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8 アリスリーゼ

 イフリートキャッスルから死に戻った俺達は、古都ブルンネンシュティグの中央広場へと転送されていた。

 多くの死者達が集まる広場という性質もあってかここは常に人通りが多く、その上俺達自身もそれなりに名が売れているせいか降り注ぐ視線の雨が凄く痛い。


「……とりあえず場所を移そう」


 俺達は逃げ出すようにして足早に近くの宿の一室へと駆け込んだ。


「ここなら大丈夫かな」

 

 ようやく視線が途切れたのを確認し、ホッと一息を吐く。

 それから現状の整理を行う事にした。色々な事が有り過ぎた為、まずは一つ一つ正確に把握する必要がある。


「しっかし、もうこんな時間なのか……」


 イフリートキャッスルへの挑戦開始から、既に30時間近くが経過していた。

 当然、ネージュが定めた刻限などとっくに過ぎてしまっている。


「てことは、イフリートキャッスルの情報はもう?」


「うむ。指定の時間を迎えれば自動で公開されるよう用意していたからな。……ネット上は今頃、大騒ぎになっているであろうな」


 ネージュは他人事のように言っているが、これで俺達は情報面でのアドヴァンテージを大きく失ってしまった事になる。

 今頃は多くのプレイヤー達がイフリートキャッスルへと殺到し、我先にとボス討伐を争っている事だろう。

 もっともあのダンジョンの攻略難易度はかなり高い。なのでそう簡単にイフリートが討伐されるとは俺は露程にも思ってはいない。だがそれでも、ざわつく心を抑えきれないのだ。


「しかし、なんだったんだろうな、アレ」


 アレとは、イフリートとの戦闘中に現れた謎の襲撃者の存在だ。

 強力な雷槍を操る事以外にその名前はおろか、モンスターなのかあるいは俺達と同じプレイヤーなのか、それすらも不明なのだ。

 

「名前は"ベルフェゴール"、それ以外は不明」


 そんな俺の疑問に答えたつもりなのだろう。

 ヴァイスがそう発言するが、それが新たな疑問を呼び起こしてしまう。


「へぇ……って、なんで名前が分かるんだよ、ヴァイス!?」


 結局最後の最後まで、俺にはその影すら掴めなかったのだ。

 それなのに何故、同じ場所にいたはずのヴァイスがそれを知り得たのか、気になってしまうのは当然の事だろう。


「イツキが頑張ったおかげ」


「んん? どういう事だ?」


 そんな俺の疑問に対し思いもよらぬ回答が返って来る。

 続けてヴァイスが語ってくれた話によれば、どうやら俺が一矢を報いるべく最後に放った〈アクアサンシャイン〉。あの一撃によってずっと隠れていた襲撃者の姿を、彼女は一瞬だけだが視認する事が出来たそうだ。そしてその僅かな時間に、名前欄に表示されていた文字を読み取ったそうだ。

 残念ながらその素顔まではハッキリとは見えなかったらしいが、ウェーブの掛かった金髪で露出多めの黒装束を纏い、弓らしき武器を手にしていたらしい。

 

「お手柄ではないか! 流石だなヴァイス君!」


「ヴァイス! あんたってホント凄いわね! 最高よ!」


 ネージュとルクスの2人が、ヴァイスへと抱き付きながらそう誉めそやす。

 どうも同性同士だからか今のような気安いやり取りが彼女達の間で増えているような気がする。それがなんだか仲間外れにされたような気がして、ちょっと寂しい。

 そんな意図など彼女達には全くない事は理解はしているのだが。


「ふむ。しかしそのようなアバターの存在は耳にした事がないな。であればそれはどうもプレイヤーでは無さそうだな」


 仮にあれがプレイヤーが操るアバターだとすれば、受けた攻撃の威力などから判断するに、少なくともSSR級、下手をすればそれ以上だろう予想される。

 だが、現実にはそのようなアバターの存在は俺達の知る限りには無い。


「じゃあ、私達を襲ったのはモンスターの仕業だったって事なのかしら?」


 イマイチ納得のいかない表情を浮かべながら、ルクスがそう言う。

 その事を彼女が不可解に思う理由は、俺にも十分理解出来る。

 そもそもヴァイスが教えてくれた襲撃者の容姿には、俺達がこれまで戦ってきた多くのモンスター達とは異なり、モンスター的な要素が一切存含まれていないのだ。そう、デザイン的な観点で判断すれば、明らかにプレイヤーが扱うアバター寄りの見た目なのだ。

 加えてボス戦終盤という最悪のタイミングで俺達に奇襲を仕掛け、そのまま最後までその正体を隠し切ったまま、俺達を一方的に蹂躙してのけたその手腕の見事さは、俺が知る他のモンスター達とは比較にならない程に悪い意味で知性的であった。

 

 ラグナエンド・オンライン内のモンスター達は、状況に応じてその表情をコロコロと変えるなど、一見人間味に溢れているため勘違いしやすいのだが、実は割と単純な行動を取ることが多い。

 それはボスモンスターであっても同じであり、実際にユグドラシルなんかは、ゲージ移行による変化はあったものの、その行動は全て一定のパターンに沿ったものだった。


 例外と言えるのは、つい先ほどまで俺達と死闘を繰り広げたボスモンスター"イフリート"と、俺達を殺した謎の襲撃者"ベルフェゴール"。この2体だけだろう。

 そしてベルフェゴールによる奇襲に際し、イフリートが浮かべていた複雑な表情。あれは目の前で起きた事態に驚愕しつつも、その正体について何か知っているような、そんな雰囲気が俺には感じられたのだ。


 恐らく既存のモンスター達とは異なる高性能AIを備えていると思われる2体のモンスター。内1体は本当にモンスターなのかすらまだ定かではなく、その関係性はいまだ見えないが、何か重要な事実が隠されているように思えてならないのだ。

 果たしてそれが一体何を意味するのか。だが今の俺にはまだそれを知る由など無い。


「あれらをAIだと判断するのは、少し尚早なのではないか? 特にイフリートの方は、あれほどの高度な会話能力を有していたのだ。実はAIなどではなく、運営スタッフによる遠隔操作という線も考えられるぞ」


 言われてみれば確かにその可能性はあり得なくもない。ただ俺は、なんとなくそれは違うような気がしていた。

 もっとも根拠の無いただの勘に過ぎなかったので、この場でそれを口にするのは控えたが。


「それよりもまずは今後の我々の方針を早急に決めるべきだろう。イフリート討伐に再度挑戦をするのか、もしくは諦めるか。再挑戦するにしても今すぐ挑むか時間を置くのか。我々にはいくつかの選択肢が存在している」


 討伐を諦めるならば、急いでやるべきことは無い。

 だが再挑戦する場合、特にイフリートの初討伐をまだ狙う場合は、急いで決断する必要がある。


 ネージュによってイフリートキャッスルに関する情報が齎された事で、今頃は多くのプレイヤー達がイフリートを討伐すべく行動を始めているだろう。だがあれほどの強さを彼女が有している以上、どれだけ強いパーティであっても、初戦での討伐は絶対に不可能だと俺は確信していた。それほどに彼女は強かったのだ。


 だがそれも挑戦回数を重ねれば、話はまた変わって来る。

 4人しかない俺達でもあれだけ戦えた以上、5人揃ったパーティが戦闘経験を積み対策を立てていけば、いずれ討伐されるのは時間の問題だ。

 ならば経験面でのアドヴァンテージがあるうちに挑みたい所だが、それはそれでリスクが存在する。

 長時間の激しい戦闘によって蓄積された精神的な疲労も勿論あるのだが、何より幻獣ユグドラシルの召喚攻撃を使えないのが非常に痛い。だがその回復を待っていれば、それだけ他のパーティに時間的猶予を与える事になる。

 そんな訳で中々に悩ましい状況に俺達は置かれていた。


「……考えが纏まらぬようだな。ではそうだな。まずは初討伐を目指すかどうか決めるとしようか」


 元々俺達に諦めるという選択肢など無い事を、ネージュも理解しているのだろう。

 なのでそう提案してくる。

 

「そうね……。どうせなら、私だって初討伐は目指したいわよ。でも――」


 ネージュの提案に対し、珍しく弱気な表情を見せるルクス。


 別に初討伐を成し遂げたからといって得られるのは名誉だけであり、遅れて討伐しても得られる報酬などに特に変化など無い。

 また今回実装されたダンジョンは、ユグドラビリンスとは違い期間限定という訳でもないので、諦めずに挑戦を続ければいつかは確実に討伐出来るはずだ。

 だから、初討伐の栄誉を得て目立ちたいという自己顕示欲さえ封じてしまえば、特に焦る理由など存在しないのだ。


 そして今回の一件で、一番精神的なダメージを受けたのは、恐らくルクスだろう。

 勝利の為に2度もその身を挺した結果がこれなのだ。彼女が尻込みしてしまう気持ちもなんとなく理解できる。


「それに……ヴァイスがもう限界でしょ?」


 ルクスの言葉を聞いて、すぐにヴァイスとへと視線を向けるが、相変わらずの無表情を彼女は浮かべている。

 普段との違いが良く分からない。


「……大丈夫。ボクはまだ戦える」


 だが彼女が口を開いたことで、その言葉の意味が俺にもようやく理解する事が出来た。

 微妙な違いではあるのだが、どうも発する声がどこか弱弱しい感じがするのだ。


 ……くそっ、アバターだと特に分かりづらいんだよ! 


 現実の肉体よりもこの世界のアバターは色々と無理が効いてしまう。

 それ故、精神が疲弊していたとしても、意識してそれを隠そうとすれば簡単に隠せてしまうのだ。にも拘らず、完全に隠しきれていない辺り、ヴァイスの精神的疲労は相当なモノである事が察せられてしまう。


「どうやら我々は、ヴァイス君に少し頼り過ぎていたのかもしれないな……」


 ネージュもその事に気付いたらしく、やや落ち込んだ表情でそう呟く。

 

 そもそもからして、前衛1に後衛3というパーティ構成に無理があったのだろう。

 泣き言一つ言わず淡々と役割をこなすヴァイスに、俺達は知らず知らずのうちに甘えてしまっていたらしい。

 ユグドラビリンス攻略時ならいざ知らず、今の状況ならばメンバーの補充は十分に可能だったのだ。なのに今の温い雰囲気に溺れて、俺達は本気でメンバー募集をして来なかった。

 結果、そのツケを全部ヴァイスに押し付けてしまっていたのだ。全く情けない話である。


「ねぇ、結論は後にして、まずは一度休息を取らない?」


 ルクスがそう提案する。

 普段の強気な彼女からは想像出来ない程に、その表情は柔らかく慈愛に満ちている。


「うむ……。自覚がないだけで皆思った以上に疲れが溜っているやもしれぬ。このような状況でアレコレ議論しても、ロクな結論は得られないであろうな」


「そうかもしれないな。まあイフリートはかなりの強敵だし、ちょっと休んだくらいで先を越される何て事は、そうそう起きないと思うぞ?」


 俺達以外には幻獣ユグドラシルを所持したプレイヤーはいない以上、あれを初見で倒せるパーティが存在するとは俺には到底思えないのだ。そう確信を持って言える程に、イフリートは手強いボスなのだ。


「ボクは大丈夫なのに……」


 まだ不満そうな表情のヴァイスを、俺達3人は宥めて説得する。

 そして一旦ログアウトし、現実で休息を取るのだった。



「……イツキ! ……イツキ!!」


 よほど疲れていたのか、夢さえ見る事なく熟睡していた俺の脳裏に、聞き慣れた声が響いて来る。

 

「……イツキ! あんた、いい加減に起きなさいよ!」


「ふわぁ……。おはよう」


 目の前には、両手を腰に当てたツインテールの少女――ルクスが立っていた。

 いや、見た目は少女のようにしか見えないが、実年齢は俺と大差無かったはずだ。ならば女性と呼ぶべきなのだろうか。


「あのねぇ、なんであんたが一番熟睡してるのよ? ヴァイスはもう起きてるわよ?」


 言われて慌てて時間を確認する。

 今度ばかりは確かにルクスの言う通りで、俺は12時間以上も爆睡していたようだ。どうやら自分で思っていた以上に、俺もまた精神的に疲弊していたらしい。肉体的疲労が全く伴わない疲れというのは、中々自覚が難しいものなのだと改めて再認識する。


「わ、悪かった」


「はぁ、別にいいわよ。あんたも疲れてたんだろうし。それよりもすぐに顔を洗って食堂に来なさい。皆待ってるわよ」


 始めのうちはバラバラだった食事の時間も、いつからか一緒に集まるようになっていた。

 些細な変化ではあるのだが、なんだか友情が深まったような気がして嬉しく感じる。


「おはよう」


 既に席についてた3人へと、俺はそう挨拶する。

 3人ともきちんと良く眠れたらしく、なんだかスッキリした表情をしている。

 昨日の事が尾を引くような様子は誰からも見受けられない事に、少し安心した。


「さて、今後について少し話そうか」


 全員が食事を終えたのを見計らい、ネージュがそう切り出す。


「私が調べた限りでは、どうやらイフリートはまだ討伐されていないようだな」


 大丈夫だとは思っていたが、それでも実際に言葉として聞けた事で少しホッとする。

 だがそう語るネージュの表情が何やら苦々しく見えるのが、どうも気に掛かる。


「ただな、少々面倒というか……どうも我々としては、あまり納得し難い展開になっているようだ」


「んん? どういう事だ?」


 やはりというべきか、何やら問題が発生しているらしい。


「うむ。我々が起動した玉座の間へと繋がる転移魔法陣。あれがどうやら他のプレイヤー達にも利用が出来るらしいのだ」


「ええっ!? 嘘でしょ?」


 それを聞いたルクスが信じられない、と声を上げる。


「うむ……。私としても正直信じたくない話なのだ。だが情報を集めれば集める程に、その信憑性は高まるばかりだ」


「てことは何か? 一々あのくそ暑い城を攻略しなくても、他の連中はイフリートに挑戦出来るって事か?」


「……そういう事になるのだろうな」


 なんだよそれ。

 あの転移魔法陣は俺達が散々死ぬ思いをしながら、やっとの事で起動させたものだ。切り札さえ3つも消費してしまっている。

 それを何も苦労していない連中に無償で使われるのかと思えば、無性に腹が立つ。


「何よそれ……。運営は一体何考えてるのよ!? バッカじゃないの!?」


「うむ。全くもってルクス君の言う通りだな」


「……」


 3人からも怒りや憤りの感情がヒシヒシと伝わって来る。


「また本社に突撃してやりたい気分だわ……」


「そうだな。そうしたいのは山々ではあるが……流石に許可は下りないであろうな」


 前回のユグドラシルの一件は、運営側に明らかな落ち度があったが故の特例だ。

 あのミュトス社が、いくら社長の身内とはいえ、そうそう内部に部外者を招き入れる真似をするとは思えない。


「それよりも、俺達も急いだ方がいいんじゃないか?」


 こうしてウダウダ言い合っている間にも、他のプレイヤー達の挑戦は行われているはずだ。

 まだユグドラシル召喚のクールタイムは残っており状況はとても万全とは言い難いが、今はそんな事を言っている場合でも無さそうだ。

 

「そうね。急ぎましょう。美味しいとこだけ掠め取られるなんて、我慢ならないわ!」


「うむ。皆の気持ちは良く分かった。シャワーを浴びたらすぐにでも向かうとしよう」


 SDI使用前には身体の洗浄が義務付けられているので仕方ないのだが、今の状況ではやはりもどかしく感じる。 

 俺達は急いでシャワーを浴びてから、すぐにSDIへと向かうのだった。



「うわぁ、なんだこれ……」


 イフリートキャッスルへとやって来た俺達の前には、思いもよらぬ光景が広がっていた。


「なんていうか、日本人って妙な所で真面目よね……」


 自分も生粋の日本人だろうに、そんな事を呟くルクス。

 まあこの異様な光景を見てしまえば、そう感じるのも無理はないかもしれない。


「ふむ。こういう所こそ日本人の素晴らしい所だと私は思うのだがな」


 ネージュは目の前に広がる光景に対して、どうも好意的な様子だ。

 

「それにもしここが海外サーバーだったならば、今頃はもっと混沌としていたと思うぞ?」


 確かにそれはそれで困りものかもしれない。

 だが俺には、眼前に広がる光景がどうにも異様なモノに映るのは、やはり不可抗力であった。

 エントランスの中央に設置された転移魔法陣を中心にして、物凄い数のプレイヤーが存在し、皆整然と列を成している。一体何をしているのかと言えば、彼らはイフリートへの挑戦権が巡って来るのをお行儀良く順番に待ち続けているのだ。

 その事自体は別におかしい話ではないのだろう。だが、どうにもその様相があまりにも統制が取れ過ぎていて、俺にはなんだか不気味に感じられてしまうのだ。


 ……ゲーム内でも行列って、他の国では絶対見られない光景だよなー。


 他国プレイヤーがメインのゲームでは、基本早い者勝ちだし順番を抜かすべく前の相手を襲うなんて日常茶飯事なのだ。

 俺個人の考えとしては、折角対戦が可能なゲームなのだし、実力によって我を通す事自体はそう悪い事では無いと思う。だが大半の日本人プレイヤーにとっては、あまり良く思われない行為のようだ。

 別にどちらが正しいなんて主張するつもりは無いのだが、この状況で順番待ちというのは、どうにもヤキモキしてしまうのだ。


「それよりも問題はこの数よ! この感じだと私たちの番が回って来るまで相当時間が掛かるわよ!?」


 そうなのだ。少なく見積もっても並んでいるプレイヤーの数は優に100人は下らないだろう。1パーティ5人としても、単純計算で20パーティ以上が順番待ちをしている事になる。

 

「ううむ。さて、これはどうしたものだろうか……」


 普通に考えれば、俺達も列の最後尾に並んで待つしかない。


「うむ。いっそこの場の全員を殺して、横入するというのも手ではあるぞ?」


 ネージュが笑いながら、怖い事を提案してくる。

 いやいや、流石にそれはマズイだろう。そもそも、100人以上を敵に回して勝ち目があるとも思えないしな。


「ならばやはり列に並ぶしか手はないようだな」


 結局それしかないか……。

 諦めておとなしく最後尾へと向かっていると、列の前方が俄かに騒がしくなる。


「ふむ? 何かあったのだろうか?」


 一旦列を無視して、そちらの様子が見える位置へと移動する。


「おいおい。魔法陣から戻ってきたって事は、まさか……」


「ああ。アイツラやりやがったみたいだぜ」

 

 耳に入ってきた言葉は、中々に俺の心を揺さぶる内容だった。

 一体何をやったと言うのか、薄々その答えが推測できてしまい、胸一杯に不安が満ちていく。


 急いで人ごみを抜けて前へと躍り出ると、転移魔法陣の上に5人のプレイヤーが佇んでいるのを発見した。

 だが俺の瞳は、その先頭に立つ人物のみへと吸い寄せられる。


「女神だ……」


 その姿は俺にとって非常に見覚えがあるものだったが、同時にこの目で直接見たのは初めてでもあった。

 白磁の肌に太陽の輝きを持つ長い髪。やや幼い顔立ちは、まさに俺の理想の体現だと言える。

 フリル付きのビキニを着ており、その可愛らしさは見ているだけで、つい昇天してしまいそうな程だ。

 

 そう彼女は、俺と同じ水着ソルのアバターをその身に纏っていたのだ。


「へぇ、あんた以外にもソルのアバターを持ってる奴がいたのね? 初めて見たわ」


「むぅぅ。なんとも羨ましい限りだ……。私などいくら課金しても、彼女をお出迎え出来ないというのに……」


 ルクスは興味深そうに、ネージュは恨めしそうに彼女の姿を眺めている。

 そんな俺達の視線に気づいたのか、彼女の顔がこちらへと向く。すると何かに気付いたような表情を一瞬浮かべた後、なぜかこちらへと歩いてくる。


「お久しぶりですわね」


 水着ソルのアバターを纏った女性が、そう口を開く。

 だがその口調や態度が俺の中の理想とは大きく乖離しており、俺に僅かな苛立ちを与える。


 そんな彼女の視線の先を辿れば、そこにはネージュの姿があった。


「ん? ……私か?」


 訝しむネージュの視線が、彼女のプレイヤーネームへと向かう。

 どうやら彼女はアリスリーゼという名前らしい。


「むぅ……。まさか貴様は……」

 

 それを見たネージュは一瞬驚愕で目を剥いた後、明らかに嫌そうな表情を浮かべる。


「ええ、本当に久しぶりですわね。雪音」


 アリスリーゼは嫌らしい笑みを浮かべながら、ネージュというプレイヤー名ではなく、彼女のリアルでの名を口にした。


 ……なんだ? ネージュのリアルでの知り合いなのか?


「……本当に久しぶりだな、リーゼ。出来ればここではネージュと呼んでくれないだろうか?」


 苦虫を噛み潰したような表情で、それだけ返すネージュ。

 そのやり取りを見る限り、2人の関係はあまり良好では無さそうだ。


 ……まあこんな高慢そうな女と仲良かったら、逆にビビるわな。


「……考えておきますわ。それよりも雪音、どうしてこちらに?」


 考えておくといいつつも、りーぜにはネージュの言葉を聞き入れるつもりは全く無いようだ。

 ネージュの表情に険しさが増していく。

 

 ……なんかムカつく奴だな、コイツ。


「……そんな事は分かり切った話であろう? 無論イフリート討伐の為だ」


 ネージュが吐き捨てるようにそう言う。普段の彼女からは想像出来ない程に荒い言葉遣いだ。

 だがその答えを待っていましたと言わんばかりに、アリスリーゼがその口を大きく歪ませる。


「あらあらそうでしたの。わたくしてっきりもう雪音は倒してしまったものとばかり……」


 厭味ったらしくそう言うアリスリーゼに対し、ネージュが「ぐぬぬっ」と呻いている。


「……仕方なかろう。あれはかなりの難敵だ。1度や2度の挑戦でそう簡単に倒せる相手ではない」


 感情を抑えながら努めて平坦な口調でそう告げるネージュ。

 だがその言葉は、更にアリスリーゼを増長させる結果をもたらしてしまう。


「オーホッホッホー! もしかして、あの程度の相手に苦戦したのかしら? あらあら、雪音も案外大したことありませんのね?」


 明らかに馬鹿にした口調で、俺達を見下すアリスリーゼ。

 イフリートをあの程度と言い切る事に違和感を覚えるが、俺としてはそんな些事よりも、もっともっと許せない事がある。


 ……頼むから、その姿でそんな見苦しい真似をしないでくれ!


「なっ!? まさか既に倒したとでも言うつもりか?」


 ネージュが驚愕の声を上げるの見て、アリスリーゼが満足気な表情を浮かべる。

 

 ……お願いだから、そんな嫌な表情をどうか俺に見せないくれ。俺の中の女神が穢れてしまう。

 

 アリスリーゼが口を開く度、俺の怒りのボルテージが急上昇していく。

 

「勿論ですわよ雪音。わたくし達の実力にかかれば、あの程度の相手なんてイチコロですわよ! オーホッホッホー!」


 アリスリーゼは一瞬後ろへと視線を送ってから、そう高笑いをする。

 見ればそちらには彼女のパーティメンバーらしき4人が控えている。彼らはオシリス、ガイア、サタン、トールと、全員がSSRアバターをその身に纏っている。確かに言うだけの戦力はあるのだろう。

 だからといってその醜悪な高笑いは、とても許せたものでは無いが。


「いいですわ、証拠を見せて差し上げましょう。……おいでませ、幻獣イフリート!」


 アリスリーゼがそう言って右手を掲げる。

 すると目の前に赤い魔法陣が出現し、そこから炎の巨人が這い出て来る。


 その姿は、確かに俺達と死闘を繰り広げた、幻獣イフリートそのものであった。


「まさか本当なのか……」


 ネージュが愕然とした表情を見せると、アリスリーゼの笑みが増々嫌な感じに深まっていく。

 彼女がイフリートを既に討伐したという事実よりも、その事ばかりが気にかかり、もはや俺の寿命がストレスでマッハだ。

 

 ……この蛆虫が。今すぐそのアバターを脱げや糞女。


 気が付けば怒りが有頂天へと達し、俺の中にある邪悪の封印が解けられた。


「なぁ、ネージュ。早くそいつ(ばら)して黙らせよう」


 気が付けば俺の口から、そんな悪辣な言葉が自然と漏れ出る。


 俺の中では、このアリスリーゼという人間がただの害悪であるのは、もはや確定的に明らかなのだ。

 ならば、取るべき行動は一つ。


「むぅ、どうか怒りを鎮めて欲しいイツキ君。なんというか、その……、私の為に怒ってくれるのは嬉しいのだが、イキナリ暴走し過ぎではないだろうか?」


 ネージュが焦った顔でそんな事を口走っているが、別にこれは急な話ではない。

 度重なる暴言の数々に醜悪な振舞い、それら全てが俺を大いに怒らせ、そしてついに我慢の限界へと達したのだ。


「そ、そうよ。あんたちょっと様子が変よ?」


 ルクスがドン引きした表情で、俺を制止しようとする。

 だが既に俺の憤怒の感情は、自身でもどうしようもない程に昂ぶっていた。

 もはや言葉では止まらない。止められない。


「イツキ。ちょっと怖い」


 一歩前へと進み出た俺から、ヴァイスが距離を取る。


「ゆ、雪音……な、なんですのこの方は!?」


 俺から溢れる出るダークパワーに圧されてか、アリスリーゼがオロオロしながら1歩2歩と後ずさっていく。


「恥知らずなソル使いめ! 女神を穢した罪は万死に値する!」


「ヒィィィ!?」


 処刑宣告を受けたアリスリーゼは、動揺の余り足をもつれさせてその場へと転がる。

 恐怖に引き攣る彼女の表情を見て、全身に電撃が迸るのを感じながら、俺の感情は更なる高みへと加速していく。


「成程、そういう事であったのか……。まったくイツキ君のソルに対する愛は本物であるのだな……」


「いやいや、感心してる場合じゃないでしょ!? アレ止めないと流石にマズイわよ!」


「一触即発」


 何やら後ろで3人が言い合っているのが聞こえるが、もはやどうでもいい。

 俺に与えられた使命は、目の前に転がる罪深き存在に、断罪の鉄槌を下す事なのだ。


「では覚悟しろ、この背信者が!」


 俺は杖の先をアリスリーゼへと向ける。


「ななな、なんですの!? わ、わたくしを一体どうするおつもりですのっ!?」


 俺の威圧によって完全に恐慌状態へと陥っているアリスリーゼ。

 地面に転がったまま手足をばたつかせているその姿は、まさに無様の一言だ。

 だがいまだ彼女がソルのアバターを纏ったままでいる以上、その姿は俺の怒りの炎に油を注ぐ結果にしかならない。


「ぶ、無礼者! お嬢様に何をするつもりだ! これ以上の狼藉は我らが許さぬぞ!」


 そんなアリスリーゼを守るべく、ここまで沈黙を保っていた彼女の仲間達が動き出す。

 全員がSSRアバターを纏い、イフリートを屠った実績を持つ猛者たちである。

 だが怒りの化身となった今の俺に、そんな事などもはや関係ない。


「そこをどけ。邪魔をするなら先にお前たちから(ばら)すぞ。〈レッツ・サーフィン〉」


 俺は憤怒の表情を浮かべながら、サーフボードへと飛び乗る。

 4:1と数字の上ではこちらが圧倒的に不利だが、不思議と負ける気はしない。

 今の俺なら奴らの攻撃を全て容易く回避出来る。なぜだかそんな根拠の無い自信で満ち溢れていた。


「……退かないって事は、俺とやりあうつもりだな? いいだろう、まずはお前らから――グアァァ!?」


 そう言って奴らに攻撃を仕掛けようとした寸前、俺の背中に電撃が奔る。


「くぅぅ、誰だ!?」


 眼前のアリスリーゼ達もまた、驚愕の表情を浮かべたまま固まっている以上、奴らの仕業では無いのだろう。

 ならば、誰が俺に攻撃をしたのか?

 背後を振り返り確認しようとするも、どうやらさっきの一撃で麻痺してしまったらしく、そのまま俺は地面へと転がってしまう。


 そんな俺へと聞き慣れた声が届いた。

 

「ずまないなイツキ君。こうでもしないと今の君は止まりそうもなかったのでな。どうか許して欲しい」


 そこには雷神トールのアバターを纏ったネージュが立っていた。

 彼女の表情には、俺に奇襲を掛けた事への申し訳なさが溢れていた。そしてその両隣には心配そうに俺を見つめるルクスとヴァイスの姿もある。


 それから2人は麻痺して動けない俺を両側から抱きかかえる。


「我々は一旦、街へ戻るとしよう。皆、騒がせてすまなかったな。ではさらばだ」


 いつの間にか集まっていた野次馬達へとネージュはそう一礼してから、踵を返す。


「ま、待ちなさい、雪音!」


 後ろからそんなアリスリーゼの叫び声が聞こえるが、誰も振り返る事なく俺達はこの場を後にした。


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