1 動乱の序奏
本日より4章投稿開始です。全9話の予定です。
今話は三人称視点でのプロローグ的なお話となっております。
次話よりイツキ視点へと戻ります。
波乱の多い1年が終わり、また新たなる年が迎えてからもう1ヶ月以上が経過していた。
年明けの浮ついた雰囲気は払拭されており、迫る年度末の慌ただしさに世の務め人達が戦々恐々としていた頃。それらとは全く異なる方向性の悩みを抱える2人の女性がいた。
「はぁ、先輩がゲーム好き過ぎてちょっと辛い……」
「わたくしもまさかあれほどとは思っておりませんでした。正直、認識が甘かったと言わざるを得ませんね」
北条吉乃と漆原七海、この2人がそう語る人物の名は月衛樹――ラグナエンド・オンラインにおいては、イツキという名で知られるプレイヤーである。
彼女達はそんなイツキのリアルでの知り合いであり、同時に彼に恋心を抱く人物でもある。一時は彼との連絡を絶たれていた両名であったが、とある出来事をきっかけに昨年の秋ごろに再び繋がりを持つに至った。その勢いのまま彼を落とすべく行動を開始した2人であったが、生憎とそう上手くはいかなかった。
というのもイツキが生粋のガチゲーマーであったからだ。彼女達が連絡をすれば返事はあるものの、大抵タイムラグが存在した。基本的にイツキは平時はいつもゲーム内にログインしており、そして多くの場合は狩りなどで忙しい為、すぐには返事が出来ないのだ。
それだけならば彼女達もまだ我慢出来たかもしれない。だがイツキのゲームへの依存っぷりはその程度では済まなかった。
「イベント事なんか全部ゲーム優先だもんね!」
「ハロウィンの時も、クリスマスの時も誘いを見事に断られてしまいましたしね……」
現実で何らかの行事が行われる際には、大抵ラグナエンド・オンラインでもイベントが開かれている。そのため行事を口実としたデートの誘いを彼女達は毎度のように断られていたのだ。
「お正月は不覚だったわ……」
「まさか樹様のご予定が空いているなんて、わたくしも思ってもいませんでした」
そんなイツキが唯一、暇な時間があったのが正月であった。彼の仲間達が皆、帰省した事で一緒にプレイするメンバーがおらず、しかもゲーム内では特に目立ったイベントが行われていなかった。
そんな訳でイツキにしては珍しく予定がぽっかりと空いており、彼が図書館都市セラエノと赴く事に繋がったのだが、そこまでの詳しい事情は彼女達は知らない。ただそれまでの経験から、どうせ正月も忙しいのだろうと高を括ってしまい、同時に彼女達自身も忙しかった事もあり声を掛けなかったのだ。そしてその事を2人は今になって後悔しているという訳だ。
「ねぇ、やっぱり私達もそのラグナなんちゃらってゲーム、やらないとまずいのかしら?」
「ラグナエンド・オンラインですよ吉乃さん。……ですがそうですね。やはり話題を合わせる意味でも、イツキ様の行動を把握する意味でも、それが良いのかもしれませんね」
そのような理由から、彼女達2人はラグナエンド・オンラインを決断する。幸いにして現在では品薄状態も大分解消されており、多少手続きに時間は掛かったものの最寄りの大手量販店であっさりと購入する事が出来た。
「さて、早速やりましょうか!」
「はい! ……それでどのようにするのでしょうか?」
「……パソコンには入らないわよね、これ?」
しかし彼女達が購入したのはラグナエンド・オンラインのソフトウェアのみ。プレイする為の肝心要のネオユニヴァースを購入していなかった。なので当然プレイなど出来るはずもない。
「うーん。なんか別に何か機械が必要みたいね。うえっ!? 何よこの値段……!? たかがゲームでこんなにするの?」
「貯金を下ろしてこないと足りませんね……」
色々と2人で頭を突き合わせて悩んだ末、ようやくそんな初歩的な事実に気付く。これは単にゲームに彼女達が疎いというだけではなく、ロクに下調べもせず勢いだけで行動した結果の末路だと言えるだろう。
次に彼女達はネオユニヴァースを買い求めるべく各地を巡る事になった。
ラグナエンド・オンラインを買った店では既に売り切れであり、それは周辺の店でも同様であった。いよいよ本気になった彼女達は、ネット上で情報を探りながら色々な店へと出向いた末、ついに入手に成功したのだった。
「はぁ、やっとで手に入ったわ! 凄い人気みたいねぇ、これ」
「みたいですね。わたくしなんだか少しワクワクしてきました」
このように彼女達のテンションが妙に高まっているのは、恐らくいざ買おうしたら手に入らなくて、余計に欲しく感じてしまう現象だろう。確実に一過性の感情ではあったが、結果的にはそれが良い方向に働いたようだ。
そのテンションを維持したまま、彼女達はラグナエンド・オンラインの世界へと旅立つ。
「ねぇ、案外これって楽しいかも?」
「そうですね。わたくし少しだけ樹様のお気持ちが理解出来た気がします」
テンション高くプレイを開始した事が影響したのか、彼女達はラグナエンド・オンラインの世界を楽しむ事が出来たらしい。フルダイブVRゲームは、人体を動かすのと近似した操作性ゆえに、非ゲーマーであっても以外と楽しめる作りであった。
無論、極めるには多くの知識が必要であるが、ゲームとは本来ただ何も考えずに遊ぶだけでも十分楽しいものだ。そう言った意味ではラグナエンド・オンラインはその原点に回帰した作品であるとも言えるかもしれない。
「ねぇ七海? このゲームを私達がプレイしてる事、しばらく先輩には内緒にしない?」
「はい? それは何故でしょうか?」
「分からない? こっそり強くなって、先輩の事を驚かせてやるのよ!」
「それは名案ですね、吉乃さん! たまには樹様が驚く姿をわたくしも見てみたいです!」
キャッキャウフフとテンション高く盛り上がる2人。
だが彼女達はまだ本当の意味では理解していなかったのだろう。イツキが一体どれ程のガチ勢であるかと言う事を。
◆
名門立花家の令嬢であるアリスリーゼは悩んでいた。その傍には筋骨隆々な男――ブラックマーシュが立っている。彼は以前行われた武闘会にて、彼女のパーティの臨時メンバーとして活躍したREOプレイヤーである。その縁とリアル武術家という経歴の珍しさから彼女に気に入られ、こうして護衛として雇われる事となったのだが、その実態は彼にとっては悲しい事にほぼ愚痴聞き役であった。
「はぁ……最近雪音が構ってくれなくて寂しいのですわ……」
「そりゃぁ……嬢ちゃんがしつこく付き纏うからだろうが……」
そんなアリスリーゼの吐露に対し、呆れた口調でブラックマーシュはそう返す。
「だって……そうしないと雪音の嫌がる顔が見れないではないですか?」
ブラックマーシュの苦言に対し、事も無げにそう返すアリスリーゼ。
「いくらなんでもやり過ぎだって言ってんだよ。それで相手が怯んでた頃なら良かったんだろうが、今はそうじゃないだろう?」
以前はアリスリーゼと会う度にビクついていた雪音――ネージュであったが、今はイツキが即座に撃退してしまうので、特に反応を見せなくなりつつあった。なのでイツキを排除すれば彼女の願いが叶う可能性は高いのだが、それを推奨するような外道な真似はブラックマーシュには出来なかった。
「ではわたくしはどうすれば良いというのですか?」
「そうだな……? まあ、たまには優しく接してみたらどうだ?」
それでネージュが感謝するのか、それとも更なる嫌悪の感情を見せるのか。それはブラックマーシュにも予想は出来なかったが、ネージュから向けられる感情ならばその正負を問わないアリスリーゼにとっては、多分どちらであっても構わないだろう。
「優しく……ですか? そんな事に意味があるのかしら?」
名家の令嬢として好き勝手に振り回い続けたアリスリーゼにとって、他者に対して意識的に優しく接した経験など無かった。だからかブラックマーシュの言葉にもイマイチピンとこない様子だ。
「そうだな。少なくとも嬢ちゃんがそんな真似をすれば絶対にあの子は驚くと思うぞ? それだけは断言してやる」
他の人間に言えば絶対に怒られるような言い草だが、アリスリーゼにとってはそうではない。その言葉を聞いてむしろ感心したような様子を見せるのが彼女なのだ。
「……驚くのですか? それは悪くはないですわね。いいでしょう、その案を採用いたしますわ! それで具体的にわたくしは何をすれば宜しくて?」
そんな事まで1から説明しなきゃならんのかと内心で呆れつつも、所詮雇われの身であるブラックマーシュには拒否など出来ない。渋々ながらにどんなことをやればいいのかを、子供に語るようにして教えるのだった。
◆
ミュトス社の開発部門のナンバー2である陽子は悩んでいた。彼女にそうさせる人間などこの世にただ1人しか存在しない。
「最近、なんか創がよそよそしい気がするのよね……」
もともと久世創という人間の本質は、決して人当たりが良いモノでは無かったが、それでも陽子の事は何かと気に掛けてくれていた。だが最近ではそうでなくなったように彼女は感じていた。彼の仕事が以前よりも忙しくなった事もその原因の一つなのだろうが、どうもそれだけでは無さそうに思えるのだ。
「昔からあんな感じだったかしら?」
陽子は自身の記憶の中の久世創という人物像を探る。やはりどうも最近の彼はそれからズレているように思えてならなかった。
高校大学と共に過ごしてきた陽子からすれば、今の久世創は明らかに何かがおかしい。具体的な指摘は出来ないのだが、それでもそんな想いばかりが日に日に強くなっていくのを陽子は感じていた。
とはいえここ最近は彼ときちんと話す機会はロクに無かった。そんな状況では正常な判断を下せるはずもない。言えば話す時間くらいは作ってくれるだろうが、それで彼の邪魔をしてしまうのは彼女としても本意では無かったのだ。
「……どうすればいいのかしら?」
そうやって陽子が答えの出ない思考の迷宮に囚われていると、ふと背後に誰かの気配を感じる。だが今彼女がいるのは社内に与えられた彼女専用の個室だ。オートロックの仕様上、許可なく中へと入って来れる人間は久世創の他にいない。
久世創がわざわざこの部屋まで出向いた事に喜びを感じながら陽子は気配の方へと振り返る。
「っ!? あなた誰!?」
しかしそこに立っていたのは久世創では無かった。黒いローブを纏いフードを深く被っているため表情は窺えないが、背格好は恐らく彼女と同じくらいのように見える。
「キタガミ――ザザッ――北神陽子か?」
その黒ローブの口から明らかな機械音声が漏れ出る。
「な、何よあなた!? 大体どうやってここに入って来たのよ!?」
陽子が不審がるのも当然だ。鍵の掛かった部屋に彼女の許可なく侵入した事は勿論、このような如何にも怪しい人物がセキュリティに優れたミュトス社内に入って来れるはずがないのだ。もし百歩譲って侵入自体は許していたとしても、騒ぎになっていないなど本来ならばまず有り得ない。この建物内は随所に監視カメラが設置されており、それらは全て久世創が作り上げた究極の人工知能ミュトスによって管理されている。彼女の監視の目を潜り抜ける事など余人には絶対に不可能だ。
「北神陽子で間違いないようだな。……君に話がある」
「だ――んぐぅぅっ」
黒ローブの呼びかけを無視して、陽子は助けを求める声を上げようとする。しかし一瞬でこちらへと接近した黒ローブによってその口を塞がれてしまう。
「君に話があると言っている。――言葉の意味が理解出来ないのか?」
脅すような言葉だが、不思議とそこに威圧感などは一切存在しない。感情は窺えずただ思った事を淡々と述べているような印象だ。
「まずは黙って話を聞くといい。何か言いたい事があればその後に聞くとしよう。理解したならば右手を上げてくれ」
物を扱うようなぞんざいな手付きではあったものの、特に自身を害する気配などは感じなかった陽子は、渋々ながら黒ローブの言葉に応じる事にする。
「では話そう――」
そうして黒ローブの口から語られた言葉は、陽子にとって信じ難い内容であった。
「そんなの嘘よっ!? 信じられないわ!」
「だが全て事実だ」
そう断言されても陽子にとっては到底受け入れられる話ではなかった。だがそんな彼女へと黒ローブは更なる追い討ちをかける。
「これが証拠だ」
黒ローブが被ったフードを下ろし、その素顔を覗かせる。
「うそ……」
それを見た瞬間、陽子は言葉を失ったままその場に崩れ落ちる。
「ははっ、そうだったんだ私……。こんなのただの道化じゃない……」
「……北神陽子? 突然どうしたのだ?」
そうして壊れた機械のようにして笑い続ける陽子。
その姿を見ていた黒ローブは相変わらずの無表情のまま、しかし僅かな困惑を覗かせた声を上げる。
「……なぜだ? 事情を明確にし、その上で君に協力を求めようとしただけなのだが……」
だがそんな問い掛けにも陽子からは一切の反応が見られない。ただ空虚な笑い声が辺りに響き続けた。




