12 真実の一端(後編)
バラーディアによって人里離れた山奥まで連れて来られた俺達。そこにあったのは何かの研究施設のような白い建物であった。
「こっちじゃ」
慣れているのか長く山中を歩いた疲れも見せる事無く、軽い足取りでバラ―ディアが建物の中へと入っていく。ここまでわざわざやって来た以上は今更引き返す気にもなれず、俺達もまた覚悟を決めて彼女に続く。
そうして入った建物の中に広がっていたのは、少し意外にも思える光景だった。
「うーん? なんか思ったよりも、設備がしょぼい、というか古いのか?」
建物の見た目が新しい感じであったし、何より耶雲家の重要機密がある場所なのだ。てっきり最新の設備を揃えていると思っていたが、どうも違うようだ。もっとも俺には設備の新旧はなんとなく判ずることが出来ても、その用途までは変わらず分からなかったが。
「そう。見る限りどれも30年以上も前の機械ばかり」
「ほぉ、良く分かったのぉヴァイス。確かにお主の言う通りじゃよ」
「へぇ、てか何でそんな事分かるのよ、ヴァイス?」
この中でバラ―ディアの次に若いはずのヴァイスが何故そんな昔の事を知っているのか不思議だが、一方で彼女ならばそう言う事もあるかなぁという思いもある。
「それでここは一体何の施設なんだ? それに建物の大きさの割には人もなんか少ないみたいだし……」
研究施設としては少々手狭な建物ではあったが、それにしても人の数が妙に少ない。見る限り20人にも満たないだろう。
「うむ。こちらとしてももう少し増員したいのは山々なのじゃがな。残念ながら現状ではこれが精一杯なのじゃ。……それでここが何の施設かじゃったな。それを一言で説明するのは難しいのじゃが……まあそうじゃな、耶雲家の最重要機密を扱う場所といった所かの?」
たしか来る前もそんな事を言っていたな。
「へぇ、その割に設備が妙に古いのは何でなんだ?」
いくら歴史ある名家だとは言っても、それが最新の設備を使わない理由にはならない。そもそも本当に歴史を重視するならば、機械なんておかずに紙の書物でも扱うべきだ。まあそれこそ現実的では無い話ではあるが。
「その辺は今日の本題にも関わる事じゃ。しかし、このような場所ではどうも落ち着かぬ。奥の会議室へと行くとしよう」
そう言って古い機械だらけで狭い部屋を抜けてからその奥にある部屋へと移動する。そこはこじんまりとした部屋で、中央に木製の机が置かれその周りにパイプ椅子が乱雑に置かれている。そして奥には今どき珍しいホワイトボードが設置されている。見る限り電子機器の類は一切置かれていない様子だ。なんともレトロな雰囲気の部屋である。
「その辺に適当に掛けて欲しいのじゃ」
足早に席についたバラ―ディアは、俺達にも着席を促す。その余りに堂々とした態度は、彼女がまだ小学生であることをつい忘れしまう程だ。
「さて、本題に入る前に一つ尋ねてみようかの。この建物の内部を見て何か感じた事は無いかの?」
話の前置きのつもりなのだろうか、質問の意図がイマイチ良く分からない事を尋ねて来る。
「そうねぇ、なんていうか色々前時代的な感じよね?」
前時代的、確かにルクスの言葉は言い得て妙だと思う。というのもこの建物にあるのは何もかもが古い物ばかりなのだ。よくよく思い返せば建物の外観も最近建てられたというだけで、そのデザインなどは少々古臭かったようにも思える。
「それは的を射た意見じゃな。そうじゃ。この建物内にある機械などは全て34年以上前に造られたものなのじゃ。もっとも色々と改造は施されておるので、性能的には大分マシになっておるがの」
「なぜまたそのような面倒な真似を? 古い機械を使う事に何らかの意味があるという事なのだろうか?」
「そうじゃ。それで34年前という事に、何かピンと来る者はおらぬか?」
「……叔父さんの生まれた年?」
少し迷った末ヴァイスがそのように答える。彼女の叔父というのは久世創の事だろう。
「その通りじゃ。ここにある機械類は全て、アレが生まれる以前に造られた品という訳じゃな」
「……どういう事なんだ?」
それに一体何の意味があるのか分からないのは俺だけだろうか?
だがそんな俺の疑問をバラ―ディアは受け流し、別の話題へと移行する。
「のぉお主ら。久世創という人間について何か疑問に感じた事はないかの?」
「それって、REOでプレイヤーが困るような事をワザとやってるって話かしら?」
「まあそれもあるのじゃが、今わしが言っておるのはもっと根本的な部分についての話じゃな。お主らはアレが世に齎した功績についてどう思う? あまりにも異常過ぎるとは思わぬかの?」
久世創はまだ成人前にしてその頭角を表し、当時のVR技術の常識を一変させた。学会で一定の地位を得た後は、語部森羅の後援の下でミュトス社を設立。そしてネオユニヴァースに代表される現在のフルダイブ技術の基礎を確立させた。この間、僅か15年ほど。言われて見れば確かに驚く程の躍進ぶりだ。
「かなり凄いって事だけは分かるんだが、それはそこまで言う程に異常な事なのか?」
研究者ではない俺にはイマイチピンと来ない話だ。天才とは得てしてそんなものでは無いのかとも思ってしまう。
「表に出ている功績だけならば、ただの天才としてギリギリ扱っても良かったのかもしれぬな。じゃが、アレの功績は世に知られている以上に莫大な量じゃ。例えばそうじゃな。実はアレは医療関係の分野にも手を出しておる」
「……もしかして、母さんの病気のこと?」
俺には全くピンと来なかったが、ヴァイスにはどうやら心当たりがあったようだ。そう言えばヴァイスの母親が久世創に助けられたとかそんな話もあったな。それに関わりがあるという事なのだろうか。
「それもその一つじゃな。アレは数多くの難病の特効薬開発や治療法の確立に多大な尽力をしておるのじゃ」
VR関係の技術者としての久世創しか知らない俺にとっては、全くピンと来ない話だ。仮にそれが本当だとしても、何故わざわざ功績を隠すような真似をするのかと疑問にも思う。
「アレの功績は非常に多岐に渡っておる。VR関連技術の目覚ましい進歩に目を奪われがちだが、よくよく目を凝らせばアレが活動を始めて以降、他分野の技術発展もまた著しい事になっておるのが分かるはずじゃ」
そうして各分野における彼の業績を一つ一つ述べていくバラ―ディア。だが、それはもう人間の所業じゃないというか、身体が一つしかない以上、人間には物理的に不可能なレベルではないだろうか?
「アレが裏で動いた事で、近年では多くの分野が目覚ましい発展を遂げる事となった。その唯一の例外は、う――いやこれは今はどうでも良い話じゃな。ともかく、アレの挙げた業績は歴史上に存在する数多の偉人たちと比較してもやはり異常じゃ」
「……ふむ。流石にそれはすぐには信じられない話だな。いくら久世創という人物が優秀であろうと、流石に少し話を盛り過ぎなのではないか?」
「だと良かったのじゃがな。今述べた事には一切の誇張を含んではおらん。全て耶雲家の諜報部によって確認された事実じゃ。むしろこちらの把握外で他にも何か色々とやっておる可能性の方が高いくらいじゃの」
ネージュのもっともな疑問に対しても、ただバラ―ディアはその小さな肩を竦めるばかりだ。先程彼女が述べた内容だけでも大概だったのに、それ以上などとはなんとも信じ難い話だ。
「いくらなんでも、そんなの人間業じゃないわよ!? まさか、久世創が人間じゃないとか言い出さないわよね?」
実は久世創の正体は、宇宙人だったとかな。バラ―ディアの話が真実だったなら、そうでもないとむしろおかしいくらいだ。
「いや、あの男は間違いなく列記とした人間じゃよ。そこのヴァイスともちゃんと血は繋がっとる。ただそうじゃな。普通の、とは言えんかもしれんの」
「どういう事なんだ?」
久世創が普通でない事は分かるが、バラ―ディアはどういう意味でそう言ったのだろうか?
だがそんな俺の疑問に答えはなく、また話題があらぬ方向へと飛ぶ。
「ここから先の話は決して他言無用で頼む。……良いかな?」
バラ―ディアの表情が一層真剣なものへと変化する。そして俺達が頷いたのを確認してから彼女は口を開いた。
「……アレが成し遂げた数多の業績、実はそれを裏で支えた存在がおるのじゃ」
「ふむ……。協力者がいたという事か。ならば納得のいく話だ。して、それは一体誰なのだ?」
確かに1人で全てを成し遂げたなどと言われるよりは余程筋は通っている。
「……その名はミュトス」
「ミュトス? ミュトス社の事を言ってるのか?」
ミュトス社という会社組織が久世創の躍進を支えたという話だろうか? それだと当たり前の話過ぎて、逆にイマイチピンと来ない。だがどうやらそれは俺の早合点だったようだ。
「ミュトスと言えば、お主らが思い浮かべるのは会社の名前じゃろうが、その由来となった存在が別におるのじゃ。ミュトスとは本来、久世創がその一生を費やして生み出した究極の人工知能を指すのじゃ」
「……人工知能ミュトス?」
初めて聞く名前だ。ただ俺はその存在について少しだけ心当たりがあった。
「なぁ、それってもしかして、サタン達が言っていた女神様とかいう奴のことなのか?」
サタン達が自分たちの上位者の事をそう呼んでいたのを思い出す。そしてそれが彼女達にとっては久世創よりも重視されるべき存在である事も匂わせていた。
「……わし自身もあの場で初めて聞いた話なので断言は出来ぬ。じゃがラグナエンド・オンラインの大部分をミュトスが担っている以上、その可能性は高いと言えるじゃろうな」
まだ分からない事だらけだが――少し、ほんの少しだけだが話が繋がって来た気がした。
「ミュトスをそこらの人工知能と一括りにしてはならぬ。その抜きんでた演算能力を十全に活かせば、ミュトスは世界と戦っても勝ちうるほどの能力を持っておる。……いやこの言い方は正しくないの……訂正するのじゃ。既には世界にミュトスに敗北している」
「はぁ? 世界が敗北? 言ってる意味が良く分からないんだが……」
バラ―ディアは一体何を言っているのだろう? また急に理解が追いつかなくなる。
「文字通りの意味じゃよ。世界の主要国家は全て、ミュトスに対し既に白旗を上げておる。もちろんその中にはここ日本も含まれておるのじゃよ」
白旗? 戦争? そんな話は聞いた事がないが……。
「無論、ミュトスは武力行使などしておらぬよ。何故ならその必要すら無かったのじゃからな」
「人工知能が武力を使う事無く世界に勝利、か……。そうか、だからこの場に置かれている機械類は全て古い物ばかりなのだな?」
ネージュがその言葉を聞いて、得心のいったような表情を浮かべる。
「その通りじゃ。ミュトスは究極の人工知能にして電脳世界の申し子と呼ぶべき存在じゃ。いや奴らに習えば女神と呼ぶべきなのじゃろうか。何にせよミュトスはその権能によってありとあらゆる電子機器を支配する。一度アレと繋がりを持った電子機器は全てその支配下に落ちてしまうのじゃ」
その言葉を聞いてようやく俺も事態を察する。と同時にまさかという思いが浮かび上がってくる。
「……なぁそれって、世界中のありとあらゆる電子機器が全部、そのミュトスって奴の支配下にあるって事なのか?」
「その通りじゃ。現代では軍事兵器も核ミサイルも皆電子制御じゃ、それら全てを握られては戦争など出来るはずもない」
現代社会で電子機器の制御権を全て握られてしまう事が、一体どれほどに危険な事であるかなど想像するのは容易い。軍事は勿論のこと通信・交通など数多くの面においてその首根っこを掴まれたに等しい状態であり、そしてそれはもはや人類の命運を握られたにも等しい事なのだ。
「ねぇ、国の重要機密を扱う電子機器なんて、どれも外部のネットワークから独立してると思うんだけど?」
「確かにその通りじゃ。しかし、それらの電子機器を構成する末端部品の生産工場などは別じゃ。どうも部品製造段階で色々と仕込まれておったらしく、各国政府がそれに気付いた時には既に完全掌握された後じゃったな」
電子部品それぞれにミュトスの分体を潜ませて、そいつらが勝手にスタンドアローン状態を解除してしまったようだ。辛うじてその魔の手から逃れた数少ない施設も、その後のミュトス側の脅迫によって支配権を明け渡す結果となったそうだ。
「ねぇ。そんな事にやったら、久世創を物理的に暗殺しようって人が出て来てもおかしくは無いんじゃない?」
「そうじゃな、確かに最初のうちはそのような連中もおったようじゃが、それもすぐに居なくなってしまったようじゃの」
何故だろうか? 自由を求めるのはある種、現代人の本能といってもいい。それに従い支配から逃れようとする連中が、そう簡単に諦めるとは思えないのだが。
「その理由はいくつかあるの。まず第一にその守りの硬さじゃな。日本への渡航制限が他国よりも遥かに厳しいのはお主らも知っておろう?」
日本への海外からの入国には、いつからか監視用のGPS受け入れなどを筆頭にいくつもの厳しい条件が課される事となった。それらは海外からの観光客減少の一因として挙げられるが、そちらについてはより分かり易い原因が存在する為、そこまで話題に上ることは無い。
「正規のルートで入国すればまず悪さなど出来ぬし、不正規のルートでの入国などは実質、不可能に近いからのぉ」
もう40年近く前になるだろうか、俺がまだ生まれる前の出来事だ。日本の西側にあるユーラシア大陸東部の大半が一夜にして消滅した。その原因はいまなお不明だが、それによって日本は近隣諸国を失い大洋の中に浮かぶ孤島のような状況となった。そのお蔭かかつては多かった海路を用いた密入国は一気に激減する事となる。
加えて近年の日本は、国力が増したおかげか領海侵犯に対しては非常に厳しい措置を取るようになった。ただ先程の話を聞いた後だと、そのような一連の措置は全て久世創の身柄を守る為の一環なのではないかと思えて来る。
「他国からの刺客を送り込むのが困難なのは理解したが、国内からだとどうなんだ?」
久世創の台頭で最も恩恵を受けるのは日本人だろうが、それを快く思わない勢力だって確実に存在するはずだ。
「そちらはもっと簡単じゃな。久世創はミュトス社からは決して動かぬし、本社ビルの守りはミュトスが担当しているが故、非常に堅い。遠距離からそれを破ってビルごと破壊可能な武器弾薬については全てミュトスが抑えておるし、それ以外の小規模なものも近くには持ち込めぬようになっておる」
俺達が一度本社へと出向いた際には、特に何もなかった気がするが、知らないうちに何かチェックでも受けていたのだろうか?
何にせよセキュリティは万全らしく、久世創の暗殺はあまり現実的では無いらしい。
「2つ目の理由としては、現存の統治者たちの権限をあえて取り上げようとはしなかった事じゃな」
ミュトスは世界を支配下においた後も、表向きには特に目立った行動は起こさなかったようだ。まあそれを実行していれば流石に大騒ぎになっただろうし、俺達も気付けたはずだ。
「それでも首根っこを掴まれた状況に対し、内心で不満を抱えておる連中もそこそこおったようだの。じゃが、それらもすぐに抗う事を諦めるようになる。というのも奴らは今更、久世創を殺しても状況に何も変化が無い事を悟ったのじゃよ。ミュトスの行動は全て久世創の意に沿ったものであり、そしてそれはアレが死んでも変わらぬ事に気付いてしまったのじゃ。むしろアレを殺してしまえば制御役を失ったミュトスがどのような行動に出るか見当もつかん。下手に久世創を殺してしまう方が、今となってはよほどリスクが高いという訳じゃな」
世界の電子機器の制御権を握るミュトスがもし暴走でもすれば、世界は一気に危機へと陥る。核弾頭の雨が各地に降り注ぐかもしれないし、あるいは全ての電子機器がその機能を停止し、都市機能が国ごと完全にマヒする危険だってあるのだ。
「かといって、ミュトスを滅ぼす事などもっと不可能じゃなからな」
ミュトスの支配に統治者達が気付いた時点で、既に世界中の9割以上の電子機器が秘密裏に掌握されていたそうだ。そしてミュトスという存在は、それら機械すべてに跨って存在している。故にミュトスを滅ぼすには世界中の電子機器を葬る必要があるのだ。当然そんな事など出来ないし、仮に出来てもそれをやってしまえば、それこそ世界は終わってしまうだろう。
「加えて何やら唆したらしくての。今となってはミュトスに逆らうどころか、むしろ協力的な連中ばかりなのが実情じゃ」
敵に回せば恐ろしいが、味方にすればこれ程頼もしい存在はいない。ミュトスの支援を受けた彼らは、それぞれの国での政治基盤をより盤石としており、その事がミュトス――引いては久世創の影響力をより増す結果に繋がっているようだ。
今となっては各国の権力者たちは、逆に久世創を守る側へと立場を変えているのだそうだ。
「はぁー。それが本当の話なら、久世創はまさに世界の支配者って事になるわね」
やや皮肉めいた口調でルクスがそう漏らす。
なんとも陳腐な響きの表現ではあったが、確かにピッタリの言葉かもしれない。
「そうじゃな。まあそう言っても過言ではあるまいて」
だからかバラ―ディアも苦笑はすれど、それを特に否定はしない。
「んで、世界の支配者とやらになった久世創は、一体何をやりたいんだ?」
各国の政治に口を出すわけでもなく、ただVRゲームの運営や開発にばかり力を入れているようにしか思えない。その姿は単なる擬態に過ぎず、実は裏で何か色々と画策しているのだろうか?
「問題はそこじゃな。わしとしては、アレがそう愚かな真似はすまい……と思いたいのじゃが、どうもわしが知っている久世創とは色々と違いすぎての……。そこでお主らに頼みがあるのじゃよ」
頼みか。色々と教えて貰ったので、力になってやりたい気持ちはあるのだが、同時に俺達が力になれるような事があるのだろうか? とも思ってしまう。
……なんというか、小学生の女の子相手に情けない話だ。てか、これでまだ小学生って世の中何か間違ってないだろうか?
今更ながらの思考を遊ばせつつ、俺はバラ―ディアの言葉の続きを待つ。
「お主らは久世創と直接接触できる立場にあるのじゃろう? そこでお願いなのじゃ。わしの名前は伏せた上でアレにこう尋ねて欲しい「外で一体何と出会った?」とな」
その言葉の意味は分からないが、バラ―ディアの表情からタダならぬ事情が隠されている事が察せられて、誰も追及の言葉を口に出来なかった。
「……了解した。その言葉をそのまま伝えれば良いのだな?」
「そうじゃ。どうか頼んだのじゃ」
小さな体を90度に折り曲げて、バラ―ディアが頭を下げる。
「さて話に熱が入り過ぎたようじゃな。少し遅いが昼食としようかの。と言っても、こんな山奥じゃ、味の方はあまり期待しないで欲しいのじゃ」
ここに来た時にはまだお昼前だったはずだが、気が付けばもう2時を回っている。それを自覚した途端、なんだか小腹が空いたように感じてしまう。まあ朝もかなり早かったし仕方ないだろう。
◆
こんな山奥で味わえるなんて思えなかった趣の深い昼食を堪能した後、俺達はしばしの雑談タイムへと突入する。
「ねぇ、ここの設備って、そのミュトスって奴に汚染される前の機械ばかりなのよね?」
「その通りじゃ」
「にしても30年前ってちょっと古過ぎない? 久世創ってまだ確か34歳なんでしょ? 少し警戒し過ぎな気がするんだけど」
30年前だと久世創はまだ4歳なのだ。いくら天才でも4歳児にそんな真似が出来るとは到底思えない。だがそんな当然とも思える意見は、バラ―ディアによって一刀両断にされてしまう。
「お主の言い分は一般的には正しいのじゃろうが、こと久世創に対しては間違っておると言わざるを得ないのじゃ。あれが表舞台に出て来たのは大学在学時じゃったが、こちらの調査によればミュトス本体の完成はそれよりも5年以上も前の話なのじゃよ」
18歳で大学に入学したとすればその5年前だと13歳――中学1年生になる。だがその言い方からするとミュトスの完成はそれよりも更に前と言う事になってしまう。1年やそこらで作れるような代物でないことを考えれば、その開発へと着手したのは小学生時代からと言う事になってしまう。……いくら何でも流石に有り得なくないか? と思う一方で、ちょうど俺達の目の前に似たような存在が居る事に今更ながらに気付いてしまう。
「小学生の時点でそんな人工知能を開発するなんてまず有り得ない、なんて思ったけど、バラ―ディアを見てると案外あり得るのかなって気になってしまうな」
「む、むぅ……そうかの?」
俺のそんな何気ない言葉に、明らかに焦ったような表情を浮かべるバラ―ディア。
「おい、まさか自分の異常さを自覚して無かったのかよ?」
弱冠10歳の女の子にしてはあり得ない程の弁の立ちようだ。実はどっかの闇の組織に薬を飲まされて若返った研究者とか言われた方が、逆に真実味を感じてしまう事だろう。
「そうよ。あなたホントに10歳なの? いや確かにどう見ても10歳にしか見えないけど、とても10歳には見えないわよ?」
一息で矛盾するような事をルクスが言っているが、言いたい事には俺も共感する。
「うむ……。耶雲家が養女として迎えたのもその聡明さ故なのだろうが、確かに違和感が拭えないのも事実だな。なぁバラ―ディア君、もしかしてまだ何か秘密を隠しているのではないか?」
ネージュが真剣な面持ちで真っ直ぐにバラ―ディアを見据える。普段の彼女には決して無い威圧感を伴っており、普通の小学生ならば泣き出す状況だ。だが当のバラ―ディアはというと、その視線を一身に受け止めたままネージュの事をジッと見つめ返していた。
そうして2人の視線が交錯したまま沈黙が続くことしばし、やがて意を決したようにしてバラ―ディアが口を開く。
「そうじゃな。確かにわしにはまだお主らに言っておらぬ秘密がある。じゃが、それを明かすのはまた次の機会とさせて貰おうかの。それに今日話した事実の確認だけでもそちらは大変じゃろうしな」
確かに今日1日で俺達が得た情報量は非常に多い。そして現状ではバラ―ディアがそう言っているだけに過ぎず、こちらでも裏付けを取ってからでないときちんと扱えないような情報ばかりでもあった。これ以上はこちらの情報処理能力がパンクしてしまいそうなのも事実ではあるのだ。
「了解した。ただ出来ればもう一つだけ教えて欲しい。……どうして我々にこのような機密情報を明かしたのだ?」
クリスマスイベントで俺達との仲が深まったのは事実だろうが、だからといってこれ程の重要情報をあっさり喋る程かと言えば、多分ノーだろう。
「こういってはなんだが語部森羅の姪である私や久世創の姪であるヴァイス君などは、客観的に見れば久世創側の人間だ。情報が洩れる危険性は高いと見るべきだろう。ただ伝言を頼みたいだけにしては、どうにも不可解なのだよ」
俺達が沢山の新情報を得た一方で、バラ―ディアは一体何を得たというだろうか? 俺の感覚では情報漏洩のリスクを無意味に高めただけにしか思えない。
「……そうじゃな、お主らの疑問はもっとのじゃろうな。ただ一つ誤解を訂正しておけば、久世創に対し言葉を歪められることなく直接伝言を届けられる機会というのは、実はお主らの思っている以上に得難いものなのじゃよ」
それほどに久世創は忙しく、かつ人との接触を避けているようだ。
「権力者たちとの秘匿回線を通じた会議などでも、実際に応対しているのはミュトスである場合がほとんどなのじゃ。ミュトスの権能をもってすれば久世創本人を装う事など容易じゃからの」
どうやら俺達は気付かないうちに、かなりレアな体験をしていたようだ。
以前にインタビューで見た久世創と実物の彼の印象が異なったのも、もしかしたらそれが原因なのかもしれない。
「また久世創という男は、あれで家族を非常に大事にする人間じゃ。もちろんヴァイスもその中に含まれておる事と思われる。故に奴が何を企んでいようとも、その陰謀にアレがお主らを積極的に巻き込む可能性は逆に低いというわけじゃな」
家族だからこそ危険には巻き込まないか。それは俺にとって少し共感できる話だ。
「同時に家族だからこそ、奴への影響力を持っておるとも言える。どちらかと言えばわしがお主らを巻き込んだ事で、アレの恨みを買うという危険はあるかもしれぬな」
かっかっかっ、と老女のように笑う少女。見た目と口調がホントに合っていない。なんともアンバランスな振舞いだ。
「ふむ。細かい疑問点はいくつか残るが、今はそれで良しとしておこうか。……いずれ真実を聞かせて貰う日を楽しみにしているよ」
ネージュが一応の納得の姿勢を見せたことで、その話題はとりあえずの決着を見た。
その後も色々と話はしたが、ここまでの話と比べれば些事に過ぎない内容ばかりだったので割愛する。
「さて、もうこんな時間になったのじゃな。日が暮れてしまえば下山できなくなる。急ぎ戻るとしよう」
そうして山を下り、麓の錆びれた町でバラ―ディア達と別れる。それから車に揺られてネージュの屋敷へと帰宅するのだった。
「……やはりなんとしても久世創との対話の機会を得る必要がありそうだな」
帰りの車の中で、ネージュがそう呟く。
「でもそんなこと出来るの? 白木院家の力を使っても無理なんでしょ? それにバラ―ディアの話が本当だったら、ちょっとどうしようもない相手よ?」
人工知能の力を使い世界を裏で支配しているなんて馬鹿げた情報がもし事実だったならば、俺達がどうにか出来る相手ではないように思える。
「……もうすぐ新年の集まりがある。そこで叔父上と顔を合わせる機会があるはずだ。その時に一度じっくり話をしてみたいと思う」
「ボクも年末年始は実家に戻る。多分その時なら叔父さんに会えるはず」
ヴァイスはここ数年は年末年始に実家に戻ってはいなかったようだ。その理由は単に自分のやりたい事に熱中していただけであり、特に家族と確執がある訳では無いらしい。そしてそこには久世創も毎年姿を見せるそうだ。
「ヴァイス一人だけとはいえ、一応会う機会はある訳ね」
「伝言はその時に伝える。いい?」
出来れば4人揃った時に伝えたかったが、なるべく早い方がいいようだし、4人揃ってだといつになるかも分からない。
「……そうだな。ヴァイス君にお願いするとしようか」
「その件とは特に関係ないんだけど、私も年末年始は自宅に戻らせてもらうわ。両親がたまには顔を出せってうるさいのよ……」
どうやら俺を除いた3人は、年末年始はこの屋敷から居なくなるようだ。
「あー俺は……」
以前住んでいたマンションは既に引き払ったし、他に帰る場所も特にない。
「私が居なくとも使用人たちはほぼそのままだ。イツキ君は変わらず過ごして欲しい」
俺の家庭状況を知っているネージュが、そう言って気遣ってくれる。
「そっか。じゃあそうさせて貰うかな……」
それから年末までの数日間は、いつも通りラグナエンド・オンライン内で俺達は過ごした。
そうして彼女達の居なくなった屋敷で一人、俺は年を越すのだった。
波乱の1年はこうして幕を閉じた。そして新たなる激動の1年がその幕を静かに開けるのだった。
これにて3章はお終いです。ここまでお楽しみ頂けていれば幸いです。
さて今後の予定についてですが、4章の前に3.5章の投稿を予定しております。
この章の最後に入れるか4章のプロローグにするか迷ったのですが、結局独立させることにしました。
こちらは1話のみです。ただ本筋に関わる重要な話なので、閑話ではなく本編扱いとしました。
投稿日は一週間後の3/24(金)の予定です。
4章ですが、他の章よりも少し短くなりそうな気配です。投稿開始日は3.5章投稿時に改めてお知らせします。
そして続く5章にて、当初想定していた話の最後まで辿り着く予定です。そこまでお付き合い頂けたら嬉しいです。




