1 波乱の序曲
今回より3章開始です。全12話の予定です。
最初の1話は、三人称で書かれております。イツキ視点に戻るのは2話目からです。
今から約半年ほど前にミュトス社より発売された世界最大規模のVRMMORPG――ラグナエンド・オンライン。サービス当初こそいくつものトラブルに見舞われ世間を大いに賑わせたりもしたが、現在は概ね落ち着きを見せている。
勿論、その運営方針に不満を持つ者はいまだ数多く存在するが――特に古参プレイヤー達にその傾向が強い――それ以上にプレイヤー数が増加しているせいか、表向きには平穏のように見える。
先日にはついに日本以外の各国へのソフト販売も解禁され、多くの海外プレイヤー達がラグナエンド・オンラインの世界を訪れる事となった。従来のMMORPGとは異なり、一つのサーバーを海外含む全プレイヤーで共有する事が事前に発表されていた為、言葉の壁によって生じるトラブルなどが懸念されていた。しかし海外向けに販売されたネオユニヴァースには、高性能な自動翻訳機能が実装されており、その懸念はほとんど払拭されたと言っていいだろう。それでも文化の違いによる軋轢は少なからず発生したが、それらを端に発した大きな問題は現状では確認されていない。
ハロウィンイベントに際して発生した騒動と、それに続く海外プレイヤーの参戦という事件を経て、ようやく平穏を得ることとなったラグナエンド・オンラインの世界。
そんな中、運営によって次に開催されるイベントが告知される。そのイベント名は"聖なる夜の舞踏会"。
運営が開示した資料によれば、クリスマス当日に運営主催による舞踏会が古都ブルンネンシュティグにて開かれるそうだ。舞踏会と聞けば、社交ダンスを踊らされるのではないかと心配になる人もいるだろうが、そういった形式ばった堅苦しい事は無しで、皆で和やかに食事などを楽しみながら聖なる夜であるクリスマスを盛大に祝おうという主旨のようだ。
またイベントに参加すれば運営からプレゼントが貰えるのだが、開催日がクリスマス当日という事も十分に考慮されているらしく、貰えれば嬉しい、けど貰わなくても特に問題は無いアイテムがプレゼントとして提示されている。実際問題、クリスマス当日に重要なイベントを開催して、それに参加できなかったプレイヤーが大損をするなんて事態が発生したら、運営はかつてない非難を浴びていただろう事は想像だに難しくない。
イベントの度に数多くの諸問題を引き起こしてきたREO運営だったが、今回の細かい配慮に関しては、数多くのプレイヤーから賞賛の声が挙げられていた。
◆
クリスマスイベントが目前へと迫った冬のある朝、耶雲織枝は久しぶりの学校から帰って来た後、すぐさまラグナエンド・オンラインの世界へとログインしていた。
その世界において彼女は、バラ―ディアと言う名で呼ばれている。由来はクリスマスローズの一種からであり、今の季節にピッタリの名前ではあるのだが、単に響きの良さから何となく付けたものであった為、彼女自身はその事を知らない。
「ほぉ、古都もたった数日で随分と様変わりしたのぉ」
街中の至る所で煌びやかなツリーを筆頭とした様々なクリスマスの飾り付けが為されている。建物の屋根には雪が降り積もっており、真冬のクリスマスムードを演出していた。
「さて、時間も無い事だし、早速狩りへと向かうとするかのぉ」
名門耶雲家の養女である彼女には、ゲームをプレイする時間とは貴重なものなのだ。
跡取りという訳ではないにせよ養女として迎えられた理由が理由だけに、彼女に課せられた義務は年齢を考えれば相応以上に重いものだ。幸いにして養女となる以前から高い教養を身に付けていた為、その辺の教育に時間を割かれる心配が無いだけまだマシだったが、もしそうでなければ今頃彼女には自由時間など露程も存在しなかっただろう。
「そうじゃなぁ、折角今日は時間があるのじゃ。ニヴルヘイムに一度、足を運んでみるとするかのぉ」
極寒で厳しい世界故に以前は探索がほとんど進んでいなかったあの世界も、最近では少しずつ訪れるプレイヤーの数も増えている。その影響でバラ―ディアの元へも色々な情報が流れてきており、彼女の好奇心を掻き立てていた。
「この世界の事をもっと良く知らねば、アレの目的も理解出来るだろうしのぉ」
そんな訳でバラーディアは、ニヴルヘイムの世界扉へと向かう事に決める。
パーティ推奨なこのゲームにあって彼女はやや珍しい存在であるソロプレイヤーであった。日によってログイン時間がまちまちな為、固定パーティを組むのが難しく、かといってすんなり野良パーティに混ざれるほど彼女は人付き合いが得意な人間では無い。やってやれなくは無いのだろうが、そんな労力を払うくらいならば一人で行動した方がマシだと考えている訳だ。
何より彼女は耶雲家の養女だけあってか、どこぞの令嬢には遠く及ばないにせよ、庶民からすれば途方も無い額の資金を投じて装備を整えており、当然使用するアバターのレアリティはSSRであった。
才女たる所以はゲーム内でも遺憾なく発揮されており、イフリートキャッスルなどのエンドコンテンツは無理にせよ、それ以下のダンジョンならば一人でも攻略可能な実力を有している。そんな彼女の欠点を強いて挙げるとすれば、投じた課金額の割に持っているSSRアバターの種類が少ない事だろうか。
世界扉へと向かうべくバラ―ディアは低い草木が生い茂る平原の中をひたすら真っ直ぐに進んでいた。周囲に遮蔽物がほとんど存在せず、奇襲を受ける心配が少ないからこそ選んだルートだ。だからといって彼女は周囲の警戒を怠るような性格では無く、その慎重さはこの時も十全に発揮された。
「むっ!? 何奴じゃ!」
バラ―ディアは、背後に突然生じた謎の気配を察知すると、すぐに振り向きそのまま杖から魔力弾を飛ばす。すると傍目からは何も存在しない空間で、魔力弾が何かと衝突したようにして弾けた。
バラ―ディアが訝し気にその付近に視線を向けると、そこには一人の少女が宙に浮いていた。
『奇襲失敗、初めての経験……』
その少女はごく平坦な口調でそう呟く。
少女が纏う服装は全て黒一色であったが、身軽さを追求してのことか割と肌の露出は多い。その上、胸にある双丘の激しい自己主張によって妙な色気を醸し出されており、とても地味な風貌とは言い難かった。
「……何者じゃ、お主?」
見た目の雰囲気はプレイヤーに近いのだが、こんな姿のアバターの存在をバラ―ディアは知らない。
『ベルフェゴール』
肩口まで伸びた金のウェーブヘアの内側になんとも気怠げな表情が浮かばせながら少女はそれだけを答える。
「……ネーム欄にも確かにそう書いておるのぉ。して、お主プレイヤーなのか?」
『否定。私はただのAI』
バラ―ディアの率直な問いはあっさりと否定される。だがその答えを半ば予想していたらしく彼女は笑みを深くする。
「ほぉ、ならばお主はモンスターという事になるのかのぉ?」
『肯定。正確にはイベントボスに分類される』
「む? 現在開催されているイベントは確か『万象焼き尽くす炎魔神』のみだったと筈じゃが……」
バラ―ディアが参加出来なかった初イベント『絶望を振りまく世界樹』は、現在実施されていない。運営から今後リニューアル開催される旨が発表されたが、それがいつになるかは不明だ。そして前回開催されたイベント『提灯ジャックの収穫祭』は、毎年ハロウィンの時期にのみ、開催されることが発表されている。
もっともあのまま開催すれば今年以上の大混乱は目に見えているので、なんらかの調整は必須だろうが。そして次回開催予定のイベント『聖なる夜の舞踏会』はそもそも戦闘行為など想定されておらず、当然ボスモンスターなども存在しない筈だ。何よりまだ開催日前である。
彼女が把握しているどの公式イベントにも、少女のようなイベントボスの存在は無い。訝し気な表情で考え込んだ彼女を気遣ったのか、ベルフェゴールと名乗るボスモンスターが再び口を開く。
『イベント名は『七大罪の暗躍』。公式サイトを良く調べるといい』
「ほぉ、これは親切にすまんのぉ。してお主はわしをどうする気なのじゃ?」
『奇襲を受けたプレイヤーを殺すのが私に与えられた使命』
「まぁ、そうなるじゃろうな……」
そうして弓を構えたベルフェゴールと、杖を構えたバラ―ディアが互いに向き合う。
◆
同じ頃、雪色に染まった古都を歩く4人のプレイヤーの姿があった。
「おい、ユキムラぁ! クリスマスはどうすんだぁ!」
いつものごとくに無駄に大声でそう尋ねてくるシンゲンに若干辟易しつつも、ユキムラは答えを返す。
「ははっ、俺にリアルでの予定なんてある訳ないし、勿論参加するさ」
発表されている参加賞の景品はどれも、ユキムラ達のような微課金や無課金のプレイヤーにとっては、非常に有り難いアイテムばかりであった。勿論リアルで恋人との約束があったなら、それらを投げ捨ててでも優先したのだろうが、現実は無情だ。
「お前らはどうなんだぁ?」
「僕もソラちゃんのライブチケットを取り損ねましたし、参加しますよ」
「うーん。皆が参加するんなら私も参加しよっかなー」
ケンシンとナガヨシも予定は空いているらしく、全員のイベント参加があっさりと決定した。リア充ではない大学生の彼らは案外暇なのだ。
「なぁ、お前らあれに署名した?」
「はい? 署名って一体何にです?」
ふと思い出したようにそう聞くユキムラに対し、ケンシンが疑問の声を上げる。
「あー、もしかしてあれかな? 最近REOCOの人達が呼び掛けてる奴の事?」
「そうそれ。課金ガチャの排出率についてどうとかって、消費者庁に訴えようって奴な」
「はぁ!? そんなんやるわけねぇだろうが!」
ケンシンが、馬鹿な事を言うなといわんばかりに一刀両断する。だがそんな反応はユキムラも予想していたらしく、特に動揺は見られない。
「だよなー。雪音さん、超怖いもんなー。本名とか住所とかの記入が必要だから絶対にばれるしなぁ」
「ですねぇ……」
ユキムラ個人の考えとしては、署名の内容に賛同する気持ちはある。しかし個人情報の記入が必要な事から実際に署名に加わるつもりは無かった。単に個人情報を晒したくないという理由も勿論ある。だが、それ以上に彼は白木院雪音の存在を恐れていたのだ。
以前ユキムラとその仲間達が当時未発見のイフリートキャッスルの世界扉を発見した際、その情報を高く売りつけようとしたのが雪音だった。
しかし匿名でメールをしたにも関わらず、すぐに自分たちの素性を割られてしまい、挙句に彼女とリアルで対面を果たすという事態に陥いってしまう。そして雪音の持つ圧倒的な権力を背景にした弁舌――ほぼ脅迫に近い――によって、ユキムラ達は彼女の軍門に下る事になったのだ。その際、ユキムラ達は色々な事を約束させられたのだが、その一つにREOCOと距離を取る事があった。その約束を守る為――同時に約束を破れば即座に雪音にバレる事を確信していた為――彼らは署名を断念したのだ。
実際のところ、雪音がユキムラ達にそれを命じたのは単に彼らを心配したが故であったのだが、その事を彼らが知る由は無い。
「おまえらなぁ! 姐さんに失礼だろうが!」
あの時の劇的な対面によって、ユキムラやケンシンは恐怖から雪音に従う道を選んだが、シンゲンは違った。昭和のヤンキーに近い精神構造を持つ彼は、雪音の持つカリスマに心酔してしまったのだ。
「シンゲン君は相変わらず雪音さんの事が好きだよね~。でも、実際カッコいいから仕方ないよねー」
ナガヨシもまた――シンゲン程では無いにしろ――雪音に憧れに近い感情を抱いていた。それには雪音が女性受けが良い容姿である事も影響しているのだろう。
「まあ確かにカッコいい、ってのは間違いないんだろうな」
「そうですね……」
雪音は間違いなく美人であったが、ロリコンの気がある2人からすれば、好みからはやや外れた存在なのだ。
「それに雪音さんの事がなくても、私は多分署名しなかったかなぁ」
REOCOは運営との対決姿勢を明確にしており、当初はナガヨシも彼らに共感を覚えていた。しかし時が経つにつれ彼らの横暴とも言える態度を見続けた事で、その感情も徐々に失われていった。今となってはその主張がどれ程正しく思えても、彼らのような信用出来ない団体に対し、迂闊に個人情報を渡すような真似はしたくないと考えているのだ。
「まあ……そうかもな」
ユキムラ自身も今のREOCOに思う所があったのだろう。なんとも言えない表情を浮かべている。
「そう言えばお前ら。リョーマの野郎と連絡は取れたか?」
ふと思い出したかのように、不機嫌な顔を浮かべながらシンゲンがそう言う。リョーマとは彼らを雪音への嫌がらせ行為に唆した張本人であり、REOCOの主要メンバーの一人だ。
雪音の軍門に下った時点で、彼らはリョーマの動向を探る為のスパイとして動く事になったのだが、その動向を察知されてしまったのか、まだ1度もリョーマと連絡が取れていないのだ。雪音の役に立ちたくて仕方がないシンゲンとしては、そんな今の状況がどうにも歯がゆくて仕方がないらしい。なので彼は何かある度に、そう尋ねてくるのだ。だが、生憎と今回もそれは成果は無かった。
「くそっ、リョーマの奴! 見つけ次第その首根っこひっ捕まえて、姐さんの前に叩き出してやるからな!」
リョーマ捕獲へ向けて、決意を新たにそう叫ぶシンゲン。そんな彼の姿を3人は苦笑と共に見守るのだった。
◆
また、同じ頃。立花・アリスリーゼは、一人考え事に耽っていた。
これまで彼女をそのように思い悩ませる存在は、この世で白木院雪音ただ独りであった。同じ名家の生まれであり同性で年も同じ。しかし雪音はアリスリーゼよりも常に優秀で美しく何より気高かった。
そんな彼女に対する憧れの感情は年月の経過へと共に高まり、やがて歪んだ熱情へと変化していた。
「ああ、雪音……。貴方が発するあらゆる感情が、わたくしにとっては天上の媚薬なのですわ」
そう。彼女が雪音へと付き纏いちょっかいを掛けるのは、全てそれが原因だ。その結果、雪音が喜ぼうが悲しもうが怒りを覚えようが、どのような反応を示してもアリスリーゼを喜ばせてしまうのだ。
「ですが……。その為にもあの者だけは絶対に排除しなければなりませんわ」
アリスリーゼが言うあの者とは、彼女と同じくソルのアバターを纏う存在――イツキの事である。イフリートキャッスルで初めて出会って以降、彼女は彼と出会う度に酷い目に合わされてきた。
「ハロウィンの時なんて……。ううっ、あのような屈辱受けたのは初めてですわ……」
どうやら彼女にとってよほど辛い出来事だったらしく、思い出すだけでその目からは涙が零れ落ちていく。
「どうすればあの男を排除する事が……」
始めに考えたのが、リアルのイツキを始末する事だった。しかしそれはすぐに断念する。というのも、彼が雪音の屋敷でその庇護を受けていたからだ。あそこの守りを突破して暗殺するのは、いくら立花家であっても難しい。
下手に力押しすれば、それこそ白木院家との全面抗争に発展する危険もある。ただでさえ両家の溝は深いのだ。これ以上いたずらに波風を立てるような真似はいくら彼女に甘い両親であっても決して許さないだろう。
現在の力関係は、白木院家の方が立花家より明らかに上なのだ。正面対決へと発展すれば潰れるのは間違いなく立花家の方だ。かつては4名家において事実上の筆頭の立場にあった立花家も、40年近く前に起きたあの大惨事によって親交が深かった隣国を失いその力を大きく削がれた。加えて白木院家からは語部森羅という希代の傑物が誕生した事で、その力関係はついに逆転を許してしまう。
「やはりこちらが上であると、REO内できちんと教育を施す必要がありますわね……」
などと嘯いているが、会う度に心胆寒からしめられて恐怖の谷へと突き落されいるのは、残念ながらいつもアリスリーゼの方なのだ。もはや生物的には格付けは完了していると言っても過言ではない。並大抵の方法では彼女がイツキから勝利を得るのは難しいだろう。
「何か、何か手は……」
逆転の一手を求めて、アリスリーゼは再び思考の海へと沈んでいく。




