなさそうだ。


「今度は塔の番人とか出てきたりしてな」


「ちょっと! 変な事言うのやめてよね!」


 安心しろルクス。フラグというのは、わざと建てると大抵勝手に折れてくれるものだ。


「ふむ。どうやら敵の姿は無いようだな。ヴァイス君、周囲に何か気配は?」


「……塔の上層部に2人」


「2人か。なら久世創とミュトスって事でいいのか?」


「そこまでは分からない」


 そりゃそうだよな。まあ人数が分かっただけでも十分だ。見た感じそれほど大きな塔でもないし、中にモンスターの気配も無いようだ。

 トラップなどで召喚される危険がある以上は油断は禁物だが、想定していたよりは楽に上へと登れそうな気配だ。


「では早速登るとしようか。もうあまり時間も無いからな」


 残る大罪獣は後2体。それぞれの残数も僅かであり、イベント終了までの猶予はもうほとんど無い。


「だな! 急ぐぞ!」


 塔の内部へと入り、警戒しつつも足早に螺旋階段を登っていく。幸い道中にトラップの類は存在しておらず、サクサクと登る事が出来た。


「この扉の先に気配が2つ」


 階段を登り切った先には、一つの大きな扉が存在した。どうやらこの先に久世創とミュトスがいるようだ。


「では、準備はいいかな?」


「待ってくれ。アバターを戻す」


 ここまでモンスターを警戒して隠形性能が高い大罪シリーズのアバターを使っていたが、ここまで来ればもう必要は無いだろう。

 そそくさと俺はアバターをソルシリーズへと戻す。


「ふむ。では私も変更するとしよう」


 ネージュもお気に入りのアマテラスへとその姿を変える。


「ボクはメタトロンにする」


「なら私はオシリスしか選択肢はないわね……」


 ヴァイスはメタトロンに、そして残るルクスは消去法的にオシリスとなる。クレリックのSSRアバターの種類が少ない以上、どうしてもそうなってしまうのだ。

 出会ったばかりの頃はアタッカーが好きだと言っていたルクスであったが、今ではすっかりヒーラーが板についている。まあ普段の狩りでは割と皆自由にアバターを使っているので、その時にでも溜まった鬱憤を晴らしているのだろう。


「では今度こそ準備はいいだろうか?」


「ああ!」


「では行くぞ」


 そう言ってネージュが扉の取っ手を掴もうとした瞬間、独りでに扉が開いていく。


「ようこそバベルの最上階へ。イベント観戦の特等席だぞ」


 その言葉の発信源は、全身を黒ローブで覆い隠した人物であった。そしてそのネームタグには、ハジメという名が記されている。


「貴様が久世創か」


「ああ、久しぶりだな。いやこの世界で会うのは初めてだから、はじめまして、の方が正しいのか?」


 表情は分からなくとも、その声だけで奴が嫌らしい笑みを浮かべているのが想像出来てしまう。


「そんなのどうだっていい! それよりも、お前は一体何をしようとしているんだ!」


「何をしようと、か。そりゃあ、もちろん世界を救おうとしてるのさ」


 世界を救う? 突然また意味不明な事を……。


「答えをはぐらかすなよ! なぜプレイヤー達を無駄に困らせるような真似ばかりするんだ?」


「だからそれも世界を救うためには仕方ないんだよ。なぁミュトス」


 聞き分けの無い子供に対するような声を発しながら久世創は顔を隣へと向ける。するとそこにはいつの間にか1人の少女が立っていた。


 そしてその姿を見た瞬間、俺の全身に電流が奔る。


「あれがミュトスなのか……? しかしあの姿は……」


「そうね。どう見てもあれって、ねぇイツキ?」


 ネージュとルクスがこちらへと視線を送ってくるが、俺は受けた衝撃の大きさのあまり、陸に揚がった魚のように口をパクパクさせることしか出来ずにいた。


「ちょっ、あんた大丈夫? いくらなんでも驚きすぎじゃない?」


 ルクスはそうは言うが仕方がないだろう。

 何故ならミュトスの姿は、俺の纏うアバター"ソル"と瓜二つであったのだから。

 しかも現在俺が纏うソル以上に、より理想へと迫った容姿をしていたのだ。纏うウエディングドレスも戦闘用に改造されたものではなく、純粋に花嫁用のそれであり、その分意匠も微に入り細に入り凝っていた。俺の本能は、彼女がソルの上位互換である事を告げていた。


「あ、ああ……。なんとかな……」


 実は以前にもこの姿を俺は見たことがあった。今目の前に立っている少女は、以前にセラエノ図書館にて邂逅した少女と同じ姿だった。

 あの時は暗い図書館内であったのでその事実を認識せずに済んでいたが、今回は明るい室内だ。ソルを超えたミュトスの造形は、女神としか表現しようがない程に美しく、俺の心を掴んで離してはくれない。


「なぁ、ミュトス? なんでお前はあれを選んだんだ?」


 久世創が俺を指差しながら、ミュトスへと尋ねる。


「思考時に生じる熱量の大きさ」


「……なるほどな。感情を理解する為のサンプルとしては、振れ幅が大きい奴の方が適任なのは確かだな」


「選んだ? 何を言っている?」


「ああん? そんなの、ソルのアバターを与える相手に決まってるだろうが」


「そうか……。イツキ君がソルのアバターばかりを引き当てていたのは、やはり偶然では無かったのだな」


「当たり前だろうが。あんだけプレイヤーの数がいて、ガチャも有料・無料合わせて大量に回ってるんだ。それで3人しか引けないとか、いくら何でも確率論的に有り得ないだろうが」


 確かに正論だが、開発者が堂々と不正を開き直らないで欲しい。


「なぜそんなプレイヤーを選別するような真似をしたんだ?」


「……そのアバターはな。本来プレイヤーに使わせる予定なんか無かったんだよ。もともとミュトスの為だけに俺が設計した女神の化身(アバター)なんだからな。それをミュトスが俺に黙って勝手に実装しやがったんだよ」


 やれやれといった感じでミュトスの方に視線を向けながら、そう言う久世創。どうもソルのアバター自体がこのゲームにとってはイレギュラーな存在だったようだ。


「そのまま眠らせといても良かったんだけどな。俺の指示なくミュトスが動いた事に可能性を感じてな。だからなるべくミュトスの意向に沿う事にした。……けどな金さえ積めば手に入るような安い女だと、俺は思って欲しくはねぇんだよ」


 そう言って久世創はネージュの方へと視線を向ける。するとネージュがどこか気まずそうに目を横に逸らした。

 

 ……まあ思いっきり金を積んで手に入れようとしてたもんな。そりゃ気まずいわな。


「てなわけでミュトス自身に渡す相手を選ばせたのさ、大体3人ほどな。でその基準がさっき言ったように感情の振れ幅が大きい奴だったって訳さ」


 感情の振れ幅が大きい? どういう事だろうか。俺は割と冷静沈着な方だと自負しているのだが……。


「なに「理解出来ない」みたいな顔してるのよ。ソルが絡んだ時のあんたなんて正にその通りじゃない……」


 ルクスにそう言われてハッとなる。


「あー。まあもしかしたら、そういう可能性もあるかもな……」


 ソルを侮辱された時の俺は我を忘れて暴走していた。その時に生じる熱量は確かに大きいのだろう。そのお蔭か普段では絶対に無理な挙動さえも可能とするのだから。


「しかし、そうなるとリーゼの奴やバラ―ディアの君も、それに該当する事になるが……」


 俺以外にソルのアバターを持つ事をミュトスに許された2人。

 アリスリーゼについては、ネージュ絡みでは中々酷い奴なので有り得なくはないと思うが、バラ―ディアについては疑問だ。

 少なくとも俺達と一緒にいる間に、彼女が何か心を乱すような状況に陥った記憶が俺には無かったからだ。


「バラ―ディア――いや耶雲織枝と言うべきか。確かお前らはリアルでアイツと直接対面した事があるんだよな?」


 バラ―ディアからの伝言をヴァイスが伝えた以上、彼女の存在は久世創にも知られている訳だ。いやバラ―ディアがミュトスに選ばれていた以上は、それ以前から知っていたと見るべきだろう。


「ああ。それがどうかしたのか?」


「いや……あいつ何者なんだろうな? 前の知り合いだろうって事は大体想像がつくんだが、心当たりがいねぇんだよな……」


「……何を言っている?」


 バラ―ディアは久世創の事をよく知っているような素振りだったが、対する久世創の方はバラ―ディアについてどうも良く分かっていない様子だ。これはどういう事だろうか?


「ああ悪ぃな、こっちの話だ。でそっちの話はもうお終いか? 街に帰りたいなら送ってやっても構わないし、イベントの見物をしたいってなら特等席を用意してやるぞ?」


 これまでの経験上、どうせ今のイベントもどうせろくでもないオチが仕込んであるのだろう。それもプレイヤーが嫌がる類の。久世創がここまで悪趣味な奴とは正直思ってもみなかった。


「何故プレイヤー達を嬲るような真似をするのか、まだ答えを貰ってない。世界を救うとかそんな抽象的な言葉じゃなく、もっとも具体的な理由を教えてくれ!」


「やれやれ。聞けばなんでも答えて貰えるとか勘違いしてねぇか? 俺に答える義務なんて無いんだぜ?」


 正論かもしれないが、そんなものに俺は興味はない。


「いいや! 1プレイヤーとして俺達には知る権利はあるね!」


「1プレイヤーとしてか。ははっ、なら俺もゲームマスターとして返答しようじゃないか。月並みな言葉になっちまうが、知りたければ俺を倒してからにしな!」


 そう言って久世創が黒ローブを脱ぎ捨てる。


「その姿は、ソル……いや違うな」


 そこにはソルと――引いてはミュトスと良く似た姿のアバターが隠されていた。

 しかし似てはいるが明らかに異なる部分もある。まず全体の色合いが全然異なっていた。ミュトスが太陽のイメージならばこちらは月だ。漆黒の闇夜のような黒髪に月をあしらった髪飾りが良く映える。纏う服装もウエディングドレスではなくタキシード風だ。

 ミュトスと久世創、2人が並ぶ姿はさながら結婚式の様相であり、俺の琴線を鋭く刺激する光景でもあった。


「ゲーム中3体しか存在しないLR(レジェンドレア)アバター、その2つを一度に見れるなんてゲーマー冥利に尽きるんじゃねぇか?」


 そんな俺の心の裡を知ってか知らずか、久世創がそんな事を言ってくれる。


「LRね。SSRよりも一つ上のレアリティって事でいいのかしら?」


 ルクスが苦笑しながら、そう尋ねる。


「ああ。実は間にもう一つありました、なんて野暮な事は言わないさ。それに何か勘違いしてそうだから言っておくが、俺は別に他人が苦しんでいる姿を見て喜ぶ変態じゃねぇからな?」


 この後に及んで何を言うか。もはや突っ込む気にもなれない。


「御託はいい。それよりもお前を倒せば本当に全部教えて貰えるんだな?」


「ああ、ホントに俺に勝てたならな。まあでも無理だと思うぞ?」


「ふむ。それはやってみねば分かるまい? まさか無敵という訳では無いのだろう?」


 ネージュの言葉で気付いたが、久世創ならばそんな事をやって来てもおかしくはない。


「安心しな。確かにこのアバター"ロゴス"の性能はSSRアバターすら大きく上回るが、それでもプレイヤー用のアバターの範疇に留まる。同じ実力の人間が扱えば、SSR4人の方がまず勝つだろうさ」


 同じ腕の持ち主ならば、こちらが有利という訳だ。

 にもかかわらず、負けるつもりなど欠片もない自信の程は、俺達よりもプレイヤースキルで遥かに優っているとでも言いたいのか?


「ふむ。我々も随分と舐められたものだな」


「そうね。後悔させてあげましょうか。ねぇヴァイス?」


 ルクスの言葉にヴァイスが意を決したように頷く。


「叔父さんに今度こそ勝つ」


「涼葉か。5年後なら分からないが、今のお前じゃまだ無理さ」


 リアルでは叔父と姪の関係である2人の視線が交差する。


「やってみなきゃ分からない」


「やらなくても分かるさ」


 世話になったらしい叔父に対してヴァイスがいつも通り戦えるか少し心配だったのだが、どうやら杞憂に終わりそうだ。


「覚悟はいいか? 天才技術者さんよ!」


「はっ、どっからでも掛かってきやがれ!」


 そうして俺達4人と久世創の戦いが幕を開けた。


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